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死刑モラトリアム法案まとまる

米ニューージャージー州は、死刑を違憲と判断し全米(50州)で死刑が廃止された1970年の連邦最高裁の判断から一転、76年に出された合憲判断を受けて死刑を復活させた37州のうちで始めて、昨年12月に死刑を廃止しました。
 そのニュージャージー州知事コーザインさんが、毎日新聞との会見で語ったという言葉が心に残ります。

「暴力(犯罪)をなくすために死刑という制裁的暴力を使うべきでない」

 と話すコーザイン知事は、死刑を廃止すべきだと考える理由を3つ挙げたそうです。

1.州が設置した委員会の研究結果から、死刑の適用が経済的、人種的にみて特定の階層に片寄っていることがわかった。

2.死刑を継続することによる(犯罪を低下させるなどの)実質的成果が、そのためにかける州民の税負担に比べ小さい。

3.自分を含め暴力(犯罪)を避けるために死(刑)を使うべきでないと考える人がいる。

 ニュージャージー州は昨年12月に上下両院が死刑廃止法案を可決し、知事が署名しました。

 コーザイン知事は「議会と行政が、制裁的な暴力をなくすことを民主的に選択した意義は大きい」とも述べたとか。

 そしてこの方は、イラク戦争に反対した上院議員23人のうちの1人なのだといいます。

 アメリカの話しだとはいえ、久しぶりに政治家から良い言葉を聞いて、ちょっとうれしくなりました。

死刑の適用が経済的、人種的にみて特定の階層に片寄っている」という指摘は人種のるつぼアメリカだからこそ浮き彫りになったとはいえ、私たちの国でも「経済的にみて特定の階層に片寄っている」といえそうです。

 このところ、橋下氏、鳩山邦夫氏等々、あまりに軽い政治家の言葉に不信感が募っていたところですし。

 で、私たちの国でも、超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」が、死刑廃止に向けて「4年間の執行停止」を盛り込んだ法案を9日までにまとめたことをご存じでしょうか?

 私は、少々前になりますが、10日のBBCニュースでこのことを知りました。

日本の国会議員、死刑停止を議論の俎上に載せる

日本の超党派議員連盟が、4年間の死刑一時停止を提案している法案をまとめた。

同法案は死刑制度廃止に向けた一歩で、近いうちに国会に提出されるだろうが、死刑に代わって仮出所なしの終身刑を導入している。

民主主義をとる先進国の中でも死刑制度を維持するのは日本とアメリカだけだ。

しかし同発議は、手強い反対に会う可能性が高い。

秘密裏に執行される死刑

長い間、日本の死刑採用を批判する人たちは、刑罰として死刑を採用することは自由民主主義と呼ぶに値しないと評してきた。

この死刑という制度と同じくらい非難されてきたのが死刑の執行方法だ。つまり死刑囚監房(拘置所)に収容されたものたちは、執行直前になって知らされる。抗議行動をさせないためだ。

死刑囚たちは、メディアへの発覚や一般市民の反対の声を避けるために、ほとんど場合、国会閉会中の金曜日に絞首刑にされる。

公判の段階では、被告は弁護士へのアクセスを簡単には許されず、検察体制は証拠よりも自白を偏重する傾向がある。

死刑廃止を主張する議員たちは、改革をすべき時だと考えているようだ。

しかし現法相鳩山邦夫は死刑制度維持を主張している。昨年9月の法相就任以来、6件の死刑に署名した。

また、日本人の大多数は、特に凶悪な犯罪に対して死刑制度の維持を望んでいる。

同国の凶悪犯罪率は世界標準から見て低くとどまっているが、1990年代半ばからかなり上昇してきた。

(以上)

 日本のメディアでこのことを伝えたのは、私の気がついたところでは共同通信ぐらいでした。

「(1)終身刑の創設(2)死刑制度調査会の国会設置4年間の死刑執行停止-が柱で、今国会での参院提出を目指す。死刑執行の停止を求める法案が国会に出されれば1956年以来、52年ぶりとなる」

 とのことです。

 以前にも、日本の死刑制度の過酷さをBBCが伝えたことを記事にしています。
死刑執行はこれで最後にして欲しい」です。
 死刑の秘密主義についてはこちらにも詳しく書かれています。

 日本人の大多数が死刑制度の維持を望んでいる、という世論調査について、東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)が、設問そのものに疑義を呈しています。

