スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

橋下府知事―この方の品性と口はどうにかならないでしょうか。

全国学力調査の市町村ごとの結果の公表問題で、橋下府知事がいろいろと叫んでいます。

 9月11日、報道関係者に、

「猛反発しているのは教育委員会の事務局長。全部、教員の代弁者なんですよ。そんなやつらに(公表、非公表の)権限を渡していいのか」
「『調査結果を公表するかどうかは、教育委員、首長、議会など『民主的コントロールが及ぶところ』で審議すべきだ」

 9月14日(今日)、民放のテレビ番組で、

「中立性の名の下に、自分たちの領域は神聖不可侵なんだという本当に恐ろしいような状態。関東軍みたいになっている」

(以上asahi.com)

 なお、この民放のテレビ番組とは、スポーツ報知によればフジテレビ系「サキヨミ」だそうです。

 ただし橋下氏は昨年12月の朝日新聞の知事選立候補予定者座談会では、全国学力調査の結果について、

「何を大騒ぎしているのかわからない。英数国理社が好きなら一生懸命やればいいし、スポーツや絵、音楽が好きならそっちをやればいい」

 と発言していますから、知事になる前と後では、完全に矛盾してます。支離滅裂、といってもいい。それこそ「このざまは何だ」状態だと思うのですが。

 でも、それくらい計算済みの人でしょう。
 
 唐突に「関東軍」を持ちだしたような感じですが、ただ私は、いくら弁護士だからといっても、この方の、歴史に対する姿勢の問題以前に、歴史に対する知識そのものが果たしてどれだけあるのか、とても疑問に思っています。

 彼が初登庁挨拶で、

「教養といわれるものに関しては、通常の38歳より著しく欠けていると思っています」

「繰り返しますが、本当に教養等はありませんので、そこは色々と勉強させてください」


 と言ったことは本当だ、と思っています。


 知らないから、かえって好きなことが言えますしね。


 それにこの方、その場その場で受けの良さそうなことを適当に口走る。たぶん、それで由としているのでしょう。
 それこそ、「最悪。ビジョンも何もあったもんじゃない。(教育委員は)みんなお飾りだ」という言葉はご自身にはねかえってくるでしょう。
 

 大阪府の教育委員会がどんなものか、私は知りません。ですからまったくの一般論ですが、それぞれの自治体が抱える教育委員会の現状がそのままでイイとは思いません。


 でも今の教育の問題が、この知事のように大声で、悪の権化のように教育委員会を叩いて解決できるほど生易しいものではないことは確かです。


 オンリー・ワンの子どもたち一人ひとりが育つ過程では、家庭や社会がどれほどのエネルギーを費やす必要があるか考えると、気の遠くなるような思いにかられます。


 手のかからない子なんて、ひとりとしていない。それぞれが、大人が本気で自分たちを相手にすべきだ、と陰に陽に迫ってきます。一見従順でおとなしい子だって、いつも、あるいはいつまでも従順でおとなしいとは限りません。

 5人も6人も子どもをお持ちなら、それくらい分かりそうなものなのに。
 いや、これからかな。知事になるのが早すぎましたね……もしかしたら、いくつになっても早すぎるのかもしれませんが。


       人気blogランキングへ
スポンサーサイト

教育の場に防犯ビデオを、という主張

*追記があります。

 昨晩の『太田総理』。

 家人がつけていたテレビをチラッと目にしたところ、千秋が学校に防犯ビデオを備えつけろ、と息巻いてました。
 だいたい、若目も含めて、若い女性は断然その意見を支持。中学生らしい女性まで設置を強く主張。

 一方、反対派の筆頭は、アベお友達内閣の島村宜伸の他には、和泉節子、金美齢、原口一博、現役(?)教師等々。
 和泉節子氏が滔々と日本の伝統精神云々を述べ、原口氏はガーディアン・エンジェルスを推奨しながら、ひたすら予算の問題を唱える。
(たしかガーディアン・エンジェルスは統一教会系だ、とどこかで読んだ記憶があるのですが、どうなんでしょうね)。

 また島村氏をはじめとして超保守の方々がことごとく反対意見を述べていたのは精神論をいわんが為、と分かりました。
 あまりのばからしさに私はその場を離れたましたから、その後の採決がどうなったのか、まったく知りません。

 それでも、娯楽番組だからおもしろさを狙っているのだろうとは思っても、防犯ビデオを設置して学校での子供たちや教師の行動を監視すべきだ、と若い女性陣があまりに真剣に考えているふしが見てとれて、なんとも嫌な気分になりました。

 とかく若い母親は、自分の子供たちの行動を把握したがります。
 まるで自分が腹を痛めた子供たちが何しているのか、何から何まで知ってないと落ち着かない、というように。

 我が子の安全を願う気持は、やがて簡単に我が子への期待へと転化します。
 他人の手厳しい子ども批判にも母親は耐えねばなりません。なぜ、って世の中の人が期待するような良い子なんて、そうそういるものではないからです。
 
 子どもは天使であると同時に悪魔でもあります。でも、天使100%の子どもも悪魔100%の子どもも存在しません。

 子どもたちが大人の厳しい追及の手から逃れる術を学ぶのも、生きる力だと思う。 
 大人が100%子どもたちを把握するのは無理ですし、してはいけないと思う。
 
 幼いうちは、我が子であっても、親にも分からないことがたくさんあります。
 多分子ども自身、初めての人生に対してどのように向かい合えばいいのか分からないことがいっぱいあるのだと思います。
 失敗を咎めるだけでなく、失敗した子ども自身を受け入れられる大人や、子どもにとってのそれなりの逃げ道も必要です。

 昔、子どもに初めて小遣いをやるとき、小遣い帳を作らせようとしたことがありますが、3日坊主どころか、1回たりとも記入しないうちに、そのノートは他に転用する羽目になりました。
 いったい小遣いはどこへ消えたか、何を買ったか、そんな追求は要らない。家計簿をつけない親が、子どもに小遣い帳を作らせようとしたこと自体が間違いだ、とまもなく気づいたからです。

 残念ながら子どもの行動を把握する必要があるときも現実にはあるでしょうが、それと監視カメラ設置は別でしょう。

 なにより、監視社会への危機感、常時監視されていることを気味が悪いと感じる心が、学校に防犯カメラを! と主張する女性たちになかったことが、私には衝撃でした。
 もっとも、それも単なる芸に過ぎない、まともに受けとめる方がおかしい、というのであればちょっとはホットできるのですが。


    人気blogランキングへ      



*追記

 大津留公彦さんからお知らせいただいたところによると、防犯ビデオが各学校と通学路に設置しますという千秋のマニフェストは賛成が反対を上まわり、可決されたそうです。

 このマニフェストを支持する側のかなり本気のムードはインパクトが強かったですからね。

教科書検定って、公正さはどこにあるのでしょう?

