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アベ総理 岸信介 モラロジー研究所

アベ内閣は重要政策と人気取り政策を使い分け、この二つは同時進行中。

 昨年の防衛庁省昇格・教育基本法改悪に続いて、現在も憲法改悪の手続きを定める国民投票法案、教育関連法案、社会保険庁改革法案など、たてつづけに成立を強行しそうですし、公務員改革と称して、「あっせん禁止を柱とした公務員制度改革関連法案は24日、与党や中央省庁の抵抗を受けながらも安倍晋三首相の強い意向で閣議決定にこぎつけた」と伝えられています(4月25日毎日)。

 そして発足以降下がり続けていた支持率が上昇して、さらには3ヵ月ぶりに支持が不支持を上まわり、「政府・与党は夏の参院選に向けた『反転攻勢』の足がかりを得たと受け止めている。首相の指導力や政策への期待も高まっており、政権運営に一定の追い風となるとみられる」という声まで出る始末。
 AFPには外交や積極的な国内の地方視察などにより「顔が見える」ようになったことが評価されたとあります。

 でも、外交の成果が分かるのはまだこれからでしょ。
 大体、内と外で使い分けている舌のせいでいかにも成果を挙げたように見せかけている今度の訪米にも、美爾さんとらちゃんの所でいろいろと疑問が投げかけられているというのに。

 人気取り政策で見せている顔なんて信じちゃ駄目! 
 
 とどこかで怒っている声が聞こえます。

 1泊2日の米国行きでは、拉致問題解決への協力を求めてどうにか格好をつけましたが、よくよく聞いてみれば、「変わらぬ支持の表明を確約」しても、大統領は北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除に拉致問題を考慮する求めについては明言を避けた(28日毎日)、といいます。

 なんだか、かなり無理をして支持を取り付けた感じですね。
 
 それに、
「変わらぬ支持の表明」って、なあに?
拉致問題を解決しようとする日本の努力を支持するということ?
で、どんな努力をアベ氏はしてきたの?
これまで米国の支持で、拉致問題に何か進展でもあった?

と、これまた、たたみかけるような怒りの声。

《国民的人気》を後ろ盾に首相の座に就いた人だけれど、自身が口にするのは《妖怪》にして祖父でもある岸信介のことばかり。

 華氏さんによると、自民党が24日に開催した「新憲法制定推進の集い」では、「改憲は祖父の岸信介元首相が果たせなかった宿願だった。私たちの時代に宿題を果たさなければならない」とも述べたらしい。

 おじいさんの果たせなかった夢を実現するために、一族の期待をになって首相になったことをうかがわせるような言動は、これまでもたびたびありました。

 支持率が40%を超えるというのがほんとうならば、《名門》という砂糖衣にくるんで大衆の前に差し出された岸信介の孫の毒に気づかない国民が40%以上にのぼるということ。ちょっと信じがたいですね。

 1987年に90歳で亡くなった岸を知る人は、もうあまりいないかもしれません。
 かくいう私も岸が首相にあった頃はまだ子どもで、暴漢に襲われた写真が新聞に大きく載ったことや安保改定や国会批准時の怪異な容貌ぐらいしか頭に残っていません。で、概して世間は否定的な評価だったような印象があります。

 それが、偶然見つけたサイトで「
「日本を独立国としての矜持をもつ国家にしようとした宰相、大衆迎合主義に陥らなかった真の政治家」と紹介されていたのですから、びっくりしました。
が、以前から耳にしていたモラロジー研究所とかのセミナーで話されたというので、ちょっと納得。同時に日本会議に連なる団体として謎めいていたこの集団の中味を覗いたような気分です。

 誰が日本を独立国としての矜持をもつ国家にしようとした宰相ですって!?
 大衆迎合主義に陥らなかった真の政治家ですって!
 孫も国民の迷惑を顧みずに自説・持論を言い立てて走り抜く覚悟のようですが、そのくせ大衆人気を獲得しようと、パフォーマンスに余念がないというのに。

 といよいよもって怒りの声。

 真の政治家として岸を紹介したのは、自由主義史観研究会理事上原卓氏。
 元教員のこの人の本は、モラロジー研究所(広池学園事業部)から刊行されています。

 広池学園とは正しくは学校法人廣池学園といい、幼稚園から大学までを擁した総合学園で、おまけにゴルフ場まで経営。
 学校名は麗澤。「道徳科学『モラロジー』に基づく知徳一体の教育」を基本理念とする、と謳われています。学園のあゆみを見れば、昭和10年に道徳科学専攻塾としてスタートしたということで、モラロジー研究所の由来が分かります。

 やっぱり、倫理とか道徳を言いつのるところには、なにやら危険な匂いが。

 怖いもの見たさでサイトを覗いてしまいましたが、リンクはしません。そんな気にはなりません。『新しい私を育てる』なんて言われたら、逃げて帰ります。
 
「 豊かな時代なのに、充実感が持てない。人間関係や自己不信に悩んでいる…。自分にとって大切な価値を見つけるには…。実りのある人間関係を、自分から積極的に築き上げましょう」と囁いてくるのですから。

 これが歴史修正主義を受け入れる心でしょうか。


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牛肉が怖い。 アベ氏に戦略はあるのか

今、かなり真剣に、子供たちの食事を心配しています。

 私たち夫婦は魚好きの夫と菜食好きの妻の組み合わせ。
 美味しいものを食べるためには手間も暇も惜しくはないが、高いお金をかけるのは惜しい、という食い道楽の夫ゆえに、まあ、我が家の食卓は何とかなるでしょう。

 けれど、気になるのは共稼ぎの子供たち夫婦。
 手間も暇もかけられない、お金だってかけていられない若い家族が、これからの食生活をどうしていくのか、頼まれもしないのに気になります。勝手に心配。

 何のこと? といえば、アメリカ牛のこと、決まってるでしょう。

 アベ首相はわざわざ米国まで行って、おいしいぞ、健康増進にいいぞ、といわれながらハンバーガーを食べさせられてしまった。

 超党派のアメリカ上院議員数十名が、日本の輸入制限を撤廃させろ、全面的な輸入再開だ! と大統領に圧力をかけているみたいですし。

 首相訪米を控えた24日には松岡利勝農水相はマイク・ジョハンズ農務長官と電話で会談しているし。

 なんでも、日本の査察官をアメリカの食肉処理工場へ派遣することで意見が一致したとかいってる。
 
 疑惑なんでもありぃの農水相は、「日本側の要求がほぼ受け入れられた形だ。今後の米国産牛肉の安全が保証されることなり、大きな前進といえる」と話し、お相手の農務長官は、できるだけ早く日本の査察官を受け入れたい。査察が完了すれば日本向け牛肉への『全箱検査』は終了する」と言ったというし。

 5月には国際機関「国際獣疫事務局」(OIE)が、月齢を問わずに輸出できる「準安全国」に米国を認定する見通しだというし。

 私には農水省も農務省も、松岡利勝もマイク・ジョハンズも信じられないし、国際獣疫事務局(OIE)も信用できないし。

 もしかしたら、慰安婦問題でアベ氏に圧力をかけておいて、ぺこぺこ謝るところに突っ込んだりするのかな? 
 下げていた頭を急に上げて、検査を日本並みにしろ、トレサビリティ・システムを確立してから輸出してくれないと日本人はアメリカ産牛肉を食べないぞ、とは言えないものねえ。

 これはアベ氏が自ら蒔いた種。謝るところを間違えてる。
 よく調べてよく考えてから喋らないから。

 それとも、言うこときかないと報復措置を取るぞ、と脅されたのかな?
 経済的報復措置って、何を指すのかな?
 日本の輸出花形産業に、もっとたくさん関税をかけるぞ、ということかな? もしそうだとしたら、当然日本の輸出企業側からアベ氏に圧力がかかるだろうし。

 戦略的外交とか戦略的互恵関係とか、「戦略」という言葉が好きだけれど、ほんとにアベ氏には戦略があるのかな?

*追記: 日米間の協議とは別に、家畜疾病についての国際機関、国際獣疫事務局OIEでは、無条件で輸入を承認すべき物品として、現在の牛乳・乳製品のほか、骨なし牛肉等を追加する等のBSEコードの改定案(改正案、とはいいたくないです)が提案され、5月下旬に改定される見込みだそうです。

 これ自体には強制力がないとはいえ、この国際基準に適合する措置はWTO協定に適合していると見なされて、これより高い基準をとろうとする国は科学的に正当な理由があることを立証しなければいけないわけです。

 つまり、全頭検査とかトレサビリティ・システムとかを採用する日本は、これをアメリカにも要求するには、自分で《科学的》な根拠を示さなければならないということ。
 
 アメリカにとって、OIEの決定に自国の利益を反映させることなど、簡単なのでしょうが、なぜそうなっちゃうの? 科学的に正当な理由って何? と素朴な疑問を感じませんか。
 
 自分の国の牛肉は安全だ、という科学的根拠を示してくれないと、食べてやらない、と抵抗するより手はないかもしれません。

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民主党候補についての誹謗中傷 組織的か 

都知事選と参院沖縄補選で、それぞれ8日と22日の投票日数日前から民主党や同党が支援した書き込みがインターネットの掲示板に、計延べ10万件が集中的に貼り付けられ、組織的に行われた可能性がある、と今日の朝刊に報道されていました。

 びっくりしたのは、この書き込みが政治問題を扱った掲示板やブログではなく、2チャンネルの「料理」や「医学」関係の掲示板にコピー・ペーストされて転載・引用されていたこと。

 らんきーブログさん「ブログ共闘で普通の人たちを巻き込もう!」と呼びかけたのがつい数日前。「反戦の家づくり」さんが「ブロガーの皆さんへの提案 読者範囲の拡大のために」と政治以外の分野のブロガーに声かけ=TBをしていこう、と呼びかけたのも同じ頃のことです。

 ところが、相手はとっくの昔に実行していた、というわけですか!

 報道によると、都知事選については「料理」の掲示板で「東京都の人は、ぜひ読んでみてください」として「反日団体が総がかりで応援しています」、参院沖縄補選では「医学」の掲示板で「どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります」という文面だったとか。

 そしてこれらが他の掲示板や一般のブロガに転載・引用されていたというのです。

 私たちが公職選挙法に神経をとがらして、いかに自分の思いを人に伝えようかと頭をひねっていたとき、相手はこうして大量に、根も葉もない雑言を書き連ねてネットの中に誹謗中傷を広げていったんですね。

 いつものことながら、なりふり構わぬ汚いやり方です。

 根拠のないことは言いたくない。
 根拠があっても、汚い言葉は使いたくない。
 根拠があって、良識の許される限りで適切な言葉や言い回しを見つけても、それを使って裏で操作するようなことはしたくないし、そんなやり口に手を貸したくない!

 といつも思っている私たちは、往々にして守勢に立たされますね。それはこれまでも分かっているんですよね。
 でもやはり、相手の土俵にのりたくない。
 合法・非合法のすき間を狙い、組織的に役割分担して責め立ててくる相手にいったい何ができるのだろうか? と怒りとも嘆きともつかぬため息が出てきそう。

 自分の良心に照らし合わせたことしかできない。
 それでも時に間違ったりする平凡な人間。
 やはりコツコツと、そして人と力を合わせるしかない、と思う。


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敗北の翼 トロント映画祭

朝のニュースから引用。

 カナダのトロントでは、毎年、ドキュメンタリー作品の映画祭が開かれ、ことしは1700点余りの応募作品から選ばれた129点が11日間にわたって公開されています。

 監督を務めた日系2世の森本りささんが、亡くなった自分の叔父が特攻隊の元隊員だったことを知ったのをきっかけに作ったものです。映画は、特攻隊員を命じ られながら一命を取り留めた元隊員たちが、戦争に終わりが見えないなか、死への恐怖に苦しみながら命令に逆らえず出撃していった当時の心境や、送り出した 家族の思いなどを紹介しています。

(以下省略)

 これが「敗北の翼 Wings of Defeat」。

 今年の夏から一般公開されるということで、楽しみです。


 *その他、戦争と平和を考えるときのお薦めビデオを見つけました。

 一つはYou Tubeの「明治学院大学元学長森井眞さんのお話。前編と後編があります。

 自分と同じ時期に
 地球上の異なった地域にいて
 他者の運命を
 自分のそれとして受けとめること
 これが教養だというのです。ものをたくさん知っているとか、読んでいるとかではなくてね。

 という言葉で始まります。

  もう一つは、JANJANにありました。
 「国際社会は日本国憲法の出番を待つ」のタイトルで、武者小路公秀氏の講演の記録。

 憲法前文と九条はワンセットの「歴史の到達点」だ、という言葉をもう一度噛みしめたいですね。


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↑ 雑談日記さんからお借りしました。

アベ氏と法的措置

報道によると、昨日24日の夜、アベ総理が週刊朝日の記事にカンカンだとか。

「私や私の秘書が犯人や暴力団と関係があるのであれば、直ちに首相も衆院議員も辞める考えだ」と述べ、強い憤りを示した。さらに「いくらなんでもだまっているわけにはいかない」と、法的措置を取る意向を明らかにした。

 というのですから、穏やかではありません。

 ネット上では疑惑のかたまり、闇の勢力との怪しい関係をいろいろ指摘されているアベ氏ですから、好奇心も手伝い、先週に引き続き、生まれて3度目か4度目の週刊誌購入。

 で、買ってみると、なぜそんなに怒るの? わけ分かりません、という感じでした。アベさんって、クリーンが売りだったの? という疑問も含めて。

(追記: asahi.comには、見出しに激怒したとありますね。でも、秘書がトラブルに巻き込まれて、その相手が水心会だったのであれば、関係ないことはない。しかもそのトラブルは
競艇の場外舟券売り場の利権をめぐって秘書が口利きをしたことから生じたようですし)。

 アベ氏と長崎事件の接点については、「反戦な家づくり」さんや気まぐれな日々さんがすでに記事にされています。

 秘書のトラブルをめぐっては週刊ポストが4月13日号で報じているわけですが、そのトラブルと1月に警視庁に逮捕された、長崎市長銃撃事件の実行犯城尾が属していた組織、水心会の幹部(37歳)とのつながりを週刊朝日は疑っているのです。結局、真相は今のところ分からないようです。

 秘書のトラブルについての捜査を安部首相側から依頼したことは安部事務所も否定したことは書かれているし、何をそんなに怒ることがあるのかしらん。

 アベ氏の暴力団との関わりについては、2000年6月から8月にかけて5回も下関市内の自宅と事務所に火焔瓶が投げ込まれたり、乗用車が燃やされたりした事件がありました。

 犯行後逮捕されたのは工藤会系高野組組長ら6人ということで、なんでもアベ氏の推す市長候補を勝たせるために暴力団関係者が対立候補の誹謗中傷ビラをまき、この時アベ氏秘書が300万をこの男に工面したとか。
 さらにこの男の要求にアベ氏が応じなかったために、火焔瓶攻撃に至ったということですが、何もないのに300万を融通するものでしょうか?

