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パフォーマンス・ソーリ他、腹の立つことおびただし

日曜日の夕方、家人のつけるテレビを見ると、ソーリが買い物をしていました。
 なんでも、私邸から公邸への引っ越しのために、メモを見ながらシャンプー、入浴剤等々の日常雑貨品から辞書、小説まで買い込んでいるのだとか。
 それを小学生の女の子が携帯で写真を撮る、居合わせた買い物客達が遠巻きに見る、そんな光景をテレビが映していました。

 レジに立って財布を覗くソーリの姿には、周囲の買い物客の視線やテレビカメラを意識する笑みがのぞき、支持率挽回を図る計算高さが鼻をつきます。

 民の生活をおもんばかるように見せかけた、東条英機の「ごみ箱宰相」の再来は困ります。

 そして今日の、いわゆる郵政民営化反対議員の復党会見。

総理の温かい心」とか「命の恩人」とか、言ってなかったかしら? 

 あまりの馬鹿らしさに聞き流していましたが、アベソーリに忠誠を誓う前近代的な光景に、政治家の矜持を忘れた卑屈さを見ました。そりゃあ、少しは想像していましたが、想像以上でした。

 アベ氏が執拗に謝罪を要求するのは、雑誌『選択』に対する、これまた執拗な訴訟攻勢を思い出させます。

 そして復党を許された無所属議員達が、一生ご恩は忘れません、という昔の小学生が書いたような作文を読むのを見ては、あらためて政治家たちの劣化を感じます。もともとだと言えばそれまでですが……。

 そして大学人としての矜持を忘れたのが、法政大の平林学長と法学部教授会

 学生の抗議に対して警察導入。あげく退学処分決定とは!

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麻布の三連隊とか師範学校生の優遇とか

関東を旅した折りに、かねてからの念願だった2.26事件の舞台、麻布歩兵第三連隊の旧兵舎を見てきました。  東大の施設として使われてきたかつての兵舎を2002年に解体した際、一部が残されて改装されたようです。外壁も塗り直され、モダンなデザインは古さを感じさせません。

 現在はすぐ隣にできた国立新美術館の管理になっているという話しでした。


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ただ玄関へのアプローチの手すりに,、往時をしのばせる痕跡があるだけでした。

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ソーリの地元、下関はどうなってるの?

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 怖いもの見たさで、はるばる下関まで行って、写真をとってきてしまった……この横断幕、いつまでかけておくのでしょうか。
 
 ふぐの競りで有名な唐戸市場です。一帯は再開発で一新されていました。

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石原都知事の豪華海外出張と高級将校のハチャメチャ

似ているなあ、とうなってしまったのが、この都知事と、戦前の軍部急進派将校が国家改造を図ろうと設立した「桜会」の中心メンバーで、豪遊ぶりを見せてくれた橋本欣五郎たちです。

 1930年(昭和5年)、満州事変の始まる前の年、昭和恐慌のただ中で国民の生活は行き詰まり、無産階級解放運動が高揚する中で発会したのが、秘密結社「桜会」です。当初の参加人員20数名でしたが、翌年5月頃には150名ほどの会員を擁することになります。

 会員は現役陸軍将校・尉官階級からなり、牟田口廉也、河辺虎四郎、根本博、長勇など、後のアジア・太平洋戦争で重要な役割を演じた者も多くいて、以後軍部の起こすさまざまな事件に登場することになります。

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期日前投票Zの怪 つづき

昨日お伝えしました期日前投票。
 あらためて調べてみると、おかしなことがいろいろ出てきます。
 驚いたのは、郵便による不在者投票からさらには代理記載制度まであることです。

 各自治体がHPで説明していますが、横浜市選挙管理委員会のサイトが分かりやすかったので、そこから。

投票日に投票場へいけない場合」には、

 期日前投票(投票箱に直接投函)と不在者投票(二重封筒による投票)の二通りがある。

 これができる人は


  • 投票日に仕事や学校がある場合

  • レジャーや旅行など、投票日に出かける場合

  • 病気、出産、身体の障害などのために、歩くのが困難な場合

  • 投票日当日までに、いまの住所から区外へ引っ越すあるいは、引っ越している場合


不在者投票には、
 仕事や旅行の出かけた先の各自治体選挙管理委員会、指定病院・老人ホーム等で行う場合と郵便で行う場合がある
 郵便による投票のできる人は、身体に重度の障害のある人、要介護度5の人

 ただし、この郵便による投票の制度を利用するには、あらかじめ「郵便等投票証明書の交付申請書手続」をして、選挙管理委員会から郵便等投票証明書を交付してもらわねばなりません。便
この申請書は、上記のリンクにありますように、ネットで手に入ります。