 死刑廃止を推進する議員連盟の発議を機に国会でも死刑制度について論議され、私たち一般の国民も、いま一度立ち止まって死刑のことを考えることになればいいな、と思います。

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熊井啓 戦後 帝銀事件

日曜の夜、家人の見るテレビに引き寄せられて見始め、吸い込まれるように、とうとう最後まで見てしまった教育テレビETV特集「熊井啓 戦後日本の闇に挑む」。

 名前こそ知ってはいたものの、ついぞその作品を見ることのなかった私は、この監督の映画にかけた生涯を初めて知りました。遅い、と笑う人も多いでしょうね。
 子供時分、映画好きの母親に連れられて行った町の映画館で嫌な思いをしたり、割ったビール瓶を振り上げたスクリーンの中の喧嘩を見て怖いと泣いたり。そんな経験が、なんとなく映画館へ足が向かなかった原因の一つかもしれません。
 生まれてこの方、いったい何本の映画を見たことやら。
 それに映画を見るより本を読むのが好きでしたし、出不精でしたし。友人に誘われたり、よほど気の向かない限り、映画を見ることはなかったですねぇ。

 それで熊井啓さんの映画もこれまで見たことありません。
 それを、ちょっとばかりどころか、かなり後悔しました。学校を出て間もない頃『忍ぶ川』は話題になりましたし、『海と毒薬』は原作も読んでいました。が、ETV特集で紹介された映画のうち、なぜか気になったのが「帝銀事件・死刑囚」。

 帝銀事件と死刑囚平沢貞通のことはもちろん知っていました。そして39年間獄中にあって、とうとう刑の執行がなされることなく死亡したことも知っていました。

 なぜそんなことに? とも思いましたが、ただそれだけのことでした。
 それが今、平沢氏のことをちょっと調べてみると、びっくりするようなことが色々あるんですね。

 1995年4月、最高裁で死刑が確定してから平沢氏死亡後の1989年まで、実に19回再審請求がされています。ということは、それまで再審請求が18回棄却されている、ということ……。

 そしてもっと驚くことは、なぜかくも長期にわたって拘留されながらも刑が執行されなかったのか? ということ。

 判決の事実認定に問題があったので死刑執行をしなかった、と元東京高等検察庁検事長藤永幸治氏が語ったとか。
 そして30数人に及ぶ歴代の法務大臣は死刑執行を見送ったとか。

 それならなぜ再審を拒み続けてきたのか、なぜ殺人犯の汚名を着せたまま、疑わしいだけの人物を拘留し続けたのか。
 そこには私たちの国の司法当局に内在する問題が隠されているのではないか、と思いませんか?
 判決を受けた懲役囚を収容する刑務所とは異なり、「死刑をもって刑の執行」となる死刑囚の場合は、刑務所ではなく拘置所に拘置されるのだそうです。冷暖房設備もなく終始監視された「トイレサイズ」の独房に拘留されながら、画家は絵を描き続けそうです。
 
 そもそも平沢氏に疑惑の目が向けられたのは、出所不明の金10万円を持っていたためのようです。昭和22、3年後の10万といえば、ずいぶんと大金で しょう。なぜそんな大金を持っていたのか、というとどうも春画を描いて得たお金のようです。裁判でもそのことが問われたようですが、画家の矜持か、頑なに 否定したのだとか。

 もともと真犯人は元関東軍731部隊等に関わる人物ではないかと考えられていたのが、戦争責任の追及の免除と引き換えに研究資料を押収した事実の暴露を 怖れたGHQの圧力によって捜査の方向を変えざるを得なくなったことが推測され、そのことは公表された米国の公文書によっても裏付けられているようです。

 そんな国家の都合でひとりの無実の人間が40年近くもの間死刑囚として拘留されて自分の人生を生きる自由を奪われていたとしたら。
 おかしい? と気づきながらも、一度決まってしまった、というだけで問いなおすことを拒む正義justiceを執行する所って何だ?! と思う。

 折しもこの熊井啓 戦後日本の闇に挑むの放送があった日の毎日には、NTTレゾナントの協力で行ったインターネット調査で死刑制度について質問したところ、 「存続すべきだ」が90%に上り、「廃止すべきだ」は10%にとどまったとある。
 
