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植草氏の洞察、コイズミ-竹中ラインの裏切り

今日28日のゲンダイネットで、アベ新内閣がつくられたのは、5年半続いたコイズミ-竹中コンビを守るためではないか、つまり市場原理主義のツケやウミがどっとでてきたのを隠すためにつくられたのではないか、といわれています。

 そういえば、「神州の泉」さんが気になることを言ってました。

 小泉政権のしたことは、「これまで日本の政治を支配してきた急田中派の建設・運輸関連と郵政関連の利権を破壊し、それを小泉氏自身の出身母体となっている財務・金融利権へと塗り替えただけのものに過ぎない」  また、 「小泉政権は、国会議員と、外資系ファンド(アメリカ金融資本)と、竹中に協力した一部民間人を含む政権協力者たちのトライアングルが構成されていた」ということに言及しているのです。

 このトライアングルに、「巨大なインサイダー取引」という「国家的規模の経済犯罪」があったのではないか、と問題提起されています。

  これを植草氏が掴んでいたのではないか、というわけです。
「 植草氏のリポートで最も重大なポイントは……りそな銀行に絡む、金融危機不安の演出による株価暴落と新自由主義経済政策の根幹的精神である小泉お得意の「自己責任論」を放棄してまでも政府資金でりそな銀行を救った、その一連の動きの中にあるのかもしれない」。

 つまり、 「政府が金融不安を恣意的に煽ることによって、株価を一気に下落させ、それが底値であることを「知っている」何者かが、底値買いを行い、竹中がりそなの救済に政府資金を供与して、株価が再び上昇した転じた頃合を見計らって売り抜け、またはその後の株価上昇を睨んで保持し、膨大な儲けを手にした、あるいはこれから手にする可能性があるのだ。ここで外資が動いていたと植草氏は指摘する」。

 「植草氏はそれを調べるために当時の関係者から事情聴取を行う必要を説いている」。  竹中氏の議員辞職もこの線から考えられそうです。  すごいですねえ……これが事実だとしたら、私たちは怒りをどこにぶつけたらいいのでしょうか。
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緊急署名のお願い

 9月23日付の毎日新聞によると、「東京都教育庁は22日、入学式や卒業式での国旗・国歌の強制を違憲とした東京地裁判決(21日)を受け、都内
で都立学校の校長を対象にした臨時校長連絡会を開いた。都立高校や盲・ろう・養護学校の校長251人が出席し、同庁は、日の丸と君が代の指導について、今
後も従来通りの方針で臨むことを説明した」そうです。

 
さらに石原都知事は、「子供たちの規律を取り戻すために、ある種の統一行動は必要。その一つが国歌、国旗に対する敬意だ」と指摘し
た。さらに「(学習)指導要領でやりなさいといわれていることを教師が行わない限り、義務を怠ったことになるから、注意、処分を受けるのは当たり前」と語
り、指導徹底を打ち出した03年10月23日の都教委通達の意義を強調した」とも書かれています。

 うーん、なぜこうも、強権で抑えつけて、自分の考えを押しつけるのが好きなんでしょうか。

 80年代になるかならないころ、北九州市の高校の卒業式で、音楽教諭が君が代をアレンジして伴奏したことが大問題になったことを思い出します。

 あのとき、問題の演奏を聴いてみましたが、とてもすてきなアレンジでしたよ。あのレコードはいまどこに? 見つけることがあったら、是非聴いてみてくださいね。

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こうも国歌・国旗を強制すると、天皇・皇后の写真を安置した奉安殿が戦時中の学校におかれ、子供たちは登下校の際、最敬礼。セレモニーでは、咳ひとつ、クSenseki6
シャミひとつ、まして鼻をすすることも許されず、ひたすら直立不動で教育勅語を聞かされていたことを思い出します。

 
 緊急署名の要請の呼びかけが華氏451度さんから送られてきました。

 国歌・国旗を強制するのはおかしいと思う方、強制しなかったら両方とも結構好きなのに、なんて思う方、ぜひご協力ください。
 

 締め切りが明日9月28日(木曜)正午!!です。



<都教委への緊急要請賛同署名のお願い>


賛同署名の集約先→youseishomei@yahoo.co.jp


21日の東京地裁判決、原告・弁護団・支援者の皆さんのがんばりが生んだ勝利だったと思います。しかし、都知事や教育長は間髪をいれずに「控訴す
る」と明言し、マスコミもそれを大きく流すような傾向が生じています。ここは、世論が都・都教委を包囲していること、東京地裁の判決がきわめて当然のもの
であることを広く示していかなくてはなりません。今週中に、私たち市民の声を届けたく、下のような要請書を用意しました。賛同署名をつけて都教委に提出し
たいと考えています。この要請書にご賛同いただき、ご署名をいただければ幸いです。ご賛同いただけます場合は下記のアドレスまで、下記3行をコピー貼り付
けして必要事項を記入返信ください。
(機械的に読み取りますので、このままコピー貼り付けしてください)

1氏名:         


2ふりがな:


3肩書き:

送り先⇒  youseishomei@yahoo.co.jp




(注/肩書きは職業でも居住市区でもOK。なくてもかまわない、とのこと) 

死刑廃止演説から考える――まとめ

 「ムシュウ・ド・パリ」とはパリの首切り役人の別名だと聞いたら、今でも多い、花の都パリに憧れる人たちは驚くだろうか。


 自らは、「有罪判決執行者」と称したが、世間はブロー・ド・パリ(パリの処刑人)として怖れ蔑んだ


 ギロチンが登場するまで処刑方法も様々で、犯罪の種類、罪人の社会的地位によって変わった。笞刑や切除刑も処刑人がとり行い、また拷問も刑罰の1つとして認められていた。


 ムシュウ・ド・パリをはじめとして各地にそれぞれいた処刑人は世襲ではなかったが、処刑人の家族に生まれたら、他の職業を選ぶのは非常に難しいのが実情だった。


 7代続くムシュウ・ド・パリの家系サンソンの初代は端整な顔立ちの王の兵士だったが、運命のいたずらか、たまたま処刑人の娘に恋をして連隊を追われ、助手を務めた後に義父の跡を継いだ。助手として初めて罪人に笞刑を加えるよう命じられたとき、「気絶し……群衆の嘲笑を浴びた」と公式記録に書かれている(そうだ)。


