選挙戦の裏のうら
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ありがとうございました。m(_ _)m
今日のおしゃべりは、 選挙戦の裏を、ごくごく一部垣間見て、びっくりしたこと、不思議だったことをちらーっとこぼすだけです。読んだらすぐに忘れてくださいね。
これは下関という土地柄ゆえでしょう、シンゾー首相の自宅のある町内には民主党のポスターを貼ることはできません。投票で入れても、ポスターを貼らせるわけにはいきません、ということです。
別にそういうお達しがあったのかなかったのか、全然知りませんが。
ご近所さんたちのアベ家への“思いやり”の結果生じた自主規制かもしれません。多分そうでしょう。
で、皆さんがいつも怒ってるメディアの自主規制は、当然欲得勘定の入ったもので、このご近所さんの自主規制とはちょっと事情が違うでしょうね。
民主党だろうが社民党だろうが共産党だろうが、どこでもいい。どんどんポスターを貼ってくれ。そんなこと、私は気にしない。万機公論に決すべしだ、とでもいうような肝っ玉の大きなシンゾー氏であったのならば、今日のような苦境、与党惨敗はなかったのでは、と思いますが、いかがでしょうか。
で、やっと貼ったポスターも、ときどき剥がせー、といわれたりするんですね。
このポスターを貼る作業には大変な労力が要ります。1枚や2枚の話しではありませんから。
どこかのお宅の壁や塀に貼らせていただくのですが、かならず所有者に許可を得て、それぞれ住所・氏名・電話番号を書いたカードを作り、地図に場所を記入しながら貼っていきます。
後日、そのカードと地図を照らし合わせながらポスターを剥がしていかねばなりませんから。
そのポスターがじゃまだからはがせ、と言ってくる人も、自分はいいのですが、苦情を言ってくる人がいるので……と後は言葉を濁したり。
こういうときはだいたい、対抗陣営を応援する人からの苦情のようです。
でもそうした場合でも迷惑が掛かってはいけませんから、大いに謝り、すぐさま撤去に向かいます。ふむふむ。
このポスター貼りと剥がしで大変なのは、何といっても公示日前日のようです。
今年の参院選の公示日は7月12日でしたので、11日にはつい何日か前に貼った立候補予定者の名前や顔写真入りのポスターを剥がし、新たに政党の政治活動と見なされるポスターを貼り付ける必要があります。
野党はだいたいお金があまりありませんから、作業はボランティアに委ねられることが多いかもしれません。ボランティアたちが地図を片手に手分けしてポスター剥がしと新たなポスター貼りとにかけずり回ったりします。
そんなことで、公示日前日、選対事務所はてんやわんやとか。
この選挙ポスターに関しては違法の話しがあちらでもこちらでも、いろいろとあります。
そんな話しを聞くだけでも、公職選挙法のバカらしさが分かるというものです。
それに、なによりも先ず名前を売らねばならない新人にとって、圧倒的に不利な法律です。
ボランティアの手が足りなければ当然業者にでも依頼することになるのかもしれませんが、ボランティアの手も足りない上に資金もなかったらどうなるのか、私は知りません。そういう人は立候補するな、ということでしょうか。
これがお金をかけない、公正・公平な選挙の実現とどこでどう繋がるのか、私には理解不能。
おまけに「厄介な公選法の規制に対処するには、公選法の条文をよく読んで、自分なりの都合の良い解釈をする以外に方法はありません」という選挙必勝法を説く方もいらっしゃるようで、興味の尽きない?法律、「公職選挙法」です。
とくらさん、ありがとう
自民惨敗でも、私にとってはめでたさも中ぐらい、ではなく1/3ぐらいでしょうか。
なぜって、一つは応援していたとくらさんが落ちたこと、
もう一つは、改憲を主張する候補者たちがたくさん通ったこと。
それにしても山口県の保守傾向をあらためて認識しました。えっ、遅いですか?
選挙運動らしきものもほとんどしない、典型的な「殿様政治」の方が選ばれてしまったのですから。
そういえば、おばさまだったか大叔母様だったかが吉田松陰の獄に下る駕籠を見送ったという福岡市在住の老婦人を知っていますが、この方が山口県から博多に「お嫁にきて、ほんとにびっくりしました」といつか言われてましたねえ。
質実剛健を旨とするところからお祭り好きな土地にやってきて、目を白黒されたようです。
もっとも中国10カ国から関ヶ原後には周防・長門の2カ国に領有を減らされて、質実でないとやっていけなかったという長州の事情がその裏にあったのかもしれませんが。
まあ、対する福岡の方も結構保守は強いようです。
自民の当選者は、アニメ「学の夏休み」やDVD「誇り」で知られるあの日本青年会議所の元会頭ですし、民主の当選者はどうも日本会議国会議員懇談会メンバーのようですし。
で、こうなると、保守というよりrightでしょうか。
急激に社会が変わることに警戒心を抱く人はもともと多いわけで、その意味では保守的な判断をする人が多い、というのも頷けるのですが、この頃は保守というよりrightの方の声がやかましい。
で、良心的な一般の保守の人たちがどれだけそのことに気づいているのかしら、とよく疑問に思ったりします。
これはメディアにも責任があるとよくいわれていますね。
いずれにしてもこれから私たちの国がどこを目指して進んでいくのか、しっかりと見ていきましょう。
とくらさん、ほんとうにお疲れ様。
選挙戦後半、精一杯やり遂げて一回りも二回りも大きくなってまぶしいほどでした。
私たちの思いも背負ってがんばってくれたあなたに乾杯!
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ありがとうございました。m(_ _)m
* 追記:ワシントン・タイムズについてご指摘された方、ありがとうございました。確かにそうでしたね。わたしもうっかりでした。
小池百合子 疑惑、エコ・ライフ、台湾コネクション……エトセトラ
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小池百合子防衛相、この方もいろいろある人ですね。
2000年に秘書給与詐取疑惑が報じられたと思ったら、今年の「週刊文春」7月19日号では献金疑惑の浮上が伝えられていました。
そして26日、選挙応援に行った弘前で、1995年の阪神大震災当時の救助活動について「アメリカ(の艦船)が支援のため神戸港に入ろうとしたところ、神戸の港湾組合が厳しいため、なかなか着岸できなかった」と述べたとか。
ところがこれはまったく事実に反するということで、全国港湾労働組合協議会の玉田雅也事務局次長は「入港に反対した事実はない」として、防衛省に発言内容をただす考えを示した」そうです。
どういう主張の中でこれを言ったのかちょっと分からないのですが、事実無根のところで悪者にされた方は、腹の虫が治まらない、というところでしょう。
もともと震災当時からあったデマのようです。
それを承知していた上での発言だったのか、それともデマと知らずに攻撃材料と見て発言にとりあげたのか、これもまた分かりませんが。
いずれにしてもこの方は、「悪もの」をつくりあげて自らを際立たせる戦略をとる人なのでしょう。
お友だちのタイプとしては最悪かしら。渡り鳥という評もあわせて。
防衛大臣としてはキーティング米太平洋司令官になめられた、という話もあります。
アベ氏と同じ、国内にだけ通じる大臣なんでしょうか。
台湾の李登輝総統(当時)とは「親密な交際」がある、240万の高級ドレスも貰っている、しかもそれが台湾の国家安全局の機密費から支出された、また「私的友人にすぎない」のにやはり国家安全局の機密資金から度重なる台湾訪問費用を支弁してもらったとか。詳しくはこちらで。
それにしても、李登輝氏とそんな関係になって何のメリットがあるのでしょうか?
(写真で見る限りは、小太り気味の体を駆使しているのかな? なんてミーハーとむ丸がびびっと反応)
右派の中で自らの地歩を固めるため?
政界の細木和子みたいなもの?
台湾コネクション? とすると、防衛相に就任するのはかなり当然の話?
で、さらにびっくりしたのは、こんなことまでやっています。
新しいエコ・ライフを提言ですか! ecoyuri.comですか……
1,200円の買い物バッグまで売り出し中。
この「新しいエコ・ライフ提言」と戦争好き・タカ派の言動がどうもマッチしません。だって、戦争は究極の環境破壊でしょう? エコ・ライフとは矛盾するでしょ。
いったい何を考えているのかしら? 本人の中ではうまく両方が同居しているんでしょうか?
