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豚インフルエンザ+より貧しい国へ大規模な養鶏・養豚場が進出していったこと+感染者に近づけば警告メール?

テレビから「新型」インフルエンザと聞こえてくるたび、新聞に「新型」の文字が見えるたびに、わざわざ「豚」と言い換えて考える私。。“ほんとうの”新型と区別するためです。

 もともと豚肉を不浄とするイスラムの国々では感染者が出ていないにもかかわらず過激対策に走り、エジプト政府は感染予防を名目に全土で30万頭以上とされる豚の処分を決定、イラクでは首都バグダッドの動物園で飼育されているイノシシ3頭の処分を決めたのだとか。

 人のこと、というか他国のことも笑えません。我が日本でも五十歩百歩のことをしています。

 すわっ、新型インフルエンザだ! とマスゾエ氏らが張り切った、疑いをもたれた方々は一応「Aソ連型」と判定されたようですね。
 このニュースを聞いて、「なあんだ」と思うか「ほれ、やっぱり」と思うか、いろいろあろうかとは思います。

 まあ、AH1N1型のインフルエンザを「Aソ連型」と言いますが、HとかNとかいうのはウィルス表面上にある分子の頭文字をとったものだそうです。
 現在、Hの方は16種類、Nの方は9種類ほどの大きな変異が見つかっていると言われますが、これって、要するにバリエーションみたいなもの?

 で、デモクラシー・ナウでは豚には罪はないと、豚インフルエンザではなくNAFTAインフルエンザだ、といわれてます。
 米国ミネソタ大のロバート・ウォレス先生が語ります(以下は、大まかなまとめ文です)。

(なお、NAFTAとは北米自由貿易協定のこと。これについてwikiでは「NAFTA成立以降、域内の貿易は拡大し、特にメキシコの発展に伴いアメリカとメキシコの貿易が大幅に拡大している」とあります)。

 豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、ヒト・インフルエンザはそれぞれ、主として豚、鳥、人が感染するということで、豚インフルエンザの場合、発生原因が豚、というわけではない。

 第2次大戦後、家禽や豚の飼育の形が大きく変わった。家禽革命the livestock revolutionだ。

 それまでは基本的に米国の至る所で、家禽類は裏庭で飼われていた。規模としては鶏70羽ぐらい。

 それが第2次大戦後、こうした独立した農場経営が特定企業の管理下にどんどん置かれるようになった。産業のありさまががらっと変わった。
 国中に見られていたものが、南東部の数州に限られ、規模も3万羽にまで膨れあがるようになった。

 70年代にはこのやり方が東アジアにもたらされ、今や、タイのCPグループは世界の家禽企業の中でも4番目に大きい。
 
(ふむふむ。このCPグループは明治乳業との合弁会社も設立してますし、ケンタッキーフライドチキンも経営している。日本とも関係が深そう)。

 こうした現象はIMFや世界銀行の後押しによって可能になった。(またもやIMFだ、世界銀行だ!)つまり貧しい国が経済を立ち直らせるためにIMFの融資を受けようと、外国企業に門戸を開けざるを得なかったのだ。

 もちろんこれは、国内農業に悪影響を与える。
 貧しい国々の小さな企業は太刀打ちできず、労働契約か土地を与える契約を結ばざるを得ない。だいたいが事業から手を引いて進出してきた大企業に土地を売る。

 NFTAは1994年に設立され、メキシコでの養鶏・養豚等に影響を与えてきた。
 このH1N1型の発生施設の可能性があるとと告発されているのは、スミスフィールドの子会社。

 パンデミックになる可能性はある。
 長い間に、毒性が強くなるかもしれない。

 1918年のパンデミックは、春に発生し、その年の秋にずっと多くの死者が出たという特徴がある。
 日に日に変わる状況を見ていく必要がある。


 と、ロバート・ウォレス先生は、きわめて常識的な結論を出しているわけです。

 この“可能性”があることを、いかにも“今ここにある危機”として煽ったのが、アソウ氏以下マスゾエ氏らの日本政府ですか。。

 やっぱり信用できないなあ。

 で、お粗末なのが、現在の検疫体制ではとても対応できない、検疫官が足りずに防衛省からも応援を頼み、それでも人手が足りない、という話。

 ほら、自分たちの人気浮揚しか考えずに実行に移すからこういうことになるんですよね。
 政府のどたばたにつきあわされる人たちも気の毒。

 先週、定額給付金の申請書が届きました。印刷代から整理代等、往復の郵送料がバカみたいにかかってるよねぇ、とご近所さんともおしゃべり。
 後先のことを考えないから……

 うわあ、恐ろしい。

 総務省が「感染症の世界的大流行(パンデミック)を防ぐ」という名目で、GPS機能を活用して感染者に近づけばメールが届くサービスの実験を行うそうです。

「実験は都市部と地方の2カ所で計2千人程度のモニターを募って実施。GPSの精度や費用対効果を見極め、実用化できるかどうか検討する。

 具体的には、携帯電話会社などがモニター全員の移動履歴をデータベースに蓄積。その後、1人が感染症にかかったとの想定で全モニターの移動履歴をさかの ぼり、感染者と同じ電車やバスに乗るなど感染の可能性がある人を抽出し、注意喚起や対処方法を知らせるメールを送る試みだ」

 ですって。

「新型インフルエンザ感染者が、あなたと同じ通勤電車に乗ります!」なんてメールが届くんでしょうか!?

 これって、利用、いや、悪用しようとすればいくらでもできますね。今回の騒動の狙いはこれだったのでしょうか?


