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日本をダメにした張本人あれこれ 

本棚をあさるうち、ちょっとけったいな本を見つけました。
 なつかし~い、22年前の『広告批評』です。

   公告批評表紙 

 特集が、当時ときめいていた中曽根康弘首相。
 
 いろいろな意味でコイズミ純一郎氏の先輩にあたる人で、日本を駄目にした総理大臣として、まず筆頭にあげられるかもしれません。

 ロン-ヤス関係で米国との蜜月を演じたのもブッシュ-コイズミ関係の先輩格ですし、当時、日本は米国の浮沈空母になろう、とかなんとか発言して物議をかもしたのですが、22年経ち、ほんとうに、米国の楯か、はたまた浮沈空母か、ということになりそうです。

「浮沈総理の人気の秘密」と題した特集記事は、

1.中曽根サンは顔がカヤマしている。

 で始まります。

        公告批評1 

 加山雄三と中曽根康弘の顔に共通する特徴は、明るい楽天家、根拠もなく自信がある、人づきあいがいい、ということらしい。ちなみにミスターこと長島茂雄さんもこの部類らしい。

 でも楽天的自信家のこの人相の裏では、「世界平和研究所」なるものを作って、えげつないことをしています。なんでもその研究所の2年間の研究成果が「全条文よりなる『世界平和研究所 憲法改正試案』」だそうです。

 “世界の平和”を研究するところが平和に反する憲法試案/私案! コイズミ政権下でも本来の意味とはまったく反対の意味で言葉が使われていましたが、その先例がこの方だったのです。

 なお、この「カヤマしている」人相の反対の代表例は伊吹ブンメー氏だと、個人的には思ってます。

2.中曽根サンは公告精神に富んでいる。

      公告批評2

 若い方でも、サミット記念写真の構図の話しは知っているのではないでしょうか。
 はじめは隅っこの方にいても、撮影間際になるとスルスルと中央のレーガン横にいつの間にか立って何食わぬ顔をしています。

3.中曽根サンはフジテレビよりカルチャーっぽい。

     公告批評3

 フジテレビを引き合いに出したところがいいですが、今ではフジテレビに限らず、およそすべてのテレビがあてはまるかもしれません。NHKは時にドキュメントでいいものもやりますが。

 で、そのカルチャーっぽい中曽根サンが作る俳句は、

 寒鯉は沈みたるまま動かざる
 女子学生 スカートまぶし浜の風
 ぬか雨や 会議倦みたるシャンデリア

 等々らしい。

 うーん、フジテレビともその他のテレビとも、いい勝負。なるほど、芸術とはいわずに“カルチャーっぽい”というのがあたってますね。
 恥ずかしげもなくこうした句を晒すところが、もっとすごいし、はずかしい。

 それにしても安っぽい、感性のかの字も感じられない句ですね。
 コイズミ純一郎氏のオペラ好きと同じくらいいかがわしい。。。

 百人一首の「天津風……」で知られた僧正遍昭は、「乙女になんの用がある」と江戸時代の川柳でからかわれていますが、中曽根サンはさしずめ「ナカソネは女子学生になんの用がある」というところでしょう。

4.中曽根サンはかわゆいブリジジである。

  公告批評4
 波打ち際を素足で歩くこの写真を見て、女子高生が、ブリッコしていて「かわゆーい」といったそうです。
 このあたりの女子高生の感覚がコイズミ人気を盛り立てていたのでしょうか。

5.中曽根サンは“脱・石炭時代”の政治家である。

    公告批評5
  
       ↑ 鏡を覗くナカソネさん。政治タレントの面目躍如。

 1986年6月21日、東京は品川での街頭演説で、ナカソネさんはこう言っていたそうです。

「野党は権力政治だとか、独裁者だとか言ってるが、サッチャーをごらんなさい。みんな自分でやっているじゃないですか。レーガンをごらんなさい。みんなやっている。現代文明は高度情報社会です。大衆文明の時代です。先手先手でやらないと政治は追いつかない。むかしのような永田町の政治をやっていたのでは間にあいっこない」

 これを「中曽根サンのひとりよがりが随所にあるし、『大衆文明の時代』というのもよくわからない」と揶揄したうえで「最後の一句には石炭時代から脱しようとする中曽根サンの強い意志が、痛いように感じ取れるではないか」と、たっぷり皮肉味の香辛料がふりかけてありました。

 なお、「大衆文明の時代」というわけ分からない文言と双璧をなすか、それ以上に分からない台詞も書きとどめられていたので記しておきます。

 靖国神社参拝についての記者団からの質問に対する答えです。

総理大臣としての中曽根でなく、総理大臣たる中曽根として参拝した

 う~む、さすが、人生イロイロ、会社もイロイロとか、その他数々の迷言を吐いたコイズミ純一郎氏の先輩。

 靖国奉じ隊ともいうべき稲田朋美議員は、尊敬する人として「西郷隆盛」と堂々とオフィシャル・サイトに明記しています。
 靖国神社には“逆臣”西郷隆盛は祀られていないのに、いったいこの方は何を考えて、檄を飛ばし、百人斬り裁判とか『沖縄ノート』裁判とかを戦ってきたのか、まったくわけ分かりません。