 が同時にサンソン家の人々は、仕事柄接する死体をもとに外科学・薬学の本を求めて骨や筋肉や関節の接合状態を研究し、腕の良い医者として金持ちからは高い治療費を取り、貧乏人は無料で診療した。そうしたことは、己の職業に対する嫌悪感・罪悪感を薄める手だてのひとつにもなっただろう。


 規則正しく敬虔な日々を送り、自分の務めを神の御心として受けいれ、王の名の下に正義を実行し、祖国と同胞を守る尊敬すべき職業であると自ら考えることで、どうにか心の均衡を保つのだ。


 一方処刑そのものは当時において大きな娯楽そのものであり、注目される罪人の場合は、処刑台のおかれている広場・付近の道路のみならず、そこに面した窓という窓から果ては屋根まで、人がいっぱいだったという。


 罪人が処刑台に上ると拍手喝采をし、処刑が行われている間、街頭の売り子たちは犠牲者の似顔絵にその犯罪物語のパンフレットを添えて、売って廻った。 


 国王の暗殺を試みた男の処刑のときには、ムシュウ・ド・パリはぐでんぐでんに酔っぱらい、酒で勇気を奮い立てようとした。これを手伝う叔父であるランスの処刑人は、ガクガク震えながら犠牲者の悲鳴に懸命に耳を塞いで刑を執行。苦悶の絶叫の中で仕事を終えた彼は、この出来事から2度と立ち上がることができなかった。


 すさまじい光景を4時間(なんとひとりの罪人にこれだけの時間をかけて、残虐極まりない刑が与えられたのだ)にわたって眺めたものの中には、かのカサノヴァも、また彼と同席した貴婦人3人に1人の若い紳士もいた。


 パリの高等法院が下した信じられないほど残忍な処刑方法は、犯罪者のみならず処刑人まで再起不能になるほど痛めつけることになる。


 こうして貴婦人を初めとして血を好んだ民衆が、処刑を大いに楽しみながらも、それを執行するブロー・ド・パリとその助手たちを毛嫌いし、目に触れることさえ嫌がったという矛盾


 人は、血に飢えた心性の卑しさを心のどこかで感じているからこそ、処刑人を汚らわしい、自分たちとは異なる世界の住人としてとらえて安心できたのかもしれないが。


 死刑に際し、誰にも平等にギロチンを用いるようになったのが、革命期の1792年のこと。1870年には唯一ムシュウ・ド・パリを除いて全ての処刑人が廃止され、最後に公衆の前で処刑が行われたのは1939年6月、ベルサイユの裁判所前でのことだった。


「裁判所を見下ろす部屋という部屋、バルコニーというバルコニー、窓という窓は、この見もののために賃貸されていた」。


 これはフランスのあらゆる新聞に掲載されて非常な反響を呼び、以後公開処刑を禁止する法令が発せられることになった。


 1952年までには、世界で21カ国が死刑を廃止していた。


 フランスは1953年から66年にかけて22回ギロチンを使い、その都度是非論がおこり、討論が闘われた。またこれとは別にアルジェリア戦争のあいだには、国家の安全に関する理由等で処刑されるものも多かった。


 その後もフランスは、1981年に廃止するまで何度か断頭台へ犯罪者を送った。


  死刑廃止は欧州連合のメンバーになるための条件でもある。


 現在、 法律上、事実上の死刑廃止国の合計は129カ国。存置国は68カ国


 といったことをママさんはみんなに話した。


 最後に、


「まるで芝居を見るように処刑を楽しんだ人たちのおぞましさ、握手を求められても応じず、己の汚れた手でけっして一般の人たちに触れることがなかった処刑人の罪悪感。このどちらも、私たちには耐えられません。


 私たちの心のありようは、100年や200年前に生きた人たちとは異なっていますし、死刑も人の目の届かないところで行われています。血を見て激昂する民衆のぞっとするような姿はありません。


 自ら手を下さない裁定に示された人間の残酷さは、今、薄められてはいますが、なくなったわけではありません。私たちはこれを克服する必要があるのではないでしょうか」と語った。




 なお、玲奈ちゃんの知らせにあったフランス最後の公開処刑の写真について。


 写真で見る限り、見物人が意外と少ないと思われるかも知れませんが、あまりの評判に、早朝に行われる処刑に備えて真夜中以後、警官、民兵、警視庁の刑事などからなる特別警護団が、裁判所と監獄に通じる諸街路を遮断。多数の客が陣取っていた近くのカフェからの眺望は、真ん前に駐車された大きなトラックに遮られていたということです。


 一般的に、時代が下るにつれて処刑の場所は町の中心から外れに、時間も昼間から早朝にと変わっていきましたが、この最後の公開場所はベルサイユの裁判所前、6月17日の朝、5時直前のことでした。

死刑廃止演説から考える

 山の中腹のとむ丸邸へ、日頃見かけぬ3人組が急いでおります。


ばあや:お玉邸が曲がりくねった道をくねくね行ったかと思いましたら、またとむ丸邸も、ひたすら山の斜面をどんどん登って……ばあやはもう息切れがしそうでございますよ。まったくお嬢さまときたら気まぐれで、お玉さんのところまで来たのですから、ついでにとむ丸ちゃんところにも行きたいわなんて。ふー、きついこと。


麗子:後もう少しよ。もう少しで、かわいいとむ丸ちゃんに会えるわよ。


 山のあたりは、そろそろ紅葉も始まっています。 


とむ丸:麗子さんにばあやさん、うわぁ、玲奈ちゃんまで、いらっしゃい。うれしいな~♪♪~


麗子:こんにちわ。とむ丸ちゃん! ご機嫌いかが?


とむ丸:今日はパパさんが鮎をたくさん釣ってきたから、みなさんもどうぞ、ってママさんが言ってます。


ばあや:今時の鮎は落ち鮎と申しまして、脂が乗ってそれは美味しゅうございますよ、お嬢さまに玲奈さま。おまけに雌は子持ちで、雄は婚礼色といって、それはきれいな朱色を帯びて、格別の味わいでございます。


とむ丸:で、今日は、軽いお食事を召し上がりながら、ママさんが是非お話ししたいことがあるということですよ。玲奈さんがこの間持ってきてくださったロベール・バダンテールの演説を読んで、ママさん、とても感動されてましたから。


ばあや:それはよろしゅうございましたね、玲奈さま。


とむ丸:死刑が何とかかんとかって……こまわり君の「死刑!」 なら私も知っているけれ479665286801 ど……ママさんは何に感動したのかな?