だとしたら、どちらかが、それとも両方共が、本気ではない、単なるポーズということでしょ。
・エコ・ライフ提案は政治家小池百合子にとってアクセサリーみたいなもので、本当は戦争が好き、というより軍隊のトップでいることが好き。
・エコ・ライフ提案は本気。むしろ軍隊のトップでいることが小池百合子のアクセサリーみたいなもの、というより勲章。
・エコ・ライフ提案も軍隊のトップであることも、単に政治家小池百合子のアクセサリーにすぎない。
以上3つの場合を考えてみましたが、一番可能性の高いものはどれかな? やっぱり3番目かな? などと思っていますが、皆さんはいかがでしょうか。
最近では中越沖地震の被災者支援に際して、水と食料とトイレの需要が高かったという阪神淡路大震災の教訓を生かすように自衛隊にげきを飛ばしたそうです。
僭越ながらエコ・ライフをひとつ提案させていただければ、自衛隊は災害復旧隊に改変ししましょう! もちろん小池氏は災害復旧隊長! といいたいです。
そうすれば、もちろん私の頭の中でもエコ・ライフ推進の百合子さんと自衛隊を統括する小池氏が矛盾なく一致します。
原子力行政はこれからどこへ
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ありがとうございました。m(_ _)m
昨日に引き続き、27年前の『思想の科学』から、槌田劭(たかし)さんの寄稿文を読み直して。
槌田さんによると、寄稿された「『豊かな暮らし』を問いなおす」が書かれる3年ほど前、
〈いやなお知らせですが、すぐそこまできた電気のピンチ〉「電気が自由に使えなくなる。まさかと思われるでしょうが、本当です。最悪の場合は昭和54年ごろ、日本の一部の地域で、電気の使用を制限していただくことになります。原因は発電所の不足です」
というコピーで電気事業連合会の新聞広告が載ったそうです。
「あなた、タイヘン!」と、黒い伝統を指さして金切り声を上げる奥さんのイラスト入りだったといいます。
私は覚えていないのですが、そういえば“電気事業連合会”の名で時々広告が新聞にも入ってますね。
今回の刈羽原発が地震の被害にあった報道の際には、やはりこの夏の電力の需要がまかなえるかどうか、などという話しも伝えられましたね。
槌田さんはさらに、
「スリーマイル島原発の重大事故につづいて、二本の原発にも事故がつづいている。そのため、54年の夏は、日本の原発は軒並みに運転を停止した。まさに〈最悪の場合〉であった。にもかかわらず、最夏の電力需要ピークにさえ、電気のピンチはやってこなかった。狐につままれた思いになるのは認識う不足というものなのだろう。エネルギーについての話しにはこの種のウソはめずらしいものではない。とくに、原発をめぐってはウソと秘密のかたまりのようで、知れば知るほど、考えれば考えるほど、いやになる」
とまで語っておられます。
80年代、槌田さんの著書『工業社会の崩壊』を読んで感激し、また氏の生き方にも目を見張らされたものですが、今でもお元気に活躍されているようでうれしい限りです。
子供向けには『地球をこわさない生き方の本』(岩波ジュニア新書)を書かれ、あの嘉田 由紀子さん現滋賀県知事とも『共感する環境学』を共著で出されているようです。
ちなみに、地球温暖化脅威説は世紀の暴論―寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題 ―と唱える槌田敦さんとはご兄弟です。
とりわけエネルギー問題に関して、世の中を席捲する見方には何らかの政治的意思が働いているのではないか、と思わせるできごとがいろいろとありますから、いっぱんによく流布している考えを一度は疑ってみる価値はあるのではないか、と思います。
つまり、『不都合な真実』という本と映画をさげて啓発と伝導に歩いたアル・ゴア元副大統領の主張について疑問を持ってもいいのではないか、ということもそのひとつ。
国連の「気候変動に関する国際パネル」(IPCC)が「もはや温暖化は疑いの余地がない」と結論づけた背景には、気候変動について議論百出状態のところに政治的な意図に基づいてIPCCの事務局が暴走したものだ、という話もあります。
その話を伝える田中宇さんは、その「地球温暖化のエセ科学」の中で、
「なぜ、温暖化問題はエセ科学が主流になっているのか。誰がそれを企図しているのか。
……イギリスを中心とする先進国が、発展途上国の成長率の一部をくすねるために考えついたのが、地球温暖化問題である」
と結論しています。
アメリカのイラク侵攻の目的が石油だったことが、7月3日にイラク政府が議会に送った「石油法の改正案」ではっきりしましたね。これについては「イラクは日本だ」で私もとりあげています。
宗派間対立を口実の一つに掲げながらも、石油権益に群がる米企業に特別な配慮がなされているという「イラク新石油法」。
やっかいなものです。
エネルギー問題というのは、とりもなおさず大きな政治問題なのですね。
ですから、原子力発電についても、ことは一私企業の問題として片づけられることでは決してない。原発推進と危険性・問題の隠蔽についても、日本という国家の意思が、端的に言えば私たちの国をどの方向にもっていくか決める人たちの意思が働いている、と考えるのがごく自然でしょう。
危険を承知で、危険だと分かっているからこそ、いざっというときでも少数者の犠牲ですむように辺鄙な地に原発をつくるのでしょう。
その他大勢の電力使用者たちには、電気のピンチだ、電気が自由に使えなくなるぞ、と脅しながら。
ですからアベ氏が地震の第一報を聞いて長崎から急遽自衛隊ヘリで新潟に向かい、まず最初に柏崎刈羽原発に入ったのは当然の帰結だったのです。原発は国策でしょうから。
そして「火災が原子炉建屋内ではないこと」「放射能モレは無いこと」「安全機器に異常は無い」と説明されたことがその後間違っていたことでシンゾー氏が激怒したというのも、私たちが東電の隠蔽を怒るのとちょっと事情が違うのではないかしら。
危険はない、安全だ、とウソついてきたことがばれるじゃないか、なんでよりによって原発の地に地震が?! という自然災害そのものに対する複雑な感情と同時に、隠すべきことが隠しおおせなかったら? という恐れ、東電はうまく隠せなかじゃないか! という怒り……などなど、さまざまな感情が入り交じっていたのかもしれません。
ひとまずは8月上旬にも調査団を派遣するという国際原子力機関IAEAにげたを預けて、これからどうするつもりなのでしょうか。

原子力行政 この30年の無策
という言葉が出ていたのは1980年の『思想の科学』1月号。1976年にソフト・エネルギー・パスを提唱したアメリカの物理学者エモリー・ロビンズさんの言葉。
パスとはpathで路の意。
「従来のエネルギー供給システム、ハード・エネルギーパスに対する言葉で、エネルギー効率を利用側から考え、化石燃料を効率よく使用しつつ、太陽光、熱、風力、水力などの再生可 能な自然エネルギーを、その利用地点付近で、需要の質と規模に合わせて、分散的に自然界から得ることによって、エネルギーのそのものの最終用途での全体利 用効率を高めるようなエネルギー供給システム」(東京ガスHPより)のこと。
こちらのブログではソフト・エネルギー・パスについてもう少し詳しく取りあげられています。
この前年の1979年にアメリカのスリーマイル島原子力発電事故が起こったことであらためて原発について考えさせられたのか、この同誌114号の特集が「『原発の時代』を生きぬく」でした。
27年前のこの年、昭和55年は、3月26日に衆議院科学技術振興対策特別委員会で参考人を呼んでの質疑応答が行われています。
エモリー・ロビンズ著『ソフト・エネルギー・パス』の訳者槌屋治紀氏も参考人として出席し、
「われわれの経済成長とエネルギー需要というのはほとんど関係がないはずだ、われわれが豊かな生活を進めていくのには経済成長が必要である、経済成長をするにはエネルギー需要の増大が必要である、そういう考え方自体を疑ってみる必要がある」
「自然のエネルギー装置というのは、どこにでもこれを設置することができます。どんな中小企業でもこういったものをつくることができます。個人でもつくることができます」
と述べています。
またこの時、日本学術会議エネルギー・資源開発問題特別委員会幹事、中島篤之助氏はスリーマイル島原子力発電事故の調査特別委員会で出されたケメニー報告の警告と自分の考えが一致していることを語っています。
どんなことかというと、
「原子力というものは、口に出して危険だというようなふうに企業やあるいは規制当局や電力会社の姿勢を、あるいは原子力産業界の姿勢を、そういうふうに転換しなければいけないのだ」
ということです。
さらに中島氏は、
「自主、民主、公開というりっぱな三原則を定めながら、米国で開発された軽水炉を、すでに安証された原子炉だというふうに考えて、非常に安易に導入されて、 今日その結果はさんたんたるものである、五〇%に満たない稼働率でしか運転できない、それでなおかつ軽水炉にしがみついてそれを最も重要な代替エネルギー とする政策が進められておるということは、私にとっては大変不思議なことであると思うのであります。
言うまでもありませんが、軽水炉燃料は濃縮ウランを必要といたしますし、それは現在、一〇〇%米国に依存しております。エネルギー自立を目指す、あるい はエネルギーのセキュリティーを保障したいということであれば、少なくともこの燃料が、対等、平等の条約によって保障されるというようなことをまずやらな ければいけないはずでありますし、さもなければ、原子力を大規模に開発することは、セキュリティーを増さないで、石油への非常に安易な依存がわが国のエネ ルギー危機を招来したのと同じような、そういう結果にしかならないだろうと私は考えるわけであります」
とまで言っているわけです。