 ちょっと面倒ですが、1度これをしておけば、交付の日から7年間有効です。

 さらに、郵便による不在者投票における代理記載制度なるものについて。

 上肢または視覚の障害の程度が1級で、身体障害者手帳の交付を受けている人などが対象です。

 この制度を利用するには、郵便等投票証明書以外に「代理記載制度に該当する旨の申請書」と「代理記載人となるべき者のの届け出書兼代理記載人となる旨の同意書および選挙権を有する旨の宣誓書」の2つの届け出をする必要があります。
 (これもネットで手に入ります)。

 いったい、どういう人が代理記載人になるのでしょうか?

 さらに今年の11月1日からは、6月の
第164回通常国会で改正された公職選挙法により、
選挙人名簿抄本閲覧制度が見直されて実施されています。

 閲覧の申し出をする場合は所定の書類が必要ですが、ある人が選挙人名簿に登録された者であるかどうか確認する場合等が認められています。
 
 閲覧情報の他目的利用、第三者提供の禁止にも言及し、罰則規定も設けられていますが、どこまで実行可能なのでしょうか。

 ただ、ちょっと気になる事項を見つけました。

 氏名・利用目的の概要等の公表制度があります。これには、

 市区町村選挙管理委員会は、毎年少なくとも1回、選挙人名簿抄本の閲覧の状況について、閲覧申出者の氏名、閲覧対象となった選挙人の範囲、利用目的の概要等について公表することとなります。

とあります。

 この公表制度をさっそく利用して、選挙活動の裏側をチラッとでも見れないものでしょうか。

 それにしても、猫の目のように変わる選挙制度

 

沖縄知事選 期日前投票Zの怪

沖縄知事選の結果に少々脱力状態。

 瀬戸智子の枕草子さんが、格調高く「憲政の神さま」尾崎行雄の話しから始め、
 
元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照するところなのに、表決において多数さえ得れば満足する傾きがある。議事堂は名ばかりで、実は表決堂である」という彼、愕堂翁の言葉を引いて、痛烈に政権を批判しています。

 最後に、 

諦めるわけにはいかない。
絶対に。
へこたれる暇はない。


という言葉も加えて。 


さあ、元気を出そう!
と思った矢先、奇妙な話しを知りました。

 らくちんランプさんの記事によると、今回の沖縄知事選の期日前投票と不在者投票の合計が、約11万票(正確には11万606票)という空前の票数だったそうです(総投票数が669,112票でしたので、何と16.53%!)。 おまけにそのほとんどが与党候補の得票だったそうです。

 そこで思い出すのが、創価学会でいわれるZ票期日前投票のことを「というわけです。

 告示日の翌日から投票日の前日までこの制度の利用ができますから、投票日は1日とは限らない。今回の知事選は11月2日告示、19日投票でしたから、3~18日までいつでも投票日の状態でした。

 もちろんこの制度を利用するにはそれなりの理由も宣誓書の提出も必要ですが、今では病気や出産による入院だけではなく、レジャーや観光、買い物まで、その理由にすることができます。

 2003年の公職選挙法改正により導入されました。

 沖縄タイムズによれば、2005年の衆院選でこの期日前投票に疑問を投げかける投書があったそうです。

選挙期間は有権者が立候補者の政策などを吟味する時間だ。得票や投票率アップのため県民を駆り立てるだけじゃ、沖縄の民主主義は成熟しない」と。

 選挙改悪法でこんなおかしな制度を導入していたのでは、沖縄どころか、日本の民主主義は成熟しません

 結局私たちは、これまでも次々に成立してきたこうした悪法で苦労しているんですね。

 

「愛国心」には「血」のにおいがする

「愛国心」とか、「日の丸」とか、「君が代」とかの語を見たり聞いたりしたとき、肌感覚でなんともいえないものを感じる。これはいったい何か? と考えると、どうも「血」を連想するからではないか、と思い至りました。

 かつて血を連想させるものとしては「赤不浄」という「穢れ」のひとつがあり、これは出産や月ごとの生理で出血を伴うところからきています。この赤不浄の間は当の女性はもちろんのこと、その夫から家人までいろいろと制約を受けていました。
 ただし、穢れとしてただ避けられるだけでなく、新しい命を授けられることから、当然「畏怖」の念も持たれていました。