ママ:とむ丸、あなたのような子供でも、「死刑」という言葉は知っているわね。でも、「死刑」という言葉を聞いて、何を思い浮かべます?


とむ丸:がきデカ!


玲奈:ジャンヌ・ダルクなら、十字架状に組まれた柱に手足を固定されて……火あぶり……おお、いやだ。


ばあや:石川五右衛門だったら、煮えたぎる釜の中……


麗子:小塚っ原の磔……あらっ、私としたことが……でも、みんな、昔の話しでしょう?


ばあや:そうでございますね、お嬢さま。今は? どうもイメージが湧いてきません。


ママ:実は私もイメージが湧いてきませんの。子供のときに見た『私は貝になりたい』という映画の印象から、十三階段に明かりがあたっている場面を思い浮かべるのですが、どうもそれからが分かりません。あれ以来、ことさら考えることもありませんでしたし……子供はすぐに忘れてしまいますから。


玲奈:当然ですわ。子供がそんなことを気にしていたら、気味が悪い。


ママ:でも、バダンテールの演説を読んで、アルベール・カミュを思い出しましたの。カミュのお父さんは、ギロチンの公開処刑を目撃しましたね。


玲奈:初めて経験した光景で、気も転倒した様子で家に帰って来た父親は、ベッドに倒れ込んで激しく嘔吐した、とカミュは書いていますね。


ママ:十三階段の先にあるものを何となく知ったのは、私が大人になってからです。それも、はっきりと分かったわけではありませんが。法務省は具体的なことは何も明らかにしていないでしょう?


麗子:ギロチンて、「フランス革命」の象徴のようなイメージで、死刑と結びつきませんでした。でも、考えてみれば、フランスの死刑って、ギロチンで首を落とされることだったのね。


ばあや:見せしめでございましょうねえ。公開なんですから。


ママ:ええ。死刑を執行することとはどんなことか、はっきりと、みんなの前に突きつけられますわ。でも日本では、「死刑の実態」というのはさっぱり伝わってきませんね。死刑制度に賛成する人たちも、「極悪人」のレッテルを貼った人間に、その行為の当然の報いとして「死刑宣告」をしたことで安心してしまい、それ以上考えることはまずありません思考停止思考放棄の状態ですね。


玲奈:想像することさえおぞましいように、忌み嫌われていますね。ひとつのタブーでしょうか。


ママ:そう、タブーですよね。死刑は、普通の人の目に触れないところで執行されますし。最終的には、ひとりかふたりか分かりませんが、直接の執行者の手に委ねられますね。死刑の判決を下した裁判官も、執行にGOサインをだした法務大臣も、直接手を下すわけではありません。また、執行そのものがどういう形をとるのか、正確には私も存じません。想像することさえも、怖ろしい気がいたします。


玲奈:フランスにはサンソン家といって、一族7代にわたって死刑執行人を努めた家系があります。ルイ16世もマリー・アントワネットも、この4代目当主、シャルル-アンリ・サンソンの手にかかって死んでいます。


ママ:人々の冷たい視線を浴びて、つばも吐かれるようなこの職業の過酷さは、「敬虔な信仰心とフランス国王への忠誠心」でなんとか克服してきたといいます。そういう精神的より所がなければ、とっくに狂気に犯されてしまっただろうともいわれています。


玲奈:1793年1月21日の国王の処刑以来、シャルル-アンリはギロチンの刃の前にひざまずき、亡き国王のために祈りを捧げたそうです。


麗子:現代の日本で、この過酷な役目を正当化するのは……


ばあや:「法の執行」ということに尽きるかと……。


 みな、思わずため息をつき、目の前におかれたミントティーに口をつけます。


 しばしの沈黙。


ママ:私たちはこれまで、こうした過酷な役目をごくわずかな執行人の手に押しつけて、「臭い物に蓋をしろ」とでもいうように、死刑執行そのものから目をそむけてきたのではないでしょうか。


 みな、ただ押し黙り、考えあぐねていました。


玲奈: フランスもいつの間にか非公開になって、バダンテール演説の中でも、「天蓋の下で人目をしのんで行われる死刑」という言葉がありましたね…….。


ママ:ええ、そうね、玲奈ちゃん。みなさん、ごめんなさい。シリアスすぎて……。でも、いってみれば、「死の囲い込み」とでもいえるかしら。


ばあや:その昔は、「黒不浄」ともいわれておりましたねえ。出産は赤不浄。


ママ:病院で死を迎えるのが普通になった現代社会では、人間の死も病院の中に囲い込まれてしまった、ともいえますね。犯罪者の死、中でも重罪者の死は、それ以前から塀の中に囲い込まれています。


麗子:現代人からは、人間の死を直視する機会も失われている、とでもいうのかしら。


ママ:かなり昔はエンターティメントでもあったのですが、もし処刑が目の前でおこなわれたら、今の私たちの感性でどこまで耐えられるでしょうか。死刑制度を支持する人たちは、どうでしょうか。そんな場面に立ち会っても、なおかつ死刑判決を下すように要求するでしょうか。

 ママさんのお話は、今日はここでお終い。

 パパさんが釣ってきた鮎の命はわずか1年。子孫を残した鮎は冬になる前に、みな自然の営みどおりに川底に沈みます。その前に、その一部を人間がいただく……少しばかりみな威儀を正し、その後、舌鼓を打つことになりますが、一人ひとり、重い課題を背負わされたのは確かです。


 あしたはママさんが、華氏さんところに行く前のみんなに、もう少し説明してくれるという話しです。  下の写真はパリ、コンシェルジュリの中庭。コンシェルジュリは革命時代には牢獄として使われ、マリーアントワネットも ここに囚われていました。窓の鉄格子、庇の屋根に並んでいる先端が尖った鉄の角材に注目。 20061016180623.jpg



レーガンポルノと小泉サプライズ・ポルノ

 米軍によるアブ・グレイブ刑務所やグアンタナモ、アフガニスタンの収容所における虐待の話しはまだ記憶に新しいところ、というより、あまりにショッキングな話しで、容易に忘れられるものではない、というのが本当のところですね。