ちょうどこの委員会が開かれた頃は柏崎刈羽原発は7年前に立地が決まって、岩盤に穴を掘っている時期でした。そして1号機が運転を開始したのが5年後の1985(昭和60)年。翌年チェルノブイリ原発事故が起こります。
80年代は原発論議がかなり盛んだったように記憶しています。
甲状腺異常が多発するチェルノブイリの子供たちを支援する運動が各地で生まれたのもこの頃。
また私が「原発ジプシー」という言葉を知ったのもこのころのことです。
あれから20年、そして30年近く経って事態は良くなったのか? と問うてみると、NO! としか言えないようですね。
90年代からさらに21世紀になって、原発がさしたる関心を呼ぶこともありませんでした。
町内会や子供会、あるいは有志を募って見学ツアーも組まれて、原発への危機感を持つのはごく少数の変わり者とさえ見る傾向がありました。
でもこれは見事に国と電力会社の隠蔽が功を奏しただけのことであって、原発運転について安全性が確保されたわけではありませんでした。
原子力は危険なものであるとはっきりと認識して対処することが最も大事なこと、最も基本的なことだと国会の場で指摘されながらも、曖昧なまま、さらにもっと悪いことには危険性を隠して安全性ばかりを宣伝してきた電力会社と国の施策が間違っていたことが、今回の刈羽原発の事故ではっきりしたのではないでしょうか。
おまけに軽水炉について国会でこれだけ危険性・不合理性を指摘されながら、その後30年近く、国も電力会社も何ら有効な対策もとらなかった、むしろ危険性を隠すことに努めた……参考人招致は単なるセレモニーに過ぎないのか、と思われてもしかたないのでは。
原発ジプシーの問題は近年の格差社会の進展でさらに悲惨な様相を見せ、2003年のスペインの新聞には「日本の原発奴隷」のタイトルでそのレポートが寄せられています。
もしかしたら政権が格差を容認するのは産業の安全弁として活用する目的以外にも、こんな危険な職場で必要とされる労力確保ためか、と勘ぐっても間違いではないかもしれません。
戦後60年以上、そして戦前から考えると100年以上にわたる政治がこんな事態を招いてしまいました。だいたい私たちの社会は、政治・経済の分野でかなりの部分で戦前からの連続性が保たれてきたのですから。
日本に今必要なものは政治を変えること、方向転換することではないかしら、と痛切に思います。
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ありがとうございました。m(_ _)m

↑ 千年虫さんからお借りしました。
期日前投票に行ってきました。ついでに家の者も引っ張って(笑)。
ウィークデーの午前中。お年寄りが多かったですね。
あまりに簡単にできてしまって、家人は結構喜んでおりましたが、噂のように替え玉投票が可能か、と少々心配になったとむ丸です。
要人の失言 「違いのあること」と差別はちがう
ありがとうございました。m(_ _)m
昔から政権を担当する党の要人たちの失言はよくありましたが、短期間でこれほどまでの失言オンパレードはなかったように思います。
アベ内閣の前にも、昨年の年頭会見で「女性は犬のように産め」発言をしたコイズミ氏の例があり、あれには欧米のメディアの方がびっくりしたようでした。
そして今年に入っても柳沢「産む機械」発言に始まる閣僚たちの失言はとどまることを知らず、麻生「アルツハイマー」発言、山本拓「芸者の花代」発言……。
言った本人は当初は失言であることに気づかない、だからこそ失言なのでしょうが、そこに私たち普通の人たちとの感覚の違いを感じます。
アベソーリの800円発言も含めて、どこかで一般の庶民感覚とずれている、いやそれどころか、大きくかけ離れているのではないか、と思わざるを得ません。
喜八さんの「サヨナラ、殿様政治(1)」を読んだとき、そのことを思い出してしまいました。
「殿様」麻生大臣の数々の差別失言には、“違い”が存在するのだから差別があって当然だ、という身に染み込んだ感覚がうかがえます。
もちろん、違いのわかることと差別することも違います。
SMAPが「世界で一つだけの花」と歌い、金子みすずが「みんな違ってみんないい」といったように、この世に生まれてきたこと、そして等しく誰もが死を迎えること、この二つ以外は一人ひとりがことごとく異なるものを持ち、違った生をいきざるをえません。
でもだからといってその一つ一つの生をこちらは良い、あちらは悪い、あっちはダメ、と差別をすることが当たり前なことにはならないのです。
今の政界・経済界の主導的立場にある人たちの多くは、どうもこのことが分かっていないようです。
ご存じのように日本の政治は“世襲デモクラシー”と揶揄されるように、政治的に重要な地位を占める政治家2世・3世・4世がとても多いのです。
家業としての「政治屋」を受け継ぎ、自分は国を、そして“民”を治めて当然。逆に“民”は治められて当然、という感覚で育ち育てられた結果は、アベ氏、麻生氏らの言動を見ていれば分かります。
上を見るな、下見て暮らせ、という世の中の見方を近代以降も持ち続けてきたのが私たちの社会です。
自分よりもまだ下がいる、と安心させる政策は今でも変わりませんね。安月給の正社員でも、パート、フリーターよりも“まだまし”と思わせる、卑屈な安心政策。。
政治家や財界人は納税者を、経済人は消費者を、文化人は庶民を、男は女を、それぞれ見下し、与しやすし、と考えているのかもしれませんね。
そんな“文化人”で有名なひとりが三浦朱門氏。
「エリートは100人に1人でいい。非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ」といった言葉がよく知られています。
1871年、スイス、バーゼルで当時のヨーロッパを震撼させたパリコミューンの報を聞いたとき、ニーチェはブルクハルトを求め、ブルクハルトはニーチェを求め、行き違いの末にようやく会えたふたりの男は、すすり泣いていたといわれてます。
当時のヨーロッパを代表する知性は、このとき、きっと花の都パリが無教養な労働者たちに蹂躙されたことを嘆いていたのでしょうか。
人間は一人ひとり、姿形も違えば持っている力も違います。得意な点も不得手なところも違います。
学校教育では違いは明確に点数となって意識されます。
良い点数をとった方が優れていて、悪い点数をとるものは劣っている、と評価されます。その切り口で、子供たちを評価をする教師をさらに評価するシステムが従来よりも磨きをかけていよいよ現実化することになっています。
ともすれば己の自尊心を満足させるために、他の人びとを下に見る私たちの性癖。
おそらくこれは、人間が成長の過程で学習したものでしょうが、差別することで自分の位置を確認するのは、けっして例外的なものではありません。
いつの間にか私たちは、日常のちょっとした隙間で差別することを学んでしまいました。
誰の心にも潜んでいるこの感覚ゆえにか、他人の中に自分と異なるものを発見すると、それを差別につなげることがあります。
違う、といいうことは事実ですが、その事実を認めることと差別することはまったく別物です。
人間の弱い心は、とかく他者の中に見た“違い”を排斥しようとして他人を劣ったものに位置づけようとします。
でもそれを自覚して、自分も人も貶めることを嫌い、ぐっと耐える人もいます。あるいは倫理としてそうして差別することはいけないことだ、と自分を抑える人もいます。そうした人は当然葛藤も経験し、自覚しない人よりも苦しい思いを経験するかもしれません。
これまでたびたび失言が問題になる政治家たちには、そんな自覚も葛藤も見つけられそうにないのが問題。
自分たちがエリートであることは自明のことと心得ているからでしょう。
そんな自分の人間観の根拠として、というよりも口実として、「違う」ことを持ってくるんですよね。
私は自分が高潔な人間であるとは思いません。
知らない間に誰かを傷つけたり、差別していることにハッと気づいたりしますし。
そんな弱い人間なんですよね、大体の人が。
でもそんな自分であることを認めてなんとかしよう、したい、という良心も持っています。
ですから政治家たちの心ない言動に傷つく人たちに、他人のことでも共感を持つことができるわけでしょうし、自分のことであれば異議申し立てをしたいと思うわけです。
今日も拙い私のブログをお読みいただきありがとうございました。
お礼にお気に入りのアーティストの歌を一つ載せておきます。クリックしてお聴き下さい。
日本の政治を変える! ウイ・ラブ・タカコ
ありがとうございました。m(_ _)m
昨日は夕方6:30から下関の“とくらたかこ決起集会”でした。
会場となるシーモール前の歩道にはぞくぞく人が詰めかけてきました。
動員されたわけじゃない、そんな人ばかり。
女性の姿もかなりありました。
仕事帰りではないのでしょうね、げた履きの男性もいました。
今までは自民に入れたけど、今度はとくらに入れる、という会社経営のおじさんも。
みなさん、ほんとうに真剣でした。
もちろん、テレビカメラもありました。
力強い平岡衆院議員の話し、いかにも老練な政治家を思わせる渡部恒三さんの語り口の後、待ちに待ったとくらさんの演説。
討幕運動に立ち上がった高杉晋作が世の人びとから“乱民”と呼ばれていたことを自身とかけあわせて、去年の8月参院選に手を挙げたとき、周囲からは「なにをとくらは狂ったか!」といわれたとか。そんな話しから始まりました。
真っ黒に日焼けして、一度剥けたところがさらに日焼けして、声がかすれるのにもめげずに懸命に訴える姿に私も驚いてしまいました。
ほんと、逞しい。たくましくなりました。
県内の至る所でたくさん励ましの言葉をいただくのだとか。
そうだろうな、と納得するくらい、政治に怒りを抱えた人が大勢いるのですから。
そんな人たちの代弁者なのだから、とくらたかこは。
We love Takako.
テレビも「改革」を叫んでいるのか?
ありがとうございました。m(_ _)m
うん? おかしいな?