午後、叔父に代わり、夫とともに叔母の入院している病院へ。
 ソーシャルワーカーの方も交えて、内科の主治医、リハビリ医の説明を聞き、今後の相談。

 叔母が昨年大晦日に入院して、すでに3ヶ月を過ぎました。1、2ヶ月間、生死の境をさまよってよくここまで回復したものだ、と感激するほど元気なったのですが、これまで、さあ、リハビリが始まるぞ、という段になって容態が急変したのは1度や2度ではありません。
 今後についても予断を許さないということですが、とにかく本人の意欲が強いので、リハビリもできるだけのことをしてみようということになりました。

 叔母は現在問題になっている後期高齢者医療制度の対象者ですし、また機能訓練リハビリの給付日数制限(発症から最長6ヶ月で打ち切り)との関連も心配でした。あと約2ヶ月の訓練期間です。

 とにかく排泄が自力でできさえすれば、自宅に帰れる……それが目標です。うまくいかないときは、叔父も覚悟をしなければなりません。

 この人たちにはもっと高給をやってもいい。なにしろ命を助けてくれるんだから。
 病院の廊下ですれ違う医師や看護士を指して、これまでも幾度か、夫の口から出た言葉です。


 さあて、病人の話はここまでにして、新学期のついでに、教科書の話題を一つ。
 
 教科書といっても、教科書検定制度についてです。

 私の手元にある1冊の本。1977年に検定申請用として文部省に提出され翌1978年に2度目の不合格処分を受けた教科書原稿(白表紙本)の『検定不合格 倫理・社会』(三一書房刊)です。

 著者は久野収、中山千夏、森岡弘通、矢崎泰久、山領健二の方々。

「ほんの少し個性のある教科書を現在と未来の高校生へとどけたい」と希望して始まった教科書づくりでしたが、「門前払い以外の結果をもたらすことができなかった」と落胆する久野収さんは、「いまは何もいいたくない気分である」と前書きで語っておられます。

 この本を店頭で見つけるや、家永三郎さんが提起した検定制度とはいったいどんなものか、とたちまち好奇心が頭をもたげた家人が購入してきました。

 で、検定制度の仕組みについて中山千夏さんがまとめていましたのでそれをさらにまたまとめていきます。
 おそらく現在でも大して変わってないのではないでしょうか。

 まず、【検定の組織と手続】

      検定1

 教科書調査官と並んで重要なのが、教科用図書検定調査審議会
 この審議会は110人以内の学識経験者と関係行政機関職員の委員からなり、氏名は非公開

 審議会には3つの分科会があり、そのうちの教科用図書調査分科会が検定にあたる。
 この分科会は更に9つの分科会と各科共通の事項を審議する総括部会に分かれる、各部会の決定が審議会の決定となる。

 この他に、専門学識者や教員の中から文部大臣が任命した調査員の組織があり、その数、数百名といわれるが、この氏名も非公開

 第1段階:「調査」
 3人の調査員、審議会の関係委員、文部省教科書調査官の3つのグループがあたり、教科書1点毎に「調査意見書」と「評定書」が作成され、次の「審議」のための資料となる。

 第2段階:「審議」
  調査官の報告後委員の意見開陳。内容については一切非公開

* 調査員は民間人のためにそれぞれが他の職業を持っているため、時には10日~2週間になることもある約1ヶ月という短期間に教科書を吟味して調査意見書、評定書の作成は無理に近い。
    ↓
 文部省の教科書調査官が調査の中心となる。

* 審議会で委員に配布されるのは、調査官・調査員の評定結果の一覧表のみらしい。

* 結局、文部省の調査官がリードする調査であり審議である。

【評定】

 検定合格のための絶対条件と必要条件が法に定められている。

絶対条件;
 
1.教育基本法における教育の目的・方針や、学校教育法に定める各学校の目的との一致
2.学習指導要領に定める強化の目標との一致
3.政治的・宗教的立場の公正

必要条件;

以下の7項目に照らして欠陥がないと認められること。800点を超えれば「条件付き合格」となる。
     検定表Ⅱ

評定は次の7段階の尺度で行われる。

検定 表Ⅲ

この○やら△やら×については、○は満点の9割……等というように点数に換算される。

    検定表Ⅳ

第8項目の「創意工夫については次のように6段階に評定し、最高50点までに換算される。
    検定表Ⅴ
  
       検定表六

  これらの項目のどれにも×がなく、かつ全体の評点が800点を超せば「条件付き合格」。

 *調査者は欠陥箇所を見つけると、それぞれに「減点」をつけ、上記の必要条件1~7の項目毎に合計。
 その点数を教科書の総ページ数で割って得た比率を基準に評定記号を決める。

   以下参照

         検定表七

「修正しないと合格とは認められない」箇所1つにつき1~12、3点の減点。だいたいは2、3点の減点。
「修正する方がより良くなるが、修正しなくても合格と認められる」ものについては減点するものとしないものがある。

 

 * 評定法そのものが、採点者のさじ加減ひとつで結果に大きな隔たりが生じる「不明確極まりない方法」である。

 著者側にはこの「減点」の詳細は一切伝えられない。

 * 検定に提出する教科書は、“公正”を期すために「白表紙」と呼ばれるもので、著者、出版社名はどこにも載ってない。

 ところが、提出の際出版社は「著作編集関係者名簿」を文部省に届けなければならない。
 従って、著者、出版社名は調査の実権を持つ調査官に筒抜けである。
 
 これで公正が保たれるのか、甚だ疑問。

 なお、評定の詳細については家永裁判を通じて得られたものが多いようです。

 で、3月28日の官報で告示された学習指導要領は改訂案公表の後、文科省が勝手に181箇所を修正したことが報じられました。
 

 (修正の)大半は字句の修正や用語の整理だが、総則に「これらに掲げる目標を達成するよう教育を行う」と挿入し、「道徳教育」の目標に「我が国と郷土を愛し」を加えた。

 小学音楽では君が代を「歌えるよう指導」とし、中学社会では「我が国の安全と防衛」に加えて「国際貢献について考えさせる」と自衛隊の海外活動を想定した文言を入れた。

 改訂案に対しては、自民党内から「改訂案が教育基本法の改正を反映していない」と早くから不満が上がっていた。八木秀次・高崎経済大教授が理事長の日本教育再生機構も同様の立場で、文科省に意見を送るひな型となる「参照用コメント」を公表していた。

 一方、中学社会の「北方領土が我が国の固有の領土」という記述には、韓国が領有権を主張している竹島も加えるよう要望が出ていたが、「政治的判断」(文科省幹部)から応じなかった。

 改訂案への意見公募は2月16日から3月16日まで実施され、計5679件が寄せられた。

  で、こうした学習指導要領にいう“愛国心教育”という目的との一致は「絶対条件」にあたるわけですから、教科書は必ずこの線に沿ったものでなければ合格しない、ということ。

 ううん……

                             

   人気blogランキングへ

 (明日は早いので、今日はこれまで。さらに詳しい話しは、またの機会に)。

体験から見た愛国教育 日の丸・君が代死守で何が得られるの?