 『メディア危機』には宗教以外のアメリカの実情も、いろいろ描かれています。


 米国外にあるブッシュ政権のすべての刑務所では虐待は政権の再上層部の承認のもとで行われ、テロの計画や協力者を明かすように収容者を拷問するために、ジュネーブ条約や米国内軍法・民法を回避する道を探っていた。


 結局、ホワイトハウスの弁護士たちは、


 戦時中に大統領は軍の最高司令官として戦争の遂行にあたり、国内外のどのような法律によっても制約されない、と結論づける。


 この根拠は、憲法中の、憲法制定者たちが予期しえなかったシナリオに直面した大統領が、共和国を救済するために法を犯さざるを得ない状況に陥った場合に求めた。


 そしてなぜそうした強硬手段が必要であるか、大統領は国民にも、国民の代表者たちにも説明しなかった。


2002年以来、イラクとアフガニスタンで米国に交流された囚人の、少なくとも26人は死亡していることが明らかになったにもかかわらずです。


 ホワイトハウスの弁護士たちは拷問について意図的に限定解釈をし、また政権は責を数人の兵士に帰し、フォックス・ニュースをはじめとするケーブル・ニュースがこれを支持した。


 ちょうどこのころ、元大統領ロナルド・レーガンの死去があり、メディアは葬式シーンやその思い出話を、延々と1週間に及んで報道する。結果、国民の関心を拷問問題から逸らすことに成功。


 この一連の報道を、さるジャーナリストが「レーガン・ポルノ」と呼んだ。


 レーガン・ポルノなら、私たちの国にも事欠きません。政権に不都合なことに国民の目が集中し出すと別の問題をことさら大きく扱って関心を逸らすこの手の対策は、昔から使われてきました。


 コイズミ政権も露骨にレーガン・ポルノの手法を用いて、危なくなるとサプライズに訴えていましたから、これは「サプライズ・ポルノ」とでもいったらいいでしょう。


 首相は、2004年の年金国会で自身の国民年金未納、厚生年金違法加入問題から逃れるように北朝鮮を再訪問しましたね。


 その他、本田美奈子を静かに眠らせてやれ、とどなたか忘れましたがブログで訴えていたのは、昨年11月のことでした。どのチャンネルを回しても、延々と追悼番組をしていたのには呆れてうんざりしながら、今度は何を隠そうとしているのかな? と考えたものです。


 果たしてアベ政権下ではどんなポルノが出現するでしょうか?!

頼りになるのは、政府より教会?

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 青空をバックに、マイクを前にした男が目隠しをされている……なにか気になる表紙デザインでした。



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「神懸かり的な」ブッシュのアメリカと、toxandoriaさんのいう小泉・アベの操る「妖術国家」日本のシュールな不気味さがよく表れています。



 昨年5月に出されていますから、お読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、著者の金子勝・アンドリュー・デウィット両氏は、昨年の9.11選挙の結果をどんな思いでみつめていたことだろう、と考えずにはいられませんでした。



 ブッシュ・小泉ラインの情報操作の詳細についてはあまり知らなかったので、予想以上のひどさに、何ともいえぬ気持に襲われます。



 自民党議員に統一協会から次々と送り込まれた秘書、統一教会のダミー団体の合同結婚式に祝電を送ったアベシンゾー氏他、多くの元・現国会議員、謎の宗教団体慧光塾等々の、この国を覆う宗教の影。



 宗教といえば、インテリジェントデザインの問題を知ったとき、今時? それもアメリカで? と奇妙な現象を不思議に思ったものですが、なんと、アメリカは「先進国中随一の宗教国家だったとは。



 以下は、この『メディア危機』で言及されているアメリカの宗教事情です。



  日本国民の12%、フランス国民の11%、さらに低い割合の北欧諸国民が宗教を信仰しているのに対し、60%もの米国民が宗教を信仰している。 



 米国民の36%が毎日数回祈祷をし、22%が1日に1度は祈祷する。 



 米国民の61%が月に1、2回礼拝に参加、そのうち半分近く(45%)は少なくとも週1回は礼拝に参加する。



 米国民の71%は学校で礼拝を行うことに賛成している。







 そして、



 40%の米国民が世界はキリスト教徒と反キリスト教の戦いによって終わると信じている。



 このような最終戦争信者の47%は反キリスト教者がすでに地球上に存在していると考え、45%が、自分の生きている間にキリストが復活すると信じている。



 ILOが2004年に発行した『より良い世界のための経済安全保障』のなかで、7つの労働安全保証(労働市場、雇用、職務、労働安全、技能再生、所得、表現)を元に世界の地域が格付けされている。



 スウェーデンが1位、フィンランド、ノルウェイ、デンマークと続き、フランスが7位、英国が15位、日本が18位、そして米国は25位。



 アメリカにおいて、低所得者や低学歴な人々だけでなく、多くの中流階層に経済的不安定さが徐々に広がっている結果が信仰心であり、人々は政府より教会を頼りにしている





 市場原理主義と、原理主義化したプロテスタンティズムが結びついていて、アメリカのメディアが宗教原理主義に強く影響されている。



 ブッシュ政権の情報管理は、図書館、政府文書、インターネット・サイト、政府のデータベースへのアクセスの制限に及ぶ。



 公立私立を問わず、大学講義における議論を制限するための手法が、米国内の州で様々に導入されている。進化論教育を制限する動きも強まっている。教育長や校長が進化論の授業をしないように提言したり、教師達が宗教原理主義者からの攻撃を怖れているため。
 
 米国の宗教原理主義者たちは、地質学や物理学にも攻撃を向けようとしている。2005年3月、全米科学教師教会は少なくとも3分の2がそのような圧力を経験しているとする調査結果を発表した。
 
 米国民の信心深さは際立っているばかりか、徐々に急進化している。



 ブッシュらは、NPOに対する資金援助に関して、宗教組織に多くの資金を与える一方、市民社会の他の分野に対しては強引な内部調査や会計監査など
のいやがらせをし、米国社会の宗教的急進化を促進している。



 政権のこの動きを後押ししているのは、フォックス・ニュースやその他の熱狂的な支持と、批判的
な記者の出入りを禁じることで他のメディアを脅かすことに長けたホワイトハウスの官僚組織。



以上、『メディア危機』から。



 この「キリスト教徒と反キリスト教の戦い」とは、「ハルマゲドン」のことでしょうか。とすると、アメリカ国民の40%は、カルト信者と同じような認識をもっているということでしょうか。