「血」といえば、血判状がありますが、これについては近いところでは、「青嵐会」(1973年結成)を思い出します。
 血判を押したんだから、といつか浜田幸一氏が口に唾をためて語ってました。メンバーで今でもいろいろ動き回っているのは石原慎太郎、浜田幸一、森喜朗あたりでしょうか。山崎拓、綿貫輔、野田毅らはまもなく離脱したそうです。
 なお、アベソーリの盟友中川昭一は、青嵐会メンバー故中川一郎の子。

 なんでも、「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」と誓い合ったようです。「議論に堕する」という語からは、議論を重ねてより良い解決法を探ろうとする民主主義の手続を軽視している、というよりも無視している、といえますね。

 もう少し古くなると、1932年(昭和7年)の一人一殺をとなえて政・財界の要人を暗殺した血盟団事件があります。これによって逮捕された被告のうち数人は血縁関係にあり、非常に強く精神的に結盟しているということで、この事件の主任検事が命名しました。リーダーの井上日召は組織を拒否し、連判状は作っていませんが、「血」=「命」をかけた誓いを実行します。

(ここまで書いてくると、なんだか全身に血がまとわりつき、ぬぐうのに苦労するような錯覚さえ覚えます)。

「血」という語はDNAの代わりに用いられたりもします。
「血の系譜」なんていう、生まれたときから運命的に逃れられないような人間のつながりを表す言葉もあります。「血の系譜」というしがらみの中で、がんじがらめになって苦悩する人の姿は、文学の主題の1つでもありました。

 アベ氏が政界に登場して以来、この血の系譜がやけに強調されてきました。ここでも血がまとわりついてきます。
 ただし、シンゾー氏が血の系譜で苦悩したとはとても思われません。むしろ「血」のつながりを利用してきたし、さらには政治家としての行動も、この「血」=DNAなくしては考えられないようです。 

 国民の一人ひとりが生を全うする上で支え合うことも、社会福祉政策が後退すればするほど、この血を分かち合った繋がりの中で解決することが求められていきます。私たちは、自己責任とか自助努力とかいって、この血の論理で線状に結びつく狭い社会=家族の中で、問題を解決・解消するように求められるわけです。

 この12月には議会に提出されるという千葉県市川市の「市川市男女共同参画社会基本条例」案は、この動きの最先端を行くものかもしれません。

 平成14年に成立したばかりの「市川市男女平等基本条例」を全面的に改訂するもので、「少子化の進展や経済社会情勢の変化に対応していく上で、男女が性別に関わりなく、その個性と能力を発揮できる社会の実現を目指している」とうたう前文を削除し、条文の全般にわたって削除と新たな付け加えが行われています。

 中でも「第6条 男女の特性を尊重しつつ……」という条文は、「男らしさ」「女らしさ」という考えで市民の生活を律していこうとするものではないか? という疑問が生じるのも当然でしょう。

 なんだか、一気に平塚雷鳥や与謝野晶子が論争した時代に引き戻されそうです。 

「教育基本法改正案」と同じく、まったく「新たな」法律を作ろうというのに、「改正」と名づけられて、世間の目をごまかしていますね。

 さて、話しを元にもどしますと、戦前・戦中には、「天皇の赤子」という擬制的家族のコンセプトまで提供されていました。

 日本という国家を戴く日本人の「赤子としての証し」は血で、忠義とは、血に象徴される「」を捧げることでした。
 
 「血」は、「犠牲となった命」と結びつきます。

 日露戦争に勝って手に入れた南満州鉄道を守備するためにの軍隊である「独立守備隊」の軍歌には

「ああ、十万の英霊の 静かに眠る大陸に 残せし勲を受けつぎて……」

 この十万の英霊とは日露戦争の戦死者のこと。静かに眠る大陸とは、おびただしい数の人々の血が流された大地でしょう。

 「愛国心」という漠然とした感覚を一皮剥くと、このおどろおどろしい「血」のイメージがわき上がってきます。

 前回のエントリーで触れたように、大島英美さんの言葉、戦争を始めるのは大人で、戦地に向かうのが若者」ですから、さしずめ戦争を始める、というより、戦争を始めようと画策する大人は、血に飢えた吸血鬼も同然でしょう。


政治の世襲化、利権構造も一子相伝?