Like a rolling beansさんの「学習指導要領に急遽愛国心育成追記・根津先生の椅子を引っ張り転ばせる都教委」を読んで、椅子から転がり落ちるほど驚きました。

  まだ子育て真っ直中らしいRolling Beabさんの教育関連エントリーにはいつもはらはらしたり、怒髪天を衝くのような心境になったりして、いろいろ教えていただくのですが、仮にも子供たち の教育を主管する教育委員会で、こんな嫌がらせや暴力を受けるとは、と絶句です。

それにしても、 君が代を歌わせ、日の丸を掲げれば、期待される「愛国者」ができあがると国歌国旗を推進する方々が考えるとすれば、それはとてもおめでたい、とは言いませんが、実に誤解も甚だしいものだ、とひと言いいたいですね。

 もちろん、愛国心教育を唱える方々は、単に歌わせて掲揚させることだけを念頭に置いているのではなく、もっと日常的な細々したことまでも口出ししようと手ぐすねを引いて待っているに違いありません。

 オウム真理教の浅原教祖は、子ども時代、ロボット王国の王様になりたいようなことを文集に書いていたと記憶していますが、権力欲にあふれる人というのは、その他大勢をロボットのように自分の思うままに扱いたい、という妄想に駆られるようです。

 学校教育の中で愛国心教育を浸透させようと日夜励んでおられる方たちも、子どもたちを、将来の大人を、未来の日本の国を背負って立つ人材を、愛国心に満ちた納税者/有権者に育て上げようと懸命なのだ、と一応理解しておきます。

 思えば、100年から何十年か前の日本であまりにも成功体験を持ちすぎたために、こうした人たちは愛国心教育に邁進すれば愛国心に満ちた人間ができあがる、とストレートに結果と結びつけすぎるのではないでしょうか。

  おまけに“愛国心”という言葉に名を借りた極めて利己的な思いで国歌国旗を推進させようとしていますし。つまり、勝手に“愛国”を名乗っていますが、その 実、自分たちの利益のために、自分たちの、もしくは先代の名誉を回復したいがために“国”を引っ張り出してきたに過ぎないのでしょうから。

 おめでたい庶民は、“国”だ、“愛国”だ、といえば、適当にそれぞれが思い描く“国”として解釈してくれる、とほくそ笑んでいるのかもしれませんが。

  海の中に国境が引かれた地理的存在の日本ではなく、一人ひとりの胸の中にある日本は、それぞれ異なるわけです。そんな人々の胸にある郷土としての国への思 いを、より高次にあるものとして見せかけた、“日の丸と君が代”を死守する日本を尊ぶ心にすりかえようと、あの手この手を繰り出す人たちがいるわけです。

 なぜ、わざわざそんなことをするのか? と考えれば、かつて日本で「国体教育」が吹き荒れていたとき、どんな人たちが“儲けた”か、私腹を肥やし威張りちらして国民を操ったか、考えてみればわかること。

 日の丸・君が代はリトマス紙や判別式のごとく、自分たちの命令一下で動く人間かどうか、見きわめるのにとても便利で有効な道具です。
 おまけに日の丸・君が代は、非常に分かりやすい道具として、自分たちの利益と名誉のために国民を動かす力になることを、戦争の時代を通じて学習した人たちがいた、ということです。

 でも、いつも不思議に思うことですが、そんな日の丸・君が代死守を狙う人たちは、子どもたちの心を自由に操り、思うように捨て駒となって体制を支えるような大人に育ってくれる、と本気で考えているのでしょうか。

  チャパツにして亜麻色やブロンドに、あるいは白髪を黒髪に見せかける際、まずは薬液で髪の構造の内部の色を抜くようにゆとり教育で子どもたちをふるいにか け、実直に唯々諾々と為政者の言に従う人間を大量につくりだしたから、今度は愛国の色で染め上げれば、愛国者の群れのできあがりだ、と考えているのでしょ うか。

 考えているとすれば、子どもを知らない人たちだ、と思わざるをえません。

 いったい、愛国心教育を唱える人たちは、子どもを自らの手で育てたことがあるのでしょうか。
 いえ、育てたことがなくても、星の王子さまのいうように、大人もみんなかつては子どもだったのですから、自分自身が子どもだったときのことを思い出せばいいのです。

 子どもは親の思うとおりには育ちません。
 有言・無言で強要しても、どこかで破綻が来ます。
 その破綻がまだ世の中と折り合いがつけられる段階で明らかになれば幸いです。本人も周りも人生のワンステップとして受けとめ、次の段階へと向かうプラスのエネルギーも生まれてきます。

 でも大人が追いつめて子どもの生きる力が奪われたとき、どんな事態になりうるか、数々の事件が明らかにしているように思います。

 そしてこの二つの間には、無数の子どもたちがひしめいています。

 みな、プログラムを入力されたロボットではありません。
 命を持ち、従って生きようとする力を持った生身の人間です。

 子どもは誰でも愛されたいと無意識のうちにも思い、周囲の大人に(だいたいは親に)愛を求めます。親もそれに応えようとします。さらに親は、子どもにさまざまな期待をかけ、子どももそれに応えたいと思います。

 ところが何らかの原因で子どもと親の思いがすれ違いになって、この相互関係がうまく働かないことがあります。

 そのひとつが、親の期待が大きすぎて、子どもが頑張っても頑張っても親の期待に応えられないと思ったときです。
 いいかえれば、親の“いい子”を求める姿勢に子どもの心がついていけない時、いい子になろうと努力をしていた子どもは諦め、追いつめられれば、時には“悪い子”を気取り、時には心が壊れるたりする。そんなことがあるのではないでしょうか。

  社会が豊かになって生活にもゆとりが出て、少人数の子どもを大切に育てようという気運が社会全体にみなぎってきたとき、大人たちはどうしてきたでしょう か。いきおい、子どもたちに自らの夢を託し、夢とまで大げさなものでなければ、自分のできなかったことを子どもたちに託してこなかったでしょうか。

 人間の業、といってしまえばそれまでですが、どうもこの親のやる気に気圧された例が多いような気がします。いじりすぎて子どもがスポイルされたような。
 これがすぎると、子どもの生きる力さえも奪われかねない、そんな例まで。

 子どもは実に千差万別。いろんな顔と反応を見せます。
 でも親の期待に応えられずに自尊感情が低下したり奪われたりしたとき、必死になってそれを取りもどそうとするのは同じ。けれどそれも失敗に終われば……。

(いわゆる“自虐史観”という言葉を使用して歴史の見方を非難する人たちの中には、自らの自尊感情が低下した状態を歴史に重ね合わせているだけでの人たちがいるのではないか、と常 々考えております。ですから、どなたかは知りませんが、そんな人たちが声高に叫ぶ歴史の修正を“自慰史観”と呼んだのは見事だと思います)。
 
 さあて、話しを元に戻して愛国心教育のことを考えると、日の丸・君が代死守を目論む方々の思い通りには、なかなか子どもたちはならないぞ、ということなのです。
 ましてや憂国・愛国の袈裟をまとっただけのご都合主義の方々の思い通りにはならないぞ、と。

 しかしオウムのように、その他の宗教団体のように、某巨大宗教集団のように、信者をロボット化することは現実にありますね。

 日の丸・君が代死守を奉じて自らの属する集団の利益を図ろうとするのは、もしかしたらそういうことかしら?