私や私の秘書が犯人や暴力団と関係があるのであれば、直ちに首相も衆院議員も辞める考えだ」というのであれば、とっくの昔に辞職していてもおかしくはないのに。

「法的措置」といえば、2006年に週刊現代が特集した記事のことで、講談社の野間佐和子代表宛に「通告書」を送りつけていることを思い出します。

 アベ氏は、北朝鮮強硬派で知られる裏側で、03年夏ごろからポスト小泉を狙うには北朝鮮問題で実績を上げるしかないとして、密かに自分の手柄にす べく2元外交を展開。しかも、その内容は「8名の拉致被害者家族」さえ帰れば、後の被害者のことは問わない、核開発もご自由に、さらに約60億円を支払う という、まさに媚びを売る交渉内容だった、という例の記事です。

 これ以前には、雑誌『選択』の6つの記事に対して名誉棄損で訴えるという「執拗な訴訟攻勢」もありました。(この問題記事が掲載されたときの編集長が、確かその後選択出版を退社してファクタ出版を設立した阿倍重夫氏です)。
 
 昨年7月号の同誌には、嘆きとも怒りともとれるような現編集者の声が載っています。

 この裁判の過程で強く感じたことは、安倍氏側のメディアに対する挑戦的、高圧的な姿勢です。全国紙での謝罪を本気でやらせようというのですから尋常ではありません。最近の安倍氏関連記事に対する抗議文も「まだ懲りないのか」といわんばかりの脅迫まがいです。

(以下省略)

 「まだ懲りないのか」といわんばかりの脅迫まがい、というのが安部事務所の持つ体質かもしれませんね。

 そういえば、FACTA創刊号の記事について弁護士に抗議書を送らせたのも、当時の内閣官房長官・安部晋三氏でした。

抗議書

当職は内閣官房長官・安倍晋三(以下通知人という)の代理人として、貴社に対し、以下のとおり、貴社発行にかかる「FACTA」創刊号(平成18年5月号、以下本件雑誌という)における不当な報道について抗議します。


本件雑誌において、「蓋された安倍晋三の実像」と題する記事(76頁)その他において、通知人に関する報道をしておりますが、種々の事実関係の摘示に誤りがあり、公正妥当な報道とは到底認められません。


(以下省略)
 
 FACTAは年間購読契約が必要ですし、格別経済に関心があるわけでもないフツーの主婦にはちょっと荷の重い購読料のために読んでいませんから、果たしてどんなアベ晋三像が描かれていたのか知りません。
 ただ分かることは、こうやってメディアに圧力をかけ続ける人物だ、ということだけは確か、ということです。

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日本会議 世俗権力 方便としての宗教

内部をよく知る人の分析によると、日本会議を組織するグループは3つに分けられるといいます。

1.保守系文化人グループ
  『諸君』『正論』産経新聞などでおなじみの、いわゆる論客たち。

2.一般会員
  善意の人たち。
  日本会議は社会福祉事業団体か、はたまた老人の居場所づくりをしているのか、と分析する平田氏は自嘲気味に語っています。

3.椛嶋有三氏のグループ。
  日本会議を実際に取り仕切っている。
 
 で、この1.グループと3.グループが重なる部分もあるとか。

 椛嶋有三は現日本会議事務総長で、生長の家学生連盟と日本青年協議会のトップを務めていた人。
 そして今は、「青年」をとった「日本協議会」の会長におさまり、各地に支部を作っているそうです。

 この椛嶋グループの若者のことを、

「男は去勢されたごとくであり、元気・覇気ばかりかとにかく知性がない。その上、こっけいなくらい傲慢である。傲慢とは、話が出来ない、という意味である。外部に対する興味がない、と言い換えてもいい」
「一人ひとりに人格を感じない。決められたことだけを見、聞き、語るだけ。たまに話を聞いているように見えるときは、情報収集。人の努力の成果を剽窃して、適当にまとめて、例えば『日本時事評論』に送る」と、平田氏は形容しています。

 日本会議の給料はとても安いらしい。「まともに暮らしていけない額」とか。そこで椛嶋グループの若者が30人とか40人とか働いているらしい。
 そんな若者たちは、講演会の手伝いをしてもその後の懇親会に出席することは皆無で、その理由に平田氏があげているのが「洗脳が解けては困る」こと。

 さらには、

 人格の消滅と交換(これを洗脳というが、国レベルでやられたのが、占領政策)・金銭と人間関係から組織に全面依存せざるを得ない状況に陥らせること(社会からの囲い込み、隔離)。組織がこのような構成員からなっているとき、その組織はカルトとして分類されよう。


日本会議を取り仕切っているのは、「カルト集団」なのである。


  とまで断言しています。


 椛嶋グループの、生長の家で洗脳された若者たちは、「日本会議の講演会で配る資料の袋詰めと、来賓に花の色や大きさを間違えずに花をつけ」たり、講演会で機関誌『祖国と青年』や日本会議の出版物を売ったり、《愛国寄席》で店を出したりしているらしい。


 なるほどなあと、以前からそれとなくうかがわれていたことが、より具体的な形で教えられました。


 私は、日本会議に集う人たち共通のイデオロギー、天皇中心の国家の樹立がどうしても理解できませんでした。なぜ、今更そんな前近代的なことを唱えるのか不思議で、どこでどうして天皇中心の国家が理想として登場してくるのか? と理解に苦しみました。


 おもしろいのが、このイデオロギーを奉じる集団には、盲目的なカルト集団が従属していること。


 そして極めつけは、「陛下の大御心(おおみごころ)」という言葉。
 これは魔法の言葉のようです。
 この言葉で、リーダー達の命ずるところはすべて正当化されます。まるで天皇の心の仲介者がそのリーダーであるかのように。


 そこにあるのは、虚構としての天皇という存在。
 現実に皇居で生活をしている生身の天皇ではありません。いかに大仰な尊敬語で形容されても、拝められるものは貶められる、という皮肉をそこに感じます。


 リーダーは天皇の心を読み解く巫女のような存在でしょうか、ちょうどギリシア神話でいえば、トランス状態でデルフォイの神託を下した巫女たちのような。ただ、日本会議に集う巫女たちは、少なくともトランス状態には陥っていないように思います。


 冷徹な計算に基づいた確信犯。 
 自らの考えを「大御心」で正当化すれば、すべて許されたのが戦前の高級将校たち。
 この大御心の根拠が「万世一系」なのかもしれません。


 これは戦前の教育を受けたお年寄りを引きつけるのには十分なものだったでしょう。でも若い人はどうしてそう易々と、私の言葉で言えば《引っ掛かってしまった》のでしょう?
 自分探しの旅の途中で、たまたま出会ったものだったのでしょうか? 現代人の心のすきまに、虚に忍び込んだのでしょうか? ちょうどオウムのように。


 カルト集団に象徴されるように、「大御心」を唱えるリーダーたちとそれに従う「人格の消滅と交換」のみられる集団とは、絶対的な壁で仕切られています。それも透明な、目には見えない壁で仕切られているみたいです。 
 これは、三浦朱門氏の、才も力もない人間はただ実直に働くことを覚えてくれさえすればいい、というような言葉によく表れているかもしれません。


 多くの宗教団体がこの日本会議を支えていることを考えると、各団体の教祖自身が神託を一般信徒に伝える巫女なのでしょうが、なぜそうした宗教共同体の長が、また一方で天皇を中心とした国造り、という共同幻想を受け入れているのか、これも私には大きな疑問です。


 もしかしたら、精神界を支配するのに飽きたらずに世俗権力にも色目を使っているのかな、なんて……。
 一度権力を掌握してその味を覚えたら、容易には棄てられないものなのでしょうね。そんな意味でも、王国を捨てた釈尊はすごいけれど。


 ひょっとすると、上記の宗教共同体の中では、神・天皇・教祖の3つがひとつのものとして、つまり三位一体として捉えられているのではないかしら、などとモーソーを膨らましてしまいました。


 さらに、こうした集団と創価学会は明らかに相いれないと思うのに、なぜいっしょに与党を支えているのか、という疑問も湧いてきます。


 創価学会が露骨に政界での自らの居場所を主張しているのに対して、他の宗教集団はその宗教的存在を巧みに世間の目から隠して今日に至っています。


 この教義も手段もまったく異なる団体が、選挙になると同じ勢力によってかつがれた候補を応援しているのは、摩訶不思議。
 合従連衡ともいえますが、ことは宗教団体という、互いに非寛容的な集団の性格に反すると思うのです。


 結局、きっと宗教というのは方便なのだ。権力掌握のための隠れ蓑なのだ。だから節操がないのだ、という結論に達しましたが、みなさんはいかがでしょうか。


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まるで手品! 期日前投票

沖縄県選挙管理委員会が21日に発表したところによると、参院沖縄補欠選挙(22日投開票)の期日前投票を20日までに済ませた人は6万2230人で、2004年7月の前回参院選の投票2日前実績と比べ10.6%増加。
(参院福島補選(同)の20日まで の期日前投票者数は10万588人で、こちらも前回比10.3%増加)。

 この数字がどういうことを意味するのかについては今のところ分かりかねますが、昨年11月の沖縄知事選では直前に不自然な人口増があったこと等々を考えると、いろいろ疑いたくなりますね

(大体沖縄県は全国でも数少ない人口増加県ですが、それでも自然増は年3%ちょっと。なお、国勢調査に基づく沖縄県の人口動態はについてはここにあります)。

 私の周囲でわざわざ期日前投票をする人がどれだけいるだろうか? と考えると皆無に近いんですよね。よほど選挙に関心のある人か、あるいは義理やその他で投票を依頼された人ぐらい。だいたい、期日前投票が簡単になったことを知っている人さえ珍しいのですから。

 で、ヤメ蚊さんの所で知った、まるで手品のような期日前投票の怪!

 3ヶ月以上住民登録していないと投票できない、と同時に、転出後4ヶ月間は転出前の選挙区で投票できる!

 これはどういうことかいうと、
 公職選挙法 第21条により、選挙人名簿に登録されるのは、年齢満20歳以上の日本国民で、
《住民票が作成された日》または、《転入届出をした日》から引き続き3ヶ月以上経過している者。
 
 公職選挙法第28条により、選挙人名簿から抹消されるのは、死亡した時、日本国籍を失った時、転出後4ヵ月を経過した時。

 詳しいことはヤメ蚊さんが図解付きで解説されていますが、もともと沖縄以外が地元の人であっても、住民票を移動させることで昨年の沖縄知事選、そして今回の補選の両方に投票した上で本来の地元に住民票を返して、7月の参院選に臨むことが可能だ、ということです。
 
 (初日算入・不算入によって1日ほどは違ってくるかもしれませんが)昨年の知事選のために移した住民票を12月6日~4月5日の間に地元に戻せば、沖縄と地元の両方で選挙権の行使ができるということ。

 1人で2人分の効果です。
 投票率が低ければ低いほど、この効果は高くなります。そら恐ろしい現実。

 ヤメ蚊さんは、「沖縄在住の方を中心に真相を明らかにするために、告発するべきではないでしょうか」と呼びかけておいでです。
 
 大体、普通は期日前投票のために市・区役所、町・村役場にまで出かけるのが面倒で棄権をしてしまう人が多い中で、わざわざ沖縄まで出かけて投票する人は限られてきます。

 また期日前投票以外にも郵送による投票があるのです。対象は身体に重度の障害のある人、要介護度5の人。
 これに加えて、上肢または視覚の1級であるもの、
戦傷病者で上肢または視覚の障害の程度が特別項症から第2項症までということで、この方たちについて代理記載制度があります。

 この制度を利用するには、郵便等投票証明書以外に「代理記載制度に該当する旨の申請書」と「代理記載人となるべき者のの届け出書兼代理記載人となる旨の同意書および選挙権を有する旨の宣誓書」の2つの届け出をする必要があります(ネットで手に入ります)。

 1度これをしておけば7年間有効。

 もし私が有権者を多く抱えて資金も潤沢な組織の選挙対策担当者であれば、住民票移動と選挙地への旅費負担には出し惜しみせず、さらにはこの代理記載制度も利用しない手はないと考えて、手間暇惜しみませんね。
 
もしかしたら、選挙地への旅費ぐらいは、かなりの人が自腹を切ってくれるかもしれませんし。

 それにしても、有権者がどんどん投票所へ足を運べば、こんなことまで気にする必要がないのかもしれません。

 踊りながら、歌いながら投票所へ行け、とまではいいませんから、せめて民主主義を標榜する国として、この民主主義の根幹にあたる投票制度をまっとうなかたちで維持するために、幼い頃からきちんを教育することが必要ではないでしょうか。
 投票制度そのものについても、私たちには知らないことが多すぎます。 

 いっそのこと投票権を行使しない人にはペナルティを課す、なんてことまではいいませんから。

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やっぱりアベ総理は2枚舌


 20日金曜日の教育再生特別委員会で、中山成彬が長い発言をして、その中で慰安婦についてもずいぶんと自説を主張していました。

 この方は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長で、米国議会調査局の報告書では、歴史修正主義者の会を率いるものとして名指しされていました。
 現内閣官房参与で、拉致問題に携わってクローズアップされた中山恭子氏の夫君。

 話しには聞いていましたが、どのように歴史を修正しようとしているのか、今回のこの国会発言でよく示されたと思います。
 「今日はテレビも入っていることですし」と言われたことから、中山氏の発言は、あらかじめ計算されたパフォーマンスであることがうかがわれます。

 web上のビデオでは分かりませんが、テレビではこの中山氏を熱い眼差しで見つめていたアベ総理の姿が印象的でした。

 報道によるとアベ総理は、二十六日からの初訪米を控えて、米ニューズウィーク誌とウォールストリート・ジャーナル紙のインタビューに応じ、従軍慰安婦問題につ いて「当時の慰安婦の方々に心から同情するし、日本の首相として大変申し訳ないと思っている。彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況に、 責任があると考えている」と述べたそうです。



首相が、慰安婦問題について、日本の「責任」に言及して謝罪の意を表明したのはこれが初めてとのこと。訪米を前に、米国世論の沈静化を狙った、と言われています。

 食い入るように中山氏を見つめるアベ総理の眼差しは、あなたのおっしゃるとおりです、全面的にあなたのご意見に寄り添っていきます、というメッセージを発している、と私は受けとりましたが。

 国内向けのメッセージと、国外、ことにアメリカ向けのメッセージ。このふたつが矛盾している。2枚舌です。

 中山太郎氏は、慰安婦問題を「日本人が蒔いた種だ」と主張。
 証拠としてあげたのは、1983年に出版された、嘘を書いたという吉田清二氏の著書。
 そしてこの吉田某の著書で、初めて「従軍慰安婦」の言葉が出てきた、といっています。
 だいたい、従軍慰安婦を否定する人は、この吉田某のことをよくあげます。私はそんな本を知りません。
 
 私の手元にある『従軍慰安婦悲史』は1976年に出された千田夏光さんの書かれたもので、中山氏のいう吉田某の著書よりも6、7年前のことです。中山氏の言葉こそ、事実誤認がある。

 また、よく、当時は「従軍慰安婦」なんて言葉はなかった、という主張がなされますね。

 私はいわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人間のひとりですが、「団塊の世代」という言葉を背負ってこの世に生まれたわけではありません。

 私が生まれたときには、「団塊の世代」という言葉は存在していませんでした。でも、私という人間は、存在していました。
 この言葉は作家の堺屋太一氏のネーミングによるもので、1976年刊行の『団塊の世代』でこの世に登場しただけのこと。
 
 ですから、言葉がなかったからといって、そのものが、つまりその実態がなかった、ということは言えないわけです。

 結局、教育再生特別委員会で、中山氏は次の3点を日本人によく理解してもらいたいこととして主張しました。

1.当時の日本では、売春が商行為として認められていた。
     ↓
2.当時の慰安婦はほとんどが日本人だった。
     ↓
(*ここで、三段論法もどきに論を進めて、当時の慰安婦はほとんどが商売だった、という結論を匂わせています。ただし、その結論は言外にあって、明言していません。

 浅田次郎氏の著作と、宮崎在住の佐藤さんの手紙を披露して、女の子が買われていった話しを情に訴えかけるように長々と話していました。が、ついぞこの結論は『ご想像にお任せします」という形で示されるだけで、明言されませんでした。

 国会発言で、言質がとられるのを回避したのでしょうか。

 ついでにいいますと、この論は「証拠がない」という主張と重ねて、BBCの投書欄に殺到した日本人の主張の多くに見られました。ということは、従軍慰安婦の存在を否定したい人たちの主要な論点になっていることが推測できます)。

 なお、生還した慰安婦の数等については、ここに詳しい)。

3.悲惨な境遇の女性たちに同情を禁じ得ない、大変だったのだと思う。

と、以上の3点でした。

 これにつけ加え、当時の慰安婦の収入は大したものだった、という風なことも強調していました。何でも1,000円で豪邸の建った時代に、慰安婦たちの給料は月750円にも達したとかなんとか。

 でもこの750円では何もできなかったに等しいと思います。なにしろ「軍票」で支払われていたのですから。

*追記: 軍票は現地調達のための手段に過ぎなかったようです。現地調達とは強奪。軍票は強奪を正当化するためのもので、領収書のようなものでした。
 このページに詳しいです。 


 最後に中山氏は、

 安部内閣は美しい国といいます。日本に住む私たちも、ほんとに美しい日本人になりたい。学力も、規範意識も大事です。しかし、気概を持たないといけない。気力も持たないといかん。私はそういう意味で、日本人同士、信義を大切にし、なんといっても先祖を敬うことも、私は大事だと思うわけでございます。

 という話しでしめたのです。
 
 慰安婦問題が、いつの間にか日本人の信義の問題、先祖を敬う、という話になってしまいました。講談なら、ここで拍手に湧くところでしょう。
 ちょっとお粗末な国会講談。 

 でも、この話を信用している人もけっこういるようですね。
 信用するというより、信用したい」「信じたい」という気持が働くのでしょう

 印象操作の色濃い主張。世間の人たちの情に訴える話しぶり、そして内容。

 こんな状況を目の前にして、暗澹とした気持にとらわれそうになるのも辛いですね。

  国会での具体的な言葉は最後に掲載しておきましたので、参考までにご覧下さい。
 なお、読みやすいように、私の方で適当に段落を区切りました。

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中山: 基礎学力もそうですが、私はここで日本の歴史教育について触れないわけにはいきません。
 アベ総理も心中悩まされているのではないかと思うわけでございますが、今、米国の下院におきましてですね、日本のいわゆる従軍慰安婦の非難決議案が出ていまして、アベ総理に謝罪を求めているわけでございます。