 このアメリカ国民の篤い? 宗教心について著者は、「経済的な不安定さと強い関係がある。少なくともその一因と考えられる」と指摘しています。



 失政の穴埋めをするのが宗教ということでしょうか。



 宗教を信じることは、必ずしも悪いことではありません。



 人間を超えた存在、人智の及ばない存在を認めることは、人間の敬虔な心を呼び覚まして、己以外の人の存在を是として認めるような気がします。そこには、他者に対する寛容さがみられると思います。



 これに対し、アメリカの、進化論に仕掛けられたインテリジェントデザイン説を主張する人々は、2者択一を迫ります。



 進化論は教えることも議論することも許さない。神が人間を創ったことを信じ込め、というわけです。



 いったいこれまで、優れた科学者は、この信仰と己の志す科学との折り合いをどのようにつけてきたのでしょうか。



 多分、信仰するということは、険しい山岳地帯の尾根を歩くようなものなのです。自らの生を他に委ねるというといかにも楽なように聞こえるけれど、陥弄もまた待ちうけているともいえそうです。



 つまり、原理主義の罠に陥る場合がある、ということです。



 ついでながら、「原理主義」という言葉は、まず「キリスト教原理主義」が使われ初め、それが後にイスラム教にあてはめられたもの。



 原理主義を奉じると、寛容さを失うようです。ものごとをありのままに見つめる力もどこかに行ってしまうようです。



 もっとも初めからこの原理主義の罠に陥れて多数の人を操ろうとするカルトは論外ですが。そして、原理主義とカルトの間の線引きも難しい……2つの間は限りなくグレーだ、といってもいいのではないでしょうか。



 そんな中で、寛容さ」は、まっとうな信仰かカルトか、と判断するときの1つの指標になりうると私は思います。



 神懸かり的なブッシュ、どうもカルトの匂いさえする大統領がアメリカを、そして世界を率いている現実を目にして、だいぶ前から欧州諸国は独自の道を歩み始めています。



 さあ、私たちの国はこれからですね。



 新しい指導者は、カルトのくびきから逃れることができるでしょうか。



 寛容さを、政策の中に活かすことができるでしょうか。



 しっかり見ていきましょう。



 ついでに、今し方、「日刊ベリタ」で「『神の軍の兵士』に育てられる少年たち 『ジーザスキャンプ』の恐るべき実態」という記事を見つけました。無料記事ですから、一度ご覧ください。



 ブッシュの写真に向かって礼拝したりする子供たちが、興奮して涙を流したりするらしいです。





 

安倍人気って、いったい何だろう?――このリアリティのなさ

 アベシンゾー氏が、「さわやか」で「ハンサム」で「国民的人気」があるなんて、自分の周囲で聞いたことがないという話は、いろいろな人がいろいろなところで言っています。


 私も、どちらかといえば暑苦しさを感じさせ、子供心に覚えている、「昭和の妖怪」といわれたおじいさんの顔にそっくりで、プールでも公民館でも、ご近所のおばさんたちの間でも話題に上ることはまずないのに、なぜ? といぶかしく思ってました。


 新聞記者も大して変わらなかったようで、数日前の毎日夕刊の特集は、題して「ホントに『安倍人気』? 高いと言われているけれど‥‥」でした。


 香山リカさんも同行した9日のJR秋葉原駅前での自民党総裁選立候補者3人の街頭演説の取材で、結局、


人気の最大の理由が『国民的人気』があることで、『国民的人気』があることでさらに人気が高まる」という結論に達していました。


 この街頭演説では、1万人(主催者の発表)の聴衆は、主役アベ氏の登場にもごく普通の拍手で応えたようです。


 オー・マイ・ニュースのビデオを見る限りでは、とても1万人が拍手したようには聞こえません。


 その後、候補者の登場と共に携帯電話を高く掲げて写真にとりメールで送った人たちが、演説も聴かずに次から次へとその場を立ち去ったとか。


 民法からNHKまで、テレビ界あげて使う「国民的人気」という枕ことばがアベ氏の前につくようになったのは、いつ頃からでしょうか。私自身は信じられないという気持ちでしたし、周囲でも、「えっ、人気があるの? どこが?」という受け止める人ばかりでした。


 アベ人気っていったい何でしょう?


「安倍晋三人気」なんてものは、ない。仕掛け元は誰だ(笑)アニメGIFバナー


 もしかしたら、巷で囁かれているように、本当にねつ造?


 実態のないものをあるが如くに扱い、それが既成事実となってさらに妄想が膨らんでいく、なんて考えても不思議ではありません。

 仕掛けたのが誰か、どんな勢力の人たちなのかいろいろと推測されていますが、いずれにせよ、こういう情報戦略に、庶民はまったく無防備なことをあらためて痛感します。


 記事に出てきた20代、30代の男女はアベ氏の政策、憲法改正・集団的自衛権の行使に賛意を示しています。


 が、歴史に詳しそうな女性の方は太平洋戦争によるアジアの犠牲者数が500万人以上にものぼることを知らない。「へ~、そうなんだ。それ、多いのかな」と無邪気に言う。


 20歳の男子大学生の方は、戦争ができる国なら、徴兵制がありうると考えたことがあるか、という問いに、


「それは全然なかった。でも、そうですよね、その通り。自分はイヤですよ、戦争に参加するの。だってイヤですよね」と答える。


 安倍人気にリアリティを感じられなかったように、戦争のできる「普通の国」をつくろうという主張に賛成する若者たちにも、決定的なリアリティが欠けているのです。


 これはかつて私自身が体験したものにも通じることでした。


 国を守るのに命を捨ててもいい、といった10代の若者は、その言葉の直後に経験した腕を幾針か縫う怪我で、大騒動することになりました。


 ベトナム戦争時の悲惨なありさまが世界中に巻き起こした時のような批判・非難のうねりを怖れてか、ブッシュ・パパが実態を隠したままで遂行した湾岸戦争の映像を見た小学生は、花火みたいだね、と言っていました。


 爆弾の炸裂する下でおびただしい血が流れること、それが人々の住む町も家族の生活もすべて破壊してしまうことを想像する力は、どこへ行ってしまったのでしょうか。 


 ハイテク戦という、生身の人間を見せないようにする装置のせいだけではありませんね。


 正義の戦争を行うものにとって、相手は当然死すべきものとして1つの塊のようにみなされ、一人ひとりの生命など考慮されなくなってしまう。おまけにその「正義」には根拠がなかったとすれば、敵・味方にかかわらず払われた犠牲は、どう考えればいいのでしょうか。