ここ数日間の新聞記事で記憶に残った言葉。

戦争を始めるのは大人で、戦地に向かうのが若者なのです、といったのは、61年前の硫黄島で、日本軍との激戦の末に星条旗をうち立てた米兵6人を描いたノンフィクション『父親たちの星条旗』を訳した大島英美さん。「戦争を肌で感じれば母性がうずく」とも。

自発的」という言葉を例に挙げて教育基本法のことを語ったのは、大江健三郎さん。

……僕は不安だったんです。何でも専門家を尊敬している、そういうちょっと権威主義的な性格で(笑い)、ただの村の子供が自分の考えでものを決定したり、行動したりすることはできない思っていました。しかし、教育基本法にあるという。それ以来友達と「自発的にやろう」といつも言った。あれがなければ、東京に出てフランス語を勉強してみようなんてことは思い立たなかったでしょう。

 自発的精神を養い、という文言は現行法第2条にあります。改正案にはありません。

と、大江氏はつけ加えています。

さらには、政治家が
己の職業に畏れを持たずに「妙に大きいことを言う」と指摘されています。

……畏れを感じない人たちが言い始めるのが、伝統とか文化とか歴史とかについての「美しい言葉」です。言ったことが実現しなくても責任は問われない。もともと責任はとれないことです。その間、細かな現実で苦しむ弱いものは何もしてもらえない

(以上、毎日新聞からの一部抜粋でした)。

 人間としての良心も、民主主義を実践していく政治家としての良識もうち捨てているかに見えるアベ氏を筆頭にした政権与党の政治家たち。

 なぜこうしたことがまかり通るのか。

 答えの1つが、やはり政治家という身分の世襲化にあるのではないでしょうか。

 政策決定をするうまみを一族が存分に味わい、アベ氏と統一協会のように、利権構造を奥義として、一子相伝するのかな?

                         

 バナーは雑談日記さんからお借りしました。雑談日記さんととりあえずガスパーチョさんの合作のようです。ありがとうございました。           

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こんなのイヤだ!!  与党で単独採決!

これが私たちの国の国会か!!!    

 衆院特別委員会での教育基本法採決を強行する構えの政府要人4人
 
 与党単独で可決した後、深々と頭を下げる高市、上目遣いの塩崎、軽く一礼する伊吹の3氏の写真

 理は自分たちにないことが分かっているからこそのごり押し採決!

 エリート意識と狡猾さだけ、保身だけを学んだ議員たち。

 自分たちと自分たちに繋がる人間のことしか頭にないのでしょうね。

「何事も学ばず」の戦中・戦後生まれの政治家たち

アベ首相や森元首相等が執心してやまない教育基本法の改悪案。
 そこにいわれる「我が国と郷土を愛する態度」を育てる基礎となる小学校過程の学習指導要領では、すでに98年の改訂で、6年生の目標に「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」と明記されているのはよく知られています。

 その学習指導要領で小学6年生が学ぶように推奨されている人物の1人に東郷平八郎がいることを知ったのは、つい最近のことです。

 なぜ軍人が? 

 ことの始まりは1988年(昭和63年)の学習指導要領に始まりますが、その伏線はすでにその3年前からあったようです。

 昭和60年に「教科書問題を考える議員連盟」が発足し、その翌年森山欽司・同連盟幹事長(故人)が、教科書正常化国民会議の機関紙に「東郷平八郎を知らぬ中学生」と題して寄稿したそうです(森山欽司氏は、衆院教育基本法特別委員会委員長の森山真弓氏の夫君)。

 62年には教育課程審議会が、「明治維新以降について、わが国の近代化に尽くした人物のはたらきを中心に内容の精選を図る」とうたう答申を出しています。これを受け指導要領が作られ、時代を12区分した日本の歴史のうち、「日清・日露戦争と国力の充実」に即した人物として伊藤博文と東郷平八郎に決まったようです。

 これに当時の中島文相が抵抗し、結局内閣が交代した63年に実施することになります。

 なぜ中島氏が東郷平八郎を時代の代表として教えることに難色を示したのか? というと、父親が興した「中島飛行機」の造ったエンジンを載せた戦闘機で若い兵士が多数亡くなった歴史にいきつくようです。

 これ以前の学習指導要領のもとでの教科書は、7社のうち6社が「君死にたもうことなかれ」の与謝野晶子を採りあげていました。この与謝野晶子を排除して東郷平八郎をとりあげたわけです。

 教育行政が戦後の教育に横やりを入れて、巧妙に教育の主体をずらしてきたこと、さらにはこうした「偉い人」として教える人物を取り替えてきたこと、そうした戦後教育の修正の集大成が今回の教育基本法改悪案ということでしょう。

 大体、「偉い人たち」が歴史をつくってきたという見方にも大いに疑問を感じますが。

 11月11日の毎日新聞では、森元首相が「国・伝統に目をむけよ」と吠えています。

「日本の国が経済発展のため産業を興し、技術屋さんやサラリーマンを大量に輩出する方向に走った。人間としてもっとも大切な国歌、歴史、伝統など今まで脇に置いていた物に目を向けようというのが基本法改正ですよ。子供たちに国旗や国歌を教えていない国は日本だけだった。国旗・国家法を制定してやっと国民の手に取りもどした」と。