 この稲田氏と同じぐらい回路がショートしたような中曽根サンの言葉ですね。

6.中曽根サンはマスコミが作ったヒット商品である。

 公告批評6 
 コイズミ純一郎、橋下徹、そのまんま東等々、後世マスコミが作り出したヒット商品のはしりというか、さきがけだったのですね。

 死んだふり新国家主義への暴走えっ憲法改正もできるって? 世論眺め右翼的国家作り危ない……等々、いろいろと警戒警報が発令された中曽根サンですが、それだからかえって、「じつはそれほどでもないんだけどね」という感じが生まれて、「まさか」という感じが強くなったそうです。

 中には中曽根人気のヒミツはあのハゲにあり、と言った人(鴻上尚史)もあったのだとか。
 で、「ハゲもあれだけからかわれると、みんなでかばってやりたいという気分になってくる」らしい。

 う~む、それならば、私も戦術変更しないといけないかしら?

 政治家の“ヘア”と人気はどうも相関関係にあるらしい。それも世界各国共通の。
 コイズミ純一郎氏のライオンヘアもありましたね。

 ヘアもプロデュース次第で人気に大きく影響するのであれば、野党の方々も頑張って欲しい(ってどんなものでしょ?)

 それにしても20年経って、このナカソネさんの毒が見事に日本という国の体中に回ってきたことはどうでしょう!

 最後、

7.中曽根サンは“中流日本”の象徴である。

       公告批評7

 当時80年代半ば、「いつの時代にも欲求不満のカタマリである若者でさえ、総務庁の調べによると十人に八人が『今の生活に満足している』と答えている」とあります。アメリカ、イギリス、フランスでも若者の満足度は40%前後というのに対して際立つ満足度数値。

 で、このナカソネさんという御仁、日の丸の小旗を沿道で振っている小さな子どもたちを見ると胸がジーンと熱くなって、「あの子たちをけっして戦場にやってはならない」と思うそうだ、とエピソードを披露しています。

 知れば知るほど、このナカソネさんは演技派だと感じ入ります。

 10人に9人は自分の生活が中流だと思った当時の日本国民から見ると、中曽根サンは、「自分たちの現状に見合った“中流の総理大臣”ということになるハズだ」と広告批評は断言。

 今はどれくらいの人々が自らの生活を「中流」と考えているでしょうか。9割にはとても届かないのは確実でしょうが。

 このナカソネに始まりコイズミがよく踏襲した演技派政治タレントぶりは、現在、東、橋下両知事に受け継がれたようです。

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体験から見た愛国教育 日の丸・君が代死守で何が得られるの?

Like a rolling beansさんの「学習指導要領に急遽愛国心育成追記・根津先生の椅子を引っ張り転ばせる都教委」を読んで、椅子から転がり落ちるほど驚きました。

  まだ子育て真っ直中らしいRolling Beabさんの教育関連エントリーにはいつもはらはらしたり、怒髪天を衝くのような心境になったりして、いろいろ教えていただくのですが、仮にも子供たち の教育を主管する教育委員会で、こんな嫌がらせや暴力を受けるとは、と絶句です。

それにしても、 君が代を歌わせ、日の丸を掲げれば、期待される「愛国者」ができあがると国歌国旗を推進する方々が考えるとすれば、それはとてもおめでたい、とは言いませんが、実に誤解も甚だしいものだ、とひと言いいたいですね。

 もちろん、愛国心教育を唱える方々は、単に歌わせて掲揚させることだけを念頭に置いているのではなく、もっと日常的な細々したことまでも口出ししようと手ぐすねを引いて待っているに違いありません。

 オウム真理教の浅原教祖は、子ども時代、ロボット王国の王様になりたいようなことを文集に書いていたと記憶していますが、権力欲にあふれる人というのは、その他大勢をロボットのように自分の思うままに扱いたい、という妄想に駆られるようです。

 学校教育の中で愛国心教育を浸透させようと日夜励んでおられる方たちも、子どもたちを、将来の大人を、未来の日本の国を背負って立つ人材を、愛国心に満ちた納税者/有権者に育て上げようと懸命なのだ、と一応理解しておきます。

 思えば、100年から何十年か前の日本であまりにも成功体験を持ちすぎたために、こうした人たちは愛国心教育に邁進すれば愛国心に満ちた人間ができあがる、とストレートに結果と結びつけすぎるのではないでしょうか。

  おまけに“愛国心”という言葉に名を借りた極めて利己的な思いで国歌国旗を推進させようとしていますし。つまり、勝手に“愛国”を名乗っていますが、その 実、自分たちの利益のために、自分たちの、もしくは先代の名誉を回復したいがために“国”を引っ張り出してきたに過ぎないのでしょうから。