 さらに、日本人傭兵の戦死で垣間見えたように、イラク戦では民間の軍事請負業者に依存する割合がずいぶん高いのだとか。


 そうして私たちの目に見えないところで、軍事行動がどんどん推し進められていきます。


 父は20歳で徴兵されて2.26事件を経験し、敗戦時は30歳。人生の一番楽しい時期を戦争に奪われ、地獄を見ています。何度考えても、こればかりは納得いきません。


 寡黙な人で、何か私に語ったわけではありません。せいぜい、60年代にテレビで流行った米国製戦争ドラマ『コンバット』を見る私に、「本当の戦争はこんなものじゃないぞ」といったぐらいです。でも、背中を見ているうちに、何かを伝えられたような気がします。

藤原紀香さんにファンメールを!

 来年の参院選をめぐって、はやくも色々な動きがかいま見えてきましたね。



 折りもおり、藤原紀香さんに自民党が食指を伸ばしてきたような報道がされています。なりふりかまわず、有名人なら誰でもいいのか、と怒っていても仕方ありません。



 「私たち、日本国憲法の味方です!」と明言された紀香さんには、ぜひとも憲法9条を守ろうという私たちの声を国会に届けていただきたいと思います。



 そこで及ばずながら、私もファンメールを出しました。



 藤原紀香さん



 もともとそれほどテレビを見てきたわけではありませんが、子供と同い歳のあなたには、なんとなく親近感をもっていました。温かい笑顔が素敵ですね。



 あなたが、アフガニスタンやカンボジアに行って、現地の子供たちに語りかけ、手をつないできたこと、そしてただのタレントだけではないことを最近知りました。地雷原に囲まれた子供たち、内戦の傷跡にもめげずにひたむきに勉強をする子供たちを見て、感じたこと、考えたことを懸命に伝えようするあなたの姿勢に、思わず拍手を送ってしまいました。



私はこれからも私にできることをひとつずつ、やっていきたいと思っています」という言葉にも、私自身が励まされる思いです。

 そんなあなたに、参院選出馬のお誘いが自民党から来ているというニュースを聞いて、とても心配しております。



 あなたがサイトで訴える「世界の子供たちへ」の気持をいかすのには、自民党はあまりに対極にあるのではないでしょうか。



 井上ひさしさんと対談されたときのお気持ち、そしてイラクやカンボジアに限らず、世界中の理不尽な環境にある子供たちを応援されるお気持ち、そんなご自身のお気持ちをなにとぞ大切にされてください。



 私はあなたに、これからも「日本国憲法の味方」としてお力を尽くしてくださることを願うばかりです。いつまでも若者を戦場に行かせない日本でありますように、また、世界中の子供たちが戦禍に会うことがないような社会を作っていけますようにと、願ってやみません。



 理想的すぎると笑う人もいるかも知れませんが、母親として子供を産み育ててきたものの願いは、平凡ですが、ただそれだけです。NORIKAさんとそんな思いを共有できたと喜べますように。



 以上です。



 あなたもNORIKAさんに、応援メッセージを送りませんか。



 ファンメールはここから送れます。

 




国民の命消しゴム論

 昨日の記事でアベ氏が、公明党のいう「国を大切にする心」と、自民党のいう「国を愛する」についてに、消しゴムや鉛筆の喩えを使ってその違いを強調していることを伝えました。


 「家内を大切にするのは、愛するが所以であります」


 「消しゴムや鉛筆を大切にしましょうとはいいますが、消しゴムや鉛筆を愛せよとはいいません」


 「では国家は、消しゴムや鉛筆並なんでしょうか」


 これについて、luxemburgさんがナイスなコメントをしてくださいました。思わず吹き出してしまったので、コメントにとどめておくのがもったいなくて、新たなエントリーとします。


 以下はluxemburgさんの言葉です。


  面白いですねぇ。小泉より面白いじゃないですか。
  愛犬家というから国家はイヌ並なのか。お年寄りを大切にというけど、お年寄りは消しゴム並なのか。
  愛煙家というから国家は煙のようなうたかたのものなのか、命を大切に、というから命は消しゴム並・・・あ、わかった。国民の命は 消しゴム並に消費する、これが真意か。やりますねぇ。       (引用終わり)


 アベ氏のこの(屁)理屈を色々なものにあてはめてみると、けっこうおもしろいです。 

アベ氏の使う代用語

本来の意味を失った言葉、代用語が小泉ジュンイチロウ氏周辺でよく使われてきましたが、首相が交代しても、その傾向は変わりそうもありませんね。


 アベ氏が頑固に主張する「自主独立」という言葉も、そんな代用語の最たるものでしょう。
 彼の好きな「愛国心」だって、もとはといえばアメリカの要望だったことを忘れるわけにはいきません。


 これについて詳しいことは拙ブログ「愛国心は米国の要求だった」 をお読みください。         
 池田特使・ロバートソン国務次官補会談(1953年10月5日―30日)での覚書には


 愛国心と自己防衛の自発的精神が日本において成長する如き気分を啓蒙と啓発によつて発展することが日本政府の責任である


とありますね。米国側の要求日本側の保守勢力の思惑が一致していた、ということでしょう。            


  興味深い記事が、アジアプレスネットワーク ウェブジャーナルにありました。


 まだ幹事長代理時代の安倍シンゾー氏がはちまきを締めた凛々しい姿(あ、これももしかしたら代用語!?)で、「教育基本法改正を求める中央国民大会」で行った講演の動画も、そこで見ることができます。


 子供たちの間に生じるさまざまな問題も、アベ氏はこの60年間の戦後体制の中に位置づけます。「占領体制下で成立した」という言葉で憲法、教育基本法をやり玉に挙げながら。


「損か得かに価値観の基準を置いてきた」と、憲法と教育基本法のもとで行われてきた教育を断罪し、「損得を超えたところに大切なもの――家族の価値とか国を守ること――がある」と訴えて、