 この案文を読んでみますと、ほんとにひどいことが書いてあるんですよ。日本の兵隊達が若い女性を性的奴隷化したと、そして集団的暴行、強制中絶、そして性的暴力を加えた、20世紀最大の人身売買であると。だから、総理大臣に謝罪しろと、こういうことになっていましてね。
 日本の国民のみなさん方はあんまりお知りになっていないかもしれないけれど、まさにそれが、今採択されるかもしれない、という話になっているわけで、とんでもないことだと、私はこのように思うわけですけれど、まあ、そもそも、この慰安婦の問題、私たちはあまり口にしない。なんていうんでしょう、そういう気持があるでしょう、お互い思いやって。

 だけれども、国際社会において日本がそういう風な非難を受けていると、そういうわけであるならば、今日はテレビも入っていることですし、国民のみなさん方にも是非、理解していただきたい、と、まあ、このように思うわけでございます。

 そもそもこの従軍慰安婦という言葉はもともとなかったんですけれどね。初めて出てまいりましたのが、1983年にですね、吉田清二という人が、自分は済州島において慰安婦狩りをした、強制連行をしたと、こういう本を書かれたんですね。
 それをある新聞が大々的なキャンペーンを致しまして、それが一人歩きしたんですけれど、不信に思った韓国の、これは女性の記者でございますけれど、済州島に行って調査したら、そういう事実はなかったということがはっきりしたわけです。

 後には実はこの吉田清二さんという方も、実はあれは嘘だったということを告白されたわけですけれど、これが一人歩きをしていると、これがまさに国際的な問題になっていると言うことを私たちはしらなけりゃあいけんと。そしてまた、日本の弁護士が韓国に行きまして、誰か従軍慰安婦の訴訟をしませんかと、こういう募集をしたんですね。

 この問題というのは日本人が蒔いた種なんですよ。日本人が蒔いた種。そして歴代ですね、私は日本の外交にも問題があったと思うんですけれど、その場しのぎの対応をしてきた。そのことがですね、アベ総理の胸を痛めていることになるんではないかと、まあ、このように考えるわけでございます。

 まあ、ここではっきりと申し上げた方がいいと思いますけれど、私は3つのことを申し上げたいんですね。

 1つは、私たちは考えられませんが、当時は売春というものが商行為として認められていたわけですね。そのことを私たちはまず知らなければいけません。

 2つ目は、慰安婦と言われる方々は日本の女性だった。私はこの浅田二郎さんという作家は大好きで、いつも読んでますけれど、一番最近の買いました本の中で、これは『月島慕情』という本でございますが、最初にこういう文がございます。

 明治26年の巳年の生まれだからミノと名づけられました。故郷の村には同じミノが何人もいたが、一回り上の大勢いたはずの同じ名前の娘達は、ミノが物心ついたときには、皆姿を消していた。一つ年上のタツも……雪が解ける頃、何人もの人買いがやってきて、小学校を終えた娘達を連れて行くのだった。行き先のほとんどは上州……の製糸工場だったが、とりわけ器量の良い子は、東京へと買われた。そういう娘は値が違うから、家宝だと噂された。

 こういう風な文章があります。私の宮崎の……佐藤とうりょう(表記が分かりません)さんという方がですね、バブルで40年近く自分が育てたゴルフ場が外資の手に渡ってしまった。その方からこの間手紙が来ました。……なんとか、観光宮崎が蘇生して欲しい、まあそういうような……その文章の一番最後にこういう言葉がありました。私は小学校の時、同級生の女の子が売られていったことを忘れることができない。佐藤さんが好きな女の子ではなかったかな、そのことを88歳になっても、佐藤さんまだ思い出している。そういう時代だった、と言うことを私たちは知らなければいかんと思うのです。

3つ目に申し上げたいのは、総理もいつも言っておられます。悲惨な境遇の女性達に同情は禁じ得ない、大変だったのだと思う。まあ、その当時でございました。こういったところにも書いてあります(と浅田次郎氏の著書を手でそっと叩くように示す)。とまあ、深い意味で、沈んでなかなか上れない、たくさんの方がいらっしゃったことも、事実でございます。

 まあ、しかし、一方、そうじゃない、ということもあるわけでございまして、これはまさにアメリカの主張にあるわけでございますけれど、第2次世界大戦中にですね、日本が占領したところを、次にアメリカが取り返していった、奪い返していった。ビルマの戦線でですね、アメリカの情報部が調べた記録が残っている。それによりますとね、慰安婦が1ヵ月、売り上げが1,500円。これを経営者と慰安婦で半々、5分5分でとっていた。だから750円慰安婦の手取りだったと。

 当時、一般の兵隊さん達の給料というのは、7円50銭。軍曹が30円だったそうでございます。7円50銭と750円。百倍の違いがあるわけですね。
 まあ、私たちの給料が今30万とすると、3,000万ですよ。こういう儲かる商売だったというのも、実は事実でございます。

 先ほど、日本の弁護士が韓国に行って、従軍慰安婦の訴訟をしませんか、と言った人がいらっしゃいます。その女性の方はもう一つの訴訟も起こしていました。これは何かというとですね、戦後預金を封鎖された、これを返してくれ、と言う、そういう訴訟でございます。その金額はなんと26,000円でございます。当時の金では1,000円あると豪邸が建ったそうでございます。ですから26,000円というといかに大きな金額であるかと、で、こういう事実もあるわけでございまして、そういったことも、私は日本人としてしっかり知っておかないと。

 私は何を申し上げたいかと、安部内閣は美しい国といいます。日本に住む私たちも、ほんとに美しい日本人になりたい。学力も、規範意識も大事です。しかし、気概を持たないといけない。気力も持たないといかん。私はそういう意味で、日本人同士、信義を大切にし、なんといっても先祖を敬うことも私は大事だと思うわけでございます。

 ほんとに大変な想いをされた女性の方々のですね、尊厳を大事にすることも大事ですけれども、日本人の尊厳、特に前の大戦で命を落とされたたくさんの兵士の方々、あるいは広島、長崎、あるいは大空襲で命を落とされたたくさんの日本人。あるいは満州で150万の日本の方々が悲惨な体験をされた。そういったことにもですね、やっぱり思いを致して、私たちはこの国造りをしなけりゃあいけない、そういうわけで一寸時間をとりましたが、申し上げたわけです。

 伊吹文科大臣に申し上げたい。今年も高校2年生の歴史教科書に、まだまだ、従軍慰安婦とか強制連行という言葉が残っているんです。

 アベ総理、われわれはずっと、この言葉をなくしたい。なかった言葉が教科書にあるんだからなくそうという運動をしてきて、幸い中学校の歴史教科書からこの文言は消えました。しかし、高校にはまだ残っている。

 私、担当官に訊きました。どうして残っているの? いや、小中学校と高校は違うんです。
何が違うんか? 小中学校の教科書は無償だけれど、高校の教科書は有償だから、あんまり文科省としては強く言えないんだ。
 私は呆れました。検定制度とはそういうものですか?

伊吹:私はそういうことはいっていないと思いますけれど、日本という国は議員内閣制で動いているわけですから、各々の正当のイズムで教科書を云々することは、私は適当でないと思っております。したがって、ご承知のように、検定教科書審議会という客観的な判断をしていただく判断を、まあ、家永判決においてもそうですけれど、文部科学省はそれを尊重するというか、その意見によって合格を判定すると。したがって、今回のことについても、アベ総理も私も検定についてひと言の言葉も挟んだことはありません。

 政権が変われば教科書が変わるほど、日本は怖い国であってはならないと、私は思っております。ただ大切なことは、一方的な思想によって教科書の事実が歪められてる、ということだけは正さなければいけませんから、書かれているないようについて、両論あるという場合はですね、両論をかならず併記して貰わなければならない。あるいは、一方的な記述は止めてもらわなければならない。そのことだけは、これから白紙の状態で学んでいく子どもには、しっかりと中立的立場で、教科書というものを客観事実にそって作り上げていくということだと思います。

 いろいろ政治家も、特に最近の政治家も日本国民も、歴史を見る目はひとりひとり違うと思いますので、各々のイズムによって批判をしたり、逆に各々のイズムによって検定結果を逆の意味で批判をするというのは、私はあってはならない。ですから家永裁判においてもどのように判決が行われているかというと、学術的、教育的、専門的判断とされ、文部科学大臣は、合意の決定は同審議会の答申に基づいて行われるものと、で、私はこのことに忠実に理解をし、実行してまいりましたので、両方の立場から批判を受けるというのは、私の職責からいえば当然のことだと思っております。
 
中山: 戦後60年経って、封印されていたものが、いろいろ記録等が出てきているんですね。それに基づきまして、いわゆる歴史研究家、その方々の研究も進んでいます。そういう意味でですね、客観的な歴史的事実、これを勉強して欲しいと、検定をやっておられる方々が。伊吹大臣の立場は私はよく理解できます。ですから検定にあたられる方々も新しい研究成果をしっかり勉強して欲しい、学んで欲しいということを要望いたします。

 そしてアベ総理、ぜひですね、日本人というのはすぐ、謝るんですね。謝ったら、謝ったのに許さないのはまたけしからん、とまた怒られるくらいですけれど、国際政治においては、謝ったらどうしてくれるんだと、賠償はどうしてくれるんだ、という話になるんです。われわれ日本人は、ダブルスタンダードの中で生きていかなければいかんな、とこう思うんですけどね、黙っていたら認めたことになるんですからね。

 私はやっぱり美しい国は強くなければいけんと思うんです。これからも、違ったこと、間違ったことについては反論していく、そういった勇気が必要だと、そのように考えるところでございます。
 で、そういう国際化というのでしょうかね、日本人というのは井の中の蛙みたいに、なかなか国際化に馴染みにくい。それで私は英語教育についてですね、私はこれを大臣にお願いしたい。

(これ以降、シンガポールの例を出して、ネイティブに耳から口から英語を教えることが大切だという主張が続きます)。

巨悪の根を引っこ抜きたい


 地中に根を伸ばし、冬の間はゆっくりと眠っていた花や木々が、今次々に花を咲かせています。
 薔薇もどんどん花芽を膨らませていますが、この季節、特に見事なのはボタンでしょうか。
 あの花を見て香りを嗅げば、だれでも東洋的な高貴な匂いに魅せられそうです。
 
 2月頃から練習を重ねてきたウグイスも、ここにきてやっと、あの谷渡りを聞かせてくれるようになりました。

 金柑の実は昨年あたりからほとんど鳥についばまれて収穫ができなくなりましたが、それでも残り少ない実を口に入れながら、こうして鳥たちともいっしょに生きているんだ、と実感します。
 庭の果実は、全部は収穫しないで、鳥のために少し残しておくんだよ、と年寄りはいつも言ってましたっけ。

 見上げる山の所々に見えた山桜の白やうす桃色も、今では新緑に変わってり、街を歩けば、なんじゃもんじゃの木がやっと芽吹き始めたのに気づきます。

 うーん、田舎に住んでしあわせだなあ、と悦に入ってます。東京や大阪の街中では、とてもこんなこと味わえないぞ。それに、田舎でも、もう何年か前から光ファイバー網の恩恵を受けているなんて、とても現代的でしょう?

 土曜日の朝、そんな気分で庭を眺めながら朝食をとってテレビを見ていると、「グリーンピア南紀」の問題がニュースショーでとりあげられてました。

  きゃあ、1億6,000万で360ヘクタールの海辺の緑地が売られていた! それも白亜のホテルつき。親戚中と知り合い中のお金をかき集めて、私も買いたかった!! と叫んでみても後の祭り。すでに香港のペーパーカンパニーにと契約済みでした。それも、実は、払い下げられる前から。

 まあ、1億6,000万は10年間の賃貸料だけれど、その後には無償で譲渡される、と言う特約付きだというのですから、素人の私の目には、1億6,000万で売り飛ばされた、としか理解できません。

 この「グリーンピア南紀」の問題についてはここに詳しく載っています。

 テレビの画面では、そもそも、「公共の福祉」のために、と土地を譲った地元の方々は怒り心頭でした。

 払い下げられて所有者となっていた町と賃貸契約を結んだ、書類上だけに存在する香港企業は、事業計画書に地元の雇用200人とかなんとか書いたらしいけれど、この「雇用を生み出す」という甘い言葉が、錦の御旗になってしまっているのでしょうか。
 日本中で雇用を崩壊させて、次の段階でこの甘言を使う、なんてマッチポンプ作戦は冗談じゃない。

 まさか、10年後には、このグリーンピアの跡にどこかの宗教施設ができる、なんてことないでしょうね、と〈モーソー〉を膨らませてしまいましたが、本当のところはどうなんでしょうね。

 庭の草取りは新タイプの小型鎌が威力を発揮して、敷きレンガの間に生えてきたものまで根こそぎとるのも簡単になりました。
 ヤブガラシのしつこい大きな根っこは、相変わらず、スコップでごっそ、と掘り下げて引っ張り抜いていますが、取っても取っても、またどこかで伸びてきます。
 まるでこの国の悪の構造を見るようで、この時ばかりは私も緑を相手に嫌な気分になります。

 それにしても、日本テレビでこんな政治かがらみの疑惑を大々的に報道するなんて、まだ、どこかに、もっと大きな闇があるのだろうか。この疑惑で、とりあえず何かから目を逸らしておく必要があるのだろうか、などという疑念も湧いてくるとは、自分で自分が嫌になります。
 
 でも、もとはといえば、私たちの目に見えている現象の裏側には魑魅魍魎が蠢いていて、それがヤブガラシのように根を張り、さらにはどんどんその根を太らせている。そんなヤブガラシの根っこみたいな存在に栄養を与えている政治家たちがわんさといるのじゃないだろうか、と直観することしきりの今日この頃。

 ええい、スコップでごそっと土を裏返して、おもいっきり引っ張って、抜いてやりたーい。
 でも、途中でプツンと切れてしまいそう……。

 なんだか、相変わらず、国民は泣き寝入り?
 いやだあ、そんなことお! と、わめいてみたい。

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小泉首相の暴言? 失言? 女性は犬のように子どもを産むように

天木直人さんのところで知り、急遽購入したサンデー毎日。50年以上生きてきて、これが数度目の週刊誌購入でしたが、何を読みたかったかというと、岩見隆夫さんの「サンデー時評」。
 
 昨年正月の記者会見で、小泉首相(当時)が「戌年にあやかって、女性は犬のように子どもを産むように」と言ったという記事を確かめるためです。
 そして、しばし呆然。

 犬のように子どもをたくさん産め、と言われて嫌悪感を感じない女性はいないでしょう!