 おめでたい庶民は、“国”だ、“愛国”だ、といえば、適当にそれぞれが思い描く“国”として解釈してくれる、とほくそ笑んでいるのかもしれませんが。

  海の中に国境が引かれた地理的存在の日本ではなく、一人ひとりの胸の中にある日本は、それぞれ異なるわけです。そんな人々の胸にある郷土としての国への思 いを、より高次にあるものとして見せかけた、“日の丸と君が代”を死守する日本を尊ぶ心にすりかえようと、あの手この手を繰り出す人たちがいるわけです。

 なぜ、わざわざそんなことをするのか? と考えれば、かつて日本で「国体教育」が吹き荒れていたとき、どんな人たちが“儲けた”か、私腹を肥やし威張りちらして国民を操ったか、考えてみればわかること。

 日の丸・君が代はリトマス紙や判別式のごとく、自分たちの命令一下で動く人間かどうか、見きわめるのにとても便利で有効な道具です。
 おまけに日の丸・君が代は、非常に分かりやすい道具として、自分たちの利益と名誉のために国民を動かす力になることを、戦争の時代を通じて学習した人たちがいた、ということです。

 でも、いつも不思議に思うことですが、そんな日の丸・君が代死守を狙う人たちは、子どもたちの心を自由に操り、思うように捨て駒となって体制を支えるような大人に育ってくれる、と本気で考えているのでしょうか。

  チャパツにして亜麻色やブロンドに、あるいは白髪を黒髪に見せかける際、まずは薬液で髪の構造の内部の色を抜くようにゆとり教育で子どもたちをふるいにか け、実直に唯々諾々と為政者の言に従う人間を大量につくりだしたから、今度は愛国の色で染め上げれば、愛国者の群れのできあがりだ、と考えているのでしょ うか。

 考えているとすれば、子どもを知らない人たちだ、と思わざるをえません。

 いったい、愛国心教育を唱える人たちは、子どもを自らの手で育てたことがあるのでしょうか。
 いえ、育てたことがなくても、星の王子さまのいうように、大人もみんなかつては子どもだったのですから、自分自身が子どもだったときのことを思い出せばいいのです。

 子どもは親の思うとおりには育ちません。
 有言・無言で強要しても、どこかで破綻が来ます。
 その破綻がまだ世の中と折り合いがつけられる段階で明らかになれば幸いです。本人も周りも人生のワンステップとして受けとめ、次の段階へと向かうプラスのエネルギーも生まれてきます。

 でも大人が追いつめて子どもの生きる力が奪われたとき、どんな事態になりうるか、数々の事件が明らかにしているように思います。

 そしてこの二つの間には、無数の子どもたちがひしめいています。

 みな、プログラムを入力されたロボットではありません。
 命を持ち、従って生きようとする力を持った生身の人間です。

 子どもは誰でも愛されたいと無意識のうちにも思い、周囲の大人に(だいたいは親に)愛を求めます。親もそれに応えようとします。さらに親は、子どもにさまざまな期待をかけ、子どももそれに応えたいと思います。

 ところが何らかの原因で子どもと親の思いがすれ違いになって、この相互関係がうまく働かないことがあります。

 そのひとつが、親の期待が大きすぎて、子どもが頑張っても頑張っても親の期待に応えられないと思ったときです。
 いいかえれば、親の“いい子”を求める姿勢に子どもの心がついていけない時、いい子になろうと努力をしていた子どもは諦め、追いつめられれば、時には“悪い子”を気取り、時には心が壊れるたりする。そんなことがあるのではないでしょうか。

  社会が豊かになって生活にもゆとりが出て、少人数の子どもを大切に育てようという気運が社会全体にみなぎってきたとき、大人たちはどうしてきたでしょう か。いきおい、子どもたちに自らの夢を託し、夢とまで大げさなものでなければ、自分のできなかったことを子どもたちに託してこなかったでしょうか。

 人間の業、といってしまえばそれまでですが、どうもこの親のやる気に気圧された例が多いような気がします。いじりすぎて子どもがスポイルされたような。
 これがすぎると、子どもの生きる力さえも奪われかねない、そんな例まで。

 子どもは実に千差万別。いろんな顔と反応を見せます。
 でも親の期待に応えられずに自尊感情が低下したり奪われたりしたとき、必死になってそれを取りもどそうとするのは同じ。けれどそれも失敗に終われば……。

(いわゆる“自虐史観”という言葉を使用して歴史の見方を非難する人たちの中には、自らの自尊感情が低下した状態を歴史に重ね合わせているだけでの人たちがいるのではないか、と常 々考えております。ですから、どなたかは知りませんが、そんな人たちが声高に叫ぶ歴史の修正を“自慰史観”と呼んだのは見事だと思います)。
 
 さあて、話しを元に戻して愛国心教育のことを考えると、日の丸・君が代死守を目論む方々の思い通りには、なかなか子どもたちはならないぞ、ということなのです。
 ましてや憂国・愛国の袈裟をまとっただけのご都合主義の方々の