 
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農のグローバリゼーションに反対

今朝の新聞、テレビのニュースでは、「貿易自由化の新たな枠組み作りを目指す」というWTO・世界貿易機関の閣僚会合で、日本は「極めて厳しい立場」に立たされている、ラミー事務局長が25日に提示した裁定案は日本にとって農業分野のさらなる市場を開放を迫る厳しい内容だ、日本は孤立状態だ、などと報じられています。
 IMF、WTO、世界銀行の3者が手に手を携えて搦め手か! などと嘆いても始まらないですね。

 要するに、高い関税を課している農作物の数を減らせ、といわれて日本は困っているわけでしょう? 
 地産地消が基本だと思う私は、そもそも農作物を自由化することに、とても疑問を抱いています。
 国際分業というものも、あまり信用してません。

 適地適作で単一作物をつくり、国際競争力を高めるやり方が、果たして人の幸せな暮らしに役立つのだろうか、とつねづね疑問に思ってます。

 たとえばカカオ豆の生産世界一のコートジボアール。外務省、各国・地域情勢によると、同国の経済状態は次の通りです。
 

同国の基幹産業は農業で、農業に従事する人口は全体の80%を占め、GDPの約30%、輸出の大部分を占める。主要産品であるココア、コーヒー等の一次産 品の国際価格の低迷、膨大な対外債務により、経済的危機に陥り、1987年5月にはパリ・クラブ、ロンドン・クラブに対して債務支払い停止を宣言。結果 1989年9月よりIMF・世銀の下で構造調整計画を開始した。しかし、1999年初めには経済改善策が不十分としてIMFによる融資が停止された他、 EUの援助約180億CFAフランに対する汚職が暴かれEUの援助が停止されたが、国内情勢の安定化に伴い2002年2月に再開。同年9月に発生した反政 府派による武装蜂起により国が2分され、その後の和平プロセスの停滞の中で経済活動は大きな制約をうけていた。1993年より産油が開始し、近年、石油輸 出額は、コーヒー、ココアの輸出額と並び、主要貿易品目となっている。

          

同資料には 2006年の主だった貿易品目として、計82億ドル稼いだ輸出品の内訳は、ココア、石油製品、材木、コーヒー等で、計50億ドルを支払って外国から買ったものは、食品、石油製品、機材等らしい。

 ちなみに日本に関していえば、
(1)貿易額(2006年)対日輸出 27億3,300万円対日輸入 20億7,647万円

(2)主要品目(2005年)輸出 カカオ、カカオ製品等 輸入 鉄鋼板、タイヤ、自動車等

 ということになるそうですが。

 で、コートジボアールでは、周辺国からもかり集めた子供たちを奴隷労働にも等しいほど酷使してプランテーションで栽培したカカオやカカオ製品を輸出し、自分たちが口にする食品は輸入する、そんな構図が透けて見えるわけです。

 おまけに単一栽培には大量の農薬や化学肥料が投入されますから、環境は悪化、破壊されることになりますし、そんな中で生活する住民たちには健康被害が出てくることは当然といえば当然。

 国際的取引の場面で問題になる関税とか価格とかの前に、そんな理不尽な状況が原産国には横たわってます。

 そうした状況に蓋をして自由貿易だ、グローバリゼーションだ、と唱えるのはおかしいのじゃないか?
 プランテーションでカカオ豆生産に労働力と資金を投入するよりも、日々の食卓が豊かになるような農作物を生産する方がコートジボアールの人たちにとって幸せじゃないのか? 
 それが基本にあった上でのカカオ豆という国際的な換金作物の生産じゃないのか?

 というのが私の思い。

 おまけにカカオの取引価格はロンドンやニューヨークの国際市場で決まるのは、日本の漁民たちの先頃のストでふれられたように、魚の価格が生産者の手の届かない市場で決まるのとよく似ていますね。

 経済や金融に携わる人たちは国際貿易の取り決めを用意するWTOについて全面的なほど肯定して話を進めるわけですが、食の問題は経済的な問題だけでは割り切れないのではないか、と私は強く思います。

 ですから経済的側面だけを切りとって侃々諤々やっているWTOの会議にも、はなはだ疑問を感じています。

 台所から見る日本の食の現場、とりわけ農作物の生産現場は、私の原風景。
 子どもの頃毎夏過ごした農村の風景はまさに一変してますが、水を満々とたたえた田んぼを見れば、あるいは春先に収穫を控えた麦畑や、晩秋、一面ひからびた色にかわった大豆畑を目にすると、なんだか、田んぼの神さまや畑の神さまが降り立ったような畏敬さえ感じます。
 自然の恵みの循環ですよね。

 ところが自然の恵みと一口に言っても、ことは簡単ではないんですよね。
 そりゃあ、植えっぱなし、収穫しっぱなしだったら簡単なのでしょうが。
 田畑を維持して作物を取るには、人手もお金もとてもかかるのでしょう。
 100%消費者の立場でスーパーで購入しているとそのことがなかなか想像できないのでしょうが、家庭菜園でもしてさらに産直店に出向くと、これだけの作物がなぜこれほど安いの?! と驚くことがしばしば。
 プロの仕事に脱帽です。
 
 今年の農業白書では食料自給率の問題がクローズアップされましたが、自給率の危機を早くに訴えたのは、私の記憶では西丸震哉さんです。結婚して間もない頃の70年代に買い求めたNHKの『今日の料理』で初めて知りました。
 そして、減反政策なんかとらなくても耕す人はどんどん減っていってるんだから自然に減反されるんだとみんなと言ってるよ、と農村の住民から聞いたのもだいぶ前。
 農民作家山下惣一さんも、日本の農村の現状と農業政策のおかしさに警鐘を鳴らしてずいぶん長くなります。
 
 ですから農業白書の言を、なにを今さら、と思わなくもないのですが、これ以上の農作物の生産現場を崩壊させないでほしい、と痛切に感じます。

 最後に昨年11月に東京新聞に載った山下惣一さんのインタビュー記事の一部を紹介しておきます。
 

清水 政府・与党の掲げる大規模で強い農業は実現しますか。

山下 そうならないでしょう。だって、日本は国土の七割が山ですよね。川沿いに細々とみんな暮らして、日本の 農業はそこで食っていくためのもので、外に売るための農業じゃないですからね。基本的に自給農業です。うちのムラには農家が百二十戸ありますけど、政府の 支援対象となる四ヘクタール以上の人はいません。そんなところばかりですよ。

