スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

法人税は限りなくゼロへ、消費税は限りなく上昇?

 ちょっと古い記事になりますが、今年1月、経団連が法人税率の引き下げを求め、消費税率については、微妙な表現で増税を求めたことはご存じでしたか? 



ivedoorニュースによると、



 財務省と日本経団連の意見交換会が二十五日午前、都内のホテルで開かれました。税制「改革」に関して、経団連は法人税率引き下げを求める一方、経団連が
前から税率引き上げを提言している消費税について、「政治のリーダーシップによる適切な判断が必要」との意見
を伝えました。



 ということです。



 現在でも、財務省のサイトにある税率の推移を見ると、表示のある昭和25年以来、最低の法人税率だというのに、更に下げよという財界からの要求です。



421
 そして消費税については、「法人税を下げるのだから、後はどうすればいいか分かっているな!」とでも言いたげです。



 前2回のエントリーで税率の推移に触れましたが、そこから見えてきたのは、どうも法人税率引き下げ消費税導入・消費税率引き上げが連動しているのではないか? という疑問です。



 それにしても、総裁選に立候補した谷垣財務大臣は、なぜあれほど消費税率10%を強調するのでしょうか。



 もっとも、財界の意向が法人税引き下げ・消費税引き上げなのですから、他の候補者も当然そのことは念頭にあるけれど、世論の反発を怖れて口に出さないだけ? なのでしょうか。



 実際に消費税が引き上げられた場合の庶民のショックを少しでも和らげるために、谷垣氏は今のうちに本音を伝えておこう、ということなのでしょうか。



(もっとも、本音は10%どころではないと思いますが。18%などという声もあります)



 好戦的で、さしたる政策もなさそうなアベ氏に対して、柔和で真面目なイメージのある谷垣氏を配して、少しは政策面を補っているつもりでしょうか。そう、アベ氏と谷垣氏は、それ自体連動しているのでしょうか?



 いずれにせよ私たちにとっては、



前門のトラ、後門のオオカミならぬ、前門の安倍壺三、後門の谷垣に違いありません。



 なお、国の歳入が減ったのはバブル崩壊後法人税収入が減ったためと思わされていましたが、もしかしたら法人税率を下げたことが結局は歳入減少という結果になったのではないでしょうか。



 バブル崩壊後、消費者の財布のひもが固くなったために消費税収入が予想を下回り、法人税収入が減少した穴埋めができなかったのではないでしょうか。(ただし、これはあくまでも私の推測に過ぎません)。



 結局、国の負債が巨額になった責任は、法人税率を下げて、消費税を導入・税率引き上げをした、国の政策の誤りにあるのでは?



 これについては、もう少し調べる必要があるようです。



(写真は、消費税導入ポスター)



スポンサーサイト

うまいことやっている人が得をする

 前回のエントリーで、東大大学院の神野先生が、「国民が政府に支えられていると思っていない」ため、「歳出を減らしたら増税に応じる」という、「本来あり得ない考え」が世論調査の結果に出る、と言われていることを書きました。



 「自分たちへのサービスを減らしたら金を出すという意味で、本来ありえない考えだ。税金が自分たちのために使われているのではなく「誰かがうまいことをやっているに違いない」と感じているからだろう」という先生のお話でした。



 さて、世論調査も色々ありますが、たとえば、内閣府「日本21世紀ビジョンに関する特別世論調査」でもそうした結果が出ていました。



 そこではデータに先立ち、次のようなことを謳っています。



 現在内閣府では経済諮問会議の下、「日本21世紀ビジョン」を確定しています。「日本21世紀ビジョン」は、今後四半世紀をにらみ、構造改革により実現されるこの国のかたち」を明確かつ体系的に示すことにより、国民の間の共通の認識を図るものです。



 そして、「人口減少時代を乗り切るための対策」、「国及び地方の借金返済方法」、「日本の国際競争力を強化するために重要なこと」の3つのテーマに沿って、アンケートの結果がデータとして示されています。



 このうち2つ目の「国及び地方の借金返済方法」についての結果が神野先生がいわれたことと関係してくるでしょうか。



 国及び地方の巨額の借金を将来世代へ先送りせずに返済していくための方法としては、  



  歳出削減を主として、増税も行う    29.0%       



  全て歳出削減で対応する       26.4%

  わからない                19.4%

  増税歳出削減同程度ずつ行う   17.2%

  全て増税で対応する           6.4%



 ちょっと脱線しますが、



 ここまで読んだところで、無性に腹立たしくなってきました。



 この設問内容がとても作為的になされていると思いませんか?



 前回エントリーの「小さな政府」という語を勘違いしていた多くの国民に、またここで勘違いを起こすような「増税」と「歳出削減」という語を提示してきたからです。



 もっとも、涙ぐましいくらい真面目な国民は、「増税」といったら自分たちが負担しなければならない、仕方ない、と受けとめているのかもしれませんが。



消費税の増税は格差が拡大している中で弱者の負担を重くする。むしろ、株式などの金融資産にちゃんと課税できていないことを問題にすべきだ」と、神野先生は論じておられます。



 また、「歳出削減」といっても、「うまいことやっている」人たちが困るだけで、まさか私たちの慎ましい生活まで壊されまい、まさか命までは奪われまい、と思っているのかもしれませんが……。



 まあ、本筋に戻りますと、



国民が政府に支えられていると思っていない」という逆説的な指摘が、なぜかストーンと胸に落ちて、「国民」は、「政府」が支えているものは何だと思っているのか? という疑問が頭から離れません。



 政府が支えているものとしてすぐに頭に浮かぶのは、つまり「うまいことやっている人たち」と思うのは、やはり一番に国会議員の諸先生方、官僚の面々。いわば、政・官・財の三角形の結びつきの中で甘い汁を吸っている人たち、エトセトラ。



 最近はここに、外資とかドルとか米軍とか、アメリカ絡みのものが、とみに話題に上るようになりました。



 そして、いつかとくらさんがいっていた、「知った人だけが得する」社会だから、うまいことやっている人たちとは、「知っている人」なんでしょうね。



 でも、たとえ今、知っている人でも、いつ何時、立場が逆転するか分かりませんね。自己責任を求められても、いつまでそれに応えることができるかも、分かりません。



 それに、「B層」とかなんとか言って、国民に十分知らせてこなかった、少なくとも知らせようと努力しなかった政府の責任はどうなるのでしょうか。



 そういえば、小泉路線に異を唱える谷垣氏も、ひたすら消費税を10%にまで上げる話しばかりで、それ以外の税のあり方については何も言いませんね。少なくとも、メディアを介した話しでは、消費税以外の話しは聞こえてきません。



 累進課税の精神から所得税・住民税の税率を見直すことのみでなく、金融資産への課税法人税等々についても、考えることがたくさんあるのではないでしょうか。



 なお、法人税率の推移についてはやはり財務省のサイトに掲載されていて、昭和の終わり頃から基本税率が下がっていき、それが特に平成10・11年に著しく、グラフに載っている限り、過去最低であることが分かります



 平成元年に消費税の導入がありましたが、それと法人税率の下降が重なります。



 ひたすら痛みに耐えてきた国民に対する政府の支えは、ますます不確かなものになっていきそうです。



 増税も歳出削減も、このまま白紙委任するより方法はないのでしょうか。

 


 

「小さな政府」とは何だったのか

 今週の毎日新聞は、「縦並び社会――格差克服への提言」というシリーズを掲載しています。 



第1回目は評論家内橋克人さん。



「社会をむしばむ『格差』を一気に深めたものは、小泉政権が完成させた雇用・労働の解体だ。この政権は『改革』の名において、経済界の悲願であった『雇用・労働の規制緩和』の流れを一気に加速させ、不可逆で決定的なものとした」



「市場が市民社会を支配するのではなく、社会で暮らし、働く人々を守る新たな『共生経済』へ向けてかじを取るほかない」



と言いきります。



 同じ第1回目で、市場万能の考え方を強く批判する米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツさんは、



「米国が日本に迫った規制緩和は、米国企業の成功のためであり、日本のためではなかった」



とまで断言し、



国民は『小さな政府』政策が、自分たちをより不安定にすることに気づき、その流れを止めるしかない



といわれています。



 この春だったでしょうか、NHKラジオで、街行く人に「小さな政府」とはどのような政府か尋ねていましたが、満足に答えられた人はわずかでした。



 ことに昨年の選挙以来「小さな政府」という語はすっかり定着してしまい、お金のかからない良い政府のようなイメージが一般に作られてしまいました。



 政権にある人たちの頭にある「小さな政府」と、庶民が考えている「小さな政府」は、まったく異なるものだったのでしょうね。



 戦費調達のために導入されたという源泉徴収制のもとで有無を云わずに税をとられ、さらには税金の無駄遣い、政・官・財の利権構造を苦々しく思っている庶民は、小さな政府=無駄遣いをしない政府、と思いこんだフシがあります。



