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戦後の日本社会が失ったもの?

ここ数日間、飯大蔵さんからいただいた資料、昨年6月に毎日新聞が行った国会議員に対するアンケート結果を国会議員ウォッチに転載する作業を続けています。まだ完了していませんが。
 転載作業をしながらいろいろと考えます。というよりいろんなことが頭の中をかけめぐる、といった方が適切かもしれません。HPにあったプロフィールや写真を思い浮かべながら、あの風貌にこの答えは似合わないなあ、とか、へえ、この経歴でこんなこと考えているんだ、とか、結構いい加減です。

 このアンケートの質問19項目のうち、気になったものがあります。「戦後の日本社会が失ったもの」という問に対して、答えを選択肢の中から3つまで選ぶ形式のもので、選ばれたものの上位3点は「地域のきずな」「他人への思いやり」「家族のきずなです。3つが3つとも人の心根に関わるものであるところに興味が惹かれます。

「戦後失った」ということは、「戦前はあった」ということを前提にしていると考えますと、戦後、私たち日本人がそれまで持っていた心根、それも良い心根を失ってしまったと考える議員が多い、ということでしょう。

 しかし質問に答えていた議員のほとんどは戦後生まれで、戦前の社会を自身で体験しているわけではありません。忙しい議員生活の中で新聞社のアンケートに答えるのに、わざわざ資料で戦前の社会を調べ、その上で戦後何が失われたか検証したなどということはまずないでしょうから、自分自身の経験や見聞を念頭に、反射的に答えたのだと思います。

 戦争が終わって11年もすると、「もはや戦後ではない」と経済白書にいわれましたが、この時の戦後も、まだ幼い私にはおぼろげな記憶しかありません。
 漠然とイメージが浮かび上がってきた戦前・戦後の境界は、とてもあやふやなものにならざるを得ないのではないでしょうか。つまり、思いやりの心やきずなが「あった・失われた」とする境目がどこか、はっきりしていないのです。

 1945年の敗戦ととその後に続く変革でたしかに体制は180度転換させられましたが、それが思いやりの心や人と人とのきずなを失わせることになったとは、どうしても思えません。おそらく、なんとなくイメージだけで答えたものでしょう。

「地域のきずな」は、落語に登場する長屋のご隠居さんはご愛敬として、下手をすると隣近所の干渉になりかねません。今でも結構、ご近所さんと人の口はやかましいですよ。

「家族のきずな」ってなんだろう、「イエ」の成員間の関係を指してはいないか? 「きずな」という語は人と人との繋がりを肯定的に捉えているから、「家族のきずな」そのものは、文句なしに「美しい」となってしまうのではないか? という疑問が頭をもたげてきます。
 さらには「美しい家族のきずな」がことさら強調されると、ただでさえ「小さな政府」が目指されている社会では、福祉問題も家族問題に還元されてしまうのではないか? と心配します。

 まさか今はないと思いますが、つい数十年前には「孝行嫁表彰制度」なるものが存在している町や村があったです。そこまではいかなくとも、高齢の方々、おばあさんにでも聞けば、いかに結婚後の女性の生活が大変であったか、話しは尽きません。つまり、お嫁さんの犠牲の上に成り立っていた「家族のきずな」というものがあったということです。

「地域のきずな」「家族のきずな」が失われたと判断した議員の一人ひとりは、いったいどんなきずなを思い描いていたのか、訊いてみたい気がします。

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働いても働いても楽になれない

今日はちょっとためいき。

 朝、久しぶりの好天に洗濯物を干していると、なにやら見慣れぬ男性がふたり、ご近所にやってきました。ひとりが呼び鈴を何度も押し、大声で呼んで、やっとご当主が出てきました。
 さっそく、借金の返済を求め始めました。

 息子が保証人になっているんですが。
 その息子さんから入金がないんですよ……

 いたたまれなくなって私は家の中に入りましたが、ご近所ではしばらく問答が続いておりました。

 そういえば、数年前、このご近所さんは自宅を増築していました。もともと2人の子供さんが小学生の時古屋を買い取って修繕して住み始めたのですが、20年近くたち、アパート住まいの子供さんが越してくるということで一部屋建て増ししたのが数年前のことです。
 その時の建設業者が代金取り立てにきたのです。