いくらテレビを見ない私でも、家人がつけていれば一部見ることもありますし、音声は否応なく耳から入ってきます。
それで思ったこと。
昨晩の『情熱大陸』は財政破綻した夕張市。
ここで奮戦している医師が主役でした。
市立病院を民営化し自ら理事長となり「改革」に取り組む姿が描かれていました。
やけに「民営化」「改革」といった語が使われて、気になります。
で、この村上医師は単身赴任で、子供3人と奥さんは札幌在住。
そして時には朝の5時まで勤務しています。
3分間診察が定番になったような世界で、今村上氏は15分診察にかけているそうです。
ファンのおばあちゃんもいるようですし、病院職員は、前勤務先から村上医師を慕ってついてきたようです。
彼は専門科を持たない「総合医」とかいう資格を持っているので、ようするにオールマイティ、全ての患者を診ることができるという話しです。
村上医師のの行動を支えているのが医師法第1条だとか。
医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする、というものです。
ナレーションや登場人物の声を聞いている限りは、民営化バンザイ、改革バンザイ、ということになりそうです。
そして今朝のNHK連続ドラマでは、老舗旅館の「改革」が大問題になっていました。
もちろんここでも、主人公をいびってきた人たちが、たっぷりと嫌味を見せて抵抗勢力を演じています。頑固一徹の板前さんは辞めて旅館を飛び出すようですし。
医師法の精神を貫いて診察と病院経営にあたる村上医師はすごい、とは思います。
でも、今のこの時期、声高に「改革」をくり返すナレーションは何かの意図でもあるのか? と思わせるものでした。
子供さん3人はある程度大きくなっていて心配ないのでしょうか。
午前5時までの勤務の話しも出ていましたが、これを聞いてすぐさま「紺屋の白ばかま」「医者の不養生」といった言葉を思い浮かべたのは私だけでしょうか。
子供は一人ひとり感性が違い、持っている精神世界も異なります。
父親のことをよく理解しているのでしょうか。そのときよく理解していると本人も周囲のものも受けとめていたとしても、それですべて終わるわけではありません。
医療改革をしろ、医師たるもの、ときには明け方までの勤務も覚悟しろ、単身赴任だって当然だ、とでも言おうとするのであれば、それは違うのではないか、と言いたいですね。
医師不足に象徴されるような今の医療システムを作って推進してきた問題が忘れられているのではないでしょうか。
90年代、大学受験のための予備校では医学部受験生たちは「医者が余っているわけではない。むしろ医者は不足している。偏在しているために、余っているように見えるだけだ」と説明されてました。
でも当時は“医者あまり”と世間に認識されていて、そのまま今日の事態に至ったのではないでしょうか。
村上医師のされていることはたしかに立派です。
ですが医師法を楯に医者個人の心構えと自己犠牲を要求するだけで終わるのはおかしいと思います。
それでは政治の放棄になります。
素人考えですが、総合医は患者の身近な相談相手としてはとても良いと思います。予防医学を推進するのも大賛成です。
が、それ以上の医療行為が必要なときもたくさんあるのだと思います。
そんなときでも私たちが安心して医療を受けられるようなシステムを作り上げるのは、政治の責任ではないでしょうか。
つい最近、子供がいないために私たち夫婦が何かと面倒を見ている叔母が手術を受けました。20年近くリウマチに苦しんできた人です。
その人が手術から1カ月して退院してきましたが、晴れやかな笑顔を見せてスクッと立ち上がり、スタスタと廊下を歩いて見せたときは、ほんとうに感動しました。
叔母とふたり、手を合わせ、たたき合って喜び合いました。
「リハビリはきつかったけれどねえ」と言いながら、自分の足で歩ける歓びを全身で表しているのです。
ごくありきたりの手術で医者の方は心配もしていなかったようですが、20年近く薬に頼りながら痛い足を引きずり、やっとこさっとこ家の中での最低限の歩行ですませてきた叔母ばかりか私たちにとっても、医学はすごい、と実感させるものでした。
ついでながらいいますと、本人が払った医療費は額は忘れましたがわずかなものでした。
すごいです、日本のこの医療保健制度は。
億の桁で財産を持つニューリッチ層の人でも、私たちのようなしがない庶民でも、同質の医療が受けられるのですから。
でもねえ、おばちゃん、いつまでもこうしていられるかどうか、わからないのよ、今の日本は。実際にリハビリも発症から最長で180日間しか保険がきかないことになっているでしょう?
善処するようなことを厚労省が言っていたけれど、あれから問題の法律が変わったとは聞かないし、
と思わず真剣に話してしまいました。
NHKの連ドラは波瀾万丈のストーリー展開でいじめっ子たちもしっかり配置して、始まった当初からいかにもフィクションを感じさせていました。
準主人公の改革断行に主人公からも疑問が出るという今後のあらすじですが、さて、どんなものになるのでしょうか? 疑問が出されても、結局改革成功、なんてことになるのかもしれません。
で、それ以前にいじめっ子たちの抵抗勢力のイヤらしさは十二分に放映されていますし。
これと自民党のテレビCMがオーバーラップして、1週間後の投票日を迎える、なんていやだあ!
総務省の狡猾さ 菅大臣にご用心
ありがとうございました。m(_ _)m
お金をかけない選挙、公正・公平な選挙のお題目が空しくなる公職選挙法ですが、昨日のらんきーブログさんの「究極の公選法=投票させない作戦」を読んでみるみる間に頭に血が上るのが分かりました。
もうそろそろ歳なのだから気をつけよう、と自分でも思ったり、この頃怒りすぎだよ、と家人に注意されたりしてますが、心静かに一日を過そうなんて、今は夢のまた夢。
(念のためにひと言つけ加えておきますと、私の怒りの対象はあくまでも政治と政治屋です。周囲の人や可愛い猫たちには、けっして八つ当たりはしておりません)。
総務省は20日、参院選(29日投開票)で全国5万1743カ所の投票所のうち、28・7%に当たる1万4840カ所で、午後8時の投票締め切り時刻を繰り上げると発表した(中日新聞7月20日付)とか。
お金をかける選挙、不公正・不公平な選挙をモットーにする公職選挙法を楯に、市町村選挙管理委員会の裁量によって締め切り時刻を最大4時間繰り上げることができることになっているそうです。
ですからこれまでの選挙では午後8時だった締めきり時間が、今回は午後4時になる可能性もあるわけです。
有権者の投票権を奪う、もっと穏やかに言えば、有権者の投票権を侵害する? とでもいえるような状況ではないですか。
「政権を維持するためには何でもありの自民・公明」とは聞いていましたが、ここまでする?!
この投票締め切り時刻繰り上げを発表したのが選挙制度を所管する総務省。
行政組織の中では筆頭にあげられる省で、閣僚名簿の中でも総務大臣は内閣総理大臣の次に列せられるといいます。

←現在の長は菅義偉氏。
秋田県の高校を卒業後集団就職で上京。苦学して大学を卒業。現在の地位を手に入れた人のようです。
で、この方については、“強権行使もためらわない策士”のイメージが私にはあります。
アベ呆れた内閣・アブナイ内閣を陰でも表でも支える人。
もしかしたら、ある意味この内閣で唯一といってもいいほどの成功人事?
権力志向、上昇志向の格別強い人なのでしょうね。
努力家でしょうし、悪知恵もよく働くのかしら。
この投票締め切り時刻繰り上げの話しを知って真っ先に浮かんだのがこの人でした。
NHK国際放送に拉致問題を扱えと放送命令を出せば、受信料を義務づけてやる代わりに値下げしろと言い、NHKを担当する総務省放送政策課課長を交代させたかと思えば郵政公社総裁生田正治氏を解任して日本郵政社長西川善文氏を就任させたり。
放送法改悪を射程に入れて、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)の「中間取りまとめ」を発表させてパブリック・コメントを募集する、それも参院選直前を選んだ狡猾さもこの人の知恵なのでしょうか。
隠然として権力をふるうところが、かなり怖い。
たけきものもついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ……
と、にわか古典愛好家になってしまいそうな心境です。
いい加減にしてくれませんか
ありがとうございました。m(_ _)m
今日も朝からNHKでパキスタンのニュースを伝えている。
「過激派」「テロ」の言葉が再三くり返されています。
以前のエントリー「みんなの、みんなによる、みんなのための政治」でも述べたように、モスクへの軍の突入で殺されたガジ師は、
「われわれは原理主義でも過激派でもない」
「われわれはタリバンでもないし、アルカイダとの関係もない。9・11(米同時多発テロ)の前も後も、イスラムに忠実に生きているだけだ」
と語っているのですが。
「過激派だ」「テロだ」と断定するとそれだけで分かった気になってしまい、それ以上考えるのをやめてしまう。
なんだか60年代、70年代に「ベトコン」という語が使われたのと状況が似ています。
ついでにいいますと、当時どなたかが「“ベトコン”という南ベトナム民族解放戦線の蔑称を最後まで使ったのがNHKだ」と批判していましたが、今の放送界は逆でしょうね。
さて、話題をいろいろ提供してくれるアベ氏のことですが、内田樹先生のところで、つい数日前にフランスのリベラシオン紙の安部晋三評価を見つけました。
内田先生も「安倍首相の失点は年金とか事務所費とか内政の不手際ばかり責められるが、無能力が露呈したのはむしろ外交の方である」と評価されていますが、フランス左派系のインテリさんたちのアベ氏評価もまた最低レベルのようです。
選挙ばかりか日頃の政治についてもとかく内向きになりがちで、「外交は票にならない」とまで言われている私たちの国で、“改革者”を気取るのであれば国際政治・外交についてもっと気配りして欲しい、と思うところですが。
就任直後の訪米では「そのエネルギーのほとんどは自分が火を点けた従軍慰安婦問題の『火消し』に費やされた」にもかかわらず「日本政府の謝罪要求決議は首相訪米直後に通ってしまったから、首相の訪米成果はほとんどゼロだったことになる」と内田先生は断言。