 いやいや、私たちが戦後この手に一部であれ取りもどしたかと思われた歴史や伝統が、ここでまた奪われようとしているのです。

百姓はすごい!」に書いた江戸期の民衆運動、明治の自由民権運動の中で作られた各地の私儀憲法の精神等々の、民衆の歴史と伝統に目をむけよと、アベ首相にも森氏にも言いたい。
 
 先日来私が口惜しい思いでいっぱいになるのは、明治以来60年前まで、20歳になったばかりの若者を戦場へと駆り立てたこの国の仕組みを考えるときです(太平洋戦争になると、まだ少年の15、6歳で戦死したりしてますね)。

 ましてや私の父は2.26事件と出会ったばかりに満州の最前線に追いやられ、「死ね! 死ね!」と言われて戦わされました。よく生きて帰ったものだと今更ながらに感嘆しますが、それでも出征を前にして氏神さまにお参りしたときの心情を思うと、たまらなくなります。

 戦後、政権によって何度も手を加えられ続けてきたこの国の教育も、森氏の言では「戦争の悲惨さが身に染みた長老たちが、為政者の考えで教育を左右してはいかんと反対した」ことがあったそうです。ほんとうにそのとおり。そうした戦争経験者たちが、最後の防波堤になっていたのでしょう。

 基本法改悪案成立にはっぱをかける森氏は1937年の生まれで、戦争を少しは経験しているはずですが、わからないようです。

 ナポレオン戦争後のフランスに帰国した亡命貴族たちエミグレは、革命への怨念に燃えるばかりで、「何事も学ばず」といわれましたが、森氏たちにもその言葉が当てはまるのではないでしょうか。「自分の目で見たはずの戦争」についても、「何事も学んでいない」のかもしれません。

 雑談日記さんからバナーをお借りしました。ありがとうございました。
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   そうそう、いつも地道にコツコツといろいろ名簿を作成して提供してくれる村野瀬玲奈さんが、ご自身のブログをたちあげました。「秘書課、村野瀬玲奈です」です。
 おめでとう! 村野瀬さん。

 これからもよろしくね。


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教育行政で満身創痍の戦後教育

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 昨日、最寄りのJRの役に立ち寄った際に見ました。11~17日まで「税を考える週間」だそう
です。  知りませんでした……こんなキャンペーンがあったなんて。  でも、なにか違います
よね。  折しも時期柄、町のあちらこちらでめったやたらに道路が掘り返されているところ。
 道路工事
 つぎはぎだらけになった道路が舗装し直されてほっとしたと思ったら、その状態が、いった
い、いつまでもってきただろうか、と思わず考える。特に我が家近くのこの道路は、都心部の
人と車の往来の激しいところと違って工事がやりやすいのか、とにかく「年がら年中」工事中
の印象があります。  
 
 横目で通り過ぎながら、これは失業対策か? それならそれで、都市にとっても携わる人に
とっても、もっと建設的な対策はできないのか?
 などと思う。

 「税を考え」と言って、いったい国税庁は私たちに何を求めているのか? 少子高齢化社
会の中で莫大な借金を抱えたこの国の現状をしきりと訴えていますから、これからの増税路
線を覚悟しろ、とでもいうのかな? 
  政府税制調査会の次期会長に内定した本間正明大阪大学教授は法人税改革に強い意欲
を示して「世界の法人税改革の流れから遅れている。」と語ったといいますが、ほんとうかな?

 仮に本当だとしても、その世界の流れが望ましい方向に行っているのか、というとまた問題
は別だ。

 などなど、税のことを考えると疑問は尽きませんね……なるほど、「税を考える週間」です。

 しかし、国の主権者である私たち一人ひとりが税も含めた政治問題を考えないように仕向け
てきたのは、歴代の政権を担当してきた政治家と、それを支えてきた官僚ではなかったのかし
ら?

   まだ私たちが臣民で国の主権者とは規定されていなかった明治憲法の下では、税や政治
について考えると命さえ危ぶまれる状況でしたから、私たちの頭の中には政治のことは考える
な、としっかり刷り込まれている上に、いろいろ考えられると政権運営に面倒とばかりに、
「上意下達」でことを推し進められてきたのがこの国の戦後政治ではなかったかし
ら?


 そういえば、先にあげた写真にあるつぎはぎだらけの道路を見て、なにか連想しませんか?  
 教育行政でつぎはぎだらけにさせられた戦後教育を連想しませんか?