 車1台分の駐車にも事欠くような狭い三角地にどうにか建てた部屋も、1年もしないうちに主がいなくなりました。

 あれからご当主の入院、手術と続き、毎晩11時近くになってやっと帰宅する奥さまが、朝から晩まで働いて家計を支えているようです。

 子供さんたちの独立後何年も経ち、2人きりの生活はなんとか成りたっているだろうと思ってましたが、朝早くには家を出て深夜近くに帰宅する奥さまの生活はずっと続いています。ご主人は中学を卒業してすぐに働き始め、過度な飲酒で体をこわしたのか、大手術の末にがりがりにやせられ、今はほとんど働いていない様子。
 時々夫婦げんかで、周辺に大声が響き渡ります。働いても働いても楽にならない生活。

 歳をとって体もこわし、再チャレンジなんて無理です。懸命に働く奥さまの体も心配です。子供は子供で、自分たちの生活で精一杯でしょう。

 何がいけないのだろう?
 今日はちょっと身につまされました。

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チデジ? 地デジ?

20061201131959.jpg

昼前頃から、チデジ、地デジ、とテレビがやかましい。


 記念番組か式典か、司会をする各局アナウンサーの紹介に始まって、ソーリの挨拶。地方のテレビ局まで、踊り踊って浮かれている。
 なにか、違和感がぬぐえない。多分、騒いでいるのは放送関係だけでしょ。

 いいことずくめのように騒いでいるけれど、そんなに良いの?

 日本には良質のテレビ番組がたくさんあります、とソーリは言っていたけれど、これには異議を唱えたい。

 ソーリにとっては良質かもしれないけれど、知りたいことは伝えないし、365日お祭り騒ぎのテレビには、ちっとも魅力を感じない。

 それよりも、地デジってなにか怪しそう

 おまけに、ワンセグ、ワンセグって言ってるけど、外出先でまたテレビを見るの?
 
 

多重債務も構造問題

(時々、記事のカテゴリ分けに迷います。社会の問題にしても政治の反映だという思いがあるからです。今日の話しも一応社会のカテゴリに入れましたが、やはり政治が深く関わっている、そんな問題のひとつです)。

 11月1日の朝のNHKテレビで、多重債務者問題が取り上げられていました。偶然目にしたところで内容が気になってそのまま前半を見てみました。

 昨年の自殺者数は、およそ3万2千人、8年連続で3万人台。業績不振から多重債務に悩む中小企業の経営者や消費者金融にお金を借りて返済に行き詰まったサラリーマンが、誰にも相談できず自殺へと追い込まれていってる、ということでした。

 コメンテーターはNPO自殺対策支援センター ライフリンク代表清水康之さんと、金子勝さんおふたり。

 この2人が異口同音に言われたのが、多重債務の問題は構造的な問題である、ということでした。

 要旨のみを記すと以下のようになります。

 高金利にもかかわらずに利用せざるを得ない人は弱い立場にある人で、いったん借りると一気に多重債務に陥るが、その根っこには構造問題がある。

 世に景気回復がいわれていても、毎年3万人の自殺者が出ている。再チャレンジ云々といわれていても、ますます格差社会が広がるばかりで、この多重債務者問題は格差社会の象徴といえる。

 貸出金利は相手となる企業によって異なる。つまり大企業、中小企業、零細企業、また中小でも優良企業によって異なる。

 ギャンブルや買い物等による多重債務がクローズアップされているが、実際は、事業の失敗、収入減を原因にするものが圧倒的に多い

 なぜか?

 苦しい人に低金利で借りられるものがないからだ。

 3年以上黒字が続かないと、低金利での融資は受けられない。
 また金融保証会社を利用したところで、金利とは別に、7~8%の保証金を取られる。

 アンケート調査によると、借金苦に悩む人の6割が自殺を考え、4、50代の働き盛りに自殺者が多い。

 一般に自殺は他人事のように受けとめられているが、これは情報を知らされていないからだ。いつ、誰が多重債務に陥ってもおかしくはないほどの深刻な問題だ。

 と、ここでも、一般の人への情報の広がりが決定的なくらい不足している現実があることを痛感します。「景気回復」の言葉は、これまでもメディアを通して幾度となく聞いてもきましたし、見てもきました。でも、この「景気回復」の言葉と矛盾するような、経済苦・多重債務を背負って自ら命を絶っていく人の多さには目をつぶっての景気回復宣言だったのでしょうか。