この件についてリベラシオンは、
「前任者である小泉純一郎とおなじく外交能力を欠如させた人物なのであろうか?というのは、彼は2006年秋に政権に就いて以来隣国に築いたはずの信頼感を 破壊してしまった」
と述べているとか。
6月のG8でアベ氏のスピーチを聴いた特派員は、
「彼は貧困・開発の問題については一言も言及しなかった。オックスファム・ジャパンの同職者は蒼白になっていた。記者会見では全員が同じことを考えていた。 これほどのエネルギーと手間ひまをかけてこれほど貧しい成果しか得られないのであれば、これ以上G8を開催する必要があるのか?」
と来年に予定されているホスト・アベ氏のG8に疑問を投げかけています。
また、
「日本では極右は政府と政権与党(自民党、その党首は安倍晋三首相である)によって育まれている。政権にあるナショナリストたちは大日本帝国に対する共感とノスタルジーを隠そうとしない」
という日本の言論人の話しも紹介。
そうして内田先生は、
「 私たちは日本のナショナリズム風潮が海外からはどのように見られているのかということについてもう少し意識的になった方がいいだろう。
日本のナショナリズムは「政治的に危険」だというふうに評価されるよりも(その方がまだましである)むしろ「倫理的に低い」あるいは「知的に劣っている」人々の妄動という印象を諸外国に与えているのである」
と嘆いているのです。
ただし「政治家の仕事の本体は『何をするか』であるよりむしろ『何をしているように見えるか』にある」という内田先生の意見には私自身は同意できません。
アベ氏は終始一貫して「何をしているように見えるか」にのみ心を砕き、それがことごとく失敗しているように見えます。そこには政治を司る者としての誠意も見られません。
もともと人びとの生活に関心もなければ世界の中で日本がどう生きていくかにもこれといった指針を持たずに、ただ権力の座に就くために政界を志しただけの人でしょうから。
同じようなことは、こんな人たちについてもいえるでしょうか。
公明党の北川一雄幹事長が、国会内で小池新防衛相に挨拶されたときに思わず口にした言葉が、
「制服姿の小池さんが見たいなあ。戦闘機に乗ってもらわないと」
というもの。
いったい何を考えているのだ? 何か勘違いしていませんか。
アルツハイマー発言が問題になっている麻生外相には、次のような発言もあったとか。
「奥さん方に分かり易く例えれば、安倍晋三の顔と、小沢一郎の顔と、どちらの顔がいいかを選ぶ選挙」、
つまり、どちらの顔が女性の目には魅力的と映るか、それで投票をしろ、とでも言いたかったのでしょうか。それも「分かり易く例えれば」との注釈付きで。
ほんとの話し、こんな下らない話しにかかずらっていたくないですよね。
でもいつまでもたっても、舌なめずりでもしているような、あるいは人をバカにしたようなこの種の話しがなくなりません。
どこか人と社会に対する姿勢が間違っているのではないか、と思わせるような言葉が次から次に政治の中枢から出てくる……
古いのよね、分かってないのよね、と私のまわりでは奥様方が呆れています。
隠蔽を許さない――みなが情報を得る大切さ
ありがとうございました。m(_ _)m
新潟での地震発生直後にあったアベ氏の原発視察についての詳細が、地元選出の近藤正道参院議員のサイトにありました。ヤメ蚊さんの所で知りました。
柏崎市内も原発の敷地内もひどいものです。
以下近藤議員のサイトから一部抜粋します。
******
「自民党県議らが待ち受ける中、総理が変圧器の火災現場が見えるところにバスで到着。防災大臣や、関係省庁の関係者も一緒。市長、所長らが出迎え、火災現場を指しながら、説明。
所長は「火災が原子炉建屋内ではないこと」「放射能モレは無いこと」「安全機器に異常は無い」ことを、強調。総理は、ほとんど発言せず、説明を聞きながら、「それは安心しました」などと答え、この間、わずか4〜5分。
その後、総理一行は柏崎市内へ。
マスコミの前で、まず、これをやるために、東京からヘリで来たのです。
そして、いの一番に原発に来たのです。それはあのテレビの「黒煙と日」のショッキングシーン。とにかく、総理は危機対応を、しっかりとアピールしたかに見えた。
しかし、それなまもなくひっくり返る」。
「その日の夜、6号機で放射能を含んだ水を1、2トン、海水に流したことを(東電が)記者会見」。
「使用済み燃料プールの水が地震の揺れで漏れたようですが、原因は不明。ここでも放射能漏れの事実を国に報告したのが、発見から6〜7時間経過した後であることが判明。
本当にデタラメです」。
「何を聞いても『異常なし』、『大丈夫』という答えしか、返ってきません」。
(この後、ヨウ素、コバルトが大気中へ放出されたこと、放射能廃棄物を入れたドラム缶が転倒して付近が汚染されたこと等に言及)
「私達の前では『なんとも無い』と言う、私達が帰ると、『実は』と次々に放射能モレの事実を明らかにする。この体質は一体なんだ!」
****** 以上*******
という具合に、近藤議員は東京電力の「インペイ、ウソの体質」を怒っています。
またその後のさまざまなニュースでチェルノブイリ並の原発事故さえあってもおかしくなかった状況を知ると愕然としますね。
スリーマイル島の事故が1979年、チェルノブイリが1986年。
もう20年経ちますが、チェルノブイリの事故の後、専門家を呼んで有志で話しを聞いたことがあります。
話しの大半が忘却の彼方に消えてしまったのですが、いまなお印象に残っているのは、当時事故の報道に接した西ヨーロッパの国々の人たちがとった行動です。
事故で多量のヨウ素が放出されたことを知った人びとが薬局にヨウ素剤を買いに殺到した、という話しでした。
私だけでなくその話しを聞いた者はみな??? とわけ分からなかったのですが、説明を聞いて納得すると同時に感心したこと。
ヨウ素は甲状腺に蓄積されるため、あらかじめヨウ素剤をたくさんとって甲状腺を飽和状態にしておくと、事故によって放出されたヨウ素が体に取り込まれることはない。そのことを知っていたための行動であったとか。
さてさて、こうしたことを知っているのは私たちの国ではどれだけいることでしょうか。
また、このヨウ素に関する話しを知っていて、さらには柏崎で地震、と聞いたときすぐに原発を心配した私でも、恥ずかしながら、事故直後のニュースを見て小火でよかったね、と思ってしまった不見識。
企業側の嘘つき、隠蔽体質もさることながら、自分も含めた情報受け手側の甘い見通しを今更ながらに痛感しました。
思えば40数年前の新潟地震では石油タンクが70基ほど次々に延焼・爆発を起こし、黒煙が2週間近く空を覆い、浸水被害に遭っていた周辺の町は、流れ出た原油で黒い海に浮かぶ街の様相を呈していました。中学時代の友人の家がどんどん焼けていきました。
おまけに赤く塗られた水素タンクに引火したら爆発で半径○○キロ以内は焼け野原になる、と言われて、ひたすら遠くへと旅行鞄に大事なものを詰めて家族と共に逃げたことも思い出といえば思い出ですが……。
そんな危険なものが自分たちの住む町の近くにあることなど、住民は誰も知らなかったのです。
目の前に突きつけられて、初めて知ったのです。
いつか十数年ぶりに当時の友人と会ったとき、一緒に大荷物持って逃げたねえ、と笑いあいましたが、ほんとうは笑えるような話しではなかったのです。
数年前に会った中国人留学生が、親御さんがチェルノブイリに出稼ぎに行ってる、と話しているのを聞いて、原発事故のことを知らないのだろうか、知らされていないのだろうか、と少々気になりました。事故のあったことを知っていたとしても、その危険性を知らなかったら同じことです。
そういえば、長妻議員が年金問題を初めて国会で追求したとき、アベ氏は「年金そのものに対する不安をあおる結果になる危険性があるのではないか」といって、同議員の提案を全否定したことがありましたね。
話は飛びますが、この方たちの主張する純潔教育の推進で女子中高校生の性に関する知識は驚くほど貧困で、自分で自分の身を守る術さえ知られていないという話も聞きます。
相手となる男性側に対しては、商業化されて誇張されたり歪まされたりした性知識が町に溢れているというのに、女の子たちには“純潔”の言葉のもとに“無知”が求められるわけです。
最低限でも女の子たちは自分の身を守る方法を、たとえば望まない妊娠やエイズなどの病気を避ける方法を知る必要があります。さらには人と人とが愛することについて、また人と人とが共に生活をしていくことについて、知り、考える必要があります。世の中で、男と女、人と人が幸せに暮らしていくために。
いろいろな理由をつけて、さまざまな口実で、大切なことや知っておくべきことが隠されています。
第2の風土ともいえるようなそうした私たちの国の為政者の、またそれでもいいや、とする有権者の傾向を、なんとしても打ち破りたいですね。
私たちの国はどこへ行くのか
ありがとうございました。m(_ _)m
パキスタン、イスラマバードのモスクに籠城した神学生を武力で鎮圧して指導者ガジ師を殺したムシャラフ政権に、疑問どころかNO! を突きつけるように自爆テロが起こっていますね。
「テロリスト鎮圧・人質となった女子の救出」といった軍突入の口実も怪しい、嘘ではないか、と思われますし、政権内部でも、
「政府による米国支援は国民にとって幸せなことではない。過激派やテロリストが米国の政策の下で生まれているのだ」
という声(ハク宗教問題相)が出ているそうです。
現に、軍の強行突入の日、“テロとの戦い”の同盟国として生きる道を選んだパキスタンの現政権に、ご褒美として米国からF16戦闘機が届いたとか。
もともと90年に売買契約を結んでいたものが核開発疑惑で経済制裁を受けて反古になり、昨年に再契約が結ばれ、この結果になったようです。
なぜパキスタンにF16戦闘機がいるのだ? と考えても私には分かりません。
確かにおとなりのインドとは犬猿の仲で、カシミールの領有をめぐって争ったり(印パ戦争)核保有競争をして、インドに次いで世界で7番目の核保有国になったりはしましたが。
世界でいくつもの国が採用しているこうした戦闘機は、いったい何に使うのでしょうか。
パキスタンがF16を採用すればインドでは戦闘機126機の新規調達を正式決定したそうです。
双方で戦闘機を飛ばしあいっこしたら、いったいどうなってしまうのでしょ?