 入学式・卒業式等各種イベントはそのためのイニシエーション。戦前の天皇・皇后のご真影の代わりに、日の丸を掲げて君が代を、口をこじ開けてでも歌わせる。

 そんな宗教国家をつくろうとしているのかしら?

 戦前の日本は国家神道を奉じたある種の宗教国家だったと考えますが、富の極端に偏在する社会でその状態を文句も言わずに受け入れさせるために、この宗教国家はまことに都合よく有効に働きました。
 そんな状態を再現するために文部科学省は動いているのでしょうか。
 だとしたら文科省は“反教育省”だといえますね。ちょうど外務省が“戦争(好き)省”ともいえるように。
 文科省の目指すところは自立した教育ではなく人間のロボット化でしょうから。

 しかしロボット化するにはその前に脱/奪人間化しなければなりませんね。そして脱/奪人間化した無色透明の僕/私は、時として暴走。

 ううっ、ちょっとSFじみてきました。

 悪い夢は見たくないなあ、と思いながら、そんなSFじみたモーソーで遊ぶと、想像されるのは愛国心を強要された子どもたちが、ベルトコンベアーの上を次々と送られていく図。

 エリート競争に打ち克って、この国の政治・経済・社会をリードして楽しき日々を謳歌する人の群れと、黙々とその群れに付き従い、支える人々の群れ。

 いやいや、そんなことあるわけない、と思わず首を横に振る。

     
    人気blogランキングへ

失敗だ! 英国の教育改革から何を学ぶか? 政治干渉で子供たちの教育が駄目になっている

自公政権、ことにコイズミ、アベと“改革”を標榜する政権でしゃにむに進められてきた私たちの国の教育改革。
 このお手本にされた英国で、今、教育改革の無惨な成果が明らかにされたという話です。大沼安史さんの所で知りました。

 西側先進諸国の教育の自由度はドイツが最低で、日本も同じ。
 共に戦前の“国民学校”の性格が今だに尾を引いているようです。

 戦後一時期教育委員会にも公選制がありました(1948~56年)が、長く続かずすぐに任命制になって首長の影響力が大きくなりました。
 卒業式の君が代、日の丸問題にそれがよく表れています。

 サッチャーが築き、ブレアが推進したイギリスの教育改革。

・教員の導入研修から指導まで行う教育基準庁
・政府の目標に忠実に従わせるための校長の再教育
・教育の民営化、といってもこれは、民間企業が「読み書き計算に関する国家初等教育戦略」と「中等教育・第3段階の読み書き戦略」の実施方法を教員に研修し、助言を与えるもの。
 
 等々が、競争力を上げるのに期待される人間を育てるとしてブレア政権によって実行された政策です。

 こうした新自由主義から望ましいと思われる教育政策に加え、私たちの国では戦前体制への郷愁を奉じるグループの考えを色濃く反映した教育基本法の改悪も実現しています。

 そうした教育の国家統制がどのような結果を生むかは、戦前の例に劣らず、このイギリスでの調査結果でも表れているように思われます。

 先ずは40年間で最大規模の今回の調査を報じるインディペンデントの記事から。


失敗だ! 政治干渉で子供たちの教育が駄目になっている、と報告書は断言
 

これこそ、一にも二にも教育を優先しよう、と約束した政府だ。優先どころか、数多くの驚くべき報告書で明らかにされているように、学校の自主性に任せられなかった政府として記憶に留まることだろう。

 労働党の英国小学校への厳しい中央集権的統制は、子供たちの教育に破壊的な影響を及ぼした、と40年間で最大の初等教育調査の結論が昨日出された。マイクロマネージメント(管理者が細かいところまで規定して部下に裁量権を与えなが自由裁量権をはぎ取られたのだ。そして10年間のニューレイバー改革の最終的な成果は、子供たちの受ける教育の質が明らかに低下してきたことだ、と言っていい。
 

もし政府が、口出しを一切しなかったならば、事態はもっと良くなっていただろうと、ケンブリッジ大学主導で行われたプライマリー・レビュー――英国の初等教育に対する進行中の調査――は結論している。
 

今日公表された4つの報告書は先に発表された18の報告書にならい、小学校への政府の干渉の破壊的実態を描き、政権がテストへ執着し、教室での実践について細かな点まで指図したいと願っていることをさらけ出した。
 

1997年以来、教室での政府の影響力は増し続け、今や英国の小学校は、教師たちが何を教えるべきかのみならず、どのように教えるべきかという 「学習における国家理論」に支配されている、と報告されている。
 

過去20年のうちに「カリキュラムの削減とテスト準備の激しさ」のせいで初等教育の質が低下した、と同調査は警告した。ここから、教師たちが子供たちのテスト指導に腕をふるって、近年、実際には教育水準が落ちたかもしれない、といえる。
 

最新のレポートは、学校にさらに多くのカリキュラムを強制する政府の要求をなおも追う。今日、学校は放課後のクラブ活動も含め、1週間に、スポーツ5時間のみならず文化活動5時間の提供も期待されがちだ。けれどもプライマリー・レブビューからは、学校への干渉は、多くすることではなく、もっと少なくする必要があるということが明らかになる。
 

政府の初等教育管理は、保守党政権下の1988年に全国カリキュラムの導入で始まったが、1997年に労働党政権誕生以来確実に増大してきた、と同レポートは結論する。
 

ケンブリッジの大学のドミニク・ワイズ、およびマンチェスター・メトロポリタン大学のイレーヌ・マクレリーとハリー・トランスらによる研究はこう結論づけた。「カリキュラムとその評価に対する政府の管理は1988年から2007年までの時期、とりわけ1997年以降に強化された」

 生徒の到達水準に対する多くの取り組みの影響の根拠は、良くてあいまい、最悪の場合、否定的だ。1990年代半ば以来テストの点は上がりつづける一方で、かなりの時間がテスト準備に費やされることで、バランスの取れた広いカリキュラムを受ける子供たちの権利を犠牲にすることになった。
 

1998年以降導入された労働党の国家戦略は、生徒と教師のふれ合いの質にとりわけ「否定的な影響」を及ぼしてきたが、まさに小学校における読み書きと計算能力の教え方を教師たちに命じるものだと、この研究で分かった。教師たちはもはや自ら考えもしなければ、個々のニーズに授業を合わせたりしない。かわりに、授業日は政府のシナリオどおりに教えるわけだ。
 

将来の進路を左右するテストの導入――英国の11才の生徒たちの国語、算数、そして理科のテストの成績にしたがって全国規模でのデータで小学校のランクを見る――は、同時に、学校が他の学科を犠牲にして読み書きと計算能力に焦点を当てたため、カリキュラムを狭めることにつながった。 

 読み書きと計算能力に焦点を当てすぎたために、小学校の理科はことごとく――1988年以後の全国カリキュラムの成功談の一つになっている――1997年以来ずっと「わずかに低下」している。 

7才と11才の生徒たちの受ける国語、算数、そして理科のテストを重点的に取り扱ったことで、「教育も、学習を改善すると研究で指摘されるものとは正反対のものにならざるを得ない」
 