 ことの始まりはロンドン在住の故森嶋通夫元ロンドン大教授の奥さまが、2006年1月5日付のタイムズ紙に、笑顔の小学生たちに囲まれてうれしそうにし ているコイズミ氏の写真が大きく載り、それについている見出しが、「戌年にあやかって、犬のように子どもを産むようにと女性に言った」とあることに憤って 、『一冊の本』(朝日新聞社刊)のコラムに書いたことのようです。

 森嶋さんは、「小泉発言は日本ではまったく無視され(!?)続けているようなのに比べて、柳沢発言はそれ以後大臣の退任まで要求する反対が盛り上がったり、議会審議の進行に支障が起こったりしていると聞く。タイムズの記事で驚き憤慨した私は、この大きな反応の違いはどこから出ているのかと考えざるを得なかった」と書かれているとか。

 そのタイムズ紙の当該記事も見つけました。以下はその訳です。

 小泉純一郎の口から、年頭記者会見――昨年の日本の人口が19,000人減少し、これから100年以上は続く人口減少時代の始まったことが明らかになって以降、最初に姿を見せた公式の場――で、いきなり「犬のように産め」発言が飛び出した。今年は戌年なので、2006年の日本人の理想的な役割モデルは動物界にある、と彼は説明した。「犬はたくさん子を産むので、日本人も子どもをたくさん産めば、労働力問題は心配ない」と語り、「人びとが子育ては楽しい」と考えることができる環境をつくるために,
これからあらゆる施策をとるつもりだとつけ加えた。

 小泉氏は出生率問題に対処する方策について、しかも首相としては最後の年頭記者会見であることはほとんど確実な中で、この「犬のように産め」をしのぐ提言は、何もなかった。東京には3,000万の人が居住する(訳注:首都圏人口のことと思われる)が、一人の女性が産む子どもの数は、0.99人に低下している。

 小泉氏は日本における一連の困難な改革を成し遂げてきたが、出生率問題への対処では壁に突き当たり、失敗している。、再三にわたって、適切な戦略をもっているのか質問されてきたが、その都度、ない、と答えている。

 人口が自然減少する年がやってくると、漠然と予想されていたが、実際には予想よりもはるかに早く到来した。首相の陽気な「犬のようにたくさん産め」発言でさえ、「明らかに、人口減少にうろたえているように聞こえる」と政治アナリストたちは語る。

 2005年の最後の国会で、内閣は、日本の迫りくる人口統計上の大変動を回避する最後の抵抗として、第2次男女共同参画基本計画(訳注:2005年12月27. 日閣議決定)を表明した。一見したところ不可能と思えるこのプランは、日本の女性たちが、家庭にいてもっと多くの子ども持つ状況を作り出すためにも、もっとハードに働く状況を作り出すために策定された。

 その根底には、女性たちが今より家族数を増やすのを妨げている障害のいくつかを取り除く労働状況改善のための総合政策こそ望まれていて、それこそ新しい動きだ。対策にはフレキシブルな労働時間の導入や不況によって空いた何百もの店舗を育児施設に変えるという提言が含まれる。

 ところがこの基本構想はまた、人口統計上のもう一方の問題にも対処しようとする。すなわち、人口が減少するのと同時に労働力も減少しすぎて、場合によっては経済上の悲観的な結果をともなう。政府の解決策は子育て後に、より多くの女性たちが仕事に復帰するような気にさせることだ。

 同プランは、「女性の再チャレンジ支援」と下手な名もつけて、小泉氏自身の手で閣議を通過させたが、企業や政治分野でリーダーシップをとる女性たちの世代をつくるが目的だ。

 日本ではおよそ70%の母親が、子どもを産むと職場に戻らない。この傾向は部分的には文化的なものであるが、その多くは、仕事に復帰する上では現実の問題をどうにかしなければいけない。つまり、女性たちは、子どもを持ったがために去ることになった良い職場に戻ることはほとんど不可能である、と気づくわけだ。

 このことで日本の女性たちは、キャリアをとるか、母であることをとるか、という厳しい選択を強いられるが、今の世代は、ますますキャリア追求に関心を示している。

 フレキシブルな労働時間を導入して積極的に母親が職場に戻ることを奨励することで、このプランは子育てがキャリアの妨げにならないものにするのを目指している 。

                (以上)

 この「犬のように」発言は、岩見さんはご存じなかったし、私も、もちろん知りませんでした。ブログに書かれた天木さんだって、「サンデー毎日」で知ったのでしょうし。

 そこで捜したところ、ちゃんと首相官邸のサイトに、平成18年1月4日付で掲載されていました。

 小泉総理大臣年頭記者会見がそれです。

 確かにありました。該当箇所を引用します。

 今後、少子化が進んでいく、子育てをいかに楽しめるような環境にしていくか、子どもたちは我々社会の宝であると、国の宝であると、社会全体で子どもたちを健全に、健やかに育てていこうと、そういう環境をつくっていくのがより一層大事な時代になったと思います。


 今年は、犬年でありますが、犬は子どもをたくさん産む、そしてお産も軽いそうです。犬にあやかるわけではありませんけれども、多くの方々 が子育ては楽しいぞと、子どもを持つことは人生を豊かにすると、そのような環境整備に多くの皆さんの知恵を借りて邁進していきたいと思っております。


(以上)

 うーむ、記者を前にして、国民一般にこれを語りかける様子を想像すると、やはりおぞましさが先に立ちます。日本の、ことに年輩の男性がよく持っている女性を見るある種の目も感じますし。

 それに、こうした首相を戴いていることが恥ずかしくなるようなタイムズの文面。読んでいるうちに、頭に血が上ります。
 岩見さんが言われるように、ロンドンの日本大使館は、こうした報道にしかるべき対応はしたのでしょうか。

 文化の違いもありますが、これを書かれたレオ・ルイスさんは年頭早々、女性を犬になぞらえた首相の言葉に、さぞびっくりしたことでしょう。

 首相としての最後の年頭会見で、犬をお手本にしたこと以外は建設的な少子化対策を何ら示せなかった首相の見識にも驚いたことでしょうね。

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Sankeiさん、ちょっとひどいのでは!


 さて、昨日の米国議会調査局の「日本軍の『慰安婦』システム」の結論部分の全訳をお読みいただけたでしょうか。
 「米国議会に、慰安婦問題はどう報告されたか」とあわせてこれを読むと、sankeiweb12日付小森義久記者の「『組織的強制徴用なし』 慰安婦問題 米議会調査局が報告書」の記事のおかしさが、少しはお分かりいただけると思います。

「いわゆる慰安婦問題の主要争点とされる「日本軍による女性の強制徴用」について同報告書は「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろ う。とくに朝鮮半島ではそうだった」と述べ、いま下院に提出されている慰安婦問題での日本糾弾の決議案が「日本軍による20万人女性の性の奴隷化」という 表現で非難する日本軍による組織的、政策的な強制徴用はなかったという趣旨の見解を示した」

 という古森記者の文面はあきらかに報告書とは異なっています。

「日本軍による女性の強制徴用」を主要争点にしたのは、アベ首相や「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」以下の方々であって、 報告書の方は次のように明言しています。 

 結局、これまでの慰安婦システムに関する日本での、また日本と外国との間での議論の中心になったのは次の3点であった。

1.日本軍と日本政府の関与の程度
2.慰安婦徴募・輸送に日本軍の関与があったかどうか
3.慰安婦システムの中に連れてこられた女性たちが、自由意思で売春に従事したか、それとも不本意ながらせざるを得なかったか。 
                        (以上)

 くり返しますが、米国議会調査局の報告書では、「日本軍による女性の強制徴用」が主要争点とは言ってません。
 むしろ、「2007年の慰安婦徴募における強制をめぐる議論は、慰安婦たちは同システムの中で自由意思に基づいて売春をしたのか、不本意ながらせざるを得なかったのか、というより大きな問題を覆い隠してしまった」と述べているわけです。

 こうなってくると、「印象操作」どころかねつ造疑惑さえ生じてきます。

 その他、このSankeiの記事については、疑問に思うことしきりです。

 アベ首相の言葉自体が1951年のサンフランシスコ平和条約第11条に違反している可能性を指摘されていること、ワシントンポストの社説「アベの2枚舌」にまで言及されていることにひと言も触れずに「組織的強制徴用なし」ですか!


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伊藤市長へのテロ、やりきれないですね

伊藤一長長崎市長が亡くなられてしまいましたね。

 私など、昨晩の衝撃的なニュースで初めてお名前を知ったほどですが、思わず心の中で、どうぞ、回復されりますように、と祈ってしまいました。
 ご家族や関係者の方々の悲しみも思いやられますし、こうした形で人の命が奪われて、やりきれなさが抑えられません。

 痛恨の極み、とどなたがが言われてましたが、本当にそう思います。

 昨日夜の首相コメントは、「厳正な捜査」と「真相究明」を求めた、あっさりした型どおりの文言だったらしい。まあ、今日のお昼のNHKニュースでは、「選挙期間中に」とか「民主主義に対する」とかの言葉が聞こえてきましたが、事件の直後から「暴力への怒りや批判」なり「伊藤市長の容態への気遣い」なりがあってしかるべきではなかったのか、とますますやりきれなくなります。

 たしか昨年の加藤紘一さん自宅放火事件の際も、小泉首相・安部官房長官(当時)は事件発生当時は見て見ぬふり、といわれてもしかたのないような対応で、やっとコメントを出したのが2週間後ぐらいではなかったでしょうか。
 何の関係もない、自民党支持者でも加藤氏支持者でもない私が、すぐにお見舞いと激励の言葉を送ったというのに。

 なんだか、とんでもない時代に突入しているような「いやーな気分」です。

 報道によると、平和問題、ことに核問題に対して毅然とした姿勢を貫かれた方のようです。

 asahi.comの記事の一部を抜粋します。

当選した年の11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での証言で、広島市長とともに「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と陳述。 「違反とまでは言えない」との立場の外務省からは、文言をめぐって直前まで働きかけが続いたが、曲折の末、「違法」を明言した。

 02年8月には「原爆の日」の「平和宣言」で、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と述べ、初めて米国を名指しで批判した。


 05年5月、米ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言。長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。


 今年3月、前年に続いて被爆地・長崎の反対の声を押し切り、米海軍のイージス艦が長崎港に入港。「核搭載の疑惑もある軍艦なので、残念の一言に尽きる」と語った。


(以上)

 伊藤一長さんのご冥福をお祈りいたします。

米国議会に慰安婦問題はどう報告されたか――【結論】部分全訳

前エントリーでお知らせした米国議会調査局の「慰安婦システム」に関する報告書のうち、4ページにわたる【結論】部分の全訳を掲載します。

 ちょっと長いですが、この報告書が下院議員に配布されて、審議の参考にされるのでしょうね。

 特に最後の部分については私たちも意見の分かれるところだと思いますが、一応、米国でこのような捉え方がされていることを知っていてもいいかな、という気持ちです。

【結論】


 1992年以来、第2次世界大戦の前から戦中にかけて、慰安婦システムの設置・運営に関わった日本軍と日本政府の役割を十分認めたことに疑いの余地はほとんどない。しかし、2007年3月の安部首相の物議をかもした発言以前でさえ、多くの人の目から見れば、歴史に関係する日本の行状をめぐる論争で、たとえば小泉首相の靖国( 戦死者が祀られているが、また14人の戦犯も同時に祀られている)参拝、歴史教科書の記載内容、そして前述の文科相の言葉のような個々の日本の政治リーダー達の言葉をめぐって繰り広げられた論争で、自らの非を認めたことにも説得力がなくなってしまったと言うものもいる。認める認めないの争いは歴史教科書の記載内容を主な戦いの場にして、現在の日本でも続いている。さらに、教科書からは慰安婦システムの解説が省かれる傾向もあって、慰安婦たちへの書簡の中で、日本は「過去の歴史を直視し、正しくそれを後世に伝えねばならない」と述べた総理たちの言葉に疑念が生じている。


 


 慰安婦問題は、日本人は、1930年代から第2次世界大戦にかけての自国の行状をいかに見るべきか、という日本におけるより大きな議論の一部である。自民党「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」小委員会に代表されるような日本の歴史修正主義者たちは、この時代の行為に対する重大な罪が免除されることを求めているようだ。歴史修正主義者たちに反対するものは、日本は自分たちの行状の負の側面を認め、将来の世代にこれらのことを教えるべきだ、と主張する。歴史修正主義者たちの懸命な取り組みの最新例は、また別の歴史問題を含んでいるが、沖縄戦の間(1945年4~6月)何千人という人びとの集団自決で日本軍の役割を記述したくだりを高校の歴史教科書から削除させた文科省の裁定だった。


 


 アジア女性基金では、日本政府と基金の支援者およびリーダー達の手で、元慰安婦への補償と支援に、誠実な努力がなされてきたようだ。話し合いと同時に、いくつかの政府は、協力することでアジア女性基金を受け入れたと思われる。


 


 アジア女性基金の、償い金の支払いか公式の日本政府補償金の請求か、という論議を呼んだ問題は、際立って法律論対道議論の問題である。日本政府は、対日講和条約(訳注:サンフランシスコ平和条約に同じ)、諸外国との日本の補償協定、そして1965年の韓日正常化条約の文言に基づく確かな法的地位を得ているように思われる。2006年2月の「ジュvs日本」の最高裁裁決は日本政府の立場を強化したように見える。しかし、公式補償要求の中には強い道義的な要素が含まれている。アジア女性基金を擁護するものでさえ、日本はドイツの例にならって、強制徴用された労働者や捕虜たちといった他の虐待を受けたグループへ補償する追加的な官民合同の基金を設立することができたものを、という人がいる。そうなった場合日本が反転に出て、1945年の日本の都市への焼夷弾爆撃(1945年3月9日の東京大空襲に始まるが、東京大空襲では推定で8万かそれ以上の日本人が死亡した)と1945年8月の原爆に対する補償を公式に米国に求める可能性も含めて、予測のつかないことが起こる。


 


 日本政府は慰安婦たちへ公式謝罪するとき、二つの声明を引き合いに出した。1993年の河野談話とアジア女性基金からの支援を受け入れた元慰安婦たちへの総理たちの書簡である。総理たちの書簡には、総理が、同書簡の中で「日本国首相として」語っているということを、はっきりと述べている。この書簡は、総理が替わってもすべて同一の文面だが、「おわび」という言葉を1度ならず使って、これを書簡の受取る人というより、むしろすべての慰安婦たちに話しかけている。これを批判する人たちは不十分だと言うが、不十分と考える理由を詳しくは述べていない。謝罪にふさわしい形として日本の議会による決議案を提案する者もいるが、全会あげてそうした決議案に賛成する可能性はありそうにも思えない。


 


 2007年3月の安部首相の発言のなかには、河野談話と総理たちの書簡の肯定も含めて、非を認め、謝罪する口ぶりが続いているものもある。しかし、それ以外は、河野談話と総理たちの書簡に言われていることを否定するように見える。安部首相が慰安婦システムと慰安婦徴募の一


要素を強調するのには、日本軍が同システムの他の面(輸送、慰安所の設立と運営、慰安所の女性達の管理)で果たした深い役割を最小限にとどめる効果がある。徴募の大部分は、とりわけ朝鮮では、軍隊が直接行ったわけではない可能性はある。 けれど、軍隊が強制的な徴募を行った証拠を安部内閣が否定するのは、1992~1993年に政府報告書をまとめた日本政府の調査者たちになされた証言や異なるアジアの国々とオランダ出身の200人近くの元慰安婦たちによる強制徴募の証言に反し、これに加えて田中ゆきの著書『従軍慰安婦』に引用された400人の証言にも反している。


 


 こうした女性たちの証言の信憑性が、一方で安部内閣と自民党「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」小委員会間の論争の重要ポイントになりながら、また他方では同政権と河野談話および1992~1993年の日本政府の報告書との論争の重要ポイントになっているようだ。河野談話と政府報告書は、ある程度、元慰安婦たちの証言に基づいている。河野洋平、現衆議院議長は、2007年3月30日に、1993年の談話は16名の元慰安婦の証言に基づいており、そのような酷い苦痛を体験したものでないと分からない状況をくり返し説明してくれたと述べた。その反対に、2006年3月16日のものも含めて安部内閣と「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が表明した強制の証拠がないという見解は、そのような証言は信じるに値する証拠とはならない、としているようだ。聞くところによると、以前安部首相は、議員の一人に元慰安婦たちの証言を信用できるかどうか問われて、答えようとしなかった。安部内閣と「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」小委員会は、主として自分たちの見解を朝鮮の状況(慰安婦の徴募の大部分が、物理的な強制よりもむしろ、甘言を用いたり家族に圧力をかけたりして為されたようだ――ただし、力ずくで誘拐されたと主張する元慰安婦たちもいる)を基に論じていると思われる。さらには、暴力的、強制的徴募の証拠がないという主張は、7人の日本軍将校と4人軍隊に雇われた民間人の、オランダ領東インド(現インドネシア)のオランダ人女性および他の女性たちへの売春強要とレイプに対するオランダ戦争犯罪裁判の認定および評決の裁決(3人の死刑を含む)を無視、もしくは否定するものと思われる。このことから、安部内閣は、1951年の連合国と日本の間で結ばれた講和条約(訳注:サンフランシスコ平和条約に同じ)の第11条を否認しているかどうかという、非常に重要な疑義の生じる可能性がある。サンフランシスコ平和条約第11条には、「日本は、極東軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し……」とある。


 慰安婦証言を否定した結果明らかになったことは、1970年代以降北朝鮮が日本の民間人を拉致した説明をしろ、という日本政府の要求に対する国外からの支持の衰えである。これは2007年3月24日の「ワシントン・ポスト」の社説「安部晋三の2枚舌」で指摘されたが、北朝鮮には拉致に対する説明責任があるとする安部首相の強い主張と、「第2次世界大戦中の何万もの女性たちを拉致してレイプし性奴隷にしたことに対する受容と責任を逆戻りさせる安部首相の類似の運動」とを対比させた。社説は断言する。「もし安部氏が日本のした民間人拉致の運命を学んで国際的な支援を求めるのであれば、正直に自身の犯罪の責任を受け入れ、彼が中傷した犠牲者たちに謝罪すべきである」。このように、100人を越す元慰安婦たちの証言を否定することには、第三者が、北朝鮮が日本の民間人を拉致したという主張の信憑性に疑問を持ち始めるかもしれないという立場に日本政府が置かれそうである。


 