 番組にも出てきたように、この問題に取り組んでいるのは、どうも民間の個人や団体のようです。
 公的機関では裁判所で行われる特定調停もあり、かかる費用も少額ですが、そうした制度のあること自体があまり知られていません。

 1930年前後の不況で疲弊した農村を象徴的に表すものとして、「娘をうる前に」の看板を立てた相談所風景が昭和史によく登場します。

 昭和11年(1936年)1月に入営して2.26事件に参加した一中隊の兵士身上調書を見ると、出身家庭の生計状況の悪さ、高等小学校卒という学歴がほとんどであることに驚きます。
 事件当時、近衛師団の少尉であった人は、「元来、近衛師団の歩兵連隊に入隊する壮丁は、各都道府県知事の推薦によって選ばれた人々であった……裕福な家庭に育った青年ばかりであると想像していたが、身上調書ができあがるにつれて、家庭の事情欄には、小作農、生活貧困が多く……当時の社会記録をひもとくまでもなく小作農の生活は悲惨そのものであった」と証言しています。

 そして平成の不況の象徴は多重債務者問題

 ソーリではありませんが、後世の歴史家はこれをどう評価するでしょうか。



いじめられっ子との私的体験

 福岡県のいじめによる中学生の自殺が大きな反響を呼び、文部科学省も乗りだしました。連日大きく報道されて、山谷補佐官やら「ヤンキー」先生、小渕政務官も聞き取り調査をしたことが朝刊に載っています。

 山谷氏は「学校と教委の連携やパイプの流れ具合が悪い」といい、ヤンキー先生こと義家教育再生会議委員は「教育行政の構造上の問題を考えなければいけない」と語ったとか。これを読んで、不安が頭をよぎります。教育行政の構造上の問題とは何を指すのでしょうか。
 小渕政務官の「さまざまな理由があり、現時点では(因果関係は)明らかでない」という言葉の真意はどこにあるのでしょうか。

 実をいいますと、私はかつていじめに悩んだ女子中学生を2週間弱預かったことがあります。

 彼女は今、元気に女子大生生活を楽しんでいますから、もうそろそろこの話も少しはしてもいいかな、と新聞を読みながら思いました。

 私の大事にしている友人の親戚筋のお子さんでした。繊細で可愛らしい子でしたが、誕生時の小さな事故で神経が1、2本切れたとかいうことで、片足に軽い障害がありましたが、ほとんど分からない程度のものでした。それでも人が自分の足に注意を向けるのを非常に嫌っていました。

 中学生になったとき同じクラスの男子生徒が中心になっていじめを始めたということでしたが、足のことをからかわれたのが発端かな、と推測されるくらいで、詳しい話しは何も聞いておりません。実際、彼女は、いじめの話の1つひとつを他人に聞かせるような精神状態ではありませんでしたし、私も無理矢理聞く必要もないと考えました。

 部屋をひとつ与え、子供たちが使っていたものを自由に使わせ、とにかく2週間、私は彼女のおしゃべりにつきあい、言いたいことを言わせて聴くことに徹しました。あちらこちらにも連れていき、ふたりで遠足気分を味わいながら、自然も楽しみ、遊び回ったものです。

 このとき当然級友たちは学校で勉強をしていたわけですから、夜は夜で、私に見られながらの勉強です。

 結局2週間で、もう帰りなさい、と宣言。

 駅で見送りながら、また来てもいい? という彼女に、勉強しない子は駄目、と言い放った私。

 どういうわけか、私にも今だに謎が解けないのですが、不思議なことに我が家からの帰宅後、彼女は元気になって、決して高い学力レベルの学校ではありませんでしたがとにかく進学先の高校でうまく波に乗れて、現役で大学入学。この知らせを受け取ったときは、私もうれしくて、思わず心の中でバンザイを叫びました。