たとえば生徒を小グループに分けて授業するような変化に富んだ教授方式を採用する代わりに、今では小学校の授業は、子どもたちをテスト用に教え込む一斉授業と大差ないものになっている。
 

120万人の小学生が毎夏受ける全国規模の学力テスト(標準評価テスト)の結果は、1995年から2000年まで急速に向上しているが、その後は「ほぼ横ばい状態」だ。
 

このことはおそらく「当初は教師たちに全国規模のテストの準備ができていなかったのが、すぐテストの指導方法が身についたためテスト結果が改善された。が、そうした指導によってこのシステムからどうにか得られるどんな利点も、その後長くかかって消耗され尽くした」ためだと、同調査は指摘する。
 

バース大学のマリア・バラリンとヒュー・ローダーによるプライマリー・レブビューに載る二つ目の研究で、この気の滅入るような知見は強固なものになった。「ニューレイバーが出現してこの方、中央集権的管理が教育活動の重要分野で強化されてきた」と結論。「政府は『学習における国家理論』とも呼べるものを通して、その支配を強化してきたのだ」
 

これは、「生徒の将来を左右するテストの繰り返えし」、全国カリキュラム、そして英語と数学における「強制的」教授方法を組み合わせることで水準が上がるだろう、という政府の信条の反映だった。
 

明らかにこのやり方は機能しなかった。政府の教育政策は、今や全面的な見直しが大きく求められている。デビッド・ローズ自由民主党の児童担当広報官は昨日語った。「学校を事細かに管理する政府の試みは、疑いなく非常な損害を与えている。政権は、カリキュラムへの絶え間ない口出しを止めなければならない。どのように子供たちを教育すべきか、学校へ命令するのを止める必要がある」
 

全国教員組合の書記長スティーブ・スコットは述べる。「最新のプライマリー・レブビューは、将来を左右するテスト、査察、そして昔から問題になっている小学校の財源不足からもたらされる害を論証している」
 

「教師たちへの信頼の欠如を助長するのは、ふたつのひどい説明責任体制だけだ。直ちに学校の評価方法全体を見直すよう、政府に要請する。
 

児童・学校・家庭省の広報官は、この調査を「二番煎じで、片寄っているか、もしくは時代遅れだ」とはねつけた。
 

「これらの主張を認めることはない」と述べた。「現在チャイルド・プランをデザインするのと平行して初等カリキュラムを見直しているところだが、10年間の学力水準の上昇の成功――独立した専門家によって幾度となく確認されてきた成功――を基に進めるだろう。子供たちがテスト漬けであると政府は考えない」 
 

経緯

 全国カリキュラムは、1988年、イングランド、ウェールズ、そして北アイルランドに導入された。それによって特定の重要事項をすべての生徒が確実に勉強するよう意図されたのだ。しかし、それはたちまちのうちに小学校の全授業時間を埋めるようになった。
 

 全国学力テストは、また学校が生徒の進歩について説明する責任を持つために導入された。が、これらのテストは、1997年に労働党の政権獲得後までは学校の仕事で優位を占めるわけではなかった。
 

 労働党は、学力テストの結果改善を、特に国語と算数の結果の改善を、やりがいのある目標に据え、1998年、読み書きと計算能力戦略を導入。
 

 2006年に、政権は政府承認のやり方を使って教えることが求められると学校に通達した。


 
   人気blogランキングへ   

小さな政府の実現――中3・公民教科書より

お玉さんのところで知りましたが、防衛省はマンガで小学生に弾道ミサイルが必要なことを教え込みたいらしい。           

 一方文科省は中学生の時から「小さな政府」が必要なことを教えて、しっかり自己責任の果たせるような大人を作りたいようです。                                             Sjpg_2              
← 中学3年「公民」の教科書。


Photo


偶然目にする機会があり、思わず目を疑いました。 
 左上には2003年の日本郵政公社の発足時の写真。
 
「郵政サービスの変化って、どう思う?」とイラストの少年が問いかけています。

 コンビニエンスストアに郵便ポストが設置されている写真などが載って、いかにも便利だよ、といった雰囲気ですが、今では2005年の総選挙で郵政民営化に賛成票を投じたらしき人まで、郵便局が閉鎖されて困っている人がお年寄りなんかに多いのよね、と言い始めました。

「郵政サービスの変化って、どう思う?」と、いま一度問いかけたいですね。
 
 あの総選挙で初当選したチルドレンの方々のうちかなりの人は、これからの選挙ではどっちみち公認の当ても当選の当ても見えてこないようです。コイズミ氏もチルドレンから距離を置き始めているとか。育児放棄の父親?

 衆院の数にものをいわせて暴走を続ける与党ですが、チルドレンたちもいい加減に目を覚まして、ついでに党議にも拘束されずに、そのまたついでに造反してくれないかしら、と妙な期待をしてしまいそうです。

 で、話を本題に戻しますと、公民教科書「小さな政府を目指して」の項目では、「行政改革」の必要性を次のように説明しています。

 19世紀までの政府の仕事は、治安維持・外交・防衛だけだった。
 20世紀にはこれに教育の充実、失業保険・年金の充実、環境保護等が加わる。

 そのために、
  
  政府の支出が増える  ⇒ 国民の負担が高まる  ⇒ 国民の反発が強まる

 従って、
 
「大きくなりすぎた行政の仕事を整理・縮小して、より『小さな政府』を実現しようという試みが行政改革です」。

 さらに、

「国立大学は、2004年から文部科学省から独立し、民間企業のように効率よく運営される国立大学法人となりました」

「大学は、効率よく運営を行えば、その結果得られた利益をその大学のために使えるようになりました。このように、国立の大学や博物館などを効率よく運営させる独立行政法人化が始まっています」

 と、国から切り離された組織も効率よく運営して利益を生み出すようになるのがカイカクですよ、と教えてくれます。

 最後に、

「高齢社会となっている日本では、介護制度の充実など、政府の役割が求められる部門も少なくありません。行政の効率化と共に、政府のおこなう仕事をより厳密に選ぶ必要があります」

 と今後の課題が述べられて、執筆者の苦心の跡が透けて見えます。

Photo_2   政府の支出が増える  ⇒ 国民の負担が高まる  ⇒ 国民の反発が強まる、という認識がどこから出てきたのでしょうか。


 教科書にこの一文が入れられたのがいつのことか分かりませんが、覚えがあるのは2005年の総選挙。
 お役所仕事への批判はいつの時代にもありましたが、特にあの総選挙、「官から民へ!」と叫ぶコイズミの扇動で、官僚システムや政治への不満が公務員バッシングのうねりとなって、列島を覆っていきました。
 それが既成事実となって、教科書にまで記載されたのでしょうか。


たしか行政改革の根拠の一つが“官僚主導よりも政治主導を”でした。
 その政治主導もコイズミ首相の下で「首相を中心とする内閣主導」からさらには「首相主導」へと権力のありかが移っていきました。。
 それをあのアベ氏が受け継いだのですから、笑っちゃいます。

 そもそも、コイズミ氏自身はしょっちゅう丸投げをしていたわけですから、まっとうな政策実行を主導ような力はなかったのでしょうが、ごまかす術はよく心得ていたのでしょうね。
 アベ氏はごまかしも下手だった……。

(守屋氏の後ろにどんと構えて、防衛庁と防衛問題を好きにさせていたコイズミ純一郎の責任はどうなるんだ?!怒 )。
 
 で、「公民」では、

 政治の対象は19世紀流の治安維持・外交・防衛に限られます。なお、その他についても考慮しないわけではありませんが、なるべく各自よろしくやりなさい。
 とりあえずは「より小さな政府」の実現を目指します。みなさんは、自己責任の取れる大人になりましょう、

 と指導したい、というのが文科省の本音かしら。 

  
人気blogランキングへ ← ランキングに参加しております。
    よろしければ、クリックをお願いいたします。m(_ _)m

  松林(護憲+)さん、拍手コメントをありがとうございました。

「最高道徳」を、文科省・教育委員会は推奨したいのか?