 でもこうした司法の問題がある限りは、やはり死刑制度はあってはならないものだ、と思う。

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死刑執行はこれで最後になってほしい

先週金曜日、3人の死刑執行について、BBCでも大きく報道されました。横には執行された死刑囚の名を発表する鳩山邦夫法相の顔写真付きです。例によって要約を。

「これまで当局は、家族への精神的ダメージを軽減するために被処刑者の詳細を公表することは頑として拒んだ。
 人権グループは、死刑が存続する数少ない工業先進国のひとつである日本での死刑執行をめぐる秘密主義を批判してきた」。

 そんな中で「8月に就任した」ばかりの鳩山法相が被処刑者の名を公表することに決め、これをアムネスティ・インターナショナル日本は「この死刑執行の秘密主義からの脱却は評価します、と声明で述べた」と説明(ただし実際の日本文は「死刑制度をめぐる秘密主義に風穴をあける動きがあることは評価します」となっている)している。

 特に「絞首台に連れて行かれる直前まで受刑者に執行期日が知らされないこと、執行の後で初めて受刑者の家族に連絡がいく慣行」が批判されているが、「最近の世論調査では、死刑に反対する日本人は10人に1人にもならないことが示唆された」。
 
 さらには同じ日付で倍以上のスペースを使い、日本の死刑制度の過酷さをレポートしています。見出しは「日本の死刑執行に関する秘密主義」。
 
 これによると、死刑囚には刑の執行についてぎりぎりまで教えないのは、国際人権規約7・10条に違反しているということで、国際社会から非難されてきたということです。
 以下はその訳。

 死刑の確定から執行まで、平均で7年11ヶ月の時間があるが、正確な数字を得るのは難しい。

 囚人たちは、過酷な制度と死刑に対する恐怖感にいつもとらわれている孤独な監禁状態の下で生き、その日その日が最後の日になるかどうか知ることはない、とアムネスティ・インターナショナルは語る。

 日本のメディアでは、死刑囚が「トイレサイズの小部屋」に拘置される様子が伝えられている。

 死刑囚のほとんどは、刑務所ではなく拘置所に拘置され、他の受刑者と比べても認められる権利は少ない。
 1週間に2回の運動時間(夏期は3回)が許されるが、居室では限られた運動さえも認められることはないとレポートされているが、実際の状態を確認するのは難しい。
 各拘置所の所長の考え次第だ。

 何年も独居拘禁に置かれている死刑囚の多くは歳をとり、最年長は70年代初めに強姦と2件の殺人で有罪判決を受けた石田富蔵86歳であるが、執行される前に亡くなる人もいる。

 現在日本の死刑囚は104人。今年はこれまで9人に執行された。

 1998年までは死刑が執行されたことさえ法相が認めず、ただ年ごとの執行数を発表しただけであり、この10年は、各執行日に、執行の事実と人数を報じてきた。
 
 したがって今回、金曜日の死刑執行で受刑者の名前が初めて知らされたのは小さな前進だ。
 鳩山法相はこれについて、「死刑が適正に行われていることを犠牲者遺族と国民に理解されることが必要」と説明した。
 
  アムネスティ・インターナショナル日本は、有罪判決を受けた殺人者の死刑執行の決定に「強く抗議する」しながらも、氏名を公表するという政策の変化を認めたが、死刑廃止への道のりが遠いことをつけ加える。

 絞首刑が執行される拘置所の外では、ろうそくを灯して行う徹夜の祈りはなかったが、驚くべきことではない。誰一人として、受刑者の家族でさえも、金曜日の朝に執行されると知らされなかったのだから。

 死刑執行をめぐる秘密主義の壁はまだ無視できないほど厚く、残酷であるばかりか、死刑問題について議論することもままならないようにしている。

 国会でも死刑について質疑されるのは稀だ。

 世論調査では、死刑制度に反対する日本人はわずか6%。これは死刑囚の処遇状況をほとんどの人が知らないせいだ、と死刑制度廃止の運動をする人たちは言う。

 金曜日の死刑は、ここ日本では大した問題にならなかった。

 他の国々では、キリスト教会の動員で死刑反対運動が行われるが、日本の宗教団体は反対運動はしないことを選択してきた。

 日本の外相は、この日執行された死刑をめぐる状況について、BBCの質問にしぶしぶながら答えてくれた。

 英米に比べると、日本の投獄率ははるかに低いことが指摘されるべきだ。
 
 日本の司法制度を批判する人たちは捜査が自供に頼っていることを憂慮しており、容疑者を無理やり自白させたという申し立てもある。

 ここ日本で死刑に反対する人たちは、無実の人たちが死刑になることを防ぐ手だてが十分ではない、と語る。
 
 
 という具合に、かなり詳細に私たちの知らないようなことまで報道されています。

 死刑制度に反対する日本人はわずか6%、と伝える根拠は2004年12月の世論調査でしょう。
 
  死刑制度に関して、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」、「場合によっては死刑もやむを得ない」という意見について、