 そして小さな政府の音頭をとる側は、その庶民の思いこみを知りながら、それを利用して、騙した。



 劇場型の政治に自らも参加するような錯覚を起こして、トランス状態の中で、国民が自ら首を絞めるような選択をしてしまった。



 そんな選択をしてしまった国民も愚かだけれど、政権与党が悪意を持って、「禁じ手」を使ってしまった、とはいえないのでしょうか。



 今日の第4回目は、元りそな総研会長、国定浩一さんと東大大学院教授神野直彦さんの《税制》に向けた提言でした。



 国定さんは、



「『痛みなくして改革なし』と小泉純一郎首相は言ってきた」が、



「痛みは真ん中から下の人たちが引き受けさせられた」



 と指摘されます。



 神野さんは、



「社会は市場経済と民主主義で成り立っている。市場経済はほうっておいても効率を追求し、格差が生じていく。それを政府が民主主義を通じてどこまで是正していくのかが大切な問題だ



 ところがこの国では、「国民が政府に支えられていると思っていない」ため、「歳出を減らしたら増税に応じる」という、「本来あり得ない考え」が世論調査の結果に出る、



と説明されています。



 歳出削減といっても、庶民は無駄遣いをなくせ、といっているのです。



 そしてこの無駄遣いも、予算を立ててそれを実行する側と一般国民の間で、対象となる内容がまったく違う。その食い違うところで、結果として私たちは足をすくわれてしまうような格好です。



 表面的・総体的な言葉だけで説明もなく、多くの国民がごまかされてしまいました。



 食い違いの自覚がないまま、政権に対して期待まで抱いて、裏切られている。この期待を「幻想」という人もいます。



 私が育ってきた時代は世の中が目に見える形でどんどん豊かになって、社会保障も充実してきました。それがあまりにも当たり前だったため、それが、政治を考えるときにも大前提となっていましたから、まさかその大前提となるはしごが外されるとは考えようもなかったのでしょうか。



 そうしていつの間にか、みんなの期待とは外れた社会に変質してしまった……。



 民主主義というのは、主権者である国民全体が常に試されているのではないかな、まったくもって手間の掛かる制度だ、というのが正直な気持。



 でも、人間が考えた中で一番の政治制度だという思いがありますから、ここで諦めずに、主権者の義務と権利を行使してなんとか努力を重ねていかなくてはね。



 ついでに、複雑怪奇な税制については手を出しかねていましが、よく言われている所得税がどこまで低所得層に厳しく、同時に富裕層に優しくなったのか気になっていたので、財務省の提供する資料を見てみました。



 所得税の税率構造の推移をみると、時代が下るに従って、税率の区分け方がどんどん単純になっていることに気づきます。



 昭和49年には19段階あったものが、平成元年には5段階、そして現在は段階にまで減らされています。



 最低税率はいずれも10%ですが、最高税率は昭和49年の75%から、平成元年は50%、そして現在37%にまで低下しています。



 なお、個人に課される税金にはこの他、道府県民税と市町村民税を合わせた「住民税」があり、こちらの方の最高税率も、18%から15%、13%と低下してきています。



 結局、所得税と住民税合わせた最高税率は、93%から65%50%と低下したわけです。



 さらに今後は、今年度中に行われるらしい「国から地方への本格的な税源移譲」後、4段階の税率が6段階になります。



 所得税率を最低5%、最高40%にして、住民税は現行の5、10、13%の3段階になっているのを一律10%にすることで、



 所得税・住民税合わせて、最高税率を現行の50%に維持する、という方針のようです。



 きめ細かに所得によって税率に差をつけていたものが、こうしてどんどん単純になってきたのは、どのような効果があったのでしょうか。調べるにつれて疑問の膨らむこの頃です。



 


内閣総理大臣の絶対権力

_167_1こんなツツジもあります。



 ゲンダイネットで田中康夫さんが、「名無しの風土から生まれた福井日銀総裁」というタイトルで、主語がなくても語ることのできる日本語の欠点から、「責任の所在が明確ではない日本社会を齎(もたら)したともいえるのではないでしょうか」と指摘されています。



 さらに、「その無責任体質は、閣議の在り方に象徴されています」といわれて、私たちの国では、いかにいい加減に閣議決定がなされているか、伝えています。



 閣議の前日に開催される事務次官会議では、各省庁から提案される新たな施策について、他省庁の次官は反対をしない、という不文律が存在している。つまり、
会議の議題として取り上げられた段階で既に、「合意」され」、

「翌日の閣議は、その大半の時間が花押(かおう)を内閣の構成メンバーである各大臣が記す作業に費やされます」ということです。

 _174_1 



 新たな法案は、閣議以前にすでに決まっている、とは知っていましたが、事務次官会議以前にすでに決まっていたとは! 恥ずかしながら、私は知りませんでした。



「全会一致」とはこのことだったのですね。



 事務次官会議は、互いに認め合い、かばい合いう、仲良しクラブですか。



 閣議決定といえば、最近では防衛庁の省昇格法案がありますが、 防衛庁が案を出して、他省庁は無言のうちに承認し、閣議はそれを 後押しするだけ。庁じゃつまらない、省になりたい、今ならなんとかなる、とばかりに、法案立案なんて、信じたくないけれど。



 要するに、閣議というのは、形さえ整えば、前も後も野となれ山となれ、というわけですね。



 東京大学公共政策大学院(課題解決力や政策立案能力を持った官僚養成を目的に、2004年4月に新設された)教授で、多くの審議会・会議等で委員をされている森田朗先生は、「三権分立のドグマ」を退けてでも、「官僚主導で行われていた政策形成を、本来の担い手であるべき国民の代表である政治家の手に」取りもどそうと言われています。



 先生は、「中央省庁等改革基本法」の制定過程にも関わり、巨大な行政組織を統制するには従来の内閣官房ではとても足りない。これを強化し、さらには「内閣府」を設置しなさい、と提案したおひとりです。



 同基本法は1998年(平成10年)に成立、最終改正案は翌1999年に国会を通っています。



 森田先生は、一貫して、「政」の「官」に対する優位を主張しておられます。



 ともすれば仲良しクラブになりがちな、というよりすでに仲良しクラブになっている事務次官会議と閣議を「改革」し、さらには省庁の縦割り構造を打破するために、内閣に、「究極的には国会で選出された内閣総理大臣」に、「強力な調整権」を与えよう、ともいわれています。



「『強力な調整権』が制度化され、実際に行使されるならば、縦割り行政の弊害が減少する可能性が高いと思われる」というわけです。



 そこで内閣法4条と12条を改正して、内閣総理大臣の発議権と内閣官房の総合調整権を強化した経緯について、前内閣総理大臣補佐官の水野清さんが「中央省庁等改革基本法とは」に書かれておられます。



 こうした内閣官房の権限強化、内閣総理大臣の権能強化によって、果たして縦割り行政の弊害が減少して、国民の声がどれだけ政治に反映するようになったか、一度は検証が必要でしょう。



「官僚主導で行われていた政策形成を、本来の担い手であるべき国民の代表である政治家の手に取りもどそうとするもの」という森田先生の考えは、理念としては頷けるものですが、その政治家がどれだけ国民の代表たる資質を備えているか、また国民も、かつ国民が育て、同時に国民を育てる社会が、民主主義からみたときどれだけ成熟しているか、という大きな問題が横たわっています。



 早くいえば、B層」を《戦略ターゲット》にする政権を擁し、多くの国民が「B層」と嘲られていることも知らずに相も変わらず支持し続けている現状に、こうした理念を持ってきて、果たしてそれが活きるのか、疑問です。



 おまけに、「国会で選出された内閣総理大臣」と森田先生は定義されていますが、実際は、政権与党の総裁が総理大臣の地位に就くということですよね。憲法第67条には、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」となっています。はっきりいえば、「選出」ではなく「指名」ですね。



 小泉首相の鶴の一声で国会延長もできなかったことに象徴されるように、内閣総理大臣が、現在、圧倒的な力を誇示するまでになっています。これは、ど素人の私の感じ方に留まらず、さまざまな識者の指摘するところです。



 植草一秀さんは、議院内閣制のもとで総理大臣にこれだけ権限が集中することに警告を発しています。



内閣総理大臣が権限をフル活用すると三権の頂点に君臨する存在になる。議院内閣制は絶対権力を創出する「ポテンシャリティー」を持つ仕組みなんですね」というわけです。



 そして(この行革以前あるいは小泉以前は)どこかで「自己抑制」が働いて、曲がりなりにも「三権分立」を保ってきたともいわれています。



 森田先生と植草さん、いわれていることが正反対なのです。



 今の政治のあり方を考えると、私は植草さんの方に共鳴します。



 森田先生は、現政権にあまりにもお墨付きを与えすぎたのではないかな、先生ご自身の意思はともかくとして、結果として自己抑制しない内閣総理大臣を是認・後押しすることになったのではないかな、と思っています。



 行政改革の結果の1つとして、鬼に金棒、ではなく、駄々っ子にあめ玉を与えてしまったのかな? と思うことさえあります。泣く子と地頭には勝てぬ、ではなく、泣く子と小泉には勝てぬ、です。



 そこに祝電問題のアベ氏が首相の座に就いたときには、駄々っ子どころか、花咲じいさんのお隣さんに、宝の入ったつづらを明け渡すようなものでしょうか。



(雑談日記さんが駄々っ子にあめ玉とか、欲張りじいさんに宝のつづらとか、どれかのバナーを作ってくれないかしら)



 






世襲デモクラシー

 _153 ヒメヒオウギ。可憐な花ですが、繁殖力旺盛。球根がどんどん太って、どんどん増えます。



 さて、このところアベ晋三官房長官の祝電問題が話題になっていますが、この、故岸信介元首相から3代目の御曹司のみならず、次期首相候補の「麻垣康三」の他の3氏も皆世襲政治家なんですね。





  小選挙区制が導入された1996年の衆院選挙以降も、2000年、2003年の選挙で世襲政治家が増え続け、とうとう2003年には衆議院の全議席480のうち135議席が世襲議員という事態になりました。もちろん圧倒的に多いのは自民党で、小選挙区制がそうした傾向を強めたといわれています。



(ただし、どの範囲までを世襲と捉えるか、人により異なるようです。 親族が同じ選挙区にいるか、もしくは選挙区が一部でも重なる場合、当然そのことが有利に働きますから、それを考慮すると、2003年の総選挙での世襲議員は185人というデータもあります。)



 昨年の総選挙では公募制もとられ世襲が若干減少したようですが、単なるガス抜きのようにも感じられます。やはり地盤と後援会を受け継ぐ世襲議員は断然有利で、2世のみならず、3世もけっこう多く、4世も大分前から出現しています。



 こうなってくると、国会は、貴族院の様相を呈してきているのでは? という懸念が出てきてもおかしくありません。



 既成事実を積み上げていくと、そのうち華族制度復活、なんてことになるのでしょうか?