脳科学の知識は私にはありません。
 でも、高橋史郎氏の提唱する「親学」は、こうした「科学」の装飾を施すことで、いかにももっともらしい体裁を繕っているのではないか。科学の衣をまとった現代の修身教育ではないか、という疑いが消えません。米国のインテリジェント・デザイン論を思い起こさせます。

 と、以前のエントリーで、教育再生会議のヒアリングに親学会副会長の明星大学教授の高橋史郎氏とともにふたりの《子どもの発達と脳科学》の専門家らしき人が呼ばれていたことをお話ししました。

 同時に、どこかいかがわしさ漂う親学のおかしさも伝えたのですが、保坂展人さんも「教育再生会議の『第2次報告』に隠された『親学』」で次のように言っておられます。

ここで見逃してならないのは「最後に書かれている脳科学」「科学的知見」と書かれている部分であり、「親学」論者の根拠となっている。この「脳科学の科 学的知見」なるものについて、親学の再浮上を狙う人々との間で、本当に人間の成長・発達を裏づけていく「子育て指針」の根拠とするだけの水準となっている のかどうか。しっかりした議論をしていく必要がある」。

  (以上)

 
さて、「新しい歴史教科書をつくる会」結成当初からの理事高橋史郎氏は「感性・脳科学教育研究会会長」。
 この研究会セミナーの主題が「脳科学を教育に活かす 『セロトニン欠乏脳』 ~キレる脳を鍛え直す」(2005年)、「アートセラピーと脳科学」(2006年)等々。

 で、↓ この高橋氏の近影

20070605104605

 


大時代的な風貌に思わず苦笑い。
 ヒゲが口ほどにものをいってるでしょう?

 この脳科学以外にも高橋氏が推し進めているのが道徳教育。

 親学の土台が脳科学と道徳ということなのかもしれません。

 この道徳を「研究」して社会に「普及」させようとしているところが、日本会議傘下のモラロジー研究所。ここは、文科省の後援を得て全国各地でセミナーを行っているようです。テーマは「心がつくる人生」だそうです。

 例の日本青年会議所が、アニメ「学の夏休み」やDVD「誇り」を使ったセミナーを全国各地で繰り広げているのと同じ。
 明らかに組織だった動きでしょう。
 同時進行で、日本会議を構成する団体が一斉に活動中。

 安部内閣伊吹文科大臣の下での、青少年改造計画。

「モラロジー」とは、「『最高道徳』の存在と内容を、科学的に説明した学問」だそうです。

 でもこの最高道徳の説明を読むと、やはり学問より宗教といったほうが良さそうです。

 最高道徳、という耳慣れぬ言葉。

 仲間内ではこの4文字の漢字だけですべてが通じ合うのでしょうが、外部のものにとっては、なんとも違和感と気味の悪さを感じる言葉です。
 
 この言葉、どこかで聞いたことがあるな、と思って記憶を辿ると、フランス革命時の恐怖政治下で唱えられた「最高存在」でした。

 1974年、6月8日、最高存在の祭典が、最高責任者をロベスピエールにしてテュイルリー宮殿で行われました。ロベスピエールは、いわずとしれた恐怖政治の指導者。
 彼が取り仕切る、新しい国家宗教の祭典が最高存在の祭典。

 そして、モラロジー研究所が1999年に全都道府県に設置したのがモラロジー協議会。

 ここでは、モラロジー協議会が窓口になって教育者に道徳研修会を行い、その後援・共催をしているのが文科省と各地の教育委員会だ、と言っています。
 この研修会の基礎講座を修了したものだけが、最高道徳の講座を受講できるシステムになっています。

 もうすでに何年も前から、文科省・教育委員会は、このモラロジー研究所とモラロジー協議会を通じてつながっているのでしょうね。

 科学の衣をまとった宗教。

 おかしいのは、最高道徳という言葉だけでは足りなかったらしく、「ニューモラル」という語がHP上に見られること。
 モラロジー研究所が発行する道徳の副読本の名が『ニューモラル』。
 昨年6月に発行された『ニューモラル』誌の内容は、

 家族愛を育てる「お父さんは偉い」/国を愛する心を育てる「ハンス少年、祖国を救う」/相手の立場を考える「自分も生かし相手も生かす」/人間の気高さを考える「一粒の涙」/自然との共生を目指す「植林をする漁師さん」/友情の尊さについて理解を深める「受験に失敗したT君」など計24編を収録

 だそうです。

 この表題を見る限りでは、普通の日本人にはそれほど問題とは思われないかもしれません。過激な言葉があるでもなく、宗教的表現が使われているわけでもありません。

 でも、きっと、

「ニューモラル」で育った子どもたちが、「最高道徳」を叩き込まれた教師によって指導されるとき、最大効果を発揮するように仕組まれているのではないか

 と、私など考えてしまいます。

 そんな意味では、きっと“科学的”。

        
 ↓ ランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします。

    人気blogランキングへ


2007-05-18_17-30-34-anime.gif

↑ 碧猫さん作製 憲法バナーです。


親と子に必要なものは

「親学」は必要か、の見出しが目についたのは、21日月曜日の毎日。

「夜回り先生」こと水谷修さんと、元ヤンキー、現教育再生会議担当室長の義家弘介氏の顔がそこにありました。2人のそれぞれの人生を刻んだ顔。

 親に子育てに関する有益な情報を知って貰い、他の親たちと学べる場をつくりたい。そんな思いから、教育再生会議は「親学」を提唱してきた、と義家氏は語っていますが、やっぱり、いらぬお世話、と言いたい。

 そもそも「親学」自体、「新しい歴史教科書をつくる会」結成当初からの理事の高橋史郎氏が副会長を務める「親学会」で提唱されているもので、日本会議を支える団体のひとつモラロジー研究所が提唱するものです。

 義家氏も、この教育を考えるものらしき会議のメンバーでいろいろな情報も入ってくるでしょうからそのくらいのこと知っていると思うのですが、ほおかむりですね。

 水谷さんは、いまの日本で子育てが難しくなっているのはなぜか。国全体にゆとりがなくなり、イライラをため込んだ社会になっていることが最大の原因だと思う、と言われています。これについては私自身も経験済みですから、とても納得します。