 私が何をやったか。大したことはしませんでした。じっと耳を傾けて、時にはわがままとも思えるような彼女の行動も放ったらかしでしたし、いじめから心身の不調を来していたため黄色い胃液を吐き、他者や小さな動物まで思い入れ強く接するのを見ては面食らったり、まあいろいろでした。

 結果的に、彼女の負のエネルギーを私が引き受け、かわりに自分の正(生にも通じますね)のエネルギーを与えたことになりました。傷ついた気を私がもらって、私の健康な気を彼女にやったことになります。ですから、今だから正直に言いますと、私の方はかなり疲れ、回復に少々時間もかかりました。

 そして忘れてはならないことは、そんな私の回復には家族を初め、友人たちの力があったこと。

 セラピストでもなく、ましてや医者でもない私が、なぜわざわざそんなことをしたのか、彼女を引き受けようと思い立ったのか。それはただただ、友人の可愛がっていた子の苦境を知って何か縁を感じただけのことでした。

 うちにおいで、ただその言葉だけを信じて、中学生が新幹線に何時間も乗ってやってきたのです。もちろん私の方は仕事ではありませんから、費用の方は滞在費を含めていただきませんでした。そして往復の旅費は、中学生が自分のお年玉を貯めたものから出したようです。

 色々と話しを聞くうち、自分のことを世界で一番惨めな存在であると彼女が受けとめていることに気づきました。あんなに優しい両親も、優秀なおばちゃんも、良くできたおばあちゃんも持っていながら、ただ、自分の不幸を恨むだけでした。

 最後の晩は、いかに彼女が恵まれているか、私が話しをする番になりました。そんな私の話を言葉通りに受けとめて、ぱっと顔を輝かせたときの元気な声が、今でも響いてくるようです。

 後に、中心になっていじめていた男の子と繁華街ですれ違った経験を友人に話したそうです。

 私の方は遠くてもすぐ気がついたの。でも相手は、すれ違うときも気づかなかった……とは彼女の言葉です。そんなものかもしれません。

 このいじめっ子については、「家庭生活が大変だったらしいの。私をいじめて気が済むならそれでもいい、と思ったのよ」と私には言ってました。これに対し、良くないよ、ちっとも良くないよ。いじめられたら怒りなさい、と思わず口走った私。

 だれも聖女になる必要はない。

 初めのうちは、自分がいじめられていることを泣いて否定した子でした。いじめられている惨めな自分を認めたくなかったのかも知れません。そして、そんな心がちょっとした身体症状にも表れて、親御さんや周囲の人を悩ませていたのです。

 あれから何年経ったでしょうか。この春、彼女に会ってきました。今、元気になって、きれいになって、生活を楽しんでいます。
 

「自分探し」雑感

 若者の右傾化がいわれて久しいですね。
 私が自分の身近でそれに気づいてからまだ10年にもなりませんが、当初から国家のアイデンティティと僕・私のアイデンティティが重なり合っているのかな、と感じていました。

 昨日の夕刊に大きく載った雨宮処凛々さんと中島岳志さんの対談、「右傾化する『自分探し』」に、当事者の口から話される事情に頷いたり、ハッとしたり。
 成績競争とよい子競争に喘いできた若者たちが、傷ついた自尊感情の修復を求めるうちに大きな物語と出会い、そこに自分の立ち位置を見つけたのだろうと推測はしていました。

 おふたりとも私はこの記事で初めて知ったのですが、そんな若者たちと同世代で、おまけに雨宮さんの方は自身がその大きな物語の中に飛び込んでいることから、興味が惹かれます。

 でも、生きがたさを感じて彷徨する中で出会った大きな物語が、なぜナショナリズムになるのでしょうか。
 世の中の主流に対してアンチの立場をとることで自己を再確認するようですが、それに若い世代特有の破壊衝動と攻撃性が加わり、排他性が炸裂するのか、などと一応理解はしてみましたが、まだちょっとわかりません。

 幼い頃から良い成績とよい子であることを求められ、その条件を突きつけられて迫ってくる親に抗えようのない子供が、大人への過程で周囲の要求を振り切って突っ走る。そんなイメージを持っていましたが、雨宮さんは、「無前提の生存権」という言葉を語っていました。自分探しが右派の暴力に結びつかないためには、この無前提の生存権を認めろ、というわけですね。