 首相の物議をかもす発言は、自民党「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」小委員会を支持しないのであれば、同小委員会をなだめるのを意図しているように見えるが、この小委員会は、河野談話の見直しかもしくは撤回をさせて、おそらくは慰安婦システムに対する日本軍の責任を免除させたいと望んでいる。これらの議員たちが公表してきた研究と、日本のメディアと大衆のこの研究に対する反応は、現在と将来の日本における歴史修正主義者たちの影響を見る上で、重要な指標になるだろう。


 


 慰安婦たちに関する議論の多くで見逃された問題は、連合国と被占領国の元慰安婦たちが、補償と支援の両方、もしくはそのどちらかをアジア女性基金から受けとるかどうか決める自由が十分にあったかどうか、ということである。フィリピン、インドネシア、そしてオランダでは必要なだけの自由があったようだが、台湾や韓国ではアジア女性基金からの支援を受けるのを思いとどめたようだ。韓国自身が元慰安婦たちのために豊富な資金で自身の基金を用意したにもかかわらず、そうでなければ1997年にアジア女性基金からの支援を求めていたであろう朝鮮女性たちに対する圧力と脅しの道具として、同基金や別の手段を利用した。慰安婦問題に関する韓国報道機関のレポートは、ほとんどの元慰安婦はアジア女性基金が「非公式」状態のために支援の受け取りを拒否しているのであって、これを申し出る女性は 「数えるほどしかいない」と主張することで、往々にしてアジア女性基金をおとしめている。韓国政府はもちろんのこと報道機関も、1997年のエピソードに見られる自国の元慰安婦たちへの韓国側の脅しを、引き続き認めようとはしていない。


 


最後に、アジア女性基金と韓国の政府基金と台湾の記録から示唆されるのは、これらの基金に応えて申し出たおよそ500人の元慰安婦たちをはるかに超える人数の元慰安婦たちから、どんな補償/援助のプログラムも反応を引き出せそうになかったことである。元慰安婦の過去を明かすことが社会的な不名誉であることから、前に踏み出すはずだった多くの女性たちを今だに思いとどまらせたようだ。 


                           (以上)


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米国議会に、慰安婦問題はどう報告されたか


 数日前に、従軍慰安婦問題の背景に関する報告書が米国議会調査局から出されているのを知り、あわててこれを読んでみました。

 この全23ページにわたる報告書については、特に元慰安婦の証言を否定したい人たちの間でちょっとした話題になっているようですね。いずれにせよ、ブログでちょっと取り上げるにしては長すぎるので、Sankewebでも、個々の方々のブログでも、自分たちの主張にとって都合のよい部分だけを取り上げて論評しているような気がします。

 読んでみると、そっけない文面の「河野談話」に比べ、元慰安婦の方々の証言のほんの一部にふれた部分からでも酷い体験がこちらにも伝わり、やりきれない思いにとらわれるのはどうしようもありません。

 この従軍「慰安婦」システムに関する報告書は、複数の議員の依頼により作製され配布されたようですが、1930年代から第2次世界大戦まで、日本軍兵士・軍属へのセックス提供のために日本軍が組織した「慰安婦システム」に関する背景を提供する、という文言から始まります。

 報告内容の各タイトルは、序論に続き、次のようになっています。

 下院決議案
 河野談話を見直す日本の運動
 安部首相と安部内閣の発言
 慰安婦システムに関する証拠
 1992・93年の加藤・河野談話
 アジア女性基金
 元慰安婦たちへの総理たちの謝罪書簡
 アジア女性基金への国外の反応
 日本の教科書の慰安婦問題
 日本および米国での慰安婦訴訟
 結論

  今回安部政権と自民党議員たちが問題視した米国下院決議案ですが、同類のものはすでに昨年9月に下院国際関係委員会で可決されていますが、本会議での採決がないうちに休会に入ったということです。

 河野談話修正の動きはすでにアベ氏が首相になった直後の10月、下村官房副長官から始まります。
 そして年が明けてすぐ、中川昭一政務調査会長の後援で、自民党有志により「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が立ち上がり、 河野談話見直しの行動に入ることが宣言されますが、これに呼応して官邸側もその検討に入ることが3月2日の産経に報じられています。

 トーマス・シェーファー駐日大使ほかオーストラリア・フィリピン両政府から警告や批判が出されたのはこの時のことです。

 「慰安婦システムに関する証拠」の項では、吉見教授の発見したもの以外にも、実にさまざまな証拠物件があげられています。
 
 目を引いたのが、日本占領下のインドネシアで売春を強要されたオランダ女性たちに関するオランダ政府の文書の存在。オランダ国立文書館に保存されています。この中には、1947・48年にオランダ軍によって行われた戦争犯罪裁判関係の文書類も含まれています。

 結局、これまでの慰安婦システムに関する日本での、また日本と外国との間での議論の中心になったのは次の3点であったということです。

1.日本軍と日本政府の関与の程度
2.慰安婦徴募・輸送に日本軍の関与があったかどうか
3.慰安婦システムの中に連れてこられた女性たちが、自由意思で売春に従事したか、それとも不本意ながらせざるを得なかったか

 このように問題点をまとめていると、分かりやすいですね。
 「広義の強制性」とか「狭義の強制性」とかの議論にもっていこうとするのは、やはりおかしい。

 報告書の中でもこの点に触れて、「2007年の慰安婦徴募における強制をめぐる議論は、慰安婦たちは同システムの中で自由意思に基づいて売春をしたのか、不本意ながらせざるを得なかったのか、というより大きな問題を覆い隠してしまった」と述べています。

 アベさん、見透かされていますよ。

 で、この報告書のなかでも一番気になるのは、

 「1992年以来、第2次世界大戦の前から戦中にかけて、慰安婦システムの設置・運営に関わった日本の軍隊および政府の役割を、日本政府が十分に認めてきたことに疑いの余地はほとんどない」

という文言で始まる結論です。

 3月の安部首相の「強制の証拠はない」発言を待たずとも、小泉首相(当時)の靖国参拝、歴史教科書の内容、中山成彬文科相(当時)の「慰安婦の記述がある教科書は1社だけだ」等々の「日本の政治リーダーたちの言葉」をめぐる論争によって、慰安婦システムへの軍と政府の関与を認めて謝罪してきた日本の姿勢に疑念が生じてきたことが指摘されています。

自民党の日本の前途と歴史教育を考える議員の会に代表されるような日本の歴史修正主義者たちは、重大な罪が免除されることを求めているように見える」とも。

 この流れの中で沖縄戦での民間人の集団自決に関わる日本軍の役割を記述した部分が教科書から削除されたことにも、きちんと言及しています。
 
 また、河野談話をきっかけにして設立されたアジア女性基金と、基金からの補償金を受けとった元慰安婦たち人たちに渡された「日本国首相」として「謝罪と反省」を述べた総理書簡をかなり高く評価しています。
 この時の「お詫び」の言葉は、受けとった本人よりも、むしろすべての慰安婦にされた人たちになされているものだ、とつけ加えながら。

「謝罪にふさわしい形として日本の議会での決議を提案するものもいるが、全会あげてそうした決議案に賛成する可能性はわずかなように思える」と、いたって現実的な観測をしています。

 さらに現実的なのが、次の話し。

「日本はドイツの例にならって、強制徴用された労働者や捕虜のような虐待を受けた他のグループに補償する官民合同の基金を追加的に設立すればよかったものを、という声がある」が、そうした場合は、1945年の日本各地の都市を焼夷弾爆撃したことと原爆投下に対する補償を日本から求められる可能性がある、とも述べています。

 日本は戦時犯罪をきちんと謝罪し、それに補償する。
 そして米国にも日本の都市を焼け野原にした空襲と原爆に対する謝罪と補償を求める。
 それが本当ではないでしょうか。
 今現在も戦禍に苦しむイラクを初めとする国々の人たちのためにも。

 さて、最後に、
 アベ首相以下閣僚たち、日本の前途と歴史教育を考える議員の会等が、元慰安婦の証言の信憑性を疑って「強制の証拠がない」と発言することが、つまるところサンフランシスコ平和条約第11条に違反しているおそれがある、という話も忘れることができません。

 アベ首相以下閣僚たち、日本の前途と歴史教育を考える議員の会等のその発言は、主として朝鮮の状況の認識からきたものであろうが、それはオランダ戦時犯罪裁判の評決に反する、というわけです。
 
 サンフランシスコ平和条約第11条には、「日本は、極東軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し……」とあるのです。

 では、今日はこれくらいにして。
 近いうちに、せめてこの報告書のうち「結論」部分の訳だけでもアップしたいと考えていますが、どれだけ余裕があるか、それが少々気がかりです。
 
 
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強行採決 中山太郎委員長、また嘘ついて!


 昨日12日の憲法調査特別委員会で審議を打ち切り採決を強行した中山太郎委員長は、テレビのインタビューに答えて「これで国民の主権が確立された」というようなことを述べていたとか。

 こりゃこりゃ、嘘つきは泥棒の始まり、と言ったばかりでしょう。
 この壊憲のための法案のどこで、国民の主権が確立された、なんて言えるのでしょうかね。

 衆議院TVで中継を見ていたとき「委員長職権だ」という言葉が何度も聞こえたのですが、あれが中山氏の声ですね。

 中山太郎、83歳。
 平成12年1月の第147回国会からずっと、憲法調査会に関わっています。
 両親・兄・甥に本人を含めて親族5人が政治家。
 典型的な世襲政治屋さん。

 この方のご母堂中山マサ氏は池田内閣で初めての女性閣僚に登用されてメジャーデビューした大きな話題を呼び起こした人。私が小学生か中学生の頃。
 子供心になんだかいっしょにお祝いしたい気分を掻き立てられましたが、こうして大人になってみると、疑問点がぞろぞろ出てきます。

で、そのご子息、中山太郎氏ですが、HPには

【解釈改憲は国民権利の剥奪だ】
私は解釈改憲を拡げていくことは、国民の権利を剥奪することだと考えている。憲法はもともと西洋では、君主が国民から税を搾取するときに、それに抵抗するためにつくられたものである。したがって国民の権利を守ることが大事である。

とあります。

 それで今回の国民投票法案を特別委員会で強行採決した際に、国民の主権が確立された、なんてうわごとを言ったのか、と納得しました。

 国民投票法案の中味を知っていたら、国民主権とは正反対の位置にあることはすぐ分かるくせに。
 もしかしたら、委員長は内容を知らなかった? とも思いましたが、いくらなんでもそんなことはありえないでしょう。
 意図的に嘘をついた、としか考えられません。
 自分たち、つまり与党側が後ろめたいことをしているのは承知しているのです。分かっていてもやってしまう。やめられない。
 先の戦争に対する姿勢と同じ。

  毎日新聞は今日になって大々的にこの国民投票法案のことを報じています。いつものことながら、時機を逸してからの報道です。

 それにしても、社説で、
「与党案では投票日2週間前からテレビ・ラジオの有料広告を禁止しているが、表現の自由の観点から問題はないか」
と的はずれな批判をしているのは何のつもりか、と呆れたのは私だけでしょうか。
(社説のすぐ横には、温家宝中国首相と握手する池田大作氏の写真)。

 アベ首相は酷いなあ、委員会を強行突破させたいい訳に、こんな中山氏というお年寄りに嘘までつかせるのですから。

 もっとも、双方とも同じ穴のムジナ、というのも事実でしょう。

 この中山太郎氏は、タカ派議員連盟、「歴史・検討委員会」や神道政治連盟国会議員懇談会のメンバーです。

 歴史・検討委員会は「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)を総括する目的で1993年8月に設置され、「日本の戦争は正しかった」という内容の『大東亜戦争の総括』(展転社)を95年8月15日に出版しています。

 奇しくも
この日は、自民党と連立を組んでいた社民党の村山富一首相(当時)が侵略戦争や植民地支配を反省する談話を出した日。
 奇しくも、ではないですね。故意にこの日にぶつけたわけでしょう。

 同日、一方は謝罪と反省をし、もう一方ではその謝罪と反省に舌を出して、俺たちは何にも悪いことはしていない。むしろいいことをやったんだ、と言っています。

 こうした勢力が戦前から戦後、公職追放の一時期を除いて政治の中枢にいて、結果として私たちの国の政治風土が戦前からの連続性を保った、つまり戦前から大して変わらなかった、といえそうです。

 今日も仲良しの先輩格の方と、お茶を飲みながらおしゃべりしました。
 彼女は格別政治に興味を持っているわけではないのですが、良識をわきまえている私の相談相手。

 こんな私たちの国の政治状況をどうしたらみんなに伝えられるか、なんて言い出しっぺの私の言葉に反応して、ふたりでブレインストーミング(というほど大げさではありませんでしたが)。

 なにしろ、いつもいうことですが、この社会には「政治と宗教の話しは御法度」という人が圧倒的に多いのです。
 最悪なことに、近頃はこの政治と宗教が密接に結びつく様相まで呈しているというのに。
 
 で、結論はやはり、やさしい言葉を使う、ということになりますが、その前に信頼関係を築く、ということが前提になります。

 ついでにいいますと、ときどき問題になるF票、つまりフレンド票
を集める公明党支持者、はやくいえば学会員ですが、彼等にもいろいろタイプがあるようです。
 日頃はほったらかしにして選挙の時だけ頭を下げにくる人もいれば、日頃からのふれあいを心がけ、年に数回友人たちを食事やお茶に招待し、選挙の後の当選お礼にはハンカチを配る、という人も聞きます(こういうのは、公職選挙法とどう関わるのでしょうか)。

 そんな時には学会作製のビデオを見せられるのかもしれませんが、何も食事やお茶が欲しくて、ハンカチが欲しくてF票を投じるわけではありません。やはり友人関係が前提となっているわけです。
 選挙時だけの挨拶ではされた相手も困る、というより腹を立てる例の方が多いですね。

 やはり人間同士の環の中で、互いに相手を尊重してこちらの考えを伝える以外に手はないようです。

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嘘つきは泥棒の始まり

都知事の続投が決まった石原氏は東京五輪招致に強気の構えらしい。
 何が何でもオリンピック、というと、ついこの間の何が何でも常任理事国入りの騒動を思い出します。あれからまだ2年も経っていません。

 2005年8月7日付の中央日報はこの時の日本側の思惑が失敗に帰したことで、「日本国内では、外交力量を総集結して推進してきた安保理進出戦略に対する批判論が激しく提起されている」と述べていますが、思わず、えっ、そんなに批判論が激しかったかな? と当時のことをふり返ってみました。

 批判論もあるにはあったけれど、すぐ下火になったよなあ、と思うのですが、どうだったでしょうか。
 もともと一般の関心は低かったのですが、私などは、なぜそんなに政府が常任理事国入りしたいのか、 理解できませんでした。

 その後、例の郵政民営化をめぐるけたたましくも理不尽な衆院解散があり選挙戦に突入。
 まさに国連の常任理事国入り問題などは霧の如く、あとかたもなく消えてしまったのです。

 思い出すだけで苦々しさを覚えるあの9.11選挙は、外務省が総力を挙げて取り組んだ常任理事国入り支持取り付けの失敗も、うやむやの内に忘れさせてくれたわけです。これが意図されたものか、単なる郵政民営化騒動の副次的効果なのかは定かではありませんが。

 で、この安保理入り騒動の時にまことしやかに伝えられ、ネットで猛威をふるった意見が、
国連分担金をめぐるものであったのは、覚えておいでの方も多いのではないでしょうか。

 日本は国連の全予算の19.9%に及ぶ負担金を滞りなく支払っているが、米国、イギリス、ロシアは何年も滞納している。もっと日本は強い権限持つべきだ。毅然とした態度で臨め等々、いさましい意見が散見されました。

 ところがところが、『日本の外交は国民に何を隠しているか』(河辺一郎著)を読んで、そもそも「この負担金を滞りなく支払っている」という主張がまったく事実と異なること、早くいえば間違いだということを知りました。

 これについては新聞記事も誤りであり、さらには川口順子外相(当時)が2003年に国会で答弁した「国連の分担金を誠実に、米国と違って誠実に払い続けているから我が国が国連の中で信頼を得ていろいろなことができている」という認識まで間違っていたというのですから、開いた口がふさがらないとはこのことでしょう。

 日本が期日中に分担金を完納することはなく、90年代以降で見ると平均して6ヵ月滞納している。米国を除くと先進国では群を抜いて遅い。特に2003年にはようやく翌年3月に完納しており、実に14ヵ月の滞納だった。

と、河辺氏はいう。

「誠実に」という語を繰り返し使って支払っていることを強調した外相の時は、1年以上もの遅れだったというのです!
 ロシアでさえ、1999年以降は滞納せずに1月中に拠出しているというのに。
 