清水 農業の国際競争力とか、外国と勝負するという発想が間違っているということですか。

山下 グローバルな農業というものは世界中にありません。農業はローカルなものなんですよ。欧州はそれを理解しているから食料自給率も下がらないし、田園の景観も変わらない。世界中で日本が一番ひどい。

清水 なぜ、政府はそんな政策を。

山下 工業国だからです。工業製品を売るためにはグローバリゼーションに乗り遅れると困る。端的に言えば、クルマを売るために、他の国とFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)を結び、向こうから入ってくる農産物が日本の農業をつぶしている。

    

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日本は世界で一番冷たい格差社会

 ダイヤモンド・オンラインで見つけたこの記事。

雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会」は、なるほど、さもありなん、と思わせるものでした。

 
 アメリカは確かに国家の福祉機能が小さく、利潤追求と競争の市場原理を重視しているが、それがすべてというわけではない。市場原理にまったく従わない民間非営利セクターが大きな力をもち、福祉機能、すなわち社会を維持する役割を担っている。
 貧困者や市場で失敗した人たちの救済活動はその分かりやすい例だろう。
 
  
 と、
ハーバードのDr.マルガリータ・エステベス・アベは語ります。

 生活保護の受給条件は、個人に受給資格があればよい米国より日本の方が厳しいのだそうです。日本では家族の所得も事実上調査されるからです。

 北欧に限らずヨーロッパ先進国の福祉が日本よりずっと進んでいるのはよく知られていますよね。教育費も、大学卒業まで無料だったり。

 付加価値税が20%でも国民生活へそれなりの対応があった上での話し。
 私たちの政府はそんなこと考慮せずに、ただ消費税の数値だけを見てヨーロッパは日本の何倍も取ってるんだぞ、というのですから、呆れたものです……とブツブツ脱線。

 正規・非正規社員の賃金格差の問題も、欧米ではまず考えられない、とDr.マルガリータ・エステベス・アベは指摘し、 

これまでのやり方では社会保障などのコストが高くなりすぎる。最終的には日本人がどういう社会で生きたいのかということだ。


  と結論。

 どういう社会で生きたいのか? と問われれば、かなりの率で高負担でも高福祉であればよい、安心して生活ができればよい、と答える人が多かったような記憶があります。

 それがコイズミ時代、小さな政府で無駄をなくせば日本が良くなると勘違いする人が大勢出てしまいましたし、そもそも生まれ育ったこの日本社会で、高福祉の実現がなかなか信じられないのが実際。
 
 現に、馬鹿高い戦闘機等に予算を費やし、インド洋で米国らの戦闘遂行の手助けに無料の燃料補給活動を続け、米軍への思いやりに多大な出費をする私たちの国の政府が福祉を唱えても、とても信じる気になれません。

 小泉政権で決まった、5年間で総額1兆1千億円(毎年2200億円)の医療、福祉予算の削減を決めた骨太の方針2006」実施2年目の今年で今の惨状。
 さらなる削減が嫌なら、消費税値上げに同意しろ、という消費税増税のいい訳を聞くたびに、盗人猛々しいのもいい加減にしてくれ、と頭に血が上りそうですね。 

 第一次産業、とりわけ農業に従事する人が多数を占めていた時代の高度成長期以前、農村の大家族では赤ちゃんから年寄り、未婚・離婚者、元気なものから病弱なものまで、さまざまなメンバーが寄り添いながら暮らしを立てていました。

 消費生活の規模も今とは比べものにならないくらいでしたから自給自足できるものもかなりあり、たとえひとりやふたりが転がり込んできても何とかなった、そんな状態を融通無碍な家族、といえるかもしれません。
 そのかわり、一家の大黒柱を支える妻の背中にずっしりと重いものが載っていたのでしょう。私の知っている女性は、2人の子どもさんがまだ小学生の若いお母さんだったのに、この重みゆえ、ひどい腰痛に悩まされていました。    

 日本の家族が健気に耐えてきた自己責任、自助努力は、そうした犠牲があって可能だったのです。

 今はそんな役割を買って出る人もいないでしょうし、町で暮らす核家族に、メンバー以外の人を受け入れる余地はありません。対処できるのはせいぜい親子関係まででしょう。

 その親子関係でさえも不確かなことは、北九州での餓死事件に私たちが学んだことではないでしょうか。子どもも親を支えきれず、親も子どもを支えきれない、そんな事例は珍しくないのではないだろうか、と。

 福祉機能でヨーロッパはおろか米国にも劣り、雇用環境はヨーロッパに及ばない、
そんな社会に私たちは暮らしているのか、とあらためて確認。

 それこそ、「どげんかせんといけん」のじゃないですかね。

 ところで、余談ですが……

 今日外出先の車中で聞いた文部省唱歌「田植え」。

  そろた 出そろた
 さなえが そろた
 植えよう 植えましょ
 み国のために
 米はたからだ たからの草を
 植えりゃ こがねの花が咲く

 そろた 出そろた
 植え手も そろた
 植えよう 植えましょ
 み国のために
 ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
 みちの小草(こぐさ)も 米がなる


 これを耳にしてびっくりしたこと。

 確か私は「植えよう 植えましょ みんなのために」と記憶していたのですが、注意を集中させて2番を聴いても、やはり「み国のため」と聞こえてきたこと。

 自分の記憶違い? それとも間違って覚えてた? と少なからぬ衝撃を受けて帰宅後調べますと、確かに「み国のために」となっているのです。

 なぜ?