それとも床の間に飾るように見せあいっこしながら、牽制しあうのでしょうか?
ひとたび戦闘機が飛び立てば、さらにはそれが実際に戦闘の使われれば、エコバッグだ、省エネだ、といっているのが空しくなるほど燃料は消費するでしょうし、桁外れの環境破壊は生じるわけですし。
うーん、考えれば考えるほど分からなくなってくる……戦争ごっこが好きな男の子たちが己の戦力を自慢するだけのような気さえします。
で、一番確かなことは、ロッキードマーティン社のような戦闘機メーカーは、さぞ儲かるだろうな、ということですが。
元はといえば同じ英領インドで、それ以前に栄えたムガール帝国の豊かな遺産もそこかしこに存在しているというのに、田中宇さんは「生まれながらの不幸を抱えた国」と呼んでいます。そうした見方は彼ひとりではないようです。
国際政治の荒波の中で軍を使った強権政治を行って国の舵取りをせざるを得ない政権を、また不正蓄財で政権を担当してきた同国のエリート層を批判するのは簡単ですが、私たちの日本がそんなパキスタンを笑えるだろか?! と疑問に思うのは私だけでしょうか?
最近とみに、「日本はどこへ行くのだ?」と不安に思う声が大きくなってはいませんか?
それにごく普通の有権者が、政治家の利権漁り、政・財・官の手に手を取り合った錬金術・蓄財術を予想しています。ただ具体的な事例が把握できていないだけです。
どうせやってるよね、年金だってあの人たちが山分けして使ってしまったのよね、と見ています。
アフガニスタン→イラク→パキスタンと、米国がいわゆる“対テロ戦争”を叫べば叫ぶほど、“テロとの戦い”を推進すればするほど、テロが生まれ、テロに攪乱される世界が広がってくる現実を、私たちの国の政権はどう考えているのでしょうか。
参院選の争点は年金だ、格差だ、教育だ、といろいろ言われていますが、アベ氏が政権維持できるだけの議席確保ができたら、年金も格差も教育もその他もろもろの問題についても思い通りに強行していくのは目に見えていますね。
で、そうした問題と同等かそれ以上に重たい問題が、国際社会の中での日本の立ち位置ではないでしょうか。
ひたすら米国を頼みとしてその身を米国に委ねる一方で、軍国日本の行状を美化して蛮行はなかったこととすることで自らの誇りとアイデンティティを持とうとするおかしさ(この辺りは美しい壺日記さんがよく追求されていますね)。
敗戦から60年以上もたって、ついぞ日本は自らの立ち位置を確保できなかったのか、存在証明は米国という他国に預けてしまったのか、とため息が出そうになるとき、「政府による米国支援は国民にとって幸せなことではない。過激派やテロリストが米国の政策の下で生まれているのだ」というパキスタン閣僚の言葉の方が、アベ氏等日本の政権担当者よりよほど真実をついているというものです。
そうそう、コイズミ純一郎氏もアベ氏も、国連外交の場で米国を支持し、「国際貢献」とか「人道支援」の名の下に米国のイラク政策を助け、大量破壊兵器が見つからずに大義名分が失われた後もついぞ自分たちの政策の誤りを認めることがありませんでした。
ほおかぶりをしていたら、そのうち皆が忘れてくれる、とでも考えているかのようです。
超大国アメリカに対する日本の自己主張が慰安婦問題でのデマ広告とか対日非難決議案に対する抗議書とかでは、あまりに情けない。
「ふつうの国」だとか与党候補者にも嫌われた「美しい国」だとかのような、舌足らず・思考足らずのせりふではなく、考え抜かれて鍛え抜かれた言葉で私たちの国をこれからどうしていこうとするのか、有権者のみならず世界に向けて、怖いアメリカからしたたかなヨーロッパ、目の上のたんこぶの中国等々世界中の国々とその指導者たちへ向けて、正々堂々と主張してくれ! 発信してくれ! と言いたい。
それをしてこそ、政権担当者ではないですか。
“誇り”でだまされてはいけない
ありがとうございました。m(_ _)m
朝のテレビでとくらさんの政見放送をしていました。
そうそう、と頷きながら聞いてましたが、ちょっと気になったこと。
実際のとくらさんは、もっとチャーミングで〜す。
一度会ったら誰でもが好きになるような、そんな人。
ひたむきで、正直すぎるくらい正直で、政治家にするにはもったいないほど(笑)です。
さて今回の参院選で注目する候補者が私にも何人かいるのですが、そのうちの1人が元陸上自衛隊イラク復興業務支援隊長の佐藤正久氏。
毎日新聞のアンケートに対する答えで主だったものを見てみますと、
1.最大の争点は:教育
6.7.憲法改正・9条改正:賛成
9.集団的自衛権の行使:可
10.安部首相の靖国参拝への態度:不可
11. 〃 は靖国参拝すべきか:はい
12.日本の核武装:情勢次第
13.14.道徳教育の強化・ゆとり教育の見直し:賛成
という具合に、一つの傾向を見せていますね。
かなりの強硬派とお見受けしました。
以前のエントリー「人生いろいろ、自衛官もいろいろ?」でこの佐藤氏の発言について疑問を投げかけたのですが、もう一度ここに記しておこうと思います。
佐藤氏が復興業務支援隊初代隊長としてイラクへ行ったのが2004年のこと。
サマワでの半年の任務を終えて帰国する隊員90人をスーツ姿で帰国させたことについて、氏が「堂々と胸を張って、制服姿で帰りたかった。隊員たちに悲しい思いをさせた」と語ったことが伝えられています。
「空港での制服着用は遠慮してほしい」と成田国際空港からの要請を防衛庁が受け入れたことを、イラクで立派な仕事をしてきた隊員たちの誇りを奪うような措置だ、と批判するような記事だったようです。
でも、なぜ成田国際空港からそうした要請が防衛庁(当時)にあったのか、記事には述べられていません。
要は、民間航空機を軍事利用することは国際条約で禁止されていて、私たちの国もその条約を締結している、ただそれだけのことなのです。
それを、“誇り”の問題に置き換えた上で、さらには記事して世の人びとの心情に訴えるのはそもそもが間違っているわけです。
長い連休の後、どっと海外から帰国する人の波がよくテレビ画面に映し出されますが、あんな風にごく普通の感覚でどこの国へも民間の旅客機に乗って出かけられるのも、民間航空機を保護する条約があるためです。
一般にシカゴ条約と呼ばれる国際民間航空条約がそれです。
2006年8月1日の時点で、この条約の締結国は189カ国にのぼります。
民間航空機にたいして「国の航空機」というものがあります。 軍、税関及び警察の業務に用いる航空機を指します。
「ビジネスとして米海兵隊あるいは附属する武器弾薬を民間機が運んだ場合」でも、「相手から国の航空機と見なされる危険が極めて高い」とエキスパートは話しています。
「国の航空機」と見なされるとどんなことが起こるのかは、
1988年7月、 イラン航空のエアバスがアメリカ海軍のイージス艦に撃墜され、乗客298名が死亡したこと、1983年9月、ソ連から米国軍機と判断された大韓航空機が領空侵犯したとして撃墜されたこと等で分かります。
イラクから帰国する自衛隊員が航空機に乗り込む前にクェートでそれぞれスーツを購入して着替えた、というのは当然なのです。
自衛官の誇り云々の前に、一般民間人や民間航空機の乗員の安全が問題なのです。
賢明な佐藤氏とその言葉を報道したSankei記者たちのことですから、そんなことは百も承知だったのではないでしょうか。
そこをあえて誇りの問題にしてしまうのですから、ある意味スゴイなあ、と思ってしまいます。
考えてみれば外交・政治の問題をたくみに情緒の問題にすり替えて世論を都合のいい方向に引っ張っていくのが昨今のやり方になっています。
人間の心の弱い部分に働きかける情報戦略の一つなのでしょうが、私たちにはそれを見極める目がいよいよ必要になってきましたね。
バカにされたような気がするって?
ありがとうございました。m(_ _)m
参院選一人区の自民党の候補者が、アベ氏が決起集会に出席した2週間以上も経ったあと、ずいぶんと嫌味なことをいってますね。
「高知は明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況にある。絵に描いた『美しい国 日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」
とまで演説で述べているのですから。
適当なパフォーマンスで適当なことばかりいうという認識が、批判する立場の有権者の中にあるのは当然です。
でもこれが与党の中にもあったというのはちょっとだけ驚きですが、いわゆるB層をだまそうとして使った言葉を代議士まで信じていたらどうしようもないよね、と納得しました。
でも、選挙に強い、なんていう理由をつけて自分たちで選んだ総裁でしょ!