 まだ現実に目にしたこともないお二人ですが、写真にはそれぞれの品性が表れているな、と思った瞬間です。
 
 私が水谷さんのお名前を初めて知って、もう5、6年前にになるでしょうか。
 いわゆる「ドラッグ」関係について、ネットを調べていたときのことです。
 なぜそんなものを調べたのか? その事情をちょっとお話ししましょう。
 
 知り合いが、さるブランド大学に通う女子学生のことを、ひょっこり口にしました。

 変なのよー、親は学費を送っているのに、大学には納められていないの。督促で親はそれに気づいたらしいのだけれど。
 おまけにその女子学生は、今どこに住んでいるか親にも分からなくなったのよ。

 どうも学校の方は休みがちだったみたい。ほとんど講義には出てこないらしいの。
 学部を卒業できていないのに、親には院に行ってる、と言ってたみたい。

 感ずることろがあって根掘り葉掘り聞いてみると、

 夜、パチン○屋でバイトをしているらしい。それため朝起きられない、と本人は言う。
 化粧っけもなく、質素、というよりもくたびれ気味のTシャツ・ジーパンのスタイル。
 顔色は良くない。ツヤもない。
 友だちはいない。
 むくんでいるのか、目の下には眼鏡の跡が付いている。

 ということでした。

 年頃のお嬢さんが、お洒落もせずにお金がいくらあっても足りないのはおかしい、というのは母親としての私の直観です。
 人が迷いながら自分の着るものを探してファッションを楽しむのは健康な証拠、と私は思っていますから。

 誰かに貢いでいるのでは? と話しをしてくれた人はいうのですが、私には、なにかドラッグの類が推測されて気になりました。
 その懸念を相手に伝えると、たしかにその可能性がある、ということで、結局、問題の女子学生の親御さんにも連絡が付き、バイト先を知っている同期生も出てきて、どうにかお父様がこの女子学生さんを保護することができました。

 結果は私の推測通り、覚醒剤でした。
 伝聞ですが、本人の話したところによると、生まれて初めてパチン○に行ったその時、何も分からない自分に手取り足取り隣の若い男性が教えてくれた。何回か彼と付き合う内に、覚醒剤を覚えてしまった。
 学費などもすべて覚醒剤を買うのに使った。
 アパートの家賃も払えなくなったので、パチン○屋の寮に住むようになった。
 親しい友人はいなかった。

 ということでした。

 こうした事情をぼそぼそと話すときも、当人はぼーっとして、とても正常な状態ではなかったようです。

 お父様といっしょに自宅に帰った彼女がその後入院したのは良かったのですが、退院後再び出奔して行方知れず、と聞いたのは、郷里に帰ってから1年も経たないときでした。

 こうしたケースについて何の知識も経験もない私でしたが、一度依存状態に陥ったものが、抗しきれずに元に戻ることは十分あり得ると予測していました。
 面識もない、ただ話しに聞いただけの女性でしたが、たまにふと思い出すことがあります。
 何の関係もない人様の家族のこと。
 いったい自分に何ができただろうか、と自問するたび、今でも胸が痛くなります。
 
 あれから、生きている内に、無事に家に帰られたでしょうか。

 高校生まで優等生で過ごし、なんの弾みか、魔が差したとでもいえばいいのか、遊びに行った先で異性に親切にされ、下心も見抜けずにそのままズルズルと深みにはまっていったという、一種古典的ともいえるような話し。

 きっと、純朴な学生さんだったのでしょう。
 性格まで変わってしまったとご家族は嘆かれたようですが、それまでしっかりしていると見えたのは、おとなしく学校の勉強だけをしていたせいかもしれません。薬物に依存すれば、多分人格も崩壊するでしょう。

 友だちがいれば、変だよ、と言ってくれたでしょうし、ふらふらと慣れないところに一人で足を踏み入れたりしなかったでしょう。 

 いったい子どもというのはどこでどうすれば育っていくのか、いろいろ考えさせられた事件でした。
 水谷さんは、こうした子供たちと真っ正面から付き合ってきた方です。

 たった2人の子どもを育てただけですが、よその家庭の子どもさん達と接触する機会も多かった私が痛感したのが、親として子供にどんなアンテナを向けることができるか、ということでした。

 親も人間ですから、誤りもあります。思い出せば恥ずかしくなることも、子供たちにごめん、といいたくなることもたくさんあります。

 どんなに口を酸っぱくして「いいこと」「正論(どこかの出版社が出している雑誌名ではありません)」をいっても、子どもの胸に響かなければ何にもなりません。子どもにとってはうっとおしいだけで、いいところ、無視でしょう。

 思春期に入れば、子どもの一挙手一投足が、ずしんずしんと親の身には応えます。
 そんなとき、親のアンテナは張りに張りつめて、心の動きを含めて子どもの動きをキャッチします。
 そんな感度の高まったアンテナを支えるのには多大なエネルギーが必要ですし、アンテナで捉えた情報をより良く処理する知恵も必要。

 子どもというのは、親の嘘をよく見抜く心の目を持っているみたいです。

 そんな子どもと親が本気でぶつかり合うことが、一生の内に少なくとも1度はあるでしょうか。
 これは、親学、なんて問題ではない、と思います。
 もっと総合的なもの。

 ときには体中の感覚を総動員するけれど、そんな感覚に頼りながらも、知恵というか、「理 ことわり」が必要。

 どんなに正論を吐いたところで、きゅうきゅう、イライラした社会では、親と子のこうした感覚や「理」を育てるゆとりがなくなります。

  
↓ ランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします。

  人気blogランキングへ

2007-05-18_17-30-34-anime.gif

↑ 碧猫さん作製 憲法バナーです。

教育再生会議 「子守歌のすすめ」のおかしさ

  前エントリーでも話しました、前「つくる会副会長」高橋史郎氏が教育再生委員会で強調したふるさとの「子守歌」について、気になることがありましたので、知り合いの作曲家に尋ねてみました。

 日本の伝統的な子守歌というのは悲しそうな歌ばかりですが、楽しい歌はありませんか? 

 すかさず、 ないねえ、という返事。

 五木の子守歌も、「おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる」と子守の辛さを歌った歌詞と共に、哀切なメロディーが胸を突きます。
 まだ幼いうちに奉公に出た貧しい農家の娘が、主人の家の赤ん坊をおんぶして寝付かせるるときに口ずさんだ歌。楽しいはずありません。

 日本の歌について少し教えてもらいました。

 その結果分かったこと。

 子守歌に限らず日本の歌は短調が基調である → 哀調を帯びる。
 日本の音楽は2拍子である。

 2拍子は、鍬を入れて土を起こす農耕民の生活から生まれた。
 また、おんぶをする子守からも2拍子の歌が生まれた。
 これに反してヨーロッパでは、ゆりかごに揺られたことから3拍子の子守歌が生まれた。

 ただ、日本でも五木の子守歌だけは3拍子である。
 これは朝鮮の流れが入ってきていると思われる。たとえば、加藤清正あたりが朝鮮から陶工を大勢連れてきたような歴史がある。