 昭和17年、太平洋戦争勃発後に作られたこの歌は、当然「み国のために」で書かれていました。戦争が終わった直後、この部分が「みんなのために」 と教えらるようになったという話しです。
 
 私の記憶も間違いではなかったのです。

 それがいつのまにか、「み国のために」と歌われるようになっていたのです。

 私たち庶民は、過去も現在も、「み国のために」とお尻を叩かれてきたのじゃないでしょうか? でもそれに納得できない人もたくさん生まれた(当たり前だ!)……そんな社会に政治はとても追いついてない……。逆に、政治に合わせろ! と言ってるみたいですね。


   
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  築地移転


 7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。

 こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。 
 
 
      
                            

頭の中で考え出された自由競争市場は、実際の社会ではギャンブルの場になってしまった

経済についてはとんと縁がなく、オンチと思っている私でも、ここ数年漠然と感じてきたことが確信に近いものになってきたことは、自由競争市場というのは理念として人の頭の中で考え出されることがあったにしても、現実の社会ではあり得ないのではないか、ということ。

 竹中平蔵氏の言ってることなどを読んでいると、“素人様お断り、分からないのは頭が悪いのです”のごとく、聞き慣れぬカタカナ語や論理が展開されていて、チチンプイプイかビブデバビデブのようなお呪いに思えてきて、すぐさじを投げ出してしまいます。

 でも、変だな、おかしいな? と見つめていると、最初の最初、そもそも自由競争市場の存在という前提が間違っているのではないか、と感じてきました。

 神の見えざる手が働いてうまくいき、すべて世はこともなしの結果を得るためには、市場で動き回る人たちが道義心に溢れ、自分の利益の追求はさしおいても公共の福祉に心砕く人たちだ、ということが前提条件になるのではないだろうか。

 つまり、神の見えざる手が働くためには、市場に関わる人々そのものが神になる必要があるのではないだろうか。
       


 と、近頃よく思います。

 で、市場に関わる人々がひとりでも、ましてやことごとく神になるなどという非現実的なことはありえないわけですから、純粋に自由な競争というのは単に人の頭の中にあるだけなのでしょう。

「自由競争」という言葉に限りなく魅力を感じて、いってみれば幻惑された人たちは、コイズミ純一郎氏も含めて運動会の徒競走のようなイメージを持ったのではないでしょうか? あれなら公正・公平だ、と。 

(あっ、オリンピックの100m走をイメージした人もいるかもしれませんが、誰でも参加可能となると、やっぱり運動会ですよね)。


 これはイデアル・ティプス、つまり理念型とか理想型というものかな? と浅学の私は思ったのですが、どうでしょうか。

 まあ、とにかくことあるごとに竹中氏らが強調してきた自由競争市場などというものは現実の社会には存在し得ないのだ、という確信がパラストの『金で買えるアメリカ民主主義』で確かめられたのは、正直うれしい限りです(←もっとも、こんなことで喜んでもしようがないのですが)。
 

 この本はもう数か月前に手に入れたのですが、少しずつ、ちょびちょび、思い出したようにボツボツ読んでます。(一向に読了しないのは、おもしろくて手離すのが惜しいこともありますが、一番の原因は私の怠惰にあります)。


 この本では自由競争を錦の御旗に悪行の限り? を尽くすブッシュ父子に焦点が当てられていますが、今日読んだ箇所は、かの英国サッチャー政権でエネルギー相を勤めたジョン・ウェイカムが、世界で初めて「電力卸売り」発電所を認可した、というくだり。
 この発電所の所有者こそ、あのエンロン社なのですが。

 1990年に制定された法律を契機にエンロンは自由化電力市場で国際的な電力取引業者になり、ウェイカムはエンロンの役員に迎えられ、役員手当とコンサルティング料を得ながら、さらには「Sir]の称号も手に入れ、一民間企業の役員であると同時に上院議員だったようです。

 そしてこの後に起こったことを、パラストは次のように述べています。

 
 エンロンとの取引に続いてウェイカムは、イギリス政府に国内の発電商や電力小売会社を、電線から変電所までいっさいがっさい売りはらうように働きかけた。サッチャーはそこで、イングランド・ウェールズ・プールというリトルチャイルド先生の夢に着手する……紙の上では電力プールはアカデミックな美しさをそなえていた。新たに生まれた民間発電業者たちは、イギリスの消費者に電力を売る権利のために日々しのぎを削って電力の価格を下げるはずであり、その結果、電力料金は安くなるはずだった。
これは理論だ……電力プール制度は業界が「ギャンブル」と呼ぶゲームの会場となってしまう――談合や価格つり上げ、消費者からありとあらゆる手の込んだ方法で金をしぼりとる場だ。電力の価格は跳ね上がり、発電所の所有者たちは、資産収益が事実上一夜にして三倍から四倍に増えるのを目の当たりにした。
                                             
 
 頭の中の自由競争市場は、実際の社会ではギャンブルの場になってしまった、ということです。
 神は存在せず、実際はギャンブラーばかりだったとは笑えますが、ことが電力という公益事業だけに、さすがに笑うにも顔が引きつります。

 コイズミ純一郎氏はどうか知りませんが、お利口さんの竹中氏がこのことを知らないわけはない、と思うのはあまりに穿った見方でしょうか?
 ギャンブラーとしてひと晩の稼ぎを選択して、危なくなったから議員辞職したのかな? なんて……。

 辞職後も生活は大学教授の身分で保障されているわけですから、後はそうした己の選択と獲得した収益を守るため、かつ正当化するために研究・弁論活動をすればいいわけですし。 

 そんな風に想像してみましたが、さあて、実のところはどうなのでしょうか? 