 卓越した少数のエリートによる政治というものを、私は信用していません。一人ひとりの持つ力などというものは、トータルでみればそれほど差はないと考えています。



 そして何よりも、「絶対権力は絶対的に腐敗する」と思っているからです。



 生まれたときから政治家たるを約束されると同時に要求もされ、親から子へ権力が受け継がれる、いわゆる「世襲デモクラシー」。この血の紐帯による政治家という職業と社会的地位の継承は、日本独自のものなのでしょうか。「家」の存在が大きい、他のアジアの国々の事情はどうなのでしょうか。



 在仏30年の日本人から昨年聞いたところによると、個人主義に徹するフランスでは、まず考えられないということでした。



 私たちの社会では、家を継ぎ、同時に職業を継ぐのは、一種の誇りと共に、それほど抵抗なく受け容れられてきました。幕藩体制の崩壊、第2次世界大戦での敗戦と、その流れが断ち切られる機会はありました。また、高度成長期以降は国民の多くがどんどんサラリーマン化するという波もかぶっています。けれど一部の職業はその波にのまれることもなく、1つの世代から次の世代へと継承されてきました。



 とりわけ世襲が有利に働くのが、地盤・看板・鞄をもつ政治家で、この三バンに裏付けされた利権構造は、まるで後援会という家臣団を抱えた封建領主の城のようです。そして、お家断絶は一大事ですから、中には涙ぐましい努力をされている方々もいらっしゃるでしょうね。



 でも、お家のことのみならず、私たち領民のことも考えてくださる、水戸黄門のごとき奇篤な方もいらっしゃるかもしれません。これが「日本型デモクラシー」というものだと、どこかで刷り込まれているような気がします。



 お家のことしか眼中にない方々の中にあって、これは喜ばしく感謝すべきものだと、有言無言のうちに教え込まれてきたような気がします。



 明治初期にせっかく芽生えてきた民主主義の芽をつまれ、脅され監視されてきた65年間の影は、一党独裁の下、戦後60年経ってもなお、完全には消えていません。



 

ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない

 昨日のNHKスペシャルで、働いても働いても豊かになれない、働く貧困層、ワーキング・プアの問題をが取り上げらていました。



 あいにく私は終わり近くになってから偶然見たのですが、見ているこちらの方が、胸も痛くなって、辛くなります。







 チラッと目にした農家の方の日焼けした顔を見たとき、思わずWTOの農業交渉を思い出して、このままでは悪くなることがあっても良くなることはないのでは? という考えが頭をよぎります。
 



 入院して9年になるアルツハイマーの妻を持つ、紳士服の仕立てを本業にする老人は、町の人口も減って注文もなくなり、かろうじてお直しで細々と仕事を続けています。



 6万の年金は妻の入院代に消え、介護保険料その他の値上がりにはとても耐えられそうにありません。



 生活保護を受給したくとも、100万の貯金があってはできない。妻の葬式費用にと貯めてきた100万だが、取り崩さざるをえないだろう、という話です。



 仕事場の壁には、優秀な仕立て技術を讃える賞状がずらりと掛かっています。私が育ってきた時代は、手に技術があったら食べていける、といわれていました。でも今は、たとえ町に人が戻ってきても、そういう時代ではないのでしょうね。



 長年、真面目にこつこつ、懸命に生きてきた人が、晩年になって食うや食わずの生活を送らざるをえない社会って、いったいなんだろう、と疑問とも怒りともつかない感情がむくむくとわき上がってきます。



 会社をリストラされ、妻にも先立たれ、深夜勤務も含めて1人で3つの職を掛け持ちしながら、やっと子供2人との生活を維持している男性。



 また親から養育拒否や虐待を受けた子供たちが暮らす養護施設の、普通の生活がしたいと願う子供たち。



 なにも特別欲深なことや贅沢なことをいっているわけではない、ごく当たり前の平穏な生活への願いでしょう。



そして最後の若い路上生活者。



 うちの子どもと年齢もほとんど変わりません。親に捨てられたも同然の生活を中高校生の頃から送ってきて、その頃から働き続けてきたようですが、30を過ぎると勤め口もなくなったとか。優しい眼をして、欲もなく、本人はその日の食べ物にありついただけで安心していました。



 人を踏みつけてでも上にはい上がろう、などという欲も持ち合わせていない人たちばかりなのでしょう。むしろ、他人に道を譲ってしまう人たちかもしれません。一様に穏和な、いい顔をしていました。



 そして、働いても働いても、豊かになれない……。



 最後に3人の識者が指摘する問題は、



 人口の10~20%が社会の底辺に沈殿する怖さ一代で終わらない貧困の状態。社会から排除された状態。 



 所得格差が教育の格差になること。公教育の充実の必要性。税金を投入すべきこと。



 トライできない社会は、社会全体の衰退という結果を招くこと。社会の再生産ができないこと。



 などでした。



 キャスターの説明では、各自治体でも、こうした生活苦の実態は把握していないそうです。



 そして、努力が足りないのではない。意欲のない人はひとりもいなかった。子供たちが未来の希望を失うような社会ではいけない、という言葉で番組は終わりました。



 階層分化がいわれて久しい私たちの社会で北九州の餓死については報道されましたが、その他の具体的な姿がなかなか見えてきませんでした。いえ、想像力を使えば、容易にわかることでしょう。でも、想像と実際の姿を目にするのでは、やはり違います。



 いつの間にか、私たちの社会は、ここまできてしまった、という思いに揺すぶられます。



 兵器こそ使わないけれど、これもまた暴力だ、暴力が猛威をふるう社会だ、という思いにとらわれます。



 これからの5年間で、文教科学費も社会保障費も削られていきます。防衛費は、表向きは削減されていますが、内閣官房予算等に含まれているものを勘定に入れていません。



 まさか、この国の指導者たちまで、ライス長官のごとく、「新しい日本の産みの苦しみだ」、なんていうのではないでしょうね。



 こんなのおかしい、こんな社会はおかしい。







イスラエル建国と秘密条約 その1

 今日の毎日新聞では、いつになくイスラエルとレバノンの問題が大きく扱われています。



 また先日の首相のイスラエル訪問で、少なくとも私は、否が応でも中東問題に目を向けざるをえませんでした。



 そんな意味では、あの脳天気ソーリのお陰と、感謝してもいいかな?



 さて中東に関してですが、私の知識は本当に乏しいものです。かろうじて、一応、主要国の地理的位置を知っているだけまし、といったところでしょうか。



 イスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア、よく話題に出るヨルダン川……バルフォア宣言、といった言葉が頭をかすめます。



私の頭の中では、このバルフォア宣言イスラエル建国が結び付いていますが、それ以上の知識はありません。いったい、どうなっているの?