 条件付、前提付で生かされて育てられてきた若者の身にとって、これこそ心の底からの叫びでしょう。先日のエントリー「ワーキングプア 偽装請負」の最後あたりに書いた、仕事をしない子供に「少しぐらいぶらぶらしていていい」という親御さんは、もしかしたらそのことに気づいたのかも知れません。

 ただ、そうした個人的処理だけではすまないところにもう来てしまっているのではないでしょうか。あまりにも多数の若者が、自己責任を負わされて不安定な労働者層に追い込まれてしまったのではないでしょうか。実力さえあれば、何とかなるのだ、などと言い含められながら。

 そういえばどこかで、自民党の考えと変わらない前原氏以下の人たちが民主党に留まるのは、自民党では世襲でない議員の出世の道が閉ざされているからだ、という話しを聞きました。
 議員に限らず、どこでどのような家庭に生まれたかで職業の選択も決まってくるような社会階層の固定化が、いつの間にかじわじわと進んできたようです。

 家庭を越えた外の社会の子育て機能が低下しているかな? とさえ思われます。さまざまな習い事が隆盛を極めているのとは対照的です。そして、よい子を求められると同時に自立を促される。つまり大人しい、という、大人にとって都合のよい子が求められる。子供たちは子供時代を十分楽しめない。それを感じているから、『3丁目の夕日』が受けたのかな?

 少子化を騒ぐ割には子供たちを育んでいく環境の貧しさが目につき、それを愛国心云々の精神主義で補おうとするのはちょっと違うんじゃないの、とでもいいたくなります。
 精神主義を語るのは政治のすることではないのでは。

子供を産み、育てる社会か?

_138 フェンネルの花が咲いています。しばらくすると、この花のひとつひとつが、あの薫り高い実になります。毎年その実を収穫して楽しんでいますが、取り残したものが地に落ちて、また新たな株に成長しています。



 東ヨーロッパの小さな町で実際にあったユダヤ人虐殺は、総督府におけるReinhard Aktionラインハルト作戦の一環でした。それ以前にも同様の虐殺事件がありましたが、ドイツに占領されて政策が遂行され、そこで初めて大殺戮が組織化されたわけです。



 舞台の1つ、現在ウクライナ領にある小さな町では、1942年の2度目の大虐殺で、2,000人のユダヤ人が犠牲になっています。



 このとき、特に標的になったのが、子供たち。



 3日間に及ぶ殺戮で、600~700人の子供が殺されています。



 足を掴まれ、歩道の縁に頭を打ちつけられてなくなったそうです。



 いかに一撃で息の根を止めるかということと共に、殺めた人数を、ゲシュタポ、およびそれに荷担した民間人、というより、結果的に民族的反目をさらに助長した他民族出身の警官は、自慢し合います。日本兵の100人斬りと同じ構図です。



 手っ取り早く未来の大人を殺めるのも、世界のあちらこちらでやられているようです。



 ひるがえってこの国のことを考えますと、少子化が問題になっていますね。



 私自身こどもふたりを育ててきたわけですが、今の時代、若い夫婦だったら、また育ててみたいと思いますか? と尋ねられたら、しばし答えに躊躇せざるをえません。



 正直なところ、結婚と子産みは、理性ではできません。



 少なくとも私の場合、理屈抜きで結婚と子産みをしてきました。(^_^;)



 子育てはそれだけでは済みませんでしたが。



 アンケートでもされたら、もっともらしい理屈のどれかに○をつけて、それらしき集計結果が出るかも知れません。



 こんな世の中にわが子を送り出すのなんか嫌だ! と、心のどこかで叫び声が聞こえます。これは、理性ではなく直観ですね。 



 ましてや、年金制度が危ういとか言われて、脅されて産むのは嫌です。



 日本の厚生年金や国民年金は、制度が創設された時には積み立て方式だったのが、なし崩し的に現行の賦課方式に、つまり働く世代が高齢世代を支えるようになったといいます。



 政治の無策が産んだ今の年金問題を、それ産め、やれ産めで解決しようとするのはあまりに無策。



  さらには、将来の戦闘要員に備えて産ませようなどというのは、もっともっと嫌、と、体と心は反応します。



 今は、子どもにとても厳しい世の中です。



 この厳しさがどこからくるかというと、どもらしさと同時に、成熟さをも要求される社会に、私は1つの答えを求めます。



「子どもらしさ」と「成熟さ」という、この2つの矛盾するものを突きつけられて、子どもは戸惑い、親はふらふら迷う。



 脇目もふらずに一直線、エリートコースにたどり着くために邁進するのは、ある意味では楽かもしれません。他のことには目を閉ざすことになるからです。でもそれも、どこかに落とし穴がある、挫折がある。