「美しい国」なんて言葉が我が物顔ではびこるようになったのは昨日今日の話しではないというのに。
これまで散々、強行採決にも協力してきたんでしょ!
「(首相が)私の選挙を心配するなら銭を持ってきてほしい。南海地震対策を政府の責任で5000億円ぐらいやったら、高知は地震や台風に耐えられる県になる」
とまで言ったそうです。
選挙戦のふたを開けてみたら有権者にちっとも響かない! とびっくりして、慌てて批判してもご都合主義というものではないですか!?
それにアベ氏自体、女傑らしき母親に岸家のものの見方をしっかりと躾けられて、きっと他所が見えない、ましてや大局的な見方など期待する方が無理でしょう。ただ地盤・カンバン・かばんを受け継いで代議士先生になっただけ、と思えますしね。
選挙というある意味候補者にとっては極限的な状況の中では、これまで見えなかったものがよく見えてくるようです。
前国交省事務次官でこの夏の参院選に、自民比例区から出馬した佐藤信昭氏を、
「(耐震偽装事件で)違法な数値操作を行い、民間事業者に責任を被せた。その功績と引き換えに、安倍晋三が公認した」
と藤田東吾氏が告発していますね。
これが事実なら、政治家転身の足がかりに耐震偽装事件を使ったことになりますね。
おまけに彼のプロフィールを見ると、私が経験した新潟地震を、新潟高校2年の時に経験していることになります。
水道管が破裂して市中が水浸しになり、腰まで水に浸かりながら帰宅を急いだ1人だったのではないかしら?
流砂現象で県営住宅が傾いたほか全壊・半壊した家屋が何千戸にものぼり、信濃川にかかる近代的な橋が落ちて、新潟市の東西を結ぶのは最も古い万代橋一つになった当時の新潟の記憶を忘れてしまったのでしょうか。
立候補して初めて自分の名が一般に知られていないことに愕然としたという丸川珠代氏は、
2004年6月にアメリカから帰国後転入届を提出していなかったために選挙権がない、という事態に直面したようです。
あまりにお粗末、としか言いようがありません。
転勤その他で転居したものにとって、まず第一にすることは転出・転入届、と心得てきましたもの。
亀井静香氏のフジモリ氏擁立も奇々怪々で、日本政界の闇を垣間見させてくれました。
やはりこれしかありませんね。

みんなの、みんなによる、みんなのための政治
40数年前に石油タンクが次々に炎上した新潟地震を経験しているだけに、人ごとではありません。
柏崎といえば原発もありました。
後のニュースで原発の火災も伝えられました。幸い小火ですんだようですね(後のニュースを見るとそんなものではないですね。6号機から微量の放射性物質を含んだ水が漏れて海に流れ出たかもしれないとか)。
でも地震の直接の被害だけでもたくさんの死傷者が出ているようですし、時間の経過とともに被害が増えていますね。
心配です。
地震にあわれた方々には、くれぐれもお大事に、としかいえませんが。
********
さて今日の毎日には、パキスタン、イスラマバードでのモスク籠城で殺されたラシッド・ガジ師についての記事が載っています。
なんでも軍が突入する前日の9日に、宗教問題相・情報相・副情報相相ら閣僚と宗教指導者たちの計11名で5時間以上にわたってモスクの前でガジ師と交渉が行われて、双方合意に至っていたのだという話しです。
合意内容は“降伏条件案」としてすぐ大統領府に伝えられたが大統領側の答えは「全項目の拒否」。その上「身の安全は保証されない」と通告され、ガジ師は激怒し、その2時間後には軍の強行突入が始まったといいます。
12日のテレビでムシャラフ大統領は「過激派の要求は到底受け入れられないものだった」と演説をしましたが、合意内容をみればどこが“過激派”なのか理解に苦しむところ。
たてつくものには容赦しない、ということでしょうね。
もちろん、大統領の後ろには米国が控えているのでしょう。
5月、ガジ師は毎日の記者と会見をして「われわれは原理主義でも過激派でもない」と言っています。
「われわれはタリバンでもないし、アルカイダとの関係もない。9・11(米同時多発テロ)の前も後も、イスラムに忠実に生きているだけだ」とも。
米国の経済制裁解除後に、パキスタンの経済が発展したことについては、
「一部の特権階級だけが恩恵を受けている」とし、
「(国境付近での武装勢力掃討作戦で) 多くの市民への犠牲を甘受しているのはその代償なのか」と憤り、
年内に予定されている総選挙については
「悪い者も正直者も投票できる米国流民主主義はおかし い」と述べたそうです。
おそらくガジ師の主張はほんとで、原理主義でも過激派でも、タリバンでもアルカイダでもないのだと思います。
政府に異議を唱えるガジ師たちは、過激派だ、テロだ、という口実で片づけられてしまったのではないか、という疑いをぬぐうことができません。
また師の主張を「持論」と毎日は表現していますが、国連機関に勤務経験があり、視野の広さと深い洞察力で知られ世界に「イスラムの窮状」を発信し続けたという師の降伏を認めずに突入を強行した経緯をみると、軍隊は誰のために、何のためにあるのかと、いま一度問いただしたい気持になります。
悪い者、正直者が誰であるか、いったい誰が判断するのだ、という問いは永遠に解けそうにない問題ですが、米国流民主主義はおかしい、と断言するガジ師の言葉も、気持は分かります。
でもやっぱり、私たちは民主主義を超えるシステムをいまだ見いだしていないのだ、と思います。
民主主義がうまく機能するためには、つまり「人民の人民による人民のための政治」が行われるためには、不断の努力が必要です。
もともと「人民」はpeopleの訳語ですから、これを「みんなの、みんなによる、みんなのための政治」と言い換えてもいいかな、なんて考えてみました。
「みんなの、みんなによる、みんなのための政治」には手間も暇も知恵もとりわけ必要で、主権者である“みんな”には、それなりの良識と見識が求められます。
それを面倒くさがっていては、民主主義はうまく機能しません。
その民主主義を面倒くさがっているのが、どうも私たちの国ではアベ氏のようです。
最高権力者として自分の思い通りに政治をしたい、国を動かしたい、という衝動に突き動かされているように見えます。
そのためには前言を翻すこともいとわず、慰安婦問題についても年金問題についても、意見をころころ変えることをためらいません(どなたかが年金に関するアベ氏の発言の変遷をまとめてくれていましたが)でした。
“ぶれない”のは私心のない証しだ、などとアベ氏を評価する向きがかつてありましたが、今はどうなのでしょう。
ぶれたり迷ったり悩んだりして人間は賢くなるのだと私は思っていますが、アベ氏の言葉のぶれはそれではなく、自己の地位を築くこととその保全のためでした。
確かドイツ語では約束を守る男のことを「言葉の男」と表現したと記憶にあります。
言葉を大切にして約束を守る、これも民主主義では大切ですが、アベ氏の手によって「美しい」を初めとした日本の言葉が、なんと軽くなってしまったことでしょう。
仮にこれからも私たちの国のリーダーでいたいのであれば、言葉を大切にして人びとの暮らしを守ると約束し直し、その約束を大切にする……無理でしょうね。
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ありがとうございました。m(_ _)m
民営化ユートピア・競争ユートピア・詐欺としての道州制
ありがとうございます。m(_ _)m
「だまされているような気がするのではなくだまされています」といわれたのは、13日のエントリー「なにかだまされているような気がする」を読まれたluxemburgさんです。
曰く、「最近は『廃県置藩』がキーワードですね。幕府が人為的に引いた線もありますが、基本的にはそれぞれの地域の特色を生かした300の藩がありました。民主主義が遠のき中央集権が近づく道州制、絶対ダメっすよ」
とのことです。
また「(道州制は)小泉竹中のイロイロ詐欺の一環」といわれたのはコギトエルゴスムさん。
「道州制は、地方公共団体の借金の解消(ごまかし)が第一の目的だと思いますが、本当の狙いは、経済界(政財界、資産家、及び外国資本家)の要望する『税制改変』だと思います。
『州同士を競わせる』とかナントカ言って、法人税や所得税や住民税や相続税やその他の税を、州に自主的?に決めさせ、その間隙をぬって富裕層が私財を拡張させようと企んでいるのです。
あの「経済学者としては三流だがペテン師としては一流の竹中平蔵」と彼の詐欺仲間達がセコセコと案を練っているのです。
こんなペテン話に軽く乗せられちゃうんですよね、日本人って!