手元にある小学館のニッポニカでは、次のような説明がされていました。



Balfour Declaration
1917年11月2日、イギリス外相バルフォアが、第一次世界大戦に際してユダヤ人の支援を取り付けるため、戦後パレスチナにユダヤ人の国家を建設することに同意した宣言。これはユダヤ系イギリス人の銀行家でシオニスト連盟会長であるロスチャイルド卿にあてた書簡のなかで表明された。しかしこの宣言は、アラブ人に戦後の独立国家建設を約束したフサイン‐マクマホン協定(1915)、イギリス、フランス、ロシアの間で中東のトルコ領分割を取り決めたサイクス‐ピコ協定(1916)のいずれとも矛盾するものであった。同宣言に対しアメリカはただちに、18年にはフランス、イタリアも支持を表明した。



 これについてはこちらに記事に関連記事も含めて詳しく載っています。その記事から引用させていただきます。


         

親愛なるロスチャイルド卿


         

陛下の政府に代わり、ユダヤ人のシオニスト運動に次のような賛意を示す宣言をするとともに、あなたにそれを伝えることに深く欣快の意を表します。また本件は閣議に報告され承認を得ています。


         


下の政府はユダヤの人々のためパレスチナに国民的地区を樹立することを好意的にみなします。そしてその目的の達成のため最大限の努力を払うものとします。

ただパレスチナに住む非ユダヤ系の人々の公民権と宗教的権利を侵害するものではなく、また他の国に居住するユダヤ人が享受している諸権利及び政治的地位を
排斥するものではありません。


         

この宣言をシオニスト連盟に伝えていただければ感謝します。


         

誠意をもって、アーサー・ジェームス・バルフォア

 この決して長くはない手紙が、いわゆるバルフォア宣言というものでした。



 原文は非常に巧みな表現で、解釈の余地を色々と残しているようです。さすが、老練な外交戦術、というものかもしれませんが、その時々の戦争遂行上の理由で、それ以前の様々な約束との整合性も無視して強行されたものです



 当時オスマントルコ帝国は衰退の一途を辿っていたところに、第1次世界大戦ではドイツ側について戦っていました。



 そうした中で、トルコ支配下のアラブ東方地域に関する連合国の取り決めが色々なされるわけです。



 フサイン-マクマホン協定とは、メッカのシャリフ、フサインとエジプト駐在イギリス高等弁務官マクマホンとの間でかわされた5回にわたる往復書簡のなかで、シリアの西部を除いたアラブ人居住のオスマン帝国領に、大戦終了後、独立国家を建設することを支持する約束を与えたものです。



 サイクスーピコ協定とは、イギリス、フランス、ロシア間で、戦後のオスマン・トルコ帝国領の分割を約束したもので、その名称は、主に携わったイギリスとフランスの外交官の名前からとられています。



 そしてこの2つとも、帝国主義国家間で結ばれた秘密条約でした。他にも、覚え書きに対する回答の形で、「アラブ自身の行動によりトルコ支配から開放される地域」を含めてアラブの主権下の完全独立を認めることを明らかにしたものがあります。



 なんだか、勝手に他国の領土に線引きをしてしまうのですから、これだけでもやりきれません。それも、秘密裏にこそっと。



 サイクスーピコ協定での領土分割は以下の図をごらんください。現在のイスラエル領の多くは、この協定でエルサレムを含めて国際管理下に置かれています。ただし、その中でハイファとアッカはイギリスの直轄地です。



       Photo_33
   ちなみにアッカはかの十字軍の根拠地で、要塞がありました。こんなところにも、ヨーロッパとアラブ社会の確執がうかがえますね。



 そしてこの秘密条約から、革命の勃発したロシアは離脱し、その存在と内容は革命政府によって「イズヴェスチア」紙上で暴露されます。



 イギリスでも、17年11月には「マンチェスター-ガーディアン」誌に掲載され、その内容がフサイン側に知らされるだけでなく、アラブ地域全般に広がっていくことになります。



 そして第1次大戦後のイギリスとフランスの勢力は、次の図の通りです。 
         Photo_36         



イギリス、フランスという帝国主義勢力の、アラブ・イスラエル双方への見事なまでの裏切りがわかりますね。



 そしてシオニズム運動というものは、始まったときから、こうした大国の権力支配の道具として使われて、イギリス・フランスがアメリカに取って代わられただけでその構図はちっとも変わらないのではないか? という疑問が湧いてきます。



 おしりもアメリカ、ライス国務長官の、新しい中東の「産みの苦しみ」発言がありました。



 ここまで冷徹に計算できる人間って、ある意味「怪物」というよりも、「妖怪」どころか、それこそ「悪の帝国」。もしかしたら、手持ちの武器がなくなるまでこの戦闘を止めさせる気はないのでしょうか。



 (第1次大戦後のアラブ民族運動については、明日に書きます。今日はここまで)。



 



 





トランス状態とパフォーマンス

Dscn2360_2  カサブランカが咲きました。
 Photo_32          あの細い茎に7つも8つも大きな花をつけるのは驚くばかりです。


 今年はあじさいに押しやられて陰になっていたところでは、つぼみがかなり虫に食われてしまいました。


 それでもこれだけ咲いてくれました。


 朝、何気なく新聞をめくると、王理恵さんの写真が大きく載り、「中高で運動部入部を『必須』に」の見出しが見えます。


 大体、水泳以外のスポーツにはたいして関心もないので、ソフトバンクホークスの王監督のお嬢さんがどんな方かもまったく知りませんでした。


 その方が、きれいな笑顔で、


「これからの教育現場では、中学高校にまでは運動に打ちこむ時間を必ずつくってほしいと思います。得手、不得手はあるだろうが、運動部入部は『必須』にしてほしいのです。人間形成をする上でスポーツはものすごく大事な要素です。私自身もスポーツで『努力、協力』を学びました」


といわれています。


 そんなこと、困るなあ、と私は思わず呟いてしまいました。


 何しろ、いわゆる「体育会系」のもろもろが、私は大の苦手なのです。それで、体育の授業というより、体育の教師が苦手でした。


「スポーツマンシップ」という神話も、私は信じておりません。


「根性」神話も面食らうばかり。


 子供会のスポーツ大会で親御さん達が我が子を応援する光景はそれなりにほほえましいのですが、それも度が過ぎて違和感を覚えることが多々ありました。


 先輩に絶対服従のあの感覚が、とにかく嫌でした。


 そういえば、高校生の時、地元が国体開催県になったために、行進練習をよくさせられました。1学年下は、マスゲームの練習です。


 その行進ですが、クラス毎に整列して一糸乱れぬ足運びを練習させられるわけですが、今でも覚えているのが、ハイルヒトラーよろしく、主賓席に向かって一斉に右手を斜め上方に伸ばすように指導されたことです。


 まさか今はそんなことはしていないと思いますが、とんと国体にも興味がないため、実際はどうなのか知りません。


 踊る宗教、などというのがありまして、教祖が信者でない人のことを「ウジ虫ども」と呼ぶことなどが、その昔話題になりました。ちなみに、教団本部は、岸信介や佐藤栄作氏の故郷、山口県田布施に今でもあるようです。


 踊りと宗教は密接な繋がりがありますよね。


 一斉に大勢が体を動かすうちにトランス状態に陥るのは、脳内麻薬物質のせいなのでしょうか?


 とにかく、根性でしごきに耐えられるのも、その物質、エンドルフィンのお陰なのかな、などと考えていますが、詳しいことは知りません。


 もしかしたら、昨夏の衆院選挙以来、小泉自民の仕掛けた劇場に多くの人がはまって、トランス状態がずっと続いているのだろうか、などど、妄想しております。あれからそろそろ1年が経ち、トランス状態も徐々に解けていっているようですが、当の張本人、小泉首相は相も変わらぬパフォーマンスで、一向に覚める気配はないようです。


       キッパーをかぶっていったいなんのつもりだバナー         


 このバナーは雑談日記さんから無断でお借りしてきましたが、数日前にこれを見たときは驚きました。サミットに行くついでとはいえ、わざわざイスラエルに行って、こんなことまでしてきていたんですね。


 イスラエルが空爆続行中のレバノンについても、どれだけ理解をしていったのでしょうか。


 緊張緩和を目指して訪問したと首相はいっているようですが、イラン系ラジオ日本語版では次のような解説をしていました。


「地域の世論は、小泉首相が他の国と同様、占領政権の非人道的な行為を非難してくれることを期待しています。しかしながら、日本は、依然として中東情勢に対する明確な姿勢を取っていません。評論家は、小泉首 相がパレスチナ人の民主政府の高官と会談しないことは、和平を確立する上での日本の外交能力に疑問が残るとしています。さらに、専門家の多くが、北朝鮮の ミサイル実験、及び朝鮮半島の危機に関連し、北朝鮮に先制攻撃を行うとした政府の無責任な発言は、国際問題の解決における日本の外交の未熟さを表している としています。そして、北朝鮮問題の対応における日本の政治的手腕の欠如が、パレスチナ問題における日本政府の仲介的な役割を疑問視させ、同政府をアメリ カの追従者のレベルに下げている、としています」


 少なくとも世界の一角では、こうした日本外交に疑問を呈している声があることを、首相本人は承知しているのでしょうか。そして多分、こうした見方はここだけではないんですよね。


 浅井久仁臣さんのブログを読むと、不可解なレバノン問題も、少しは理解の糸口を見つけられそうです。


 それにしても、単なるパフォーマンスで嘆きの壁を訪れて祈るのは、ユダヤ教に対する冒涜ではないでしょうか。


 


 

信頼される?政治家安倍晋三さん

Dscn2356  なんでもサミットでは、首相が自分を沈みゆく太陽になぞらえたそうですね。                                                Dscn2357_2      どこまでも自己陶酔に浸る人なんですねえ。  


  自民党バーチャル総裁選などというサイトがあり、興味半分で覗いてみると、 安倍晋三、石原伸晃、河野太郎、塩崎恭久 高市早苗の5氏が顔を揃えていました。


2010年の「自民党総裁」を「有権者」の投票によって選出するもの、というふれ込みです。


 日本のサッチャーになれる逸材、と高市氏が推薦人から持ち上げられていたのは何か悪い冗談かな、などと思っていると、さらにすごいものがありました。   


信頼される政治家:安倍晋三さんを推薦します


            衆議院議員 石破 茂  


安倍さんは安全保障と社会保障の2つの保障をきちんと確立したいという思いで、今回立候補されました。日本は戦後ここまで来ましたけれど、必ず限界がきます。政治とは国民の喜ぶことを明示するだけでなく、辛くて、苦しくて、しかし国にとって必要なことを国民にお願いするのが、本当の仕事だと思っています。 そのためには政策立案能力、そしてまた「この人が言うことなら間違いない」、「この人ならば私利私欲なく、最も国のためを考えてやっているんだ」と有権者 の方に思って頂くことが何よりも大事だと思っています。安倍さんの政策についての明るさ、そして彼の私利私欲のない真摯な姿勢はまた多く方がご存じのこと です。彼の周りには大勢のいろんな人が集まります。そういう人望のある、そして人々に信頼を与える安倍晋三さんにこれからの日本を託したい、安全保障と社会保障を確立した21世紀の日本、そうあってほしいと願って推薦しました。(引用ここまで)