   さて、それでは、そのつぎはぎ過程の一端を見ていきましょう。

1946年11月:日本国憲法が公布されたが、そこで新たに「教育を受ける権利」が盛り込まれ
た。 1948年6月:衆参両院が「教育勅語の排除」を決議。
 →ところが相も変わらずこの教育勅語に非常な親近感と期待をよせる政治家が後を絶たな
い。教育改革の旗を振る森喜朗元首相は、「教育勅語には人間関係の大事なことが書いてあ
る」と発言する。
「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ」という教育勅語の文言それ自体は否定さ
れるものではなくとも、紛れもなくこれが、天皇の赤子として、先の世代の人々が戦争に駆り
出されていった事実を支える倫理観
でした。
 1948年7月:教育委員会公選制を定め、各教育委員会が発足。    
 教育委員会って、私と同い年です。
 →56年:公選制から首長による任命制に変更。

1958年10月:全面改定された小中学校の学習指導要領に、国旗掲揚と君が代斉唱が初め
て盛り込まれる。
 1999年8月:「国旗及び国歌に関する法律」施行。

1952年6月:文相の諮問機関、中央教育審議会発足。
1965年1月:中教審「期待される人間像」草案発表。社会規範や愛国心を強調。 ちなみに、こ
の「期待される○○像」は当時一種の流行語で、しきりと揶揄されながら引用されてましたっけ。

1984年9月:政府の臨時教育審議会が発足。中教審だけでは政府の意を呈するのに不十
分だったのでしょうか?

2000年3月:政府の教育改革国民会議が発足。  
        12月:最終報告で「教育基本法の見直し」を提言する。
2003年3月:中教審も「教育基本法改正」を答申。 と、教育基本法を改正すべき、という意見
のそろい踏みで2006年4月に政府が基本法改正案を国会に提出することになります。

  いつものことながら、「国」や「伝統」を大切にしろ、と大声で主張する森氏以下の面々です
が、いったい彼等が口にする「伝統」とは何を指すのでしょうか。

 自由民権運動や大正デモクラシーの伝統でないことは確かです。


  うわあ、こんなところにも、国税庁のコマーシャルが。 20061111132234.jpg

秩父事件から122年

関東を旅して、長年暖めていたもののひとつをやっと実現しました。もう30年も昔になるでしょ
うか、井出孫六さんの著書を読んで以来、ずっと気になっていたことですが、足を伸ばして、
秩父困民党が政府軍と衝突したという、当時の金屋村、現本庄市児玉町金屋の、真言宗豊山
派の古刹「円通寺」を訪ねてきました。
 山門
 運良く、庭に出ておられたご住職の西尾さんに出会い、お話をうかがった上に困民党のお墓
まで案内していただきました。 20061109154850.jpg
お墓
 もともと、ただ石を積んだだけで辛うじて墓と分かるだけだったものを、西尾さんがこうして整
備・弔いをされたとのことです。
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 望遠で撮った問題の門。銃痕がまだ残っているそうですが、あいにく私の方の都合でそこま
で確認にいけませんでした。次の機会には是非訪ねてみたいと思います。元教員をされてい
た方が今住まわれているとのこと。
 墓地から見た本堂
 

 墓地から見た本堂。 本堂
   当時、本堂の屋根は藁葺き(茅葺きではありません)で、負傷者はこの本堂の廊下に寝かさ
れて、彼我の別なく医師の手当てを受けましたが、ほとんどは困民党の人員でした。ものの本
には死者15名とありますが、実際は7名です。その氏名も明らかではありませんでしたが、最
近子孫の方がお参りにみえて、お一人の名前がやっと分かった次第です、とは西尾さんのお
言葉です。  「風布」は昔から「ふっぷ」ではなく「ふうぷ」と呼ばれていましたし、実際は、政府
軍も高崎ではなく浦和から来ていますよ、とも言い添えてくださいました。  

金屋村が後に合併した児玉町は、明治以来、養蚕技術の改良・普及活動の拠点となった競
進社のあったところです。今でこそ探さないと見つからないほどですが、昭和30年代まではこ
のあたりでも桑の木が畑を覆い尽くしていたことでしょう。蚕の育つ時期は家人が総出で昼夜
の別なく給桑し、1日中蚕が桑をはむザワザワという音がしていたといいます。 そうしたこの地
方の人々の暮らしと、生糸価格の暴落と増税で生活に困窮して、「恐れながら 天朝様に 敵対
するから 加勢しろ」と立ち上がった秩父の人たちへの思いが渾然として凝縮し、迫ってくるよう
感覚を覚えます。
  この日はちょうど11月4日。  年表を見ると、期せずしてここで戦闘のあった日と重なり
ます。122年前の11月4日夜半のできごとでした。