 さらに分担金をめぐる言説はさらにエスカレートして、与党から野党まで、分担金を減らせ、とか、19.5%も払うことない、といった主張がおおっぴらに語られるようになりました。

 この滞納ですが、どうも意図的に行われているらしい、というより「確信犯だ」と河辺氏は述べています。

 2005年は4月中の完納でしたが、これは前年秋に常任理事国入りのための工作を活発化させてから初めての拠出で、当時9回目の常任理事国を務める中での出来事だったとか。

 なぜわざわざ、そんなことをするのか、というと、2003年5月の国会での佐藤行雄前国連大使の言、「国連の予算……これについて国連総会が決めていく。ここでは、率直に申しまして、日本の発言権は大変大きい」「予算面で日本とアメリカが非常に大きな力を持っております」「8年間にわたって国連の予算をゼロ成長にした。これは、日本とアメリカが中心的な役割を果たして主張し」たというように、どうも圧力をかけるためのようです。

 そして問題の2003年、つまりこれまで最長級14ヵ月にわたる滞納のあったこの年は、国会で国連改革を求める声が上がった年で、これがまた米英によるイラク戦突入と連動しているということ。
 特に米英のイラク爆撃の前後で、冬柴・高野・丸谷といった公明党議員が「国連あるいは安保理改革」を主張しているとか。

 ここでもまた「改革」か、と食傷気味の私は思ってしまいます。

 昨日11日、中国の温家宝首相が来日して、「戦略的互恵関係」を具体化するためにハイレベルの経済対話を始める、とNHKが伝えています。
 アベ首相が「戦略的互恵関係の構築に向けて大きく前進したい」と述べたとか。

 「戦略的」といえば、今年1月の訪英でいわれた、イギリスと日本は「戦略的パートナー」を想い出します。

 ふむふむ、戦略に基づいて外交を行っているわけか。
 じゃあ、国民に嘘をついたり、さらには著書で「米国やロシアなど大国でも、ろくろく払っていません。これはとんでもないことです」と、当時模範的に分担金を拠出していたロシアを名誉棄損するような言説まで披露する元外務大臣政務官がいたりするのも、戦略的外交の一環なんでしょうか。
 
 思えば30年後の米国の文書公開で明らかになった沖縄復帰の際の密約でも、国会ではひたすら否定するばかりですし。

 なんだか私たちは自国の政府に嘘つかれっぱなしですね。

 憲法問題でも、国民投票法案に関しても、隠してごまかして、またまた嘘つかれているのではないかな? と自国の政府を疑いたくなるのも当たり前です。

 アベ総理は憲法を書き直すと従来から言い、今日の憲法特別調査委員会で船田氏は広範に国民の意見を求めるといってます。

 何を隠しているんでしょうね。 

 舌鋒鋭く与党の矛盾点を追求する辻元さんに応戦するのは、あの統一協会祝電事件の保岡氏。

 委員会の最後は急用で中継を見れませんでした。与党単独で、採決を強行したのですね。
 
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人民の人民による人民のための政治

government of the people, by the people, and for the people
 人民人民による人民のための政治。

 民主主義の神髄を語るものとして有名なリンカーンの言葉です。
 以前から、この「人民の」政治とはどんな政治か? と疑問に思っていたのですが、wikipediaによると、世界的には「起源」を意味するとのこと。

 したがって、日本国憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」の中に、このリンカーンの言葉の精神が込められているわけです。

 なお、リンカーンの言葉の「人民」も、日本国憲法の「国民も」、英語では共にpeopleです。

 このことをしっかり、胸に刻み込んでおきましょう。

 自民党憲法草案では、現行憲法のこの前文部分がきれいさっぱりと削除されています。
 そのかわり、

 
日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 という文が来るのですから、ふざけたものです。

 一応、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する」という文言がありますが、あまりに弱い。

 さて、「人民人民による人民のための政治」のうち、「人民による」がすっぽりと抜け落ちた考えを喧伝するものがある、ということを知ってからもうずいぶんとなります。
 例によって例のごとく、知り合いのわかものが口にし始めたのがきっかけです。

 そりゃあ、昔から、たとえばプラトンは哲人政治なんてものを考えたし、古代アテネの民主政治がやがて衆愚政治に陥ったと、中学の歴史でも学びましたし。
 
 でも、結局、「絶対権力は絶対的に腐敗する」という知恵を獲得したのが人間ではなかったでしょうか。

 私が子どもの頃、大人はよく仁徳天皇の話をしました。もう、戦後は終わった、といわれた後の昭和30年代ですが。
 なんでも、高殿から眺めれば、民のかまどから煙すら上がってないのを嘆いた天皇が、向こう3年間税を取り立てず、宮殿の改修などに人力をさくことを中止し、食料の生産高をあげるべくさまざまな事業に専念した。その結果3年後にはどの家々からも煙の立ち上る様子が見えた、というのです。

 戦前の子供たちは、この故事を胸にも頭にも叩き込まれたわけです。

 哲人政治、とかなんとかいうと小難しくなりますが、この戦前・戦中の人びとに叩き込まれた仁徳天皇の政治がその日本版だ、と考えると分かりやすくなります。

 これがとにもかくにも「人民のための政治」でしょうが、「人民による」は無視されています。おそらく意図的な無視、つまり否定でしょう。

 でも有史以来の出来事で私たちが学んだのは、とにかく権力というのは堕落する、腐敗する、ということ。

 現実には私たちの命と生を全面的に委ねられるような卓越した個人、ないし少数者のグループは存在しない、ということ。

 こんなことは常識も常識、あったり前のこんこんちきよ! と思っていた私は、今の政治は衆愚政治だ! デモクラシーは駄目だ! と正義感の強いわかものが口走ったときは目が点になってしまった、という状況を想像していただけるでしょうか。

 国の政治は優秀なひとにぎりのエリートに任せ、国民は黙ってついてこい、いうのは三浦朱門氏ら日本会議派の主張、大衆は実直にエリートのために働いて国を支えればよい、という考えに通じます。
 教育は読み書きそろばんができて、お上の下す命令が読めさえすればいい、余分なことは考えるな、というところが本音でしょう。

 コワイのは、こうしたプロパガンダに乗る青年の耳元には、君ならエリートになれるゾ、民を指導できるゾ、という悪魔のささやきが聞こえること。正義感・使命感の強い真面目な青年は、これでイチコロです。
 
 どうも権力を掴んで上でふんぞり返っていたい人たちは、民を臣民ロボットにしたいようです。

 権利ばかり主張するな! 義務をきちんと果たしてから権利を要求しろ! というのは、昔から耳にたこができるほど聞かされてきた言葉です。子どものころからこんな文句を耳にするたび、どこかでごまかされているような気分になったものです。

 もちろんこんな言い回しは詭弁の一つといえますが、主権が存する、と規定されている私たち国民が、その主権を行使・維持するためにどれだけ努力をしてきたか、と考えると、はなはだ自信がありません。
 
 今のところ、民主主義に基づいた政治が最良の政治のやり方だと思いますが、民主主義は常に衆愚政治に陥る危険を持っています。

 古代アテネの市民たちは独裁を怖れるあまりオストラシズムを考え出して有力政治家を10年間国外追放し、これがアテネ衰退につながったという人もいるようですが、追放された有力者は再チャレンジが可能だった、という余談は後にして、とにかく民主主義を政治、そして国民の生活に活かすことは必要なことです。

 ところがこの民主主義を政治、そして国民の生活に活かすための努力がどれだけ行われてきたか。それも一人ひとりの心がけはもちろんですが、それ以上に民主主義を維持するために社会的なシステムがどれだけ構築されてきて、それが維持されるのにどれだの努力がなされてきたか、ということが問題でしょう。
 
 ごくごく短期間を除いて、ほとんど1党独裁状態の自民党政府がこのシステムを改変しながら、メディアを操りながら、たくみに民主主義を切り崩す努力をしてきたことを考えれば、衆愚政治に陥る危険は、国民のせいだけではないでしょう。

 民主主義ユートピア、コスタリカの選挙風景として、子どもも含めて国民が喜々として投票場に向かう、という話が嘘か本当か知りませんが、少なくとも私たちの国では「喜々として投票場に向かう」という光景は考えられません。

 総務省の資料によると、昭和21年4月に行われた戦後初の総選挙の投票率は、男女平均で72.08%。
 昭和24、27年には、男子の投票率ですが、80%を上まわっています。そして昭和44年以降は女子の投票率が男子を上まわるようになりますが、いずれにせよ平成8年には60%を切ることになり、記憶に新しい2005(平成17)年には、ひさびさに小選挙区・比例代表がともに67%を超えたわけです。
 この時ばかりは、喜々として、踊りながら? 投票場に向かった人もいたとかいないとか……。

 しかしこの投票率上昇のむなしさは、その後の政治の展開を含めて、みなさん、いやというほど味わったはずです。

 国の主権者であるということはとても厳しいことで、主権を維持するためにはたゆまざる努力が必要だ、という当たり前のことがないがしろにされすぎた、といえないでしょうか。

 それも、国が政策的にそれを主導さえしてきた。もちろん、選挙管理委員会は常に投票に行こうと呼びかけてきましたよ、形だけでも。

 でも、主権を行使する私たち国民の側の内部から、徐々に毀されてきた。メディアもそれに大きく手を貸した。衆愚政治だ、といわれても仕方ないような状態だ。おまけに気づいてみたら、いつの間にか宗教票という組織票が大手をふって歩くようにもなっていた。宗教票はロボット票みたいなものだ。
 こんな状況を許したのは誰だ?! どこのどいつだ? 
 と、いきり立つのも無理はない、というところです。

 民主主義を維持するのはエネルギーが要ります。
 たえずこれでいいのか、問いかけていく必要があります。
 そして人間はある一点に固執するのではなく変わる可能性を秘めています。
 そのことを私は肯定的に捉えたいと思います。
  
 戦後、女も子どもも、そして男たちも、憲法と民主主義に守られて育ってきたこと、生きてきたことを思い出そう。

 もう一度、私たちの手で、私たち自身の手で、民主主義を育てていこう。育て直そう。

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あまのじゃくに奪われた言葉

  
 黒川は石原批判票の受け皿で、宗教票は入っていない。宗教票はおそらく石原の方に行った、とさる人が言ってましたが、この見方に私は大いに賛成。ふたりとも、日本会議というイデオロギー集団で、志を同じくする同士です。

 自らの野望達成のためには手間暇お金をかけて手段を選ばない日本会議のこと。
 あれだけ石原の悪行が世の中にさらされても指をくわえているだけで何もしない、というわけありません。おまけに、あれほど財界の支援を受けていたら、日本会議には潤沢な資金があるでしょうし。

 2005年の下関市長選で江島・自民党陣営が行った選挙戦略の亜種でしょう。

 あの時、当て馬候補の選挙資金に5,000万のお金が動いた、という話が下関市民の間で伝わっています。さらには投票日の直前にはアベ詣でがあったとか。
 確かわたしの記憶では、父アベ晋太郎の秘書だった人物が動いたと思います。もちろん、詣でるときはそれ相応のお賽銭が必要ですよ。

 少々脱線すると、昔は岸詣でだったらしい。 もちろん岸信介です。
 選挙の話しではありませんが、偶然山陽本線で居合わせた友人の話しです。
 これ見よがしにひとかたまりの学生たちの一人が、君はもう岸詣ではしたか? と言いだして、したのしないのとひとしきりにぎやかだったとか。
 友人を含めて周囲の乗客は思わず耳をそばだて、学生さん達はますます得意顔。といっても、友人もその時学生でしたが、岸詣でとは縁もゆかりもない身分でした。

 話しを元に戻しますと、重要選挙と目されたものには、こうした選挙対策がとられることを、私たちは承知しておいた方がいい。

 ○○学会の期日前投票、そしてこの当て馬候補です。

 なおカマヤンさんは「石原に入った281万票のうち200万票くらいは新興宗教団体票だと思ってよさそうだ」と推測しています。

 石原はよく「タカ派」と形容されますが、タカ派という冠を戴いて一番喜んでいるのは慎太郎自身ではないでしょうか。

 この頃とんと見かけなくなったのですが、一時期、ほら、いなりずし、あのお稲荷さんに、あぶらげを裏返しにしたものが作られたりしていましたね。見かけを変えて、費用も手間もかけずに楽しむ手段のひとつです。
 でも口の中に入ったら、本来のものと何一つ変わるところがない、というもの。

 石原の欲も感情もむき出しの言動を耳にすると何ともいえぬ不快感を覚えますが、あぶらげを裏返しにしたように、人間の心をひっくりかえしているような違和感がつきまといます。その上、普通なら人が恥じ入るような感情までそのままさらけ出す、1種のゲテモノ趣味までも。

 ゲテモノ趣味が高じた、裏返しのいなりずし、でしょうか。

 どこかで彼の《小説家としての感性》を称賛している記事を見ましたが、どう考えても石原は、小説家という創造を生業とする人士にそぐわない。

 私には単にあまのじゃくにしか見えません。
 
 ですから《良識ある都民が自分を選んだ》という言葉自体、あまのじゃくの言葉なのだと思います。あまのじゃくに奪われた言葉を取りもどさなくては。

 そんなキャラクターの言動に溜飲を下げる人が多いのも事実でしょう。
「貧困な精神」といってもいいでしょうか?
 故中野孝次さんが自ら認じていたような、直情径行の人では断じてありません。単に幼児性を残しただけででしょう。永遠の3歳児。

 そういえば私の周りでも、有名人、つまりセレブというだけで無条件に受け入れる女性たちの何人かをすぐに思い浮かべることができます。「人気あるわよね~」「人気ありますよね」というのが、彼女たちの石原評。
 同じ女性として戸惑いを覚えますが、いわゆる保守層の一角を占める人たちです。

 おもしろいのが、そんな彼女たちも、自分たちこそ良識とそれなりの見識を備えた人物だと思っているところ。
 とても戦後民主主義的だと思いませんか。

 そうした女性たちの感覚(感性ではありません、感覚です)を利用してきて人気を得てきたはずの人が、戦後民主主義を否定するとは皮肉ですよね。当の女性たちは分かっているのかしら、なんて疑問が頭をチラッとかすめました。

 あっ、今日の私のぼやきは単なる戯れ言ですから、忘れてください。

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セレブ幻想 ぶれる・ぶれない

「嵐の夜に」を見ながら、テロップで石原3選を知りました。
 必然的に、ガブとメイに感情移入……。

 東京の人たち、かわいそう。
 いやいや、私たちもかわいそう。

 いちど刷り込まれたセレブ評を打ち壊すのには、とてつもなく大きなエネルギーがいる。

 浅野さんの「ぶれ」が響いた、という新聞評ですが、いつから《ぶれる・ぶれない》が人間の評価の基準になったのかしら。

 9.11選挙の時に大写しになったミドル世代の女性が、顎をカメラに突き出して「コイズミさんはぶれないのよぉ」とインタビューに応じたのがテレビ画面に映し出されて以来、「ぶれる・ぶれない」人間評は、すっかり私のトラウマになってしまいました。

「ぶれない」のが分かりやすい、なんていつから人は思うようになったのかしら。

 私の知る一番古いものは、2003年の『Voice』12月号で岡崎久彦が次のようにいった言葉。

 安倍晋三という政治家の第一の価値は政治的信念が「ぶれない」ことである。拉致問題がその例である。政治家が「ぶれない」のは難しい。私心があればぶれもする。私心のない人はぶれない。

「ぶれない → 私心がない」。ずいぶん乱暴な論理だ。

 ぶれなければ、なんでもいいのか!
 アベ疑惑の数々をみれば、私心がない、なんて誰が言える?!
 おまけにこのところ、ぶれっぱなし。

 多分、この「ぶれる・ぶれない」という言葉は、戦略語です。
 戦略として使われてきたのです。

 メディアはそのことを知ってか知らずか、多用するようになり、いつのまにか一般に浸透するようになりました。

 華氏さんの言うとおり、「言葉を奪い返そう!」よ。


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新植民地主義と国家の民営化 ワーキングプアにもなれない人たち


 久しぶりに、大阪の知人からの電話。ひと通りの挨拶を互いに終えると、さっそく本題に。
 そこで知ったのが、世に言われるワーキングプワにも手の届かない人たちの話でした。

 登場してくるのは私の子どもたちと同じ年頃、30歳前後の2人の男性です。

 ふたりとも、すでに高校時代に親を亡くして一人で生きてきた。
 SOSが届いて知人が行ってみると、アパートで一人暮らしのわかものが、ここ1ヵ月食べるものも食べずに餓死寸前の状態だった。食物も固形物は受け付けず、とにかく重湯のようなものから始めるより仕方なかった。