「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者  6.0%
「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者    81.4%
「わからない・一概に言えない」と答えた者         12.5%

 となっています。

 そしてこの数字は、政府の死刑制度維持の姿勢にも、11月の国連での死刑執行停止決議の採択に反対する説明を裏付けるものにもなったようです。

 でも、東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)ではこの設問の仕方がおかしい、まるで誘導尋問のような設問だと疑問を呈しています。

 つまり、この3つの設問内容を、

「どんな場合でも死刑を残すべきだ」
「場合によっては死刑を廃止してもよい」
「わからない、一概に言えない」

 とすれば、結果は異なっていたのではないのか。
 なぜ、「死刑制度に賛成ですか、反対ですか」という端的な設問にしないのか、と批判しています。

 こうした世論調査方法、またBBCの記事でも言われた秘密主義、法相らの日頃の言動からも、日本政府には死刑を廃止する意思がまったくないことがうかがわれます。
 それどころか、国民の間で死刑制度について考え議論することさえ厭うような姿勢も見られます。

 11月の国連での死刑執行停止決議の採択に反対したのは、米国への右へ倣えだったのでしょうか?
 ただし常日頃米国に追随している国連での日本政府の行動は、ときにはその米国さえも軽く跳び越えてしまうことがあります。たとえば79年のチリの人権を問題にする国連総会決議に日本が棄権したとき、時のカーター政権はこの決議に賛成しています。

 そんなことを知ると、いったい政府は何を考えているのだ? と疑問が湧いてきます。 

 もともと執行日をあらかじめ知らせておくと、当日刑務官が病気を理由に休むことが多かったとか。

 私は以前、死刑執行に携わる人たちの過酷な体験について、「死刑廃止演説から考える――まとめ」でも触れました。
 特に革命期パリの処刑人サンソン家の人びとの例をあげて、

「まるで芝居を見るように処刑を楽しんだ人たちのおぞましさ、握手を求められても応じず、己の汚れた手でけっして一般の人たちに触れることがなかった処刑人の罪悪感。このどちらも、私たちには耐えられません。


 私たちの心のありようは、100年や200年前に生きた人たちとは異なっていますし、死刑も人の目の届かないところで行われています。血を見て激昂する民衆のぞっとするような姿はありません。


 自ら手を下さない裁定に示された人間の残酷さは、今、薄められてはいますが、なくなったわけではありません。私たちはこれを克服する必要があるのではないでしょうか」


と考えることに変わりはありません。




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ゼノフォビアブログに囲まれながら、お玉の上でアブナイばらんすとりながら、らんきーング上げて多くの人に読んでもらおうと、喜八玲奈とむ丸も、天木さんにも負けないようにと目標は大きくがんばるわん

死刑制度をめぐる世論


  論理を旨とするイメージのある役所で、どうみても道理に合わないことが平然と主張されているのを見て、素人としてその意図を考えあぐね、疑問にとらわれるときがあります。

 共謀罪もその一つで、そもそも「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」締結のために整備される国内法で対象とされる犯罪の中に、たとえば、なぜお酒を無免許で造ることまで入っているのか、分かりませんでした。

 おもしろいのは、「市町村の合併の特例に関する法律(昭40法6)」の「合併協議会設置請求の署名権者等に対する暴行等」「宣誓関係人の虚偽陳述」等も対象になっていることです。市町村合併と「国際的な組織犯罪」にどんな関係があるのか、さっぱり分かりません。