 これはとても冗談ではない、と思わず顔が引きつってしまった私。


 ちなみに、このバーチャル総裁選挙STAFFは、山本一太、世耕弘成の両氏。


 


ワールドカップも終ったし、今度はこいつを思い切り蹴りこめバナー


安倍→ヒットラー→安倍変身バナー


 この2つのバナーは、雑談日記さんからお借りしてきました。

たまには音楽のことでも

Dscn2387 知り合いのピアニストご夫妻の来日デュオコンサートで、今日は一日中外出しておりました。



Dscn2384
 演奏中は写真を控えたので、いいものがなくちょっと残念ですが、こじんまりした楽しいコンサートでした。



 ご主人はフランス人、奥さまが日本人です。



 ご主人は国立ボルドー音楽院Conservatoire National de Region de Bordearxで教鞭もとられていて、公開レッスンもされました。



Dscn2382
 シューベルトはいつの時代の人かな? に始まって、楽曲の理解には、背景となる時代の理解が必要だとお話しされました。



 キーワードは「革命」、「自由」。



 近代ヨーロッパの文化を語る上では、この2つは欠かせないようです。



 そういえばフランスでは、小学生の時から、音楽の時間には各音楽院に行って、好きな楽器の指導を直接専門家からうけるシステムになっています。



 その上、大学まで授業料は無料です。いいですねえ。



 ところで、連弾用のピアノ曲はあまり多くはありません。



 その昔、かのリストが連弾用にアレンジしてヨーロッパ各地を回ったおかげで、あのベートーベンの9つの交響曲が一気に知られるようになった、というのはさる作曲家のお話でした。



 そして連弾は、作曲家たちの秘められた恋の成果か、愛する女性と、せめて腕でもからませたいと望んだか、巧みに2つの腕を交差させるように作られている箇所があるのだか。



 久しぶりに、音楽に身を浸らせたひとときでした。



 コンサートの後はささやかなパーティ。



 ワインを片手に、



Dscn2370


 カナッペは、



Dscn2367
 クリームチーズを上手に使っていました。



Dscn2363

 世界各地から取り寄せたフルーツがふんだんのケーキをご賞味ください。



Dscn2375

故石井紘基さんの残したもの

_222  おいしそうでしょう?!
 梅の酵母でこねたパン種に大納言小豆の餡を詰めたあんパンです。上にのっているのはご近所でいただいた八重桜の花を塩漬けにしたもの。


 問題は、パンと一緒に焼いてしまった桜の花の塩漬けです。塩味が餡の甘みとマッチして、それはそれでいいのですが、香りもなくなってしまったし、見た目も悪い。次はこれを解決したいと思っていますが、今のところ妙案がありません。


 おいしい! といえば、このあんパンとは比べようもないほどの美味しい利権が政界にはごろごろしているらしい。


 前回のエントリーのコメントで、luxemburgさんが財投債に関して、「このもんだいは石井こうきさんがずっと警告していたのに、暗殺されたと言うことは本当においしい利権なのでしょうね」と書かれていました。


 そういえば、そんな話しがありましたね。


 試しに検索してみると、2002年11月の『週刊朝日』の記事が目に留まります。


 1部引用してみます。


「“爆弾発言”で政財界を震撼させた男、民主党の石井紘基代議士。オウムや統一教会、暴力団、ムネオ……アブない相手に真っ向から立ち向かった急先鋒が、テロの刃に倒れた


「石井氏と親しくしていた紀藤正樹弁護士も、悔しそうにこう話した。


『石井さんは一般市民の目でずっと政治を続けてきた稀有な政治家。彼は国会で質問することが国会議員の使命だと考えていた。彼に追求されて困る人は世の中にたくさんいる。利権に巣くっている人たちにとってみれば、彼がいなくなったことは大きなメリットです。
彼の死で日本の構造改革は遅れてしまうかもしれません』」
                          (引用終わり)


 なんだか、一市民の私には訳の分からないことが多すぎます。


 今でも石井紘基さんのHPが残っていて、「日本が自滅する日」と題して「構造改革のための25のプログラム」が載っています。以下に引用してみます。 



【官企業の全廃がもたらす経済の覚醒】


プログラム一


既得権益と闘う国民政権をつくる


プログラム二


すべての特殊法人廃止を急ぐ


プログラム三


高速道の建設を凍結する


プログラム四


本道路公団の借金は20年で償却する


プログラム五


公団のファミリー企業から資産を回収する


プログラム六


都市基盤整備公団などは、民営化でなく解体する


プログラム七


住宅ローン証券化で公庫を保証機関にする


プログラム八


政府系の公益法人と認可法人を即時廃止する


プログラム九


地方公社と第三セクターを清算・整理する


プログラム十


真の公益法人を支える税制をつくる


プログラム十一


200万人が失職するが600万人の職が生まれる


 


【権力の市場からの退却】


プログラム十二


特別会計、財投、補助金を原則廃止する


プログラム十三


「開発」「整備」「事業」法を撤廃する


プログラム十四


公共事業長期計画を廃止する


プログラム十五


新しい民間の公共事業勃興策を打ち出す


プログラム十六


゛政治農業"をやめ、産む農業をとりもどす


プログラム十七


 徹底した地方分権を断行する


  国家予算の半減】


プログラム十八


5年で予算規模を二分の一に縮小する


プログラム十九


国債の新規発行をゼロにする


プログラム二〇


中高年100万人のボランタリー公務員制度」をつくる


プログラム二一


20兆円を社会保障10兆円を環境保全に追加する


プログラム二二


 大規模減税を実現する


【品格ある「公務」の復活】


プログラム二三


「公務分限法」を制定する


プログラム二四


行政監視を徹底し、会計検査院を強化する


プログラム二五


天下り禁止法を急いで定める



  以上です。


 政治そのものも政治家も矮小化されて、改革の名の下に利権漁りが進行し、政治不信の怒りが渦巻きながらも一向に改善されない、そんな「改革」。

 石井紘基さんが残したこの25のプログラムが、まぶしく思えます。

 


構造改革のための25のプログラム

「骨粗しょう症の方針2006」と、貞子ちゃんが断言してました

Photo_30 ブリューゲルの描いた寓話の絵はピンとこないものも多いのですが、この絵は分かりやすいですね。私たちがいう「豚に真珠」は、「豚に薔薇」というのでしょうか。



 さて、久しぶりに、「貞子ちゃんの連れ連れ日記」を読んでみました。もう、半年ぶりになるでしょうか。



 セミプロ級の金融アナリスト「貞子ちゃん」がいろいろこの国の金融事情を解説してくれるのですが、この「豚に薔薇」か、私には「訳わかめー」で、ずっとご無沙汰しておりました。

 「『骨太』もとい『骨粗しょう症の方針2006』」のタイトルに惹かれて読んでみると、



  2011年度には国と地方で基礎的財政収支(プライマリーバランス)を確実に黒字化するために最大14兆3000億円の歳出削減も盛り込んだ「骨太の方針2006」について、



  向こう5年間で 一般会計だけで わずか14兆3,000億円の歳出削減だと???




2011年でプライマリー・バランスが黒字化するのは 特別会計を含んでいない。

『骨太の方針2006』つまり財投債・財投機関債・政府保証債などの国債発行は【勘定】に入れていない。




一般会計だけプライマリーバランスの黒字化を達成しても 何の意味があるのだろうか。



日本政府は 本気でこの国にキャピタルフライトを巻き起こして インフレによって日本の国富と国家債務の両方を半減させるつもりでいるとしか思えない。


 と貞子ちゃんが息巻いていました。



「わずか14兆3,000億円の歳出削減だと???」という言葉に度肝を抜かれている私にたたみかけるように、借金は減るけれど、日本は貧乏になるんだ、と言っているようです。



 (歳出を)削れるだけ削って、(国民が)泣きを見るのを待て、というような首相の言葉に腹を立て、14兆の歳出削減にも怒っていたのに、14兆も「わずか」なんですか? 一気に心配が風船のように膨らみ始めました。



 なんでも、貞子ちゃんが引き合いに出したイタリアの行財政改革はすさまじいらしいのです。



「イタリア政府は 93年度予算において 93兆リラ(日本円にして約33兆円!!!)もの財政赤字削減を打ち出し

「1980年代から1990年初頭まで『世界の財政赤字の一番の落第生』だったイタリアで 1992年から1997年の5年間に及ぶ財政破綻の処理法は 遍
く(あまねく)あらゆる階層に 遍く(あまねく)あらゆる社会保障費に 大変厳しいメスを入れました。今の日本にとっては大変参考になると思います」。