 もう一人は糖尿病らしくて具合が悪い、と訴えてきた。
(ただし、知人は医師でも何でもありません。かなり以前からフリースクールのようなものに関わってきたので、おそらくそうしたところで知り合った子供たちでしょう)。
 医者に行くにも保険証がない。とにかくそちらの方のしかるべき手続をして病院に連れて行くと、結局糖尿病ではなかったものの、精神的に追いつめられた結果であることが分かった。

 体をこわしたらアルバイトもできなくなる。親はいない。どうしよう? そう考えて身動きがとれなくなったようです。

 これで何が再チャレンジだ! と知人は電話口で怒っています。もともと大きな声を出す人ではないので、静かに怒っています。

 私は子どもに弱いので、そんな話しを聞くと、とても切なくなります。
 ワーキングプアにさえもなれない人たち。
 でもSOSを訴える大人を知っていて、ほんとうに良かった。

 コイズミ政権以来の国民の生活軽視(これはほとんど蔑視ではないかとさえこの頃思うようになりました)・福祉切り捨て政策が、私たちのすぐ足元にまで迫ってきていることに、戦慄さえ覚えます。

 三位一体改革で地方から取り上げた補助金・交付金5兆円は半分しか地方に戻ってきていません。自公連立政権は、全国に散らばっている日本の富を東京に集中させ、それをアメリカのファンドに移転させる手助けをしている、と森田実さんは言われています。

 たんぽぽさんが、コイズミ内閣は、人件費削減のための非正規雇用の増大といった大企業優遇の経済政策を行なったので、大企業の本社の集中する東京だけ景気がよくなったこと、コイズミがアメリカ国債を大量に買うなどして、お金をたくさん外国に流したことにふれています。
 その結果、「アメリカ人や中国人が日本の株や土地を買い占めるようになり、東京は80年代さながらの「バブル」のようになっているそうです」というのが、東京の現状。

 さてここで、新自由主義新植民地主義だ、と喝破するカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインさんの話しを聞いてみましょう。
 著述家としてもジャーナリストとしても評価の高いナオミ・クラインさんは、先頃ニューヨークであった講演で「国家の民営化」について語っています。

 彼女は『ネーション』『ガーディアン』のコラムニストで、『貧困と不正を生む資本主義を潰せ――企業によるグローバル化の悪を糾弾する人びと』や国際的なベストセラーブランドなんかいらないの著者。
 この秋刊行予定の著書はThe Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism です。

 ではナオミ・クラインの講演から要約します。


 国家のあらゆる面を民営化しよう(完全民営化法人ユートピア)という動きは1973年のピノチェトがクーデターで政権を握ったチリに遡る。この時ピノチェト政権はミルトン・フリードマンの弟子にあたるシカゴ大出身の経済学者たちと手を組んだ(このことについては、花・髪切りと思考の浮遊空間さんも書かれています)。

 この時のプロジェクトは新自由主義と呼ばれるが、 従来の植民地主義とは異なる意味で「新植民地主義」といえる。

 新植民地主義の第1段階は、未加工資源の収奪、つまり未加工資源の輸出。

 第2段階が、大恐慌の後遺症の中と戦後好景気の時期に構築された医療保健制度・教育制度・道路・鉄道の収奪。
 つまり国家そのものの露天掘り

 アメリカにおいても、レーガン政権以来過去30年間にわたってこの民営化プロジェクトが推し進められてきた。
 タコの足をイメージする国家の組織が、電話制度や道路サービスのように次々に民営化されて、まるで不要だとでもいうように足が切り落とされてきた。そして最後に残されたものは中心のコアと呼ばれるものだけ。

 ブッシュ政権は、 この最後に残ったコアを狙い、私たちが国家と考える本質的な部分、行政府そのもの・社会保障の管理・福祉・刑務所・軍隊の類を民営化してきた。

 2004年にイラクを訪れて目にしたものはハーパーズマガジンに寄稿した「バクダッド・ゼロ年」で述べたが、植民地主義と新植民地主義のこうした施策の積み重ね、収奪の追求だ。

 現在閣議は通ったが議会は通っていない新石油法では、この収奪が合法化されている。
 これはまさに、1950年代から70年代にかけてのアラブナショナリズムの波、資源の返還要求が出てきた状況であり、アラブ・ナショナリズムの旗印の下に築かれた産業・工場の収奪であり、90年代の旧ソ連で見られた矢継ぎ早に実施されたショック療法型露天掘り収奪であり、イラクの「プランA」だ。

 さらにポストモダンの時代は、イラクを侵略した米軍、米陸軍そのものが収奪された。これがポストモダンのイノベーションで、マクドナルド、タコベル、バーガーキング等のファーストフード産業を引き連れて戦争を遂行していくプロセスでの自己収奪といえる。

 イラクではありとあらゆることが大惨事になっている。
 確実にイラクの人々に惨禍がもたらされたが、同時に米国の納税者たちにも惨禍をもたらした。

 イラク情勢が悪化すればするほど、この戦争はますます民営化されるようになり、ロックヒード・マーチン、ベクテル、ブラックウォーターといった会社がいよいよ儲かるようになる。

 イラクでは「任務の自然増殖mission creep」が固定化して終わりが見えず、多国籍軍に参加していた国々が撤退すればするほど、請負業者が潤う構造になっている。この間の事情を実証したのがジェレミー・スカヒルの本、Blackwater:The Rise of the Worlds Most Powerful Mercenary Army

 イラク、アフガニスタン、イラン、イスラエル、パレスティナ等での戦争や温暖化問題等の脅威、資源戦争の煽り、原油価格の高騰等を前にして、ダボス会議で唱えられた持続可能なグローバリゼーションは、もはや真実を映していない。
 
 the Guns-to-Caviar index (実際の訳語が分かりませんので、一応、「大砲vsキャビア指数」としておきます) は、戦闘機(大砲)とエグゼクティブの自家用ジェット(キャビア)それぞれに費やされる金額の間には反比例の関係がこの17年間、ずっと見られた。
 それがここにきて、突然、両方が共に上昇するという正比例の関係になった。
 これは、怖ろしく大量のキャビアを買うだけの大砲がたくさん売られていることを意味する。そしてこの経済活動の中心にいるのがブラックウォーターだ。

 戦争で暴利をむさぼるものと闘うためには、そうしたビジネスが成長する機会を取り除くこと。これは不安定な社会の空気や地政学的な要素をもっと平和的で安定したものに変えていくことだ。
 
           (以上)

 ここに再三登場するブラックウォーター社とは、先日のエントリー「奪われる背景」で話した民間軍事会社PMCの代表的なもので、米国系PMCのビッグ3のひとつ。

 『外注される戦争』によると、本社はアメリカ、ノースカロライナ。
 1997年に米海軍特殊部隊シールズの出身者たちが、軍隊や法執行機関向けに特殊なセキュリティ及び軍事訓練を提供する訓練会社として設立された、ということです。

 新植民地主義については、2001年11月の記事で田中宇さんが「米英で復活する植民地主義」のタイトルですでに書かれています。
 ただ、田中さんはそこで、9.11以降の日本政府が米国べったりなのは将来の帝国主義に備えて「よろしく」としっぽをふっていることではないか、といわれています。
 でもこれ以降の日本を見ると、よろしく、といっているつもりでも、確実に新たな帝国主義の餌食になっている気がします。

 そして急ぎ足で成立した防衛省のことを考えると、私たちの国でもそのうち大手を振って特殊部隊出身者が軍事・セキュリティ請け負い会社PMCを作る可能性が十分あるのではないか、と思われてきました。

 イラクでは多国籍軍に参加していた国がどんどん撤退する中で自衛隊が7月以降も2年間派遣を延長されると、経費削減を図る米国に大いに重宝されそうです。

 もう一度、私たちが真剣に考えないといけませんね。
 でもその前に、議員さん達はもっと国のこと、国民のことを考えてくれえ!!

 新自由主義は新植民地主義です。
 あたかも露天掘りのごとき、国家そのものの収奪です。
 それを可能にしているのが、議員で、また、それを選ぶ私たち有権者です。

 今に惨禍が私たち国民のひとりひとりにふりかかってきます。
 ワーキングプアにもなれない人たちがいることを考えると、もうふりかかり始めているかもしれません。

*追記:忘れていましたが、英PMC大手アーマー・グループの日本法人がすでに設立されているようです。『外注される戦争』の著者菅原出氏がコンサルタントとして加わっているはず。HPによると、アジア太平洋地域の本部が日本に置かれています。

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 お断り:忙しくてコメントに対処できそうにありませんので、コメント欄を閉じさせていただきました。

東京都知事選から全国の政治を変える! 

はじめの一歩さんからの転載です。

 東京の都知事選の投票が8日にせまっています。

 2期におよんだ高齢の石原知事による都政をこの機会に転換させるべく、皆様にこの記事の転送、ブログ転載をお願いしたいのです。

  石原知事の都政は、ディーゼル車規制や国への対決姿勢などプラスに見える部分もあるものの、あくまでそれは例外。人権無視で好戦的、福祉の著しい後退、そしてその一方で税金の私物化など、筆舌に尽くしがたいひどいものでした。

 銀座に戦車を走らせたことに象徴される彼の都政は、市民社会に必要な、異なる考え・価値観の者が「共生できる寛容」を失わせる「強制による一様性」の政治です。「君が代を歌わない者も存在できる多様性」を処分によって否定する彼の教育行政がその頂点です。これには天皇も苦言を呈する(園遊会)ほどですが、拍車がかかるばかりで見直される気配はありません。

 こうした政治のもとで、障がい者やセクシャル・マイノリティ、在日外国人などのマイノリティはその生を否定され、苦渋にみちた人生を強いられています。
 人間の尊厳を否定する政治、それが石原都政です。  また、マイノリティだけでなくマジョリティにも悪政が及んでいます。福祉・保健医療の後退は著しく、保健所につづいて、都立病院も半減させられようとしています。性教育の抑圧により、HIV感染はおそろしい勢いで広がっています。

  さらに困ったことは、こうした悪政が全国へ、そして国政へと影響を及ぼしていることです。

  石原知事は、この3年間でもっとも多く税金による高額接待をした相手である佐々淳行氏を選対本部長に据えました。納税者をなめきっているのです。

 しかし、私たちには希望があります。

  検討資料として下に転載した新聞記事に見られるように、もしかしたら石原知事を落選させることができるかもしれない情勢です。無党派の人々が動けば結果に結びつきます。選挙に関わったことのない多くの市民が立ち上がっています。

 かつて団塊の世代から親の戦中世代がつきつけられたように、私たちの子供たちから「あの時、何をしていたの?」と突きつけられないで済むように、今、できることをしませんか?

 お願いします。このメールをお知り合いに転送し、また、ブログに転載してください。全国にかかわることだから東京の人にかぎることはありません。転送の輪が広がれば、私たちの「微力」が積み重なって、もしかしたら大きな力になって、日本、そして世界の未来を変えられるかもしれません。一人が5人に転送してくれれば、9ステップ目で東京の人口を、12ステップ目で日本の全人口を超えます!

 このメールを読んであなたがすぐ転送してくれれば、ネットならあっと いう間です。  私たち一人ひとりは「微力」ではあっても「無力」ではないのです!

 〈検討資料〉

◆4月1日読売新聞(11面)より  2期の実績をアピールする石原がリードし、浅野が激しく追っている。

 石原は、ディーゼル車の排ガス規制などを実現させた強力なリーダーシップへの評価で幅広い層で支持を集める。反面、トップダウンの政治手法など“石原流”への批判もあり、全体の46%を占め、5割が態度未定の無党派層の動向次第では、情勢が流動的になる可能性もある。

 高額の出張旅費などで批判を浴びた危機感から、過去2回とは一転して自民と公明に支援を要請。無党派層を取り込むため、政党推薦の形式は取らないが、国政時代にもなかった組織型選挙を展開する。自民支持層の6割、公明支持層の6割弱を固め、民主支持層の2割の支持も得ている。

  浅野は、過去3回の宮城県知事選と同様、市民参加型の選挙戦を重視し、無党派層では石原に迫る勢い。ただ、街頭演説でも、支援する民主、社民の政党色を消してきたため、両党支持層への浸透が進んでいない。

 支持層の5割しか固め切れていない民主は、管代表代行ら党幹部が連日応援に入り、巻き返しを図る。
  吉田は共産支持層の一部が浅野に流れるなど、苦戦している。

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拉致 中国 アメリカ


 投票日直前に、やはり拉致問題が出てきましたね。
 横田さんや他の家族の方にはほんとうにお気の毒で、政府はいったい何をやっているのだ! 解決する気はあるのか?! と怒りを禁じえません。

 私たち一般の国民の目には、政権は6カ国協議が始まると「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」というばかりで、終わるとそのまま放置しているようにしか見えません。そして想い出したように新たな拉致被害者を認定。
 テレビには2003年のこの被害者のご家族の姿が映されていましたから、なぜ今のこの時期に? という疑問がつのります。
 
姉弟の2人を北朝鮮で見かけたとする目撃情報がある、と伝えるところもありますが、30数年前の幼子たちをどうやって分ったのでしょうか?
 捜査本部を設置したら、どう解決への道筋が見えてくるのでしょうか?
 警察捜査以外の努力は何かしているのでしょうか。

 いっこうに解決の糸口さえ見いだせない現状に一番疲れているのは、やはりご家族の方々でしょう。

 2001年の横田さんの初訪米をテレビでいっしょに見ていた、たまたま我が家訪問中の中国人が思わず「なぜ、アメリカに行くの? 北朝鮮に働きがけができるのは中国でしょう!?」と声をあげたのを思い出します。この方は日本の大学を出て日本企業で働く、
意欲も能力も十分な女性。大学時代の日本人恩師を今でも尊敬して慕っています。

 その彼女の言葉を聞いたとき、ハッとしてしまった私には、この「中国という選択肢」が頭の中になかったことも事実です。漠然と、ふーん、アメリカに助力をお願いに行くのね、という認識でした。
私だけでなく政府にも家族会にも中国という選択肢は初めからなかったでしょうし。

 なにしろ隣の国だというのに、物心ついた頃から私も含めて周囲の人たちの視野の中に、まったくといっていいほど中国は入っていませんでした(ただし、漢文は好きで、特に陶淵明に惹かれましたね)。
 存在を思い出させたのは文化大革命くらいだったでしょうか。それほどまでに日本人と日本の社会は現代中国を無視してまともに向き合ってこなかった、といえるかもしれません。
 ちょうど中国の戦地へ赴いた戦争体験者の大半が、その目で見てきたこと、自分たちのしてきたことを黙して語らなかったのと同じかもしれません。


 初めて親しんだテレビ番組は米国製アニメの「ポパイ」で、多感な中学時代は米国製テレビ番組が目白押し。高校に入り文学の世界に浸りきっていた私は、自分の知らない洋画・洋楽スターの名を何気なく口にする級友たちに目を丸くしたものです。
 そんな中で東京オリンピックが開催され、級友たちはショランダーに夢中になっていました。
 けれどまた一方ではアメリカナイズへの抵抗感を共有する部分もあった、というまさに揺れ動く青春……。

 アメリカへのあこがれと同時にアメリカナイズへの警戒心。このふたつのアンビバレンツな感情が同居しているのは、いわゆる「親米右翼」といわれる人たちにも見られるのではないでしょうか。
 いや、戦前回帰を志向する人たちが、伝統を叫びながらもアメリカについていきさえすれば間違いないとしている態度こそ、アンビバレンツそのもの。

 共産主義に対する警戒心と恐怖心がそこにあるからでしょうが、「伝統」(括弧付き伝統)志向とアメリカ志向という相対立する感情を抱えて平安でいるためには、アメリカについていくことを決めた時点で考えることを止めなければならない。つまり思考停止の状態でないと耐えられない。

 常に共産主義への嫌悪感を自分の中に喚起して、アメリカになびくことに対してチラッとでも疑問を感じることがあれば、そんな自己をなだめすかしながら、あくまでも共産中国を否定する。いいえ、アジア蔑視は戦前からですから、共産主義にかかわらず、とにかく中国を否定する。
 日中戦争にのめり込んでいったときの対支一撃論に通じると思いませんか。

 北朝鮮だって、今日、明日にでも崩壊する、といった調子でコメンテーターがワイドショーをにぎわしていましたが、いっこうにその気配は見えてきません。むしろ、いい、悪いは別にして、したたかに外交成果を誇っているのは北朝鮮の方です。

 失敗したときの処分の過酷さを考えれば、北の外交官たちが死にものぐるいで交渉にあたっているのかもしれません。
 だとしたら、たとえば石原慎太郎氏お得意のムチ方式で日本の外交官たちを締め上げたら、もっと成果は得られるでしょうか? 多分駄目でしょう。
 北朝鮮方式はあまりに人間性を無視しすぎていますから、少なくとも世界の尊敬は得られません。
 自分に甘く人に酷い石原氏のムチのあて方では、私たちの尊敬を勝ち得ることはできません。