 その他、日本の音階は5音階で半音がない(半音は、演歌でいえばこぶしで処理される)が、これはピアノの黒鍵だけの音階を考えたらよく分かる。
 
 日本の歌は詩を重視して、音の変化があまりない、等々。

 どうも日本人は、音の変化が少ない悲しげな短調のメロディにのせた言葉によって気持を表わし、それがまた人の心をとらえたようです。
 
 まだ年端もいかない女の子が赤ん坊を負ぶいながら歌った歌は、母親が抱いて我が子を寝かしつけるような、愛情溢れる歌ではありません。

 ついでにいうならば、ゆりかごに揺られた赤子をあやしながら母が子守歌を歌うというヨーロッパの情景がどこまでほんとうか、少々私は疑問を持っています。
 とても美しい姿ですが、美しすぎてファンタジーぽいのです。

 なにしろ、近代以前のヨーロッパでは子どもは小さな大人として遇されて、赤ん坊はスワドリングという包帯状の布ででぐるぐる巻きにされ、ときには壁に引っかけられたりしていたらしいのですから。

 そんな中で子どもを愛情深く育てる、という心の在り方は近代の発明である、つまり近代という時代の流れの中で「子どもという存在が発見された」のだといわれています。

 スワドリングから解放された子どもたちがゆりかごに寝かされ、母の口ずさむ歌で眠りに誘われたという図式が成りたつのは、ごく限られた階層だったのかもしれません。

 庶民は生活で手一杯だったでしょうし、上流階級の人たちは乳母を雇っていたかもしれません。王侯貴族の赤ちゃんであれば、モーツアルトやシューベルトの子守歌を室内楽が奏でて眠りについた、なんてことがあったのでしょうか? 

 確かモンテーニュは、里子からシャトーに戻ると細心の注意を払って育てられ、目を覚まさせるためには特別の楽士がついていましたが。
 今の時代はさしずめ目覚めのCDでしょうか。 

 ともあれ、ゆりかごと子守歌のあまりに美しい絵に幻惑されて母性ユートピアを夢みるのは勝手ですが、それを人に押しつけないでください。
 母性ユートピアも、人に押しつけると母性イデオロギーになります。 

子守歌を聞かせ、母乳で育児」という提言は、育児を知らない人の発想かもしれません。
 想像の産物である可能性が高いし、親自身の葛藤、周囲との軋轢を無視しています。

 教育再生会議の委員の中には育児を経験された方もいたでしょう。でもよくある話ですが、もしかしら、したくてもできなかったことを、いわばご自身の夢を、提言に反映させたのかもしれませんね。きっとそうでしょう。
 
 天使のような赤ちゃんは、早晩、天使も悪魔も凌駕した生き生きした姿で私たちの周りを飛び跳ねるようになります。
 いっときの子守歌の夢を見たい方はどうぞ、ご勝手に。

 おそらく、教育再生会議の11の提言よりも、「大人はみんな、初めは子どもだった」という『星の王子さま』の方が、ずっと育児に大きな示唆を与えてくれます。
 子どもの心を理解しようと思えば、忘れていた自分の子ども時代を思い出せばいい。 どんな風に胸をときめかせたか、どんなときに震える心を抱いて恐れおののいたか、何をしたかったか、何をしてもらいたかったか。

 そういえば、近頃は子どもを負ぶう姿はとんと見かけなくなりました。私自身も最初の子どもはもっぱら抱っこでした。2番目が生まれてやむなく外出時だけ負ぶいましたが、下手だとよく笑われたものです。
 おんぶをする自分の姿がなかなか思い描けませんでした、というのは格好をつけた言い草でして、まあ、早くいえば、自分の美意識に合わなかった、格好が悪かった、ということです。30年以上も前の話しですが。

 車で外出することが多い昨今のお母さんは、負ぶうことがあるでしょうか?
 なさそうですね。
 だとしたらおんぶから生まれた2拍子の子守歌は、そんな育児方法には合わないかもしれません。

 そのうえ、あの悲しい歌詞とメロディー。

故郷の子守歌を、6ヵ月検診などの機会で集まる際に歌う」というのは、あくまでも趣味の範囲に留めていただきたいですね。

 私はそんな子守歌を聞きながら、かつて遊びたくても遊べず、きれいな着物をきたくても着られずに、小さな背中で赤ん坊をあやさなければならなかった女の子たちに想いを馳せることになるでしょう。


↓ ランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします。

  人気blogランキングへ 

セキュリティソフトを変えたら、バナーが表示されなくなりました。しばらくはこのままで使います。

頑固おやじのヒステリー 教員免許の国家試験化


 1月に提案された教育再生会議の第1次報告については、出席停止制度に話題が集中しています。数日前も車の中で聴いたNHKラジオでもこの問題を取り上げて視聴者からの、また子供たち自身の意見を紹介し、いじめについては加害者・被害者の境界が曖昧なため、実際の適用が難しい、というようなことで締めくくられていました。
 この出席停止については委員会でもだいぶ反論があったけれど、結局官邸の意向が通ったとか。「やらせ」の変種みたいなものですね。

 でもこれ以上に私が問題に思ったのが、「教育再生に向けての今後の検討課題」の「2.教員の養成課程、資格、採用、処遇、研修、分限などあらゆる面から教員の質の向上を図るために、以下の諸点を検討します」と謳う中で2番目にある「国家試験化を含めた教員免許制度の在り方」です。報告書の24ページ、最後の行にあります。

 教員免許が国家試験化されると、影響は国内のすべての教員に及びます。おまけに、教員養成課程をもつ大学を卒業生の「質」で事後評価し、合格率が低調な場合は教職課程の認定を取り消す措置の導入も検討することも加えられています。

 経済で規制緩和が進み自由度が増しているのとまったく逆な動きに、唖然としませんか? 
 教育への国家管理の試みは、更新制とあいまって、この教員免許の国家試験化で完成するでしょうし、なぜこうも教育をいじりたがるのか、とため息が出てきそう。

 それにこの報告書、「父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、友を愛そう」……愛そう、愛そう、とうるさいこと! 

 せめて政治に携わる方々が、票とお金ではなく国民を愛してくれていたら、もっといい世の中になっていたのではないでしょうか。

子供の心を知らない頑固オヤジがヒステリーを起こしている感じだ」と、元最高検検事で、さわやか福祉財団理事長の堀田力さんが、安倍教育改革を進める教育再生会議を評し、子どもの人間力育成を、と提言したたそうです。

「ほとんどの政治家は、子育てを母親に任せ、子供とロクに会話もせず、たまに会えば叱るだけ。少し成績が下がっただけで、「教師が問題」「教育システムが悪い」と国家レベルで管理しようとしている。だから、ヒステリーだというのです」とも。

  ↓ ランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願い致します。

ランキング
人気blogランキングへ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

フリーエリア

なかのひと
twitter
    follow me on Twitter
    カレンダー

    tokura_203-52.gif

    最近の記事
    カレンダー
    08 | 2017/09 | 10
    - - - - - 1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 29 30
    最近のトラックバック

    smilelink_203-52.gif

    月別アーカイブ
    カテゴリー

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    プロフィール

    とむ丸

    Author:とむ丸

    ブログ内検索
    RSSフィード
    リンク
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。