 ということでした。

 ひえー……
「生活費にはまるっきり困ってない」、「ハッピーリタイア中」の貞子ちゃん、羨ましい限りです。



 おまけに「投資初心者が手を出すにはリスクが高すぎる金融商品」を一切扱わず、「愚直なまでに堅実&誠実なネット証券です」といって、某ネット証券を推薦していました。



 その昔、親から貰った小遣いで夫に株を買ってもらいましたが、株価の上がり下がりに一喜一憂する自分に耐えられずにさっさと株式市場から退場した私には、まったく「豚に薔薇」のご推薦でした。



桃源郷ではないけれど、とても示唆的

いよいよ酷政が牙をむき出しにしてきましたね。  08年度から、生活保護者も窓口で「1割負担」することが厚生労働省で検討を始めたようです。
  なんだかんだいいながら、いつの間にか軍事費は5兆8039億円という、世界屈指の額を記録し、どうも密かに増額傾向にあるようです。

 06年度の生活保護費は2兆6888億円で、そのうちの1兆3940億円が医療扶助に充てられているということです。
  政府方針は2011年までに国費ベースで社会保障費を1.1兆円削減することが目標ですが、これも失政のツケでしょうか。

  そうそう、昨日の講演に先立ち、受付で貰ったパンフレットから、日本ではほとんど知られていない、コスタリカの歴史を見てみます。

  1540年、スペインの県とされて、42年にグアテマラ総督府に編入される。
 1822年:独立
  1848年:共和国になる
  1871年:死刑廃止(なんと、日本の明治4年のこと!)
  1886年:国費による普通教育開始(日本より60年前)
 1889年:中米で初めて、完全自由な民主選挙を実施
 1913年:直接選挙で大統領を選出することに
 1917年:ディノコ将軍が軍事クーデターで政権を樹立。1年後に崩壊。
  1921年:米国の支援を受けて軍隊を持たないパナマコト地方を侵略
 1948年:大統領選挙でニカラグアに対して平和的・対話外交を主張するウラテ候補が勝利。これに対してカルデロン派が議会を巻き込み選挙の無効の決議を強行。
  ホセ・フィゲーレス等が武装蜂起して「市民の的を倒せ」と戦って勝利。
 12月に第2次共和制発足。この時、常備軍全廃の有名な演説が為される。 「今日限りでコスタリカは常備軍を全廃する。軍隊はしばしば独立体制によって国民を力ずくで抑圧してきたが、われわれは民主的な話し合いの道を選ぶ。従って政権維持のための武器はもう要らない。不要なものは今日限りとする」。

 さあ、こう見てきますと、夢の桃源郷コスタリカ、となりそうですね。  ただ、そうしたコスタリカの美化・神話化に対して、いくつか批判もあるようです。 http://72.14.235.104/search?q=cache:hpemfhSsD70J:www1.ocn.ne.jp/~mourima/sindou.html+%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%80%80%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B9&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=20&lr=lang_ja&client=firefox http://www.japancostarica.com/ozawa/050125.htm  等々をご参照ください。
 なるほど、鵜呑みにはできないということですね。
 ただし、憲法で常備軍の廃止を謳うのみでなく、死刑制度廃止や大学までの教育の無償化といったことを法制化していることなど、私たちが学ぶ点は多いのだと思います。  死刑制度廃止も大学までの教育の無償化も、法制化している国はコスタリカだけではありませんが、私たちの国ではそのどちらも実現されていません。
  始めに改憲ありきで憲法の理想を語ろうとする試みを否定するのではなく、やはり理想に向かって努力をしたいと思います。
 教育で子供たちが自分の心のうちを表現して他者に伝えることを学ぶのは、本当に大切だと思います。追いつめられた子どもの反社会的な行動でやっと子どもの心の一端を知ることになるんて、やはりおかしい。
 読み書きそろばんはたしかに教育の基礎の基礎で、それができるのは当たり前。民主主義という制度は、主権者である国民がそれ以上の力を蓄えて、不断に努力することが求められているのだと思います。

軍隊を捨てたコスタリカ

 コスタリカ国際法律大学教授カルロス・バルガスさんの講演を聴いてきました。


 以下はその内容です。


 コスタリカと日本は兄弟の国です。日本は憲法9条で、コスタリカは同12条で、軍隊を禁止しています。


 (この軍隊を否定した)自分たちの経験を伝えるのは、コスタリカ人の義務だと思います。


 コスタリカ共和国は中央アメリカの、(ニカラグア共和国、パナマ共和国に挟まれた)面積5万K㎡、人口400万の小さな国です。


 1948年になぜ軍隊を廃止したのかというと、軍隊があると戦争をし、平和が脅かされると考えたからです。


 コスタリカは、1822年のスペインからの独立時以来、かなりの金額を教育に投資してきました。


 子供たちの教育を通じて、平和・人権を学んできました。


 1871年には死刑を廃止し、1886年には義務教育が無償になりました。


 教育のおかげで効果的な法体制が作られてきました。


 その結果、1907年には、中米で初の国際法廷ができました。


 1948年の米州機構を作るのを推進してきたのがコスタリカです。


 労働法も整備され、労働者に良い条件を提供しています。


 コスタリカが平和・平穏であるためには、隣の国々も平和・平穏である必要があると考えました。


 1987年に中米和平に調印。グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラスに平和が訪れました。


 1822年の独立以来、人権を守るとはどういうことなのか、コスタリア人は理解してきました。


 中央人権裁判所ができたのもコスタリカで、全アメリカを管轄し、ラテン・アメリカ地域で起こる人権侵害を解決しています。


 今では、小・中学校のみならず、大学まで無償で進学できます。


 病院に行くのも入るのも無償で、これは在住外国人にも適用されます。


 もめ事を解決するのは、話し合い・和解です。


 紛争解決に大事なものは、寛容であることを、コスタリカ人は知ってきました。


 侵略されそうになったこともありましたが、すべて、交渉を通じて解決してきました。


 1980年代に、基地を作ってニカラグアに侵攻できないか、という米国からの圧力もありましたが、コスタリカはこれを拒否しました。


 コスタリカは、非武装・平和であることから、アメリカが尊重してくれたのです。


 小さな国ですが、米国とは対等です。軍隊がないおかげです。


 米国は、コスタリカに、軍事基地を作れとも迫らないし、憲法を変えろとも迫りません。


 コスタリカの対外政策は、国連を介してですが、全世界レベルです。


 環境を守り、平和を保持し、民主主義を進め、対話を通して紛争を解決していきます。


 コスタリカの子どもは、小学校1年で、平和とは何だ民主主義とは何だ、ということ、人権を守ること、環境を保護すること、武器を持たないことを学びます。


 歴史をとても大事にして教えます。良いことも悪いことも、すべて教えます。


 良いことであれ悪いことであれ、現在にいかに対処するか、そして将来、進む道を考える手だてが歴史です。


 7、8歳の子どもの教科書には、すでに、民主主義と平和を守ることは、自由を愛することで、平和な国は、そうした国を望むすべてのコスタリカ人の努力の結果です、と書かれています。


 平和は理想ですが、その理想を達成するためには、個人が一人ひとりの平和を確立することが大事です。


 そこから社会の安定が生じ、国民は道徳と豊かさを享受できるのです。


 そうしたことが、すでに7、8歳の子どもに教えられています。


 何よりも大事なことは、


 子どもに自分の心の中を表現することを教えていること。


 自分の考え、知っていることを伝え、政治に参加することを教えていることです。


 4年ごとの大統領選挙には、子供たちも参加します。


 小学1年でも政治に参加するとはどのようにすることか、知るようになりますし、平和と民主主義を学びます。


 武装していない国の市民であることの誇りを手にして、国歌を歌うことも、国旗を揚げることも、誇りに思います。


 人口はたった400万、面積もたった5万K㎡の小さな国で、貿易も、そのほとんどを米国に頼っています。


 軍隊を捨てた国にもう一度軍隊を置く圧力がかかったときもありましたが、もう1回軍隊を持とうということにはなりませんでした。


 また、民主主義が選挙だけではなく、たくさんの要素と結び付いていることを学んできました。


 寛容な心を持つということは、すべて民主主義に結び付いていると私たちは理解しています。


 こんな小さな国にできることが、なぜ日本でできないのでしょう。


 隣国との間に危機的状況があるのは知っていますが、北朝鮮の仕掛けた罠に陥ると、北朝鮮の侵略・軍隊強化の口実を与えることになります。


 軍隊を持たないと、どんな小さな国でも、世界最大の国よりも強いことを、日本の人たちに伝えたいと思います。


 紛争は話し合いで解決する方が実りあります。


 日本は勇気とエネルギーのある国民だと思っています。2度の原爆から蘇り、経済力を高めたのですから。


 アジアの中で、人権の擁護、非武装を進めていってほしい。


 日本の教育システムを変える必要があると思っています。そうした変革を小・中学校でやれば、世界で起こっていることを知ることができ、自分たちの進む道を決めることができます。


 沖縄に行って、ひめゆり平和記念館で、戦前・戦中の教育での子どもの思いこみ、決して降伏せずに、国のために喜んで死ね、という考え方があったことを知りました。16歳の子どもがガマに潜み、「怖れることなく陽の光の下をもう一度歩きたい」といってました。