 使命感とか愛国心とかは、上に立つ人ほど必要で、この場合、愛国心は愛国民心といえます。国民を愛する心です。村野瀬さんの愛人主義と同じです。エリート主義に満足せずに、人を愛して国民を愛して使命感に燃えて、外交戦略を立ててもらえないものでしょうか。
 そのためにも私たちは、地位も名誉も報酬も外交に携わる人たちに与えているのではなかったかしら。
 
 モスクワに新しい大使館が完成したという報道が先月末にありました。豪華批判で建設を取りやめたプールの穴が地下1階に残り、
大使館側では「緊急時に在留邦人を収容した際に、貯水槽として利用できるのではないか」と話しているそうですが、もっとましないい訳を考えて、と思う人は多いのではありませんか。

 ふー、なんだか今日は、思い感じとことをつらつらとつづりました。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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奪われる背景

「我が社のポリシーは、プロの国際的な専門技能と優秀なローカルスタッフの現場の経験をミックスさせた質の高いサービスです」
 こんなうたい文句を聞くと、一見ごくありふれた企業ですが、「プロの国際的な専門技能」とか「現場の経験」とかなんだろう? 僕でも私でもできるのかしら? なんて思ってそのビジネス内容を知ったら、目をむくことになります。

 2005年の5月、イギリスの会社に雇われて米軍基地に物資を運ぶ車両の警護をしていた日本人が、帰路に襲撃、拘束されたことが報じられました。斎藤さん、44歳。
 この斎藤さんが所属していた会社が、いわゆる民間軍事会社PMCと呼ばれるものです。

 軍事には全くといっていいほど興味のなかった私が、『FACTA』編集長阿倍重夫さんのブログで知った『外注される戦争』が気になって、半日の間没頭し、とうとう読み終えました。

 著者菅原出(いずる)さんは日本財団の関連団体、東京財団の研究員で、PMC研究の機会を与えてくれたのが東京財団の元会長、日下公人。同財団に菅原さんを紹介するきっかけを作ったのが『正論』編集長、上島嘉郎とあると、私がこんな本を読むのは悪い冗談ではないか、とひとり苦笑い。

 少ない兵力と資金でイラク戦を遂行しようとした米軍が常に兵員不足に悩み、PMCバブルが現出しますが、このPMCの業務内容は、実に多岐にわたります。
 単なる傭兵会社ではありません。
 ビジネスを起こしたのは、軍のエリート部隊や特殊部隊、情報機関で実績を積んだ「安全提供」「リスク管理」「危機管理」のプロたちですが、戦闘まで請け負うのは少数のようです。

 正規軍の後方支援、つまりロジスティックス、兵器の修理・メンテナンス、インテリジェンス、偵察、監視、地雷・不発弾処理等から、部隊や紛争地の治安を担当する警官の訓練まで請け負います。CIAの工作員の警護をするのも仕事の一つですし、今やアフガニスタンやイラクに足を踏み入れようとしたら、PMCとの契約が欠かせないとか。

 ついでに述べておきますと、グアンタナモ基地アブグレイブ刑務所での収容者虐待に関わった尋問官の15名もPMC所属という民間の契約者です。ですからその不正行為は軍法会議でも裁くことがきません。

 そうした紛争地、ことにイラクでのPMCの実態が描かれた中で私の印象に残ったこと、「戦争広告代理店」について少し。

 イラク戦争開始前に、ブッシュ政権は戦争に対する米国民や国際世論を味方に付けるために、民間の広告代理店を使って大々的にプロパガンダを行う。これを請け負ったレンドン・グループは9.11テロ事件以降、5,600万ドル(約67億2,000万円)以上の仕事を米国国防総省から委託されている。

 パナマの独裁者ノリエガ将軍追放に際し、CIAの望み通りにことが進むようキャンペーンや心理戦をデザインしたのがこの会社。世界中のメディアから当時の英・伊の首相、ローマ法王まで引き込んでいる。ノリエガ勢力の暴力沙汰を映像に撮り、数時間後には世界中のメディアが報じるように配信手続をし、さらにはノリエガの対抗馬のためにサッチャー英首相・伊首相・ローマ法王(当時)たちとの会談までもアレンジしたのだ。

 ブッシュ・パパの第1次湾岸戦争の際はクエート政府のプロパガンダを支援する。
 湾岸戦争後の追い落としターゲットはサダム・フセイン。
「世界中のメディアに対して『いまや湾岸戦争に敗れ十分に抑止されている一地方の指導者に過ぎないサダム・フセインを、世界平和に対する深刻な脅威であると信じ込ませること』」が次の仕事だった。
 最初はCIAが、次は米国防総省がスポンサーになって、一民間企業が国民の価値判断を巧妙に操作した。もちろんこれには、欧米側の情報機関がイラクの大量破壊兵器開発に関する見積もりを誤っていたことも大きな原因だったが。

 イラク戦争は「選択の戦争」だった。
 時の政権が他の政策オプションもあったにもかかわらず、戦争というオプションをあえて「選択」したのだ。だからなるべく低コストですませたい。

 と、ここまで読み進めたとき、とたんに私は不安になりました。

 あまりの無条件さでアメリカに奉仕する政権について、森田実さんがちらっと言われた「弱味を握られているのではないか」ということば。
 そして今現在アメリカで進行中のアベ・バッシング、ひいては日本バッシングが、イラク侵攻前、ネオコンがフセイン政権に対してやったのと同じ手口の攻撃だ、という田中宇さんの分析。
 さらにははなゆーさんが懸念する大衆レベルでの日本たたき。

 こうした警告を1度に思い浮かべてしまったからです。
 残念ながら今のアベ政権は、国際的な動きに対処できていません。従軍慰安婦発言では言質を取られ、その後の釈明も効果なしです。政権を維持するための内向きパフォーマンスにばかり囚われているからです。
 
 折りもおり、昨日3日の毎日夕刊に、元外務審議官の田中均氏が「三極会議で見た世界との落差 内向きに転じる日本 国際関係の再考今こそ」と寄稿されていました。

 諸外国から見ればナショナリズムの回帰とも映る近年の日本の内向きな傾向に私は強い危惧を持っている。このままでは日本を国際社会の中に融合させていくことはどんどん難しくなっていくだろうし、日本の常識は国際社会の非常識となり、場合によっては日本が孤立していることにすら気がつかない、といったことになりかねない。
と、田中氏は言われています。
 
 こうした現状にあまりに無策なアベ政権。見識の無さと我が身かわいさの先行。
 
 それにアメリカの戦争広告代理店が情報戦・心理戦を仕掛けてくるときの戦略に、この国の政治家たちはいかにも簡単に乗ってしまいそうではないですか。

 金と女に特別弱いものが大物と考えられている日本の政治風土で、《身辺がきれいな大物政治家》がどれだけいるでしょうか。
 近頃はこれにカルトも絡んでいます。

 日本のリーダー達の弱味を握ることなど、実に簡単なこと、朝飯前のことかもしれません。

 メディア操作で作り上げられた政治家たちの虚像が崩れたとき、いうなれば化けの皮がはがれたときの有権者の反応を考えれば、身に覚えのある政治家たちは戦々恐々として、簡単に戦争広告代理店に操られる、と疑っても不思議がないような……。

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上田・自衛隊発言とか、石原・セレブ応援団とか

 新しい年度が始まり、テレビでは入社式や新入社員がインタビューに応じる姿を映しています。
 家事も一通りすみ、ほっと一息入れてPCの前に坐ってニュースを見ると、自衛官は人殺しの練習をしている」という言葉が目に飛び込んできました。


上田清司埼玉県知事が、新規採用職員就任式の式辞で、使命を全うしようとする公務員の例として自衛官をあげたとか。その時の発言がこれです。

「自衛官の人たちは大変だ。分かりやすく言えば平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」

 この上田知事の言葉を聞いたときの私たちの怒りや戸惑いは、いったいどこからくるのでしょうか。

「不適切な言葉だった」と知事は釈明したようですが、ある意味ズバリ、世間の人が目をそらしてきたことを表現したのかもしれません。映画やセレモニーではあくまでも美しく描かれるものを、そんなセンスを持ち合わせていない分、正直にストレートに表現したのかもしれません。

 人殺しの練習をしよう思ってと自衛官になった人は、誰もいないでしょう。

 地震・水害等に駆けつけてくれる災害復旧隊のような自衛隊。
 それに自衛隊に入ると、なんでも色々な技術を身に付けさせてもらえるらしい。
 体験入隊して、たるんだ精神をたたき直してもらうのがいい、と考える人もいるでしょう。

 でも上田知事は、私たちがタブーとしてきたこと、見まいとしていたことを目の前に突きつけた、という気がします。もちろん、知事にとっては至極当たり前のことで、本人にそんな意図はなかったでしょうから、あくまでも結果ですが。そこに戸惑いを感じたのでしょうか。

 そして怒りは、平和を守ること、国民の命や財産を守ることを大義名分にして、人殺しの訓練をさせていること、さらには知事自身がそのことに疑問を持つどころが、大いに称賛していることに対して。
 多分これは、この方の持論なのでしょう。公私を問わず、色々なところで公言してはばからない光景が想像されます。

 平和を守るとか、国民の命や財産を守るとか、そんなことは嘘だと、先の戦争や今のイラク戦を見ていれば思います。

 国を守るという意思は美しく尊いものだ、したがってそのために死ぬのは称賛されるべきものだ、と説く人たちにとっては、世間にもうひとつ別の死を思い起こさせた点で、失言と映るかもしれません。

 深謀遠慮のなさを感じさせる言動からみると、ずいぶん正直な方です。ですから石原都知事の選挙カーに乗って応援演説もするのでしょう。


そんなことが脳裏をよぎりながらゲンダイネットを覗けば、CM出演が激減していた藤原紀香が一気に6本も出演CMを増やしたという記事。ゲンダイネットは豪華挙式の効果といってますが、私はやはり「石原、そしてアベ効果」ではないかと疑っています。

「少しは反省してよね! だけどやっぱり石原さん!」と支持を表明している8人がこれからどんな動きを見せるでしょうか?

 ちなみに石原セレブ応援団の8人は、藤原紀香、北島康介、中村勘三郎、義家弘介、野口健、宮城まり子、佐々淳行、安藤忠雄。ご存じでしょうが、念のため。
 
 裏でどんなことがあったのか、どんな風に誘われたのか、もしくは説得されたのか分かりませんが、手段を選ばず、ですね。
 紀香はCM激増、北島は世界水泳で、義家は教育再生会議で出ずっぱり、野口健の場合は、「清掃登山 継続が大切」という寄稿文が、さっそく毎日16面に、けっこう大きく載っています。
 私が一番失望したのは、やはり安藤忠雄でしょうか、何となくですが。勝手にこちらがイメージを作っていたのがいけなかったといえばそれまでですが。

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憲法改定と日本の孤立


 3月26日にガーディアン 紙「直言」に掲載されたフランシス・フクヤマの小論。
 何気なく読んで想像以上に日本の現状を掴んでいることに驚きました。おまけに渡部昇一が聴衆を前にして具体的にどんな話しをするのか、はじめて知りました。

 戦前復帰を画策しながらアメリカにすり寄る姿勢が矛盾せずにどこでどう折り合っているのか、わたしには理解できないこの方は、フクヤマ氏にこうまで言われてどうするのでしょうか。

 以下、フクヤマ氏の小論の訳です。

 安倍晋三が首相の座についてやっと半年だが、アジア中の怒りを買い、さらに重要な同盟国アメリカでは入り交じった感情を引きおこしている。とはいえブッシュ政権は、安倍に挑発的な態度をとらせないように影響力を行使するだろうか?

 安倍の前任者小泉純一郎は型破りのリーダーで、日本経済を復活させ、郵政改革をし、長期政権自民党の派閥体制をこわした。けれど小泉は、新しい日本ナショナリズムも許容し、靖国神社へ年に1回は参拝して中国と韓国を敵にまわした。どちらかといえば、安倍の方は、独断的で非を認めない日本をつくりあげることに一層邁進している。


 靖国論争は中国と韓国が政治的な優越を狙って日本を困らせるために使う歴史問題だと信じている人は、多分論争に多くの時間を費やすことはない。問題は、同神社に祀られた12人のA級戦犯ではない。ほんとうに問題になるのは、隣の靖国軍事博物館、遊就館だ。


 同博物館に展示されている三菱の零戦、戦車、そして機関銃のそばを過ぎると、「近代日本史の真実」を復元した太平洋戦争史だと分かる。それに続いて国家主義的なナレーターの声が聞こえる。つまりヨーロッパの植民地保有国の犠牲者である日本は、列強から他のアジアの国々を守ろうと務めたにすぎいない、というわけだ。たとえば、朝鮮を占領して植民地にしたことは「協調関係」として描かれている。南京やマニラでの日本軍国主義の犠牲者たちの記述を捜しても無駄だ。


 この博物館は多元的民主主義の中にある多くの見方のうちのひとつだ、と言い逃れることができるかもしれない。けれど日本には、20世紀の歴史について他に代わりとなる見方を展示する博物館がない。歴代日本政府は、民間の宗教組織によって運営される靖国博物館を隠れ蓑にしてきて、そこで表明されている見解に責任を負わなかった。


 納得のできない姿勢だ。実際、ドイツとは異なり、日本は太平洋戦争に関する自身の責任をついぞ受け入れることがなかった。社会党員の村山富市首相が1995年に公式にこの戦争に対する謝罪をしたが、日本は真の意味で責任の範囲をめぐる討議を行ってこなかったうえに、本気になって遊就館の見方に代わる記述を広めようとする努力を1度たりともしていない。


 私が日本の右翼と接したのは1990年代の初めで、日本で渡部昇一と2人でパネリストになった時だったが、彼は日本の出版社(私には未知の出版社だった)が私の著作『歴史の終わり」と『最後の人間』の日本語訳のために選んだ人だった。上智大学教授の渡部は、『「NOといえる日本』を書いた国家主義的政治家で現東京都知事、石原慎太郎の共同執筆者だった。


 2、3回会うなかで、私は渡部が大勢の聴衆を前にして、占領していた関東軍が中国を去るとき、いかに満州の人びとが目に涙を浮かべて日本に感謝していたか説明するのを聞いた。渡部によれば太平洋戦争とはつまるところ競争であり、米国が非白人を抑えつけておくことを決意していたせいなのだ。したがって渡部はホロコースト否定論者に相当するが、ドイツの似たもの同士と異なり、共感する大勢の聴衆を簡単に魅了してしまう。(私のところには、日本の著者たちから、いかに南京大虐殺が大きなごまかしであったか釈明する本が定期的に送られてくる)。


 その上、最近、小泉の靖国参拝を批判するものに対して、たとえば元首相候補加藤紘一の自宅に火炎瓶が投げられたように、国家主義者たちによって物理的な脅迫が用いられた不穏な事件がいくつか続いた。(一方で、普通は保守的な読売新聞の社主が小泉の靖国参拝を非難して、戦争責任に関する興味をそそられるシリーズものの記事を発表した。


 このことで米国はむずかしい立場に置かれたままだ。多くのアメリカの戦略家たちは、日米安全保障条約外に、なんとしてでもNATO型対中包囲網を構築したいと考えている。冷戦末期以来、米国は日本の再軍備を後押ししてきて、戦後憲法の第9条の改定案を公式に支持してきたが、この9条は日本が軍隊を保持すること、あるいは戦争を遂行することを禁じている。


 しかしアメリカは自らが望んでいることには注意を払うべきだ。極東におけるアメリカの軍事的立場全体の正当性は、主に自衛という日本の主権者に帰属する機能を米軍が果たしていることに基づいている。日本の一方的な憲法9条の改定は、新しいナショナリズムを背景にした観点に立つもので、アジアのほぼ全土から日本を孤立させるだろう。


 憲法9条の改定は長い間安倍の基本方針の一部になってきたが、それを彼が強引に進めるかどうかは、大部分米国の親密な友人たちから得る助言のようなものに左右される。ブッシュ大統領はイラクにおける日本の支援に感謝していることから、彼の「親友ジュンイチロウ」には、日本の新しいナショナリズムのことで口出しするのを控えていた。今や日本が小規模な派遣部隊を撤退させてしまっているので、おそらくブッシュは、安倍に対して率直にものを言うことになるだろう。                              (以上)


 アメリカのアジア戦略、アジア版NATOを作ろうとする動きについては昨年10月31日に田中宇さんが「アジアのことをアジアに任せる」で書かれています。


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