 そうした中で、先日のクリスマス当日、4人への死刑執行に対する法務省の弁に首を傾げてしまいました。

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死刑廃止演説から考える――まとめ

 「ムシュウ・ド・パリ」とはパリの首切り役人の別名だと聞いたら、今でも多い、花の都パリに憧れる人たちは驚くだろうか。


 自らは、「有罪判決執行者」と称したが、世間はブロー・ド・パリ(パリの処刑人)として怖れ蔑んだ


 ギロチンが登場するまで処刑方法も様々で、犯罪の種類、罪人の社会的地位によって変わった。笞刑や切除刑も処刑人がとり行い、また拷問も刑罰の1つとして認められていた。


 ムシュウ・ド・パリをはじめとして各地にそれぞれいた処刑人は世襲ではなかったが、処刑人の家族に生まれたら、他の職業を選ぶのは非常に難しいのが実情だった。


 7代続くムシュウ・ド・パリの家系サンソンの初代は端整な顔立ちの王の兵士だったが、運命のいたずらか、たまたま処刑人の娘に恋をして連隊を追われ、助手を務めた後に義父の跡を継いだ。助手として初めて罪人に笞刑を加えるよう命じられたとき、「気絶し……群衆の嘲笑を浴びた」と公式記録に書かれている(そうだ)。


 が同時にサンソン家の人々は、仕事柄接する死体をもとに外科学・薬学の本を求めて骨や筋肉や関節の接合状態を研究し、腕の良い医者として金持ちからは高い治療費を取り、貧乏人は無料で診療した。そうしたことは、己の職業に対する嫌悪感・罪悪感を薄める手だてのひとつにもなっただろう。


 規則正しく敬虔な日々を送り、自分の務めを神の御心として受けいれ、王の名の下に正義を実行し、祖国と同胞を守る尊敬すべき職業であると自ら考えることで、どうにか心の均衡を保つのだ。


 一方処刑そのものは当時において大きな娯楽そのものであり、注目される罪人の場合は、処刑台のおかれている広場・付近の道路のみならず、そこに面した窓という窓から果ては屋根まで、人がいっぱいだったという。


 罪人が処刑台に上ると拍手喝采をし、処刑が行われている間、街頭の売り子たちは犠牲者の似顔絵にその犯罪物語のパンフレットを添えて、売って廻った。 


 国王の暗殺を試みた男の処刑のときには、ムシュウ・ド・パリはぐでんぐでんに酔っぱらい、酒で勇気を奮い立てようとした。これを手伝う叔父であるランスの処刑人は、ガクガク震えながら犠牲者の悲鳴に懸命に耳を塞いで刑を執行。苦悶の絶叫の中で仕事を終えた彼は、この出来事から2度と立ち上がることができなかった。


 すさまじい光景を4時間(なんとひとりの罪人にこれだけの時間をかけて、残虐極まりない刑が与えられたのだ)にわたって眺めたものの中には、かのカサノヴァも、また彼と同席した貴婦人3人に1人の若い紳士もいた。


 パリの高等法院が下した信じられないほど残忍な処刑方法は、犯罪者のみならず処刑人まで再起不能になるほど痛めつけることになる。


 こうして貴婦人を初めとして血を好んだ民衆が、処刑を大いに楽しみながらも、それを執行するブロー・ド・パリとその助手たちを毛嫌いし、目に触れることさえ嫌がったという矛盾


 人は、血に飢えた心性の卑しさを心のどこかで感じているからこそ、処刑人を汚らわしい、自分たちとは異なる世界の住人としてとらえて安心できたのかもしれないが。


 死刑に際し、誰にも平等にギロチンを用いるようになったのが、革命期の1792年のこと。1870年には唯一ムシュウ・ド・パリを除いて全ての処刑人が廃止され、最後に公衆の前で処刑が行われたのは1939年6月、ベルサイユの裁判所前でのことだった。


「裁判所を見下ろす部屋という部屋、バルコニーというバルコニー、窓という窓は、この見もののために賃貸されていた」。


 これはフランスのあらゆる新聞に掲載されて非常な反響を呼び、以後公開処刑を禁止する法令が発せられることになった。


 1952年までには、世界で21カ国が死刑を廃止していた。


 フランスは1953年から66年にかけて22回ギロチンを使い、その都度是非論がおこり、討論が闘われた。またこれとは別にアルジェリア戦争のあいだには、国家の安全に関する理由等で処刑されるものも多かった。


 その後もフランスは、1981年に廃止するまで何度か断頭台へ犯罪者を送った。


  死刑廃止は欧州連合のメンバーになるための条件でもある。


 現在、 法律上、事実上の死刑廃止国の合計は129カ国。存置国は68カ国


 といったことをママさんはみんなに話した。


 最後に、


「まるで芝居を見るように処刑を楽しんだ人たちのおぞましさ、握手を求められても応じず、己の汚れた手でけっして一般の人たちに触れることがなかった処刑人の罪悪感。このどちらも、私たちには耐えられません。