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  築地移転


 7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。

 こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。 

米国に反旗を翻す南米:米国・コロンビアvsエクアドル・ベネズエラ

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 ↑昨日の夜BBCニュースの速報

 映画ロードオブウォーの主人公ユーリーのモデル、“死の商人”ヴィクトー・バウトがタイで捕まりました。
 この人については以前記事にも書いていたので、びっくり。
 コロンビアの反乱軍に武器を売った容疑でアメリカが逮捕状を出していたようです。 
 2002年にベルギー政府とインターポールが追っていたときは、ロシアに逃げていましたが。
(日本のテレビではモザイクのかかる腕にかけられた手錠ですが、BBCではそのまま、ありのままですね)。

 でも、バウトばかりが悪いのか? という思いが頭をよぎります。

自分が1年間で取り扱う銃を、合衆国の大統領は1日で売ってしまう。冷戦後の(冷戦前も)各地の紛争に使用される武器はすべて、米・仏・英・露・中という国連安保理常任理事国でつくられている」と映画の中でユーリーは語ってましたね。

 で、コロンビアといえば、最近は
隣国ベネズエラのチャベス大統領が左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)に資金支援しているとして、国際刑事裁判所(ICC)での訴追を目指す意向を表明したばかり(東京新聞3月5日)。

 ベネズエラは2日、コロンビア政府軍がFARC掃討作戦の過程で1日、友好国のエクアドルに越境、侵入したことに抗議し、コロンビアとの国境に軍 を派遣するよう命じた。3日にはベネズエラ駐在のコロンビア外交官全員の追放も決定し、両国関係の一層の悪化は避けられない見通しだ。

 ロイター通信によると、ベネズエラ側はコロンビアとの貿易も制限し始めたという。

 コロンビア警察当局は、越境攻撃でコロンビア政府軍が殺害したFARC最高幹部の所持品の中から、チャベス大統領がFARCに3億ドル(約310億円)の資金を支援していたことを示す書類が見つかったと指摘していた。


 4日にはブッシュ大統領が議会でコロンビア指示を明確にするために同国との自由貿易協定(FTA)を早期に承認するよう求めたとか。

 で、エクアドルといえば「エコノミック・ヒットマン」の餌食になった国として記憶にあり、世界銀行から巨額の資金を借り入れたために、資源に恵まれながらも国民の大多数が貧困に苦しんできたところ。

 2006年の大統領選で、ラファエル・コレアはアメリカの押す右派で大富豪のノボアを大差で破り、当選しました。
 コレア大統領は圧倒的な民衆の支持を受けて、世界銀行からの債務帳消し政策を推し進め、
二万四千ヘクタールの広大な土地に広がる米空軍基地を貸与協定の期限が切れる2009年にはこれを打ち切ろうとしています。

 もちろんアメリカにとってこれは大損害ですから、なんとしても阻止しようとしているのでしょう。

 バウトの逮捕は米国麻薬取締局(DEA)、インターポール、タイ警察の3者が関係したおとり捜査の結果であることがアルジャジーラで伝えられています。

 非合法の武器商人として世界中でから追われていたこの人は、モスクワからバンコクに飛んだ木曜日にホテルで捕まったわけですが、タイを非合法の武器売買の基地として使う計画を立てていたことが容疑なのだとか。
 アメリカの引き渡し要求を検討する前に、タイで裁判を受けることになりそうです。
 テロリストへの武器調達の罪が認められれば、再考10年は入獄ということになる、とはタイ警察の話し。
 近年南部で爆破や襲撃事件が相次ぐタイのことですから、当然神経をとがらしていたことでしょう。

 一方米国は何10億ドルもの軍事援助をコロンビア政府に行っていて、コロンビア政府はコロンビア革命軍Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia,FARCと戦っている、という図。
 このFARCにバウトを武器を売り込んだ、というわけです。

 FARCはコカインと誘拐で得た資金で軍事作戦を遂行、といわれているのですが、もう40年もの間政府軍と戦って農民の支持を得ています。
 これも、新自由主義=新植民地主義の嵐が吹き荒れ、米国が後押しする軍事独裁政権等が政権を掌握する中で、大多数の人々が貧困に苦しんできた南米の事情があってのことでしょう。
解放の神学」も
、この南米で生まれたものでした。
 
こちらのBBCニュースによると、コロンビアは米州機構の中で孤立をしているようです。
 ただし、エクアドル、コロンビア、ベネズエラは重要な貿易パートナーなので、まず、戦争になることはない。エクアドル領内にはコロンビア人が、コロンビア領内にはベネズエラ人がそれぞれ
何万と住んでいる、ともいわれています。
 こうなると、コロンビアも加わって“合従”の策、とはいかないのでしょうか?)

 米国と手を結ぶ、ごく一部の富裕層が政治経済の実権を握ってほしいままにする一方で、たとえば
エクアドルでは国民の70%が貧困層といわれています。そこに人々の期待を担って登場してきたのがコレア大統領。

 米国は、これまでのツケの精算を一気に迫られています。

 ところで、バウトが逮捕される2日前、足元の
米バーモント州にあるブラットルボロとマールボロの2つの町で、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領を憲法違反容疑で逮捕する可能性がある措置を可決したといわれています(3月6日産経ニュース)。
 この措置とは、大統領と副大統領の起訴を正当に行うことができる関係当局に2人を引き渡せと、町の警察に命じている、と伝えていますが。

 こうした町議会での可決が実質的な意味を持たず単なる気休めに過ぎないにしても、7年以上にわたってこの超大国の舵取りをし、いよいよ世界の混迷を深めさせてきたブッシュ-チェイニー・コンビに、米国国民でもNO! を突きつけているニュースは、やはりちょっとうれしくなります。


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 *:コギトさん、返信しても届きません。返ってきます。申し訳ありません。

元エコノミック・ヒットマン、ジョン・パーキンスさんのHP

『エコノミック・ヒットマン』の著者、ジョン・パーキンスさんのHPがありました。

JohnNewwebpage1.jpg

 Dedicated to Changing the World です。

 なお、私のエコノミック・ヒットマンに関するエントリーは以下の通りです。

エコノミック・ヒットマン

優越感と選民感覚 日本会議 エコノミック・ヒットマン

権力を持つものはすべて買収しやすい……エコノミック・ヒットマン

友人はアルカイダ:ブッシュエコノミック・ヒットマンになるためには、欲求不満が、そして野心が必要です。

戦争は経済活動の一つなのか

伝統と新自由主義

元エコノミックヒットマン語る

働けば働くほど、他の誰かが儲けている   

   
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働けば働くほど、他の誰かが儲けている

家人のつけるラジオで、たまたま大田経済相の演説が耳に入ってきました。
 
 か細い上ずったような声にびっくりしましたが、言ってる内容は“いかにも”なもの。

「世界の総所得に占める日本の割合は2006年、24年ぶりに10%を割り、1人当たりGDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中18位に低下した」

       ↓
「もはや日本は『経済は一流』と呼べない」
       ↓
   改革が足りないからだ

 というように結論していました。

 むごいなあ。
 こうした結論が酷いだけでなく、この女性大臣の存在感のなさ、風貌と声の痛々しさもまた酷い。本当にそう信じているのだろうか、という疑問が頭をよぎります。
 単なる操り人形なのかな?
 それとも見かけとは違って、ほんとうはもっとずっとしたたかなのかしら?