 子どもはいつもいい子を要求されて、いい子は、素直な子、従順な子、つまりおとなしい子とも解釈されてきました。おとなしい子は大人しい子です。



 でも、子どもの持つエネルギーは、その解釈には収まりきれません。



 そして、その解釈の枠からはずれると、まさに社会は不寛容です。子どもにも、親にも不寛容です。その不寛容さが、ゲシュタポのごとき圧倒的力で迫ってきたら、私たちにはなすすべありません。



 先のナチ占領下の東ヨーロッパの小さな町では、一度虐殺を経験してから、ユダヤ人たちはとにかく隠れることを考えたといいます。そしていつ、どこで、どんなふうに隠れるか、友人にも、ときには家族にも明かしません。明かしたら、それだけ生き残る確率が低下します。互いの信頼をも奪われた社会です。



 ナチスドイツの例は極端かも知れません。けれど日本にも、それほど誇れる過去があるわけではありません。外政しかり、内政しかり。床屋での世間話が元で逮捕されることもあった治安維持法など、その最たるものでしょう。



 政策が社会に不寛容の空気を生んだ、極端な例です。踏み絵のようになった国歌・国旗法も、政策が、社会の不寛容を助長してきたいい例です。その上に、密告も奨励する共謀罪が成立したら、人の信頼関係など、ずたずたでしょう。



 そんな社会では、私は子どもを産みたくもないし、育てたくもない。



 (子どもというのは、母親が1人で育てるものではありません。日本には、社会生活を営む上での知恵として、名付け親、烏帽子親などなど、何人もの「親」代わりが、1人の子どもを見守り育てた習俗がありました。子ども1人の命は、そうした複数の人間のあいだで共有され、育まれてきたのです。そんなことは当然、不寛容な閉ざされた社会では不可能ですよね)





 



 

ロンドンのメイドスタイル

_125 _128 深紅の薔薇はブルグント88。ビロードのような花弁です。(葉っぱに病気が出始めています。やっぱり消毒しないといけないのかなあ)



 さてさて、10数年前の話になりますが、はじめてのロンドン旅行でびっくりしたのは、やはり人種間格差を見せつけられたときです。



 ハロッズ近くの繁華街に店を構える有名喫茶店での経験ですが、この喫茶店は、なんでも革命のフランスを逃れて来た人が始めたという、二都物語を地でいくようなお店です。



 満員の店内を動き回ってサービスしているのは、ブルー(だったと思う)のストライプのワンピースに白のエプロンをつけた、まさにメイドスタイルのアジア系と思しき女性たち。我が家の隣のお嬢さん、おばさんたちと変わらぬ顔立ちに、つい日本語でオーダーしそうになってしまいました。



 (南方アジア系の人たちは、けっこうみなさん、実年齢より若く見える人が多いですよね。それなのに、ウェイトレスをしていることから年配者ではないと思うのですが、ちょっとくたびれたような表情でふけてみえて、おばさんのイメージでした)



 無愛想なのか疲れているのか、にこっともしない浅黒い丸顔の、あまり自信のなさそうな表情に、ちょっととまどったことを覚えています。



 その「メイドさん」タイプの女性たちを指揮・監督するのが、すらっとして金髪の、アングロサクソン系の若い女性。白のブラウス、黒のタイトスカート、赤のベスト、といったいでたちです。きびきびした表情と態度で、フロアーの隅々まで目を光らせています。



 そして店内を統括しているのが、黒いスーツの、やはりアングロサクソン系のスマートな男性。



 この3者は、服装が違うだけではありません。目の動きをはじめとした表情から態度、歩き方まで、まるで違うのです。



  要求されている仕事の中味によって、これだけ人間の外見にも差が出るのか、と愕然とした1日でした。



 

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