 私たちの心のありようは、100年や200年前に生きた人たちとは異なっていますし、死刑も人の目の届かないところで行われています。血を見て激昂する民衆のぞっとするような姿はありません。


 自ら手を下さない裁定に示された人間の残酷さは、今、薄められてはいますが、なくなったわけではありません。私たちはこれを克服する必要があるのではないでしょうか」と語った。




 なお、玲奈ちゃんの知らせにあったフランス最後の公開処刑の写真について。


 写真で見る限り、見物人が意外と少ないと思われるかも知れませんが、あまりの評判に、早朝に行われる処刑に備えて真夜中以後、警官、民兵、警視庁の刑事などからなる特別警護団が、裁判所と監獄に通じる諸街路を遮断。多数の客が陣取っていた近くのカフェからの眺望は、真ん前に駐車された大きなトラックに遮られていたということです。


 一般的に、時代が下るにつれて処刑の場所は町の中心から外れに、時間も昼間から早朝にと変わっていきましたが、この最後の公開場所はベルサイユの裁判所前、6月17日の朝、5時直前のことでした。

死刑廃止演説から考える

 山の中腹のとむ丸邸へ、日頃見かけぬ3人組が急いでおります。


ばあや:お玉邸が曲がりくねった道をくねくね行ったかと思いましたら、またとむ丸邸も、ひたすら山の斜面をどんどん登って……ばあやはもう息切れがしそうでございますよ。まったくお嬢さまときたら気まぐれで、お玉さんのところまで来たのですから、ついでにとむ丸ちゃんところにも行きたいわなんて。ふー、きついこと。


麗子:後もう少しよ。もう少しで、かわいいとむ丸ちゃんに会えるわよ。


 山のあたりは、そろそろ紅葉も始まっています。 


とむ丸:麗子さんにばあやさん、うわぁ、玲奈ちゃんまで、いらっしゃい。うれしいな~♪♪~


麗子:こんにちわ。とむ丸ちゃん! ご機嫌いかが?


とむ丸:今日はパパさんが鮎をたくさん釣ってきたから、みなさんもどうぞ、ってママさんが言ってます。


ばあや:今時の鮎は落ち鮎と申しまして、脂が乗ってそれは美味しゅうございますよ、お嬢さまに玲奈さま。おまけに雌は子持ちで、雄は婚礼色といって、それはきれいな朱色を帯びて、格別の味わいでございます。


とむ丸:で、今日は、軽いお食事を召し上がりながら、ママさんが是非お話ししたいことがあるということですよ。玲奈さんがこの間持ってきてくださったロベール・バダンテールの演説を読んで、ママさん、とても感動されてましたから。


ばあや:それはよろしゅうございましたね、玲奈さま。


とむ丸:死刑が何とかかんとかって……こまわり君の「死刑!」 なら私も知っているけれ479665286801 ど……ママさんは何に感動したのかな?


ママ:とむ丸、あなたのような子供でも、「死刑」という言葉は知っているわね。でも、「死刑」という言葉を聞いて、何を思い浮かべます?


とむ丸:がきデカ!


玲奈:ジャンヌ・ダルクなら、十字架状に組まれた柱に手足を固定されて……火あぶり……おお、いやだ。


ばあや:石川五右衛門だったら、煮えたぎる釜の中……


麗子:小塚っ原の磔……あらっ、私としたことが……でも、みんな、昔の話しでしょう?


ばあや:そうでございますね、お嬢さま。今は? どうもイメージが湧いてきません。


ママ:実は私もイメージが湧いてきませんの。子供のときに見た『私は貝になりたい』という映画の印象から、十三階段に明かりがあたっている場面を思い浮かべるのですが、どうもそれからが分かりません。あれ以来、ことさら考えることもありませんでしたし……子供はすぐに忘れてしまいますから。


玲奈:当然ですわ。子供がそんなことを気にしていたら、気味が悪い。


ママ:でも、バダンテールの演説を読んで、アルベール・カミュを思い出しましたの。カミュのお父さんは、ギロチンの公開処刑を目撃しましたね。


玲奈:初めて経験した光景で、気も転倒した様子で家に帰って来た父親は、ベッドに倒れ込んで激しく嘔吐した、とカミュは書いていますね。


ママ:十三階段の先にあるものを何となく知ったのは、私が大人になってからです。それも、はっきりと分かったわけではありませんが。法務省は具体的なことは何も明らかにしていないでしょう?