 私も含めて年輩の人間には、60年代の高度経済成長の過程で所得は倍増し、生活がどんどん豊かになっていった記憶が強烈に残っています。
 3種の神器といわれた電化製品がどこの家庭でも当たり前になり、一億総中流といわれるようになったことも。

 同時に輸入農作物の価格も自由化でどんどん安くなって、憧れのバナナも身近なおやつになっていきました。。
 東京オリンピックのあった64年にはレモンが自由化されたわけですが、当時ずいぶんと話題になりました。週刊誌のグラビアには、パックでもしているのか、顔にレモンの輪切りをたっぷりのせている写真が出ていて、日本人も贅沢になったなあ、と実感したものです。

 アメリカのテレビドラマで知った豊かな生活を次第に自分たちも味わうようになってきたのが70年代、80年代、といったところでしょうか。
 
 でも今の時代、どうもそううまくはいかないぞ、ということを私たちは経験してきました。
 それを経済の専門家はどう説明するのか知りませんが、私たちがこの目で見たり聞いたりしてきたことは、働いても働いても貧しさから抜け出られない人たちがすごい勢いで増えてきたこと。
 同時に自殺者もホームレスも激増したこと。

 働いても働いても貧しさから抜け出られないということは、同時に、働けば働くほど他の誰かが儲けている、ということではないか、と思うようになりました。

 かといって働くのを止めれば、即、死につながりかねない。細くてもなんでも、命をつないでいこうと思えば働き続けるより道はない。
 
 こうした構図が地球規模でできあがっているのがグローバリズムではないかしら。
 
 働けば働くほど、生産すればするほど、他の誰かが儲けている。

 これが端的に表れているのが、キャノンをはじめとする大手メーカーで問題になった偽装請負などでしょう。 国外に目を転じれば、前エントリーでとりあげたエクアドル等の問題があります。

 エクアドルの雨林から算出する原油100ドル当たり、石油会社の取り分は75ドル。
 残りの25ドルのうち、4分の3は対外債務の返済。
              4分の1の大半は、軍備をはじめとする政府支出。
 公衆衛生、教育、福祉等に使われる資金は2.5ドルだけ。

 ただしこの数字は『エコノミック・ヒットマン』が書かれた2004年以前のもの。
 エクアドルも、いつまでも黙して耐えているだけではありません。

 資源国有化の動きがエクアドルにも波及し、2006年にはエクアドル政府は米石油大手との契約破棄をして接収したり、外資企業に対して石油による利益の少なくとも50%をエクアドル政府の取り分として納入する、などと定めています。

「逆襲」という言葉が思い浮かびます。

 これに対して、「米専門家らは原油価格の高騰を背景に資源を戦略利用する発展途上国の動きに警鐘を鳴らしている」のだとか。

 私たちの国はいったいどうなるのかしら?
 
 郵政問題、防衛問題、基地問題、エトセトラ。
 アメリカとの歪んだ関係は、アメリカにとっても日本にとっても不幸だ、と思うのですが。

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 JAXVNさん、愚樵さん、すずめさん、ヘリオトロープさん、拍手コメントをありがとうございました。

JAXVNさん:考えてみれば、小泉元首相が「保守」と言われ「保守派」が支持する、ということ自体矛盾していると思います。あれだけ「改革」を連呼している人がなぜ「保守」なのでしょうか?そのことをなぜ「保守派」は問題にしないのか不思議です。

愚樵さん:つねづね思っているのは、伝統という言葉を右派の専売特許にさせておくべきではないのではないか、ということ。護憲を主張する左派も、もっと「伝統」と向 き合う必要があるように感じます。私見ですが、日本人の「伝統」と9条を支持する心情との間には親密な関係があるように感じています。

すずめさん:福祉や環境問題を語ると共産主義だ・・・とはビックリする考えですね。福祉や環境問題では、北欧の国家政策をもっと勉強したいと思っています。

ヘリオトロープさん:最近彼らの言う『日本の伝統』とは姥捨て山や口減らしの伝統のことかな、と思います。

 等々のコメントをいただきました。

 また近いうち、リベラルと「伝統」「保守」とについて考えてみようと思います。

元エコノミック・ヒットマン 語る

  貴ブログ愛読者さんから教えて頂きました。

 デモクラシー・ナウに『エコノミック・ヒットマン』の著者ジョン・パーキンス氏が出演されていました。                              貴ブログ愛読者さん、ありがとうございました。
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エコノミック・ヒットマンが語るアメリカ帝国の秘史  ―経済刺客、暗殺者、グローバルな腐敗の真相です。


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伝統と新自由主義

「世界の全人口のうち、最も裕福な国々に住む上位5分の1の層と、もっとも貧しい国々に住む会5分の1の層との所得を比較すると、1960年には30対1だったが、1995年には74対1にまで格差が広がった。にもかかわらず、世界銀行やUSAID、IMF、国際「援助」に関わるその他の銀行、企業、政府は、自分たちは立派に役目を果たしており、状況は改善しつつあると、私たちに語り続けている」

 とは、『エコノミック・ヒットマン』の中の著者ジョン・パーキンスの言葉。

 1995年が74対1ならば、それから10数年後の今は、さらにこの何倍も格差は広がっているだろう。

 *なお、USAIDとは米国国際開発庁(U.S. Agency for International Development)の略。
 日本ではほとんど知られていない組織ですね。

 そもそも社会主義が内部から崩壊したのであって、けっして資本主義の勝利だったわけでないのに資本主義が勝利したと勘違いしたことから米国の、そして新自由主義の暴走が始まった、という寺島実郎さんの言葉を思い出そう。

 グローバリズムの合い言葉で新自由主義の嵐が吹きすさび、“自由競争”のかけ声で新たな秩序ができあがる。

コーポレートクラシーは陰謀団ではないが、そのメンバーたちは共通の価値観と目標を持っている。コーポレートクラシーのもっとも重要な機能のひとつは、現状のシステムを永続させ、恒に拡大し強化することである

 とはジョン・パーキンスの指摘するところだ。 

 ふとここで、妙なことに気がついた。

 保守を標榜し伝統を重んじる日本会議の草の根会員やその考えに共鳴する人が、格差や自由競争を声高に肯定することだ。
 いい悪いは別にして、人間は平等じゃない。だから格差があって当然だ、と主張する。 
 保守を標榜し伝統を重んじるものが、新自由主義を是とする。

「平等」とか「平和」とかは共産主義の象徴として目に映るらしい。
「平等」と「平和」は共産主義だからダメだ、と。
 だからその反対の自由主義がいい、というとても単純明快な論理。自由主義がいいのだから、新自由主義はもちろんいい、ということなのか。

 もともと人間は平等じゃない、だから格差があって当然だ。
 弱肉強食で、弱いものが喰われる、ただそれだけのことだ。

 こううそぶいて新自由主義を肯定しながら日本の伝統を叫ぶのだが、あなた方の言う伝統は単なる明治以降の伝統ではないか、と言ったら、怒るだろうか。

 エクアドルではアマゾン川流域の石油目当てに米国の石油会社があの手この手で先祖伝来の土地から追い立てようとして先住民の生活を脅かし、その文化を破壊している。またエクアドル政府はそれをまるで支援しているように見える。まさに伝統の破壊だ。

 地球をグローバリズムの価値観で均一化し、一握りの富めるものとその他大勢の貧しいものを創り出す新自由主義は、まさに伝統破壊主義ではないのか。

 これに先住民の人たちは怒った。2003年、3万人以上のエクアドル先住民の代理人としてアメリカ人弁護士団がシェブロン・テキサコ社を相手に10億ドルの訴訟を起こしたそうだ。

 ついでにいえば、このシェブロン・テキサコ社の無法ぶりはエクアドルだけにとどまらない。
 自国アメリカの市民が親しんできた川を汚水の流れに変えてしまったことで、環境NGOにより訴訟を起こされている(こちらの記事)。

 さて前述のエクアドルでは、1968年にアメリカ、テキサコ社がアマゾン川流域に油田を発見し、今では国際融資によって13億ドルかけた5,000キロに及ぶ新パイプラインが熱帯雨林を破壊して建設されたという。
 
 油田発見以来、

 生活困窮者の割合を示す貧困線: 50% → 70
 不完全就業者、失業者の割合: 15% → 70
 国家の負債: 2億4000万ドル → 160億ドル
 最貧層のために配分される国家予算の割合: 20% → 

 という具合に、人々の生活は困窮の度合いを深めている。おまけにこれは、世界を眺めれば、ほんの一例にすぎない。
「エクアドルが対外債務の元金を返済するには、石油会社に雨林を売るしかない」という。
 熱帯雨林を売れば売るほど石油会社は儲かり、さらに自然破壊、先住民の文化・生活の破壊が進む。
 世界をグローバリズムの価値観に基づいて均一化する新自由主義は、まさに伝統破壊主義ではないか。

 私たちの国でも、70年代とコイズミ改革を経た現在を比較すると、興味深い数字が出てくるに違いない。

 で、話しを元に戻すと、福祉や環境問題を語ると共産主義だ、と一刀両断し、平和と平等をも否定する日本会議の考えに共鳴する人たちは、同時に「資本」という語が嫌いなようだ。

 経済で考えれば、共産主義の対義語は資本主義だと思うのだが、政財界から教育界、そして言論界の一つの極を率いる日本会議のリーダーたちは、資本主義という語は口にしないのだろうか。

 彼らは、日本のコーポレートクラシーの利益拡大のために伝統を引っぱり出してきただけではないだろうか、と思う。

 グローバリズムの一翼を担って儲けに預かろう、という資本主義的姿勢一辺倒の姿を見せないために、伝統! と叫んで保守を自認する人びとの支持をとりつけようというのかな?

 それとも、福祉を切り捨て、戦争も厭わず、自国の若ものを戦地に送り出すのもいっこうに構わない姿勢に対して、また自国ばかりか他国の人びとをも踏み台にしようする行為に対して罪滅ぼしの気持で、伝統! と大きな声を張りあげるのかな? 
 それにしては扱われる伝統があまりに意図的に選ばれているような気がするのだが。

 *追記;

 日本会議は日本の右翼運動の中核を成し、さまざまな団体がここから出てここに戻ってくるプラットホームのような所。伝統を守る、と訴えながらナショナリズムを鼓舞し煽っている。

 私から見れば、コーポレートクラシーが推進する新自由主義と、伝統、伝統と声高に主張するナショナリズムとは相いれない。
 でも実際にコーポレートクラシーを形成する人の一部と日本会議を引っ張っている人たちとが重なり合う。

 これはどういうことなのだろう?

 単に無頓着、という人もいるだろう。その代表がアベ晋三氏か? そのために国内の右派向けの言動と、訪米したときの発言、行動が矛盾したりする。ダブルスタンダードだ。

 無節操ともいえる。
 ナショナリズムは心情に訴えるところが多いし、誰でもが抱えるアイデンティティを求める心を刺激する。
 その上で、自身の生まれた環境から当然生じるコーポレートクラシーとしての自覚で、いとも簡単にナショナリズムと新自由主義は折り合い、自分の中で同居する。

 で、アメリカならこの新自由主義とナショナリズムは矛盾せずにすんなりとひとりの人間の中に存在するのだろうが、私たちの国の場合、グローバリズムの旗を振りかざしてアジアへ進出するときは問題なくとも、アメリカと向かい合ったときには、その矛盾が露呈する。
 
 それでいつか私は「引き裂かれる」という語を使った。

 桜井よし子氏ら日本会議の論客は、おそらくそのことを十分承知しているのだ。
 彼女自身は用意周到に十分注意を払って、自分の置かれた立場の上で踊っている。

 でも草の根会員にはその自覚はないのかもしれない。
 むりやり二つを結びつけるから、論理は飛躍し、暴言になるのかもしれない。
 
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優越感と選民感覚 日本会議 エコノミック・ヒットマン

エコノミック・ヒットマンEHMの仕事は、

1.巨額の国際融資の必要性を裏付け、大規模など土木工事や建設工事のプロジェクトを通じてアメリカ企業に資金を環流させること

2.融資先の国々の経済を破綻させて、永遠に債務者の言いなりにならざるを得ない状況に追い込み、軍事基地の設置や国連での投票や、天然資源の獲得等で有利な取引をとりつけること

「私たちはごく小規模な、厳選された人間の集まりなのよ」
「十二分な報酬をもらって、世界中の国々から巨額の金をせしめる。あなたの仕事の大部分は、言葉巧みに各国の指導者たちをアメリカの商業利益を生み出す巨大ネットワークの一部に取り込むこと……」

 といいながら、エコノミック・ヒットマンの教育係を務める魅惑的な女性は自分の身体で彼を誘惑し、妻にも誰にもこのことをしゃべってはいけないと念を押す。

 そういえば友人が英国で生活をしていたとき、さまざまなスキャンダルがスポーツ界でも政財界でも吹き出すけれど、いやになっちゃう、決まって女性の話が出てくるのよ、と言ってましたっけ。

 他国の政府を転覆させるアメリカの最初の作戦は、1951年の石油産業を国有化したイランのモサデク政権転覆に際して、セオドア・ルーズベルトの孫のCIA職員の手で実施された。手口は“報酬と脅し”。

 60年代にはEHMとして有望な人材を国際的企業の社員として雇うという、米政府と直接結びつかない手法が編み出された。
 汚い仕事が発覚したとき、悪いのは強欲な民間企業だ、と言い逃れをするためだ。

 EHMの手に負えないときは、ジャッカルの登場だ。これにより、国家の指導者が追放されたり、「事故」で死んだりする。

 ジャッカルが失敗すると、「アメリカの若者が戦場へ送られる」。

 さて、圧倒的多数の上に君臨する少数者は、自分たちだけが特権を享受する資格があると考える。そんなごく少数のものたちが他国を思いのままに操るために、EHMをリクルートする。

 選民感覚や一般の人びとに対する優越感は、世界中からかき集めた財で一層の富を貯えて豊かな生活のシンボルを気取るその裏で、汚く巧妙な罠を仕掛けることに罪悪感を感じさせない作用がある。

 と、ここまで『エコノミック・ヒットマン』を読みながら考えていくと、ふとアメリカのごく少数のエリート層の弱肉強食、適者生存という選民の思想が、奇妙なことに、日本会議派とその支持者たちがしきりと口にすることと一致することに気がついた。

 これもまた奇妙なことに、他のやつらは馬鹿だ、みんな魂を持っていない、俺たちだけが持っている、それが大和魂だ、と考える日本会議派の優越感が、アメリカのごく少数の支配層のそれと重なり合う。

 戦後日本の憲法や教育を、“アメリカの押しつけ”“マッカーサーの押しつけ”としきりに説く背景が、奇妙なことにこのアメリカが放つEHMたちを操る勢力の考えと一致する。
 それを考えると、ナショナリズムをあおりながら、その一方ではひたすら対米従属の姿勢を崩さない日本会議派の態度の矛盾が説明できるような気がする。

 ナショナリズムを掻き立てることで優越感と選民感覚を育てるが、私の知る例では、そこには普通は他者と共有できない、妙な高揚感が生まれる。日本会議派を敬い支持する一般会員は、そんな高揚感で、死をも怖れぬ、と豪語する。

 日本会議の指導者たちは、いったい何を企んでいるのだ?
 己を敬い慕う一般会員の優越感と選民感覚を育てたが、彼ら自身は、そんな一般会員に対して、これまた優越感と選民感覚しか持っていないのではないのか。

 人間は平等ではあり得ない、だから格差があって当然だ。格差があるのは悪いことじゃない、という考えを受け入れる一般会員は自分自身を指導者たちと同一視するが、けっして同一の立場には立てないのではないか。

 死をも怖れぬ奇妙な高揚感で、自身がどん底に陥っても「紀元はにせ~んろっぴゃく年」と歌い、リーダーたちの話しにお説ごもっとも、と頷くのだろうか。

 デモクラシーを衆愚政治と一蹴し、君主制にすべきだと言い、次期首相はアソータローをよろしく、とお願いに周っているのだろうか。(←日本会議も人材不足?)

 一方リーダーたちは会員の忠誠心に支えられながら、さらに強烈な優越感と選民感覚、強欲とエゴ、富に恵まれ、他者や他国の貧困や困窮につゆほどの同情心も持たないアメリカのリーダーたちにひれふすのだろうか。

 なお、このアメリカのグローバリズムを押し進めるエリートたちの結びつきは「コーポレートクラシー」というのだそうだ。
 これにたいして「ビューロクラシーbureaucracy」は普通は官僚制とか官僚政治を意味するのに使われている。

「官から民へ」というスローガンは、単にこのビューロクラシーからコーポレートクラシーへ権力が移行することを言うだけではないか。

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 kimera25さん、JAXVNさん、非公開で拍手コメントを下さった方々、ありがとうございました。

 

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