 援助交際をする少女に駄目だといえない大人を作ってきたのが、家族の価値とか国を守ることとかが「マイナスであると教え」てきた教育だ、と力説しています。


 援助交際も、憲法と教育基本法が原因だと言いたげですが、こんなに単純にものごとを割り切って考えられれば、世の中を渡るのも簡単でしょう。


 最後にアベ氏は、自民党と公明党の憲法草案に使われた語句、「愛する」と「大切にする」という二つの語の違いを強調します。


 公明党のいう「国を大切にする心を涵養する」にある「大切」という言葉は、自民党のいう「国を愛する心を涵養する」にある「愛する」という言葉は、全く違うのであり、「ここはどうしても譲れない一線であります」といって、消しゴムや鉛筆の喩えを使い、拍手をとっています。


「家内を大切にするのは、愛するが所以であります」


「消しゴムや鉛筆を大切にしましょうとはいいますが、消しゴムや鉛筆を愛せよとはいいません」


「では国家は、消しゴムや鉛筆並なんでしょうか」


 なんだか訳の分からない論理で、こちらの頭まで混乱しそうです。まさか、その混乱を狙っているわけではないとは思いますが。


 この動画、かなり笑えますが、笑った後に背筋が寒くなるのは覚悟しておいた方がいいでしょう。


 


 

「政治は国民のもの」になっているか?――自民党結党宣言

 早朝、新聞を手にして愕然とする。



 自衛隊に恩給」創設
 安倍氏教員免許更新制に意欲、総裁選演説会「抵抗あっても教育再生
 首相が「安倍氏支持明言
 「小泉・安倍」勝利宣言 幹事長起用 中川氏後押し
 安倍氏 変わらぬ優位
 「秋葉原のオタクのみなさん!」 若者文化語り 麻生氏異彩
 民主 改憲戦略定まらず
 等々の見出しがずらり。



 とくに、旧軍人恩給に準じた制度の導入を防衛庁が検討しているのは、国際平和協力活動への参加、有事法制の整備などで、自衛隊の性格が変容したことを受け、退職後の保証を手厚くすることで、優秀な人材を確保する狙いだといいます。



 格差社会の網の目からこぼれた兵士予備軍の存在といい、この、事実上軍人恩給の再制度化といい、仕上げとして憲法改悪に照準を合わせることといい、着々と国民皆兵制への布石は打たれています。



 一族のメンバーが宰相の位に就くという岸家の悲願と、明治憲法を復活させる改憲という自民党の結党以来の悲願が成就されそうな気配です。



 もともと、一国のリーダーの地位につくのがひとつの家系の悲願となり、それが叶いそうだなどとは、政治の私物化に他なりません。



 そのうえ、森田敬一郎氏によると、「自主憲法の制定は結党以来の党是であるというのは神話」にすぎないといいます。



  「核心の文書である『綱領』に、「憲法改正」「自主憲法の制定」と  いう文言が無いことに驚かれる人は多いのではないか。『立党宣  言』も『党の性格』も同様である。」



 氏に言われて自民党ホームページにある「立党宣言等」を読んでみると確かにそうです。「現行憲法の自主的改正」の文字は、立党宣言でも綱領でも党の政策でも党の使命でもなく、やっと、「党の政綱」の6番目に出てくるにすぎません。



 逆に、



「 政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。」の文言を読むと、いったいどこの党の立党宣言か、分からなくなります。自民党の立党宣言は、こうした言葉で始まっているのです。



 小泉政治の5年間で、こうした理念のことごとくが反古に帰したと思うのは私だけでしょうか。



「私が首相に就任して以来一番身近にいて、中から小泉内閣の進める改革を推進してきたと言って、9日、卒業旅行中の首相が「安倍氏支持」を明言しました。



 これに対してアベ氏は、



「大変光栄に思う。改革の炎は燃やし続けていきたい」と語ったとか。たしか彼は格差社会の現実を見て、「コイズミ改革路線」の修正を訴えていたのではなかったのかしらん。



 さらに首相は今後の過ごし方として、



「名残惜しさはない。後少しでこの重責から解放される。控えめに迷惑がかからないように(次期政権を)支えていく」とのこと。世に言う「院政」宣言でしょうか。



 なんだか、疑問に思うことしきりです。
 
 小林興起さんのいわれるとおり、日本が『改革』と言い出して早15年、平成に入ってから11人の首相が誕生しましたが『改革』を主張しなかった首相は一人もいませんでした。兎角政治家は『改革』が好きなわけです」。



 アベさーん、どうなってるのでしょうか。はっきりしてください。

前門の格差産生・助長政策、後門の高金利貸金業

 今更ながらに、政府・与党の業界より体質を痛感しました。



 消費者金融のグレーゾーンの金利撤廃を主張してきた後藤田正純氏が内閣府政務官辞任を表明したと報道されています。



 業界等の利害関係団体の意を受けてでしょう、業界を規制する法律には、やたらと抜け穴を画策したあとが透けて見えるようなものが多いですね。



 問題の「グレーゾーン」も、そうしたことから生じているのでしょう。



 人がお金を借りるときは、貸す方と借りる方の間で利息は好きなように決められますが、「利息制限法」で、上限が定められています。   



 貸金業者の貸付金利の上限は、



 元本10円未満は年率20%、
 元本10万円以上100万円未満は年率18%、
 元本100万円以上は年率15



 ということで、これを超える利息分は無効です。



 ところがこの利息制限法では、違反しても処罰されることはありません。



 もうひとつ、「出資法」という法律があり、1954年にこれが施行されてから何度も上限金利が下げられてきていて、2000年6月から現在のところ、29.2%になっています。



 なんと、1954年当時の上限金利は109.5%、そして2000年の引き下げ前の上限金利は40.004%だったのです。



 この出資法の29.2%と利息制限法の15~20%の間がグレーゾーンといわれるものです。



 出資法の違反については、罰則規定が設けられています。



 そこでテレビCMなどでお馴染みの貸金業者は、このグレーゾーンの範囲内で利息を決めるわけです。



 コイズミ改革の5年間で、借りたお金の返済に問題が生じて裁判所に調停を申し立てる人の数が大幅に増えています。



 調停では利息制限法に基づいて返済金額の計算のやり直しが行われます。その結果、残高が大幅に減る、あるいは、とっくの昔に返済が終わって払いすぎとなっていることもよくあります。