多重債務も構造問題

(時々、記事のカテゴリ分けに迷います。社会の問題にしても政治の反映だという思いがあるからです。今日の話しも一応社会のカテゴリに入れましたが、やはり政治が深く関わっている、そんな問題のひとつです)。

 11月1日の朝のNHKテレビで、多重債務者問題が取り上げられていました。偶然目にしたところで内容が気になってそのまま前半を見てみました。

 昨年の自殺者数は、およそ3万2千人、8年連続で3万人台。業績不振から多重債務に悩む中小企業の経営者や消費者金融にお金を借りて返済に行き詰まったサラリーマンが、誰にも相談できず自殺へと追い込まれていってる、ということでした。

 コメンテーターはNPO自殺対策支援センター ライフリンク代表清水康之さんと、金子勝さんおふたり。

 この2人が異口同音に言われたのが、多重債務の問題は構造的な問題である、ということでした。

 要旨のみを記すと以下のようになります。

 高金利にもかかわらずに利用せざるを得ない人は弱い立場にある人で、いったん借りると一気に多重債務に陥るが、その根っこには構造問題がある。

 世に景気回復がいわれていても、毎年3万人の自殺者が出ている。再チャレンジ云々といわれていても、ますます格差社会が広がるばかりで、この多重債務者問題は格差社会の象徴といえる。

 貸出金利は相手となる企業によって異なる。つまり大企業、中小企業、零細企業、また中小でも優良企業によって異なる。

 ギャンブルや買い物等による多重債務がクローズアップされているが、実際は、事業の失敗、収入減を原因にするものが圧倒的に多い

 なぜか?

 苦しい人に低金利で借りられるものがないからだ。

 3年以上黒字が続かないと、低金利での融資は受けられない。
 また金融保証会社を利用したところで、金利とは別に、7~8%の保証金を取られる。

 アンケート調査によると、借金苦に悩む人の6割が自殺を考え、4、50代の働き盛りに自殺者が多い。

 一般に自殺は他人事のように受けとめられているが、これは情報を知らされていないからだ。いつ、誰が多重債務に陥ってもおかしくはないほどの深刻な問題だ。

 と、ここでも、一般の人への情報の広がりが決定的なくらい不足している現実があることを痛感します。「景気回復」の言葉は、これまでもメディアを通して幾度となく聞いてもきましたし、見てもきました。でも、この「景気回復」の言葉と矛盾するような、経済苦・多重債務を背負って自ら命を絶っていく人の多さには目をつぶっての景気回復宣言だったのでしょうか。

 番組にも出てきたように、この問題に取り組んでいるのは、どうも民間の個人や団体のようです。
 公的機関では裁判所で行われる特定調停もあり、かかる費用も少額ですが、そうした制度のあること自体があまり知られていません。

 1930年前後の不況で疲弊した農村を象徴的に表すものとして、「娘をうる前に」の看板を立てた相談所風景が昭和史によく登場します。

 昭和11年(1936年)1月に入営して2.26事件に参加した一中隊の兵士身上調書を見ると、出身家庭の生計状況の悪さ、高等小学校卒という学歴がほとんどであることに驚きます。
 事件当時、近衛師団の少尉であった人は、「元来、近衛師団の歩兵連隊に入隊する壮丁は、各都道府県知事の推薦によって選ばれた人々であった……裕福な家庭に育った青年ばかりであると想像していたが、身上調書ができあがるにつれて、家庭の事情欄には、小作農、生活貧困が多く……当時の社会記録をひもとくまでもなく小作農の生活は悲惨そのものであった」と証言しています。

 そして平成の不況の象徴は多重債務者問題

 ソーリではありませんが、後世の歴史家はこれをどう評価するでしょうか。



陸大出の栄光・軍部の専横

 1945年、夏、日本に降伏を迫ったポツダム宣言受諾をめぐって問題になった国体護持とは何でしょうか。そもそも、護られるべき「国体」とは何だったのでしょうか。

 稲田朋美さん達が主張する「天皇親政」がこの国体を指すことになるのでしょうが、祭り上げた天皇のもとでエリート達が国政をほしいままにする体制が、この「国体」だったのではないでしょうか。