 こういう風に強いられた教育は、本当のことを教えない教育でした。


 コスタリカは子供たちに事実を教え、自分の考えを自由に表現させます。


 コスタリカと日本は協力し合い、平和・人権・民主主義・環境を守り、対話を共に学んでいきたい。


 9条の維持がとても必要です。


 以上のようなお話でした。沖縄の話しをされるときには、亡くなった幼いきょうだいをおぶって、直立不動でじっと前を見る、よく知られた写真をスクリーンに映していました。


 ふー。今日はここまで。列車とバスを乗り継いでいってきたので、疲れてしまいました。

ヤクザ政権、ヤクザ国家

 前回の記事に載せたNew York Yimesの論説のタイトルの訳、「ベルベットのプレスリー外交」という言葉はおかしいなあ、と思っていたところ、思い出したのが、チェコの「ビロード革命」です。


 民主化要求が流血の事態に至らずにスムーズに旧体制の崩壊をみたチェコのvelvet revolutionがビロード革命と訳されて一般化しているわけですから、ここはビロード外交とでもいうところでしょうか。(ただしこの語で検索してもヒットは0でした)。


 プレスリーを利用してビロード外交を演じた日米の大根役者ふたり。勝手に自分のものをいじりまくられたプレスリーは、今頃きっと、向こうの世界でお怒りでは。


 運は良くても、ご乱交ご乱行に品位のかけらも持ち合わせていない首相と、運悪く、統一協会イベントへの祝電が露見したうえに、「内閣官房長官」の肩書きで「私人として」の祝電を送ったという、国語の論理を無視した苦し紛れのいい訳をやったアベ氏。


 このコンビに引きずられてきた私たちは、これからどこへ行こうとしているのでしょう。


 誰が言い始めたのか、「ヤクザ政権」に「ヤクザ国家」。


 今、この言葉を噛みしめています。


 


ワールドカップも終ったし、今度はこいつを思い切り蹴りこめバナー

食の不安から

Dscn2342_1 発酵したトマト。
 これからパン作りのための天然酵母をとります。
 Dscn2343_1          
 暑くなって、いろいろな食材から酵母が取れるのがおもしろいところ。


 さて、私がパン作りを覚えたのは、上の子どもが幼稚園に通うころのこと。そのころはまだイースト菌を使っていました。


 高度成長も一段落した時代、様々な公害問題がクローズアップされました。水俣病や四日市ゼンソクはかなり前から問題になっていましたが、イタイイタイ病、新潟水俣病等々が発見され、にわかに注目され始めていましたし、東急東横線で渡る多摩川は、家庭排水等で泡立っていました。有吉佐和子さんの『複合汚染』が話題になったのは70年代初めの頃でしょうか。


 団地には子供たちの声が充満していましたが、小さな子どもを二人抱えた私は、何を食べさせればいいのか、途方にくれていました。とにかく手作りしようと思っても、原料自体が農薬で汚染されているわけですから、せめて手作りしてと、不安に駆られる自分をなだめ抑えるように、せっせと食事を作っていました。


 子供たちがとっくの昔に巣立っていった今は、酵母作りを楽しみながら、国産小麦を使って、いろいろ試してみるのがちょっとした息抜きのようなものです。


 食物に対する不安を抱えて、懸命に子育てに励んだときから、もう30年になります。


 あれから世の中は少しは良くなったでしょうか?


 いえいえ、不安の様相がガラリと変わって、当時よりもっともっと生きがたくなってきたのが現実ではないでしょうか。


 食に対する不安は、遺伝子組み換え、そしてBSEと、質そのものが一変してしまった気がします。


 口に入る植物も、受粉等を通して品種改良するあたりまでは私たちにも理解可能でしたが、それが遺伝子の問題になってしまったら、もう闇の中。


 そしてBSE問題では、PCBその他で問題になっていた人体の許容量云々などという数値は、どうも無意味になってしまったようです。


 そこへ来て今度は、政治問題でも不安を煽られる私たち。それも、政府自ら煽っているのですから、いったいどうなっているんでしょう。


 私が育った時代は、戦争を経験した親の世代がまだ現役で、有言であれ無言であれ、さまざまなサインを送ってくれていました。


 戦争の悲惨さを語るのはもちろんのこと、戦争にまつわる愚かしい思い出でさえ、反面教師として受けとめて、自分の糧にすることができました。


 そうした世代がどんどん鬼籍に入っていくのと平行するかのように、戦争を忌避する感覚が失われていった気がします。




 

ずらーっと世襲議員

 ポスト小泉レースと巷で騒がれる4氏の資産が昨日のアサヒコムに載っていましたがすごいですね。


 4人の資産報告書などをもとに、不動産や株式の実勢価値を算出したものということですが、麻生氏が約23億6000万円で最も多く、谷垣氏約2億5000万円、福田氏約1億8000万円、安倍氏約1億7000万円。 


 政治資金は、麻生氏約3億1400万円▽安倍氏約2億1100万円▽福田氏約1億800万円▽谷垣氏約7600万円。


 その他、目につくものでは、麻生氏の配当収入540万、安倍氏のテレビ出演料560万。谷垣氏の「厚生年金」の記載には、つい同情もしたくなるというものです。


 表に出てきたものがこれですから、実際は? などと考えてしまいますが。


 この潤沢な資産は、閣僚や首相を経験した祖父や父親から譲られたものだと伝えられていますが、閣僚や首相を経験すると、そんなに財産を残すものなのでしょうか。


 私の子ども時代でも、「政治家井戸塀説」は、とっくの昔に遺物になっていましたが。


 そこで、気になる世襲政治家で、現職の国会議員の方々を調べてみました。


 (世襲といっても、どの繋がりまでを考えるかで世代数が異なってくるようです。一応、親族と選挙区が同じか一部重なれば、当然その利益を受けることから、「世襲」の意味を広くとっています)


【4世議員の方々】


自民:小坂憲次(文部科学大臣 統一教会イベント祝電事件にも登場) 鳩山邦夫 船田元(統一教会イベント祝電事件にも登場) 古屋圭司 武藤容治 林芳正 


民主:鳩山由紀夫 下条みつ(統一教会イベント祝電事件にも登場) 


【3世議員の方々】


自民:麻生太郎 安倍晋三(統一教会イベント祝電事件の主役) 伊藤公介(耐震偽装問題で名を馳せた) 池坊保子 小渕優子 逢沢一郎 愛知治郎 越智隆雄 川崎二郎 岸信夫 岸田文雄 木村太郎 小泉純一郎 河野太郎 後藤田正純 佐藤勉 中山泰秀 葉梨康弘 平井卓也 二田孝治 堀内光雄 三ツ林隆志 宮澤洋一 森英介 金子恭之 世耕弘成(チーム世耕で有名な方) 林義郎 七条明 根本匠 村上誠一郎 山口泰明


民主:大石正光(参) 小宮山泰子(統一教会イベント祝電事件にも登場) 羽田雄一郎 松野頼久 松本龍 玄葉光一郎 近藤洋介


【2世議員の方々】


自民:甘利明 石破茂 石原伸晃 石原宏高 伊藤信太郎 稲葉大和 伊吹文明  岩屋毅 臼井日出男 宇野治 江崎鉄磨(統一教会イベント祝電事件にも登場) 江崎洋一郎(佐藤ゆかり氏とのデートを報じられた) 遠藤武彦 遠藤利明 大島理森 大野功統(統一教会イベント祝電事件にも登場) 大野つや子(参) 奥野信亮 小此木八郎(統一教会イベント祝電事件にも登場) 小里泰弘 赤城徳彦 赤沢亮正 赤松広隆 鎌田忠兵衛 梶山弘志 加藤勝信 加藤紘一 金子一義 亀井善之 亀岡偉民 狩野安  北川知克 木村義男(統一教会イベント祝電事件にも登場) 河野洋平(2005年8月8日まで衆議院議長のため党籍離脱) 河村建夫 坂本剛二 高村正彦 河本三郎 小平忠正 近藤基彦 斉藤斗志二 笹川堯 佐田玄一郎 塩崎恭久 塩谷立 島村宜伸 鈴木俊一 関谷勝嗣 園田博之 高木毅(統一教会イベント祝電事件にも登場) 高鳥修一(統一教会イベント祝電事件にも登場) 下亘 棚橋泰文 谷公一 谷垣禎一 田中直紀(統一教会イベント祝電事件にも登場) 田村憲久 津島雄二 中馬弘毅 土屋品子 寺田稔 戸井田徹 渡海紀三朗  中川昭一 中川秀直(統一教会イベント祝電事件にも登場) 中谷元  中村喜四郎 中山太郎(衆議院憲法調査特別委員会委員長) 永岡桂子 長勢甚遠(統一教会イベント祝電事件にも登場) 中野清 二階俊博 西野あきら 西銘恒三郎 西村康稔 丹羽秀樹(統一教会イベント祝電事件にも登場) 丹羽雄哉 野田毅 橋本岳 浜田靖一 林幹雄 原田義昭 原田令嗣 福田康夫 藤野真紀子 藤本孝雄 細田博之 保利耕輔 町村信孝 松浪健太 松本純 水野賢一 御法川信英 三原朝彦 宮下一郎 村上誠一郎 村田吉隆 森喜朗 森山真弓 柳本卓治 保岡興治(統一教会イベント祝電事件にも登場) 山口俊一 山下英利(参) 山本明彦 山本一太(参) 山本公一  渡辺喜美