『道州制? いいんじゃないですか』って、深く考えずに簡単に街頭質問に答える会社員のオジサン達には、心底、むかつきます」
と怒りを抑えきれない様子です。
さて、道州制を推進する人たちの中には『道州制推進連盟』に集まる人たちがいます。
このサイトのトップページを開けると、上部にいきなり「 増え続ける国と地方の借金
で、読んでいきますと、道州制を推進しようという考えは新自由主義の考えと表裏一体となっていることが透けて見えます。
「今すぐ道州制にしないとどんな危険が予想されるでしょうか?」と問いかけ、
「働き手が減ったうえ、仕事が海外に逃げて食えなくなり、国や地方が財政破綻すると、倒産、失業、物価が急騰し、食糧やエネルギー資源が輸入できなくなり、最後には治安 が悪化して生命の危険にさらされると予想されます」
と自ら答えているわけですが、これは今まで何度も耳にしてきた論ですね。
「道州制の効果」についてもいろいろ述べられていますが、
1.中央官庁の解体で、政官業の癒着がなくなり、汚職や談合もなくなります。
2.小さな政府の実現で無駄をなくし、増税しないでも国の借金を急激に減らすことが可能になります。
3.地方が自立し、特色を生かして競争することにより、新しい産業が生まれ経済も元気になります。
等々、いいことずくめのように説明されています。
1.の「中央官庁の解体→政官業の癒着がなくなる」とは「官僚主導から民間主導となり、諸々の規制が緩和・撤廃され、各方面の既得権が解消されるから」だということです。
なんだかコイズミ・竹中ラインが「改革」を絶叫していたときに、耳にたこができるほど聞かされたせりふではないですか。
「道州制を突き詰めれば、国の省庁の権限削減につながる」という全国市長会会長の佐竹秋田市長が語るのはこの部分でしょうね。
2.の小さな政府論では「民間で出来ることは民間へ、地方でできることは地方へ」と、これまたお馴染みのモットー。
極めつけは、「道州制の効果」の5番目にあげられた「国民がこぞって立ち上がり、道州制・地方主権を実現すれば、創造的で生き生きとした安心できる社会を実現することができます」
というものです。
そこでは「破局・破産寸前の日本を再生し、将来税金"0"の無税国家もあながち夢ではなくなります」とまで述べられています。
ここまで言われると、いよいよ「詐欺」の趣が。
「民間にできることは民間に」の合い言葉で推し進められた福祉政策がどんな結果を招いたか、コムスンの例はまだ記憶に新しいところです。
「地方にできることは地方に」の合い言葉で各州の間に競争原理を持ち込むことでいったい何を企んでいるのでしょうか?
民間主導、民営化すべきだ、競争がすべて、競争しさえすればうまくおさまる、という信仰にも似た思いを個人が持つのは勝手ですが、それが国の政策として遂行されたらこの国はどうなってしまうのでしょうか?
民営化ユートピア、競争ユートピアでは問題は解決されません。

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公職選挙法と抜け道
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ありがとうございます。m(_ _)m
毎日、政治と政治屋さんたちに怒り疲れている方はこんな歌はいかがでしょうか。私のお気に入りのアーティストです。
澄んだ歌声を聞いて癒されたところでまた 腹の立つ話題で恐縮ですが、公職選挙法のことです。
この法律のおかしさは明月さんを初めとしてさまざまな方が指摘されています。
私も今春、この法律を杓子定規に解釈すれば公示前であろうが公示後であろうが、365日24時間、日本ではブログで候補者や政党の応援や批判ができなくなるようなことをどこかで読んでびっくりしたことがあります。
そんな馬鹿な、ですよね、ほんと。
もともとお金をかけない、公正・公平な選挙の実現を目的とした法律のはずでしたよね。
それがポスターひとつとってみても、たとえば公示日前日には候補予定者のポスターを撤去しなければならない手間について話しを聞くと、どうしてそれがお金をかけない公正・公平な選挙と関係あるのか分からなくなります。
また一度貼ったポスターを剥がせ、という依頼も選挙事務所には時々あるようで、そのひとつひとつにはそれぞれ事情があって仕方ないというところですが、中にはポスター貼りを許可した当人に他党支持者から横やりが入っていたりします。まあ、これも仕方ないでしょうね。
で、今回の参院選は特に与党に逆風が吹いているということで、与党、というより○明党、もしくは○明党支持者の監視の目が民主党に向いているということです。いきおい民主党関係者は自粛せざるを得ない、というところみたいです。
自分たちはするくせに他人がするとすぐ言いつける、と不満の声が聞こえてきますし、これまで東奔西走して知人宅へ投票依頼に押しかけたりしているのはこの○明党支持者たちで、ことに年寄り所帯でもあれば格好の標的となっています。
投票依頼ではなく後援会入会依頼であっても、たしか戸別訪問は禁止されているはずですが、堂々とされています。
いったいどうなっているのかわけ分からない、と思っていたところ、こんなサイトがありました。
「逆発想の地方議員選挙必勝マニュアル」です。
国政選挙であっても戸別訪問については同じかな、と思って読んでみますと、
「厄介な公選法の規制に対処するには、公選法の条文をよく読んで、自分なりの都合の良い解釈をする以外に方法はありません」
ということです。
とにかく訪問の目的を選挙からそらす、たとえばリサーチやご用聞き等の言い回しで訪問するのだそうです。
ということは、違反を指摘されても選挙目的ではないと抗弁すれば許されるのでしょうか。
公選法の条文をよく読んで、自分なりの都合の良い解釈をする、というのが立候補者陣営の現実的な対処法みたいですね。
それにしても本来の主旨を置き去りにしてこうした枝葉末節のところでテクニックを働かせてばかりいるのも、一般の人たちを政治嫌いにする一因になりかねません。

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なにかだまされているような気がする
ありがとうございます。m(_ _)m
前エントリー「命を大切にすることは、農業も大切にすること」でふれた、気になった新聞記事の二つ目。
5日の毎日朝刊に掲載された第27代全国市長会会長に選ばれた秋田市長佐竹敬久さんの話しです。
「陳情するサロンから 国と闘う政策集団に」
という見出しで佐竹さんが、「現在の産業構造から生じる地方間税収格差について、是正論議を進めたい」といわれているところはさておき、
「道州制と突き詰めれば、国の省庁の権限削減につながる。実現のために、全国知事会とも連携して制度設計に携わりたい」
という言葉に引っ掛かったのです。
道州制がほんとうに国の省庁の権限につながるのでしょうか。
またそれが、私たちの暮らしにどのような影響を与えるのでしょうか。
実は私、道州制にははなはだ疑念を抱いております。
なぜかというと、第1の理由が、アベ政権が推進しようとしていることだから。
少々乱暴な理由付けかもしれませんが、これが結構当たります。
「平成の大合併」で地方自治体を編制し直した意義がどこにあるのか、まだ自分には分からないのが第2の理由。
複数の自治体を一つにまとめる動機と結果は何だったのでしょうか。
結果として地方から取り上げられた分の交付金・補助金はどうなったのでしょうか。
家計を考えれば、支出項目の数を減らして複数の項目を一つにまとめるのは支出の絶対量を減らすためだと思います。
「三位一体の改革」で、それまで地方に配られていたものが地方に行かずにどこか違うところで使われてしまったのではないかな、と考えているのですが、本当のところはどうでしょうか。
まあ、あくまでもど素人の“勘”ですが。
でも、実際地方に補助金・交付金として渡った金額は明らかに半減しているわけですから、「改革」を自称しながら、国は一石二鳥、三鳥の施策を行ったのではないかな、と疑っています。
財政に困った自治体があれば、補助金・交付金の類で頬を叩いて中央政府の意見を押し通すこともできるし、というのはモーソーかもしれませんが、ほんとうだったりして……。
道州論議は郵政民営化論議を彷彿とさせます。
有権者・納税者の理解が進まないうちに、さも「良さそう」に宣伝されてその気にさせられてしまうような危うさを感じます。
1.「道」といえば北海道。
他の都府県とは比較にならないほど広い北海道の自治の現状はどうなのか?
道と中央政府・省庁との関係、道と道内の各自治体との関係はどうなっているのか?
2.「州」といえばアメリカ合衆国。
アメリカの地方分権のありさまは有名ですが、歴史も気質も異なる日本で道州制にして、はたして地方自治が進むのか?
3.明治の廃藩置県はどのような意図で行われ、結果はどうだったのか。道州制と通じるところはないか?
4.都府県を廃して圧倒的に広い地域をカバーする地方行政府をつくると、当然その数自体が大幅に減り、その下に同レベルで多くの市や町が存在することになる。
これはかえって地方自治が衰え中央集権化が進むことになるのではないか?
等々疑問を持っています。
まだまだ不勉強ですが、なにかがおかしいぞ、と直感するのです。
道州制についての議論が深まらないうちに、どさくさ紛れにこの制度が一方的に導入されてはいけません。
地方自治を私たちは大切にしたい。これは現在の地方自治をもっと良いものにしたいという願いを込めた上での気持ですが。
不適正な処理でなければ、なんでもいいのか
ありがとうございます。m(_ _)m
小池百合子防衛相に、もう献金疑惑が浮上しているといわれてます。まだ何かあったな? と思ったら、秘書給与の詐取疑惑でした。
また昨日11日に報じられたのが、九州・山口の4参院議員、松山政司、小斉平(こせひら)敏文、林芳正、後藤博子の4氏に関するもので、議員会館を主たる事務所の所在地にしながら、事務所費、備品・消耗品費など多額の経常経費を政治資金収支報告書に記載している、ということでした。
憲法に定められている特権(この中の「相当額の歳費」の現状が妥当かどうかの問題はさておき)以外にも年金、JRパス、航空運賃、宿舎等々、微に入り細にわたり優遇され、家賃ゼロの議員会館には机・椅子・PC等は提供されているし電話代の一部から光熱水道費まで負担されているし……いったい何に使うのだ? と不思議でならないのが私たち一般の国民。
地元事務所の活動資金の一部までも含めた経費で“不適正な処理”とはいえない、と説明する担当者もあったらしいのですが、なにやら苦しいですね。
「不適正な処理ではない」ということは「法に則っている」ということと同じこと?
「違反はしていない」ということでしょうか。
そんなこといわれると、思春期以前の生意気盛りな年頃、
