(今、稲田氏のHPをみると、肝心の部分が削除されています。なんだかねえ、爪を隠したんでしょうか。
「明治維新は700年前の天皇親政を取り戻しながら、近代化を推し進めた、ここに明治維新の特徴があったわけです。だからこそ日本は困難な時代において、アジアで唯一欧米に植民化されることなく、日清、日露の戦争に勝ち、近代国家へと生まれ変わることができたのです。私は、日本再建のキーワードとして「伝統と創造」を掲げ、日本のよき伝統を守りながら創造を続けることで真の改革を実現したいと思っています」と、削除された一部にあったのですが)。

 孫引きで恐縮ですが、昭和37年に時事通信社から出た、日本陸軍最後の参謀次長・河辺虎四郎中将の書『市ヶ谷から市ヶ谷へ』には、「事実軍部の中枢には“天保銭組”が座した。したがって“軍部”の構想は“天保銭組”の頭脳から流れた」とあるそうです。

 軍人勅諭で禁じられていたにもかかわらず、とりわけ広田内閣で軍部大臣現役武官制が復活(1936年)した後、全会一致を旨とする閣議に対する軍部の専横は目に余り、国政をも左右することとなります。

 ただでさえ肩で風を切って意気軒昂に、陸軍省と参謀本部の要職はすべてこの天保銭組が独占したそのうえに、国政も思いのままとは。この時の栄光は、容易には忘れがたいものでしょう。

 ただし、60年にわたる陸軍の歴史の中でこの華々しさを誇るのは最後の20年ぐらいで、とくに大正末から昭和の満州事変までは世間の目は冷たかったといいます。とりわけ宇垣陸相断行の4個師団廃止あたりは、軍人といえば税金泥棒扱いされていたとか。

 この世間の評価を、軍人たちは自らの行動で変えていこうとしました。初めはクーデターで、次は内閣制度の内側から。

 満州事変の前年、1930年10月に、国家改造を目指す青年将校たちが結成したのが「桜会」。これより先の大正10年(1921年)に陸大出のエリートは「二葉会」の会合を重ね、昭和3年(1928年)には別な流れの「一夕会」も始まっています。

 二葉会の初会合はドイツのバーデンバーデンで開かれ、ここでの大きな話題がルーデンドルフの総力戦論で、東条英機もベルリンより参加しています。

 ここで今に自分たちの時代が来ると臥薪嘗胆を誓ったわけです。

 桜会は発足した翌年の1931年5月頃にはおよそ150名の会員を擁し、そのメンバーを見れば、アジア・太平洋戦争で大きな役割を担ったものの名がずらりと見えます。

 第1次大戦後の不況に1927年の金融恐慌が追い打ちをかけて国民生活か困窮を極めた時代、浜口雄幸首相が右翼の凶行にあい、労働争議、ストライキが頻発する時代。

「日本は内外ともに重大な危機に直面している。まさに非常時である(どこかで聞いたような文句ですね)」と桜会は訴え、強力な国家統制が必要である、と力説するのです。

 満州事変が起きると繰り返し満州の関東軍に打電してその行動を煽りに煽ったうえにクーデター計画に着手する橋本欣五郎中佐のようなものも出てきます。
 かれらが連日連夜赤坂、新橋などで芸妓を呼んだ宴会を開いて計画談義をしたという話しからは、後日の、太平洋戦争中の高級将校連の遊興三昧が連想されますね(この様子を見て愛想をつかしたもの達もいたらしい)。
 
 何度かクーデターが計画され、未遂に終わりますが、血盟団事件、五・一五事件、そして二・二六事件と、時代は息つぐ間もなく流れます。

 二・二六事件後に監督不行届で軍長老が現職を辞し、また岡田内閣も総辞職。広田弘毅が組閣を行います。ここで、1913年に予備・後備役にまで拡張した軍部大臣の任用資格を、再び現役の大中将に限定したのです。これが軍部大臣現役武官制復活です。
 この時の陸相が寺内寿一。シベリア出兵を行い、米騒動で総辞職した寺内正毅の長男で、長州閥に連なります。
 組閣の際には、陸相予定者としてこの寺内寿一が自由主義者を大臣にするな、と要求。さらには陸軍大臣になれるのは現役の大将か中将に限定せよ、とごり押ししたわけです。

 これがどういう意味を持つかというと、

 政策等が気に入らないときは陸相がひとり辞任し、その後継を推薦しない。閣議は全会一致が原則のため、陸相が欠けては内閣は機能不全に陥り、総辞職においこまれる、ということです。これにより、以後陸軍は政治をほしいままにすることが可能となりました。

 ちょっとした制度改変がどれほど重大な結果を招くか、ということを示す良い例です。

 とりわけ相手方が執拗に迫ってくる場合は要注意。
 
(来週は軍部の問題をさらに詳しく見ていくつもりです)。

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