 この特定調停を申し立てる人が後を絶たないわけですが、それぞれの事情を抱えて右往左往し、やっと調停にたどり着いた人が圧倒的に多いそうです。



 引き直し計算をして残高の減少や返済が完了していることを知らされた人は、どんなに安心することか。そして新たな返済計画を基にして、それこそ人生のやり直しを決意するのでしょう。



 そこでグレーゾーン金利を無効とする最高裁判決を受けて昨年3月に開始した金融庁の貸金業懇談会で上限金利引き下げが最大の論点になってきたわけです。



 ところが急な上限金利引き下げの影響を懸念する金融庁・与党の双方から「激変緩和のための移行措置」という案が出され、少額・短期に限り金利上乗せを認める特例措置を認める発言が、与謝野経済財政・金融担当相からも出されました。



 業者側も金利引き下げに反対する議員側からも、利用者が不便になるとか、業界の自主的な適正化に期待すべきだとか、もっともらしい論が展開されてきました。



 でもここで注意したいのは、いわゆるサラ金が利用されるのは、少額・短期の場合がほとんどだ、ということです。ですからほとんどのサラ金利用者は、法が改正されたところで益になるどころか、かえって従来よりも高い金利を課される結果になります。それも、合法的に。



 これまでは利息制限法の適用を受けて残高減少や過払いとされてきたことが、最長8年間に限られている(改正法施行後3年間、グレーゾーン金利温存。その後も、少額短期の融資には28%の特例金利を5年間認める)とはいえ、現行を上まわる28%もの高い金利が法的に認められて、業者は堂々と従来以上の儲けを手にすることができるわけです。



 こんなおかしな話しはないと思います。ここまで露骨にサラ金業界のための利益を計ろうとする官僚・政治家って、いったい何なの?!



 また一般の人も、サラ金から借りるような人は特別な人で、自分は関係ない、と思っていないでしょうか。



 ところがサラ金からでも借りなくてはやっていけない人が多いから、駅前の一等地に店舗を構えて、あれだけテレビCMを流せるくらいに利益が出ているのでしょう。



 格差を作り出してそれを助長する政策をとり、お金に困った人には消費者金融がありますよ、とテレビで喧伝するに委せる。そんな政治がまかりとおるなんて、どう考えてもおかしい。そう思いませんか?



リハビリ打ち切り制度はどうなったのか

 今から26、7年前の秋、横浜に住んでいた私は、まだ小さな子供たち2人を連れて、友人と東京、清瀬市に向かっていました。数日前に、清瀬市のとある病院(名前を忘れてしまいました)が行う脳血管発作の最新の治療方法のことを新聞記事を読んだためです。


 脳出血も24時間以内に手術を行い、早い段階でリハビリを始めれば、身体機能の回復がかなり期待できる、というようなことだったと思います。


 何年か前に軽い発作で倒れた父が、直後安静を言い渡されて寝返りも禁じられ、何ヶ月も病院のベッドの上で寝たまま過ごしていたのを知っている私は、その話しに驚きました。


 次第に不自由な体になる退院後の父のことが、遠くに住む身でなおさら気になっていましたから、今からでも遅くないのでは、と淡い期待を抱いて清瀬に行ったのです。


 突然の訪問にもかかわらず病院側は親切に対応してくれました。確か、医師とも話ができたと思います。その間は、友人が子供たちの面倒を見ていてくれました。


 結局、遅すぎるという結論でしたが、年寄りが何よりも怖れるこの疾患について、どこか明るい光が見えてきたような気がして、心安らぐ思いで帰途についたことを記憶しています。いつか機会があったら父にリハビリを受けさせよう、遅いといわれても、駄目だと決まったわけではないのだから、と道々考えながら。


 (実際のリハビリは、後日、地方都市に転居した私のところに父を呼び寄せて、叶えられることになります。)


 その後、姑も脳血管発作で倒れました。


 体の不調はそれ以前からあって、見聞きしてきた中風患者の話しをしながら、常々、あんな風にだけはなりたくないと言っていたのですが。


 恐れていたことが現実のものになりそうで、本人も家族も不安に駆られていたところ、幸い入院先は市内の他の病院に先駆けて本格的なリハビリを始めたところでした。


 リハビリを続ければ、なんとか1人で歩けそうだ、という希望が見えてくると、義母の表情はとたんに明るくなっていきました。


 退院後も、回復した機能の維持のため毎日自分で起立訓練をし、診察時には療法士の指導を受けてましたが、これはとても励みになりました。後遺症と折り合いをつけながらの生活です。義母と私の「二人三脚」といえば完璧、ということになりますが、私は私で自分たちの生活がありますから、それほど献身的に尽くしたわけではありません。よく手を借りていっしょに遊びに行ったのは、昔からの年寄り仲間です。ちょうど、TVドラマの「おしん」が一世を風靡していた時代でした。


 リハビリを続ければ、人の手をそれほど煩わせずに行きたいところにいけるし、したいことができると自信を深め、杖をつきながら誇らしげに笑っていた義母の姿を見ると、良い時代がきたものだ、と思わずにはいられませんでした。


(残念なことに義母はその後また発作に襲われて、結局、10年近く寝付くことになりました。それでも、最低限、人としての尊厳を全うすべく、つまり、赤ん坊ではないのですからできるだけおむつをあてずに排泄ができるように、起立訓練を主としたリハビリを続けました。失敗して粗相したときの辛そうな表情を見れば、このリハビリがいかに大切か分かっていただけるでしょう。)


 そんなことを思い出しながらリハビリテーション医療打ち切り制度反対の署名を集めたのは、今年6月のことでした。


 あれからどうなったのだろうかと、時々気にはなりましたが何もせず、華氏さんの記事に促されるように撤廃運動のホームページを見てみると、


 なんと、6月30日に提出した44万人の署名に対して、厚生労働省の反応がいまだにないことがわかったのです。


 9月5日現在で、呼吸器リハビリは打ち切り後68日、運動器リハビリは同8日経っています。脳血管疾患リハビリに関しては、あと22日で打ち切られるということ。


 ひたすら音無しの構えで、忘れ去られるのを待っているような……。薬害肝炎訴訟で被害者の訴えに耳を貸さずに控訴した国ですもの、44万人の署名は、痛くも痒くもないのかも知れません。


 でも、黙っていられません。熱しやすく冷めやすいのが私たちの国民性のようにいわれていますが、今度の華氏さんのように、誰かが思い起こして問題にすれば、リレーのように伝わっていくのでは?! と期待しています。

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