麗子:ギロチンて、「フランス革命」の象徴のようなイメージで、死刑と結びつきませんでした。でも、考えてみれば、フランスの死刑って、ギロチンで首を落とされることだったのね。


ばあや:見せしめでございましょうねえ。公開なんですから。


ママ:ええ。死刑を執行することとはどんなことか、はっきりと、みんなの前に突きつけられますわ。でも日本では、「死刑の実態」というのはさっぱり伝わってきませんね。死刑制度に賛成する人たちも、「極悪人」のレッテルを貼った人間に、その行為の当然の報いとして「死刑宣告」をしたことで安心してしまい、それ以上考えることはまずありません思考停止思考放棄の状態ですね。


玲奈:想像することさえおぞましいように、忌み嫌われていますね。ひとつのタブーでしょうか。


ママ:そう、タブーですよね。死刑は、普通の人の目に触れないところで執行されますし。最終的には、ひとりかふたりか分かりませんが、直接の執行者の手に委ねられますね。死刑の判決を下した裁判官も、執行にGOサインをだした法務大臣も、直接手を下すわけではありません。また、執行そのものがどういう形をとるのか、正確には私も存じません。想像することさえも、怖ろしい気がいたします。


玲奈:フランスにはサンソン家といって、一族7代にわたって死刑執行人を努めた家系があります。ルイ16世もマリー・アントワネットも、この4代目当主、シャルル-アンリ・サンソンの手にかかって死んでいます。


ママ:人々の冷たい視線を浴びて、つばも吐かれるようなこの職業の過酷さは、「敬虔な信仰心とフランス国王への忠誠心」でなんとか克服してきたといいます。そういう精神的より所がなければ、とっくに狂気に犯されてしまっただろうともいわれています。


玲奈:1793年1月21日の国王の処刑以来、シャルル-アンリはギロチンの刃の前にひざまずき、亡き国王のために祈りを捧げたそうです。


麗子:現代の日本で、この過酷な役目を正当化するのは……


ばあや:「法の執行」ということに尽きるかと……。


 みな、思わずため息をつき、目の前におかれたミントティーに口をつけます。


 しばしの沈黙。


ママ:私たちはこれまで、こうした過酷な役目をごくわずかな執行人の手に押しつけて、「臭い物に蓋をしろ」とでもいうように、死刑執行そのものから目をそむけてきたのではないでしょうか。


 みな、ただ押し黙り、考えあぐねていました。


玲奈: フランスもいつの間にか非公開になって、バダンテール演説の中でも、「天蓋の下で人目をしのんで行われる死刑」という言葉がありましたね…….。


ママ:ええ、そうね、玲奈ちゃん。みなさん、ごめんなさい。シリアスすぎて……。でも、いってみれば、「死の囲い込み」とでもいえるかしら。


ばあや:その昔は、「黒不浄」ともいわれておりましたねえ。出産は赤不浄。


ママ:病院で死を迎えるのが普通になった現代社会では、人間の死も病院の中に囲い込まれてしまった、ともいえますね。犯罪者の死、中でも重罪者の死は、それ以前から塀の中に囲い込まれています。


麗子:現代人からは、人間の死を直視する機会も失われている、とでもいうのかしら。


ママ:かなり昔はエンターティメントでもあったのですが、もし処刑が目の前でおこなわれたら、今の私たちの感性でどこまで耐えられるでしょうか。死刑制度を支持する人たちは、どうでしょうか。そんな場面に立ち会っても、なおかつ死刑判決を下すように要求するでしょうか。

 ママさんのお話は、今日はここでお終い。

 パパさんが釣ってきた鮎の命はわずか1年。子孫を残した鮎は冬になる前に、みな自然の営みどおりに川底に沈みます。その前に、その一部を人間がいただく……少しばかりみな威儀を正し、その後、舌鼓を打つことになりますが、一人ひとり、重い課題を背負わされたのは確かです。


 あしたはママさんが、華氏さんところに行く前のみんなに、もう少し説明してくれるという話しです。  下の写真はパリ、コンシェルジュリの中庭。コンシェルジュリは革命時代には牢獄として使われ、マリーアントワネットも ここに囚われていました。窓の鉄格子、庇の屋根に並んでいる先端が尖った鉄の角材に注目。 20061016180623.jpg



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