公明:北川一雄  


民主:安住淳 泉健太 大島敦 大畠家章宏 岡田克也 小沢一郎 奥田建 川端達夫 黄川田徹  田名部代 寺田学 中井 羽田牧(統一教会イベント祝電事件にも登場) 松野剛明 横路孝弘 渡辺周 渡部恒三


国民新党綿貫民輔 亀井郁夫  井久興


公明:西博義


共産:志位和夫


自由連合:徳田毅


無所属:江藤拓 田中真紀子 西村真悟 野田聖子 保利耕輔 武田良太 平沼赳夫 


 フー、多いですねー。時間の許す方がいらっしゃいましたら、数えてみたらいかがでしょうか。


E0049842_2081566_1E0049842_19463714_1  なお、統一協会祝電事件に登場する名は、もちろんここにあげられた方々だけではないことも、つけ加えておきます。  


  

テポドンより怖い純潔キャンディ

 ユルマズ・ギュネイ監督の『』という映画をご存じでしょうか。


 軍事政権下のトルコで、監督が獄中から指揮して製作したという、1982年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得した作品です。


 滅多に映画を見ない私が、衝撃を受けた作品のひとつです。


 物語は、マルマラ海に浮かぶ監獄の島を、5人の男が、たった5日の間だけ仮出所するところから始まります。


 私の胸に今も焼き付いているのは、この5人の男たちよりも、ふたりの妻の姿です。


 「お前の兄を死なせたのは私に責任がある」と妻に真実を告白した男は、復讐を怖れて、妻子を連れて列車で逃げます。このとき、 身体を求め合うふたりはトイレに隠れるのですが、これを、他の乗客たちは見逃しませんでした。この時の衆人の目の怖さ


 その結果、列車という公共の場できわめて私的なことを試みようとしたふたりは、乗客たちから袋だたきに遭います。


 ふたりの行為が当時のトルコ社会の慣習に反したものか、それとも法に抵触するものだったのか、またその情況が現在も変わっていないのか、私にはまったくわかりません。しかしもうひとつのエピソードを見ることで、この社会の不条理が私たちの眼前に提示されて、愕然とさえします。


 夫が入獄中、生活に困った妻は売春をし、それを知った親族の手で実家に戻され、パンと水だけを与えられて、8ヶ月の間、鎖に繋がれていました。それだけではありません。久しぶりに妻と再会した夫は、家名を汚した己の妻を自らの手で殺さなければならなかったのです。そして身体の弱りきった妻を極寒の雪山越えに連れ出します。


 映画は、そんな妻が経験したであろう、都会の売春街をも映し出します。


 実際に仮出所を経験した囚人たちに、獄にある監督自身が5日間の記録を書いてきてほしいと頼み、そのメモから選ばれた話しが再構成されて、脚本ができたということです。


 今でもトルコという国の政治と社会に大きな影を投げかけるものに「クルド問題」があります。この問題が、トルコばかりかイラクにも存在していたことは、あの米軍のイラク侵攻と占領で知りましたが、兄が殺され、刑務所には戻らずにゲリラとなるクルド人の男の話も出てきました。


 が、何といっても私に衝撃を与えたのは、先の2人の女性です。2人の運命です。


 トイレに入っていく夫婦を目で追う乗客たちの、眉1つ動かさぬ無感動な表情、それでいて沈鬱で賤しい、咎めるような目つき。


 そしてこれとはまったく逆の、都会の喧噪にあふれる売春街。ショーウィンドウのような所にさらされる女の体。


 この相反した光景が、1つの価値観の下に、同一の社会に存在している。


 いいようのないやりきれなさに襲われます。


  なぜこんな話を思い出したのかというと、「純潔教育」を叫ぶ統一協会が、「純潔キャンディー」なるものを、韓国の小中高等学校、幼稚園、保育園にまで無差別に配布しているとハムニダさんが話されていたからです。


 また同時に、合同結婚式祝電事件に登場し、文鮮明教祖から金正日総書記との仲まで噂されている安倍官房長官の話しだけではなく、自民の女性先生方の、 「行き過ぎたジェンダーフリーと過激な性教育がキイキイ」という姿勢が気になっていたからです。 


「純潔キャンディーは、統一協会の救援儀式である合同結婚式を行う際に文鮮明の血統を継ぐための聖酒式に使われる聖酒を入れて作られ」ているらしい。


 ということは、子どもが知らずに食べてしまったら、真の家庭運動本部純潔運動本部という名前の統一協会の組織は、知らぬ間にその子を合同結婚式に参加したものとみなすのでしょうか。


 ロシア寄りの日本海に落ちたテポドンよりも、私はこの純潔キャンディーの方が怖い。
「純潔」を標榜する社会の裏にみえる欺瞞の方が、もっと怖い。


   人気blogランキングへ

「愛国心」は、米国の要求でもあった

_203_1 _204_1 _209_1 あじさいいろいろ。


 さて、1953年の秋、当時の首相吉田の密命を受けた特使池田勇人が米国ワシントンに飛び、国務次官補ロバートソンと1ヵ月に及ぶ会談を行っています。


 いわゆる「池田特使・ロバートソン国務次官補会談(1953年10月5日―30日)」です。


 当時の米国大統領は53年7月に朝鮮戦争休戦協定、そして同年10月に大韓民国、54年12月に中華民国(台湾)と相互防衛条約を結び、同54年9月にSEATO東南アジア条約機構を組織した、共和党アイゼンハワーです。


 MSA協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定締結の予備会談として秘密のうちに進められたこの会談は、その議事録を10月25日の朝日新聞にスクープされました。


 この会談については、1991年10月5日の毎日新聞にも取り上げられています。


 日本側に突きつけられた再軍備の要求をかわしていった様子を見ると、まだ戦争の記憶が強く残っていた時代の雰囲気が想像されます。


 今日はまず、


「これまでの会議の進捗によつて,両国代表は議事日程に掲げられた諸問題について若干はつきりした諒解に近づいたことが示された。日本代表は到達せらるべき 諒解が本国政府によつて承認をうけ,その使命を全うすることができると確信を深めるに至つた。この文書は従来までに達成された結果及び今後合意を要する事 項を議事日程順に要約するものである」


 に始まる、10月日19日付「池田特使覚書」の中の「愛国心」に触れた部分を見てみます。


(引用開始)


一、日本防衛対と援助


(一)日本代表は充分な防衛隊をもつには四つの制限があることを強調した。その制限とは法的,政治的ないし社会的,経済的及び物理的なものである。
……


(二)
……


(ハ)本会議参加者は,日本国民が自己の防衛に関しより多くの責任を感ずるような気分を国内につくることが最も重要であると意見一致した。愛国心と自己防衛の自発的精神が日本において成長する如き気分を啓蒙と啓発によつて発展することが日本政府の責任である。


 (引用ここまで)


「十分な防衛隊をもつ」上での4つの制限、「法的,政治的ないし社会的,経済的及び物理的なもの」とはそれぞれ、


・憲法上の制限


・占領8年間で、「何事が起ころうとも銃を取るなと教えられた」若者、女性、知識層、遺族たちを納得させる困難さ


・国家防衛の第一歩を国民生活の保護とすべきこと


・募兵に伴うさまざまな困難・危険性


 の4つであることを日本側は説明しています。


  池田は、憲法を改正してでも陸上防衛力を増強するように迫る米側に対して、「憲法改正はできない」と突っぱね、まず復興に役立つ経済援助を要求しましたが、これには別に経済協力協定を結ぶ必要があったということです。

 翌54年5月1日、日米相互防衛援助協定が発効し、防衛庁が設置され、自衛隊が発足しましたが、池田は会談で、直接侵害に対する防衛は憲法改正せずにできると明言していたようです。


 そうした中で、日米共に、「日本国民が自己の防衛に関しより多くの責任を感ずるような気分を国内につくることが最も重要であると意見一致した」ところに興味をそそられます。


 こうした米国側の要求と日本側の保守勢力の思惑は、当時より一致していたのですね。ただ、時期尚早ということだったのでしょうか。


 20世紀は戦争の世紀、とよく言われますが、米国は、一貫して、よく戦争をしてきました。


 
 そして21世紀、テロへの戦いを合い言葉にして始まった戦争。


 平行して私たちの国でも、「自己の防衛に関してより多くの責任を感ずるような気分を国内に作る」試みが続けられてきました。


 ついには、ぷらさんによれば、大阪では教育勅語を暗唱させる幼稚園が2つも出てくることに! 


 いったい、誰が、何のために「愛国心」を叫ぶのか、もう一度考えてみましょう。


 



             


 

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

フリーエリア

なかのひと
twitter
    follow me on Twitter
    カレンダー

    tokura_203-52.gif

    最近の記事
    カレンダー
    06 | 2006/07 | 08
    - - - - - - 1
    2 3 4 5 6 7 8
    9 10 11 12 13 14 15
    16 17 18 19 20 21 22
    23 24 25 26 27 28 29
    30 31 - - - - -
    最近のトラックバック

    smilelink_203-52.gif

    月別アーカイブ
    カテゴリー

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    プロフィール

    とむ丸

    Author:とむ丸

    ブログ内検索
    RSSフィード
    リンク
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。