文部省思想局から鳩山兄弟まで
常石先生の「日本現代誌」に、天皇機関説を唱えた美濃部達吉関連の文書が写真で載っていました。
米国議会図書館の法律図書館で見つけたそうですが、この「各 大學 ニ 於ケル 憲法 學說 調查 ニ 関スル 文書」を1935年に作成したのは「文部省思想局」……なるほど、戦前の体制ではこうした部局があったのか! と、また妙なところで感心してしまいました。
表紙をめくった写真もいっしょに載っていますが、「調査ノ性質上私文書」とあります。
調査ノ性質上私文書……なんじゃこれ? という気持でちょっと検索してみると、
刑法などで公文書としているものは、公務員が作成した文書のことですが、ここで公的文書としているものは、公文書ではなく、一般の会社などで作成している文書のうち、複数の人から公式な文書と認められたものを示しています。
これに対し私的文書とは、個人的に使用する目的で作成されたものであり、メモや公的文書を作成する過程で作成した下書きなどを示しています。
会議録などを会議メモと表題を付けていても、これを複数の人に配布しているような場合は、公的文書とみなせます。
実験ノートなどは、考え方についていろいろとメモを書くものであり、私的文書のようですが、業務として研究を進めている場合は、特許権などの関係から知的財産の一部として公的文書としなければなりません。
公的文書はその組織の共有書類として、誰でもが利用できるように(もちろん機密文書の場合は必要なアクセス制限をした上で)保管する必要がありますが、こ の文書の共有化が進んでいない場合、公的文書を個人として保管することになります。このような状態の場合、私的文書と公的文書が混在することとなり、他の 人は利用することが事実上不可能となるため、公的文書であっても私文書化してしまいます。
公的文書を共有の場所で保管しなければ、せっかくの財産を無駄にすることとなります。
等々と、ファイリングの説明にありました。
本来なら「文部省思想局」という明らかにお役所が作成した文書ですから公文書にすべきなのでしょうが、“諸般の都合で”私文書とした。私文書であれば作成者個人の責任で作成され、保管される。
実際にはおそらく思想局内部で共有されていたのでしょうし、必要とあらば、いつでも他の役所、たとえば内務省の特高警察の求めに応じて開示したのだろうと推測します。
それでも問題になったときの言い逃れとして“私文書”としたのかもしれません。実質は公文書なのに。
文部省思想局は、こちらによると、1934(昭和9)年にできたもののようです。
昭和3年(1928年) 3.15共産党員大検挙(3.15事件)
4.17文部省,学生・生徒の思想傾向の匡正,国民精神作興を訓令〔文訓5〕
9.11閣議,思想善導施設費約15万6000円余を文部省の責任支出とすることを決定
昭和5年(1930年) 4.4田中文部大臣,各帝大総長を招き思想問題につき協議(〜4.5)
昭和6年(1931年) 7.1文部省,学生思想問題調査委員会を設置(昭7.5.2学生生徒左傾の原因及対策を答申)
昭和7年(1931年) 12.-学生団体皇道会を結成
-.-本学における左翼学生運動,本年をもってほぼ終息
昭和9年(1934年) 6.1文部省,思想局を設置
文科省のwebサイトでも、「文部省機構の改革」に記載があります。
冒頭でいきなり、大正6年から昭和11年にかけては文部大臣の更迭が頻繁に行われ、その数が17名にのぼることにふれていますが、1917〜1936年のことですから、大臣1人あたりの任期は平均で1年ちょっと。
その17人の中で私が知っている名は、犬養毅、鳩山一郎のふたりぐらい。
犬養毅が文相になったのは第2次山本権兵衛内閣ですから1923~24年のことで、まだ時代は大正。
鳩山一郎は、犬養と斎藤実の両内閣で文相。1931~34年のこと。この間、京都帝大の思想弾圧事件、滝川事件が起こっています。
京大総長に滝川の罷免を要求したのが、この鳩山文相ですが、拒まれて、文官分限令により滝川の休職処分を強行。
このことが戦後のGHQの公職追放指令を受けたことに関係しているとか。
ちなみに当時の鳩山家の暮らしぶりを彷彿とさせる、こんな記事「吾家の家計簿」はいかがでしょうか。
賢夫人の誉れ高い薫の面目躍如、といったところですが、5人家族に使用人4人の典型的ブルジョア家族の生活がうかがい知れます。
サイトの管理人さんが今日の経済に換算しておもしろい比較をされていますから、興味のある方はぜひご覧ください。
で、一般中流庶民の家庭なにがし家が月収44万8千円に対して鳩山家は459万。
これをすごいなあ、と思うか、なるほど、と思うか、いかがでしょうか。
この鳩山薫が一郎の妻にして、数々の迷言を呆れるほどに繰り出す邦夫氏、超党派の国会議員らで作る「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根元首相)前原誠司・羽田孜・藤井裕久・田名部匡省氏らと共に参加して顧問に就任した由起夫氏のおばあさんにあたります。
う〜ん、旧体制アンシャンレジーム志向の兄弟のルーツを見た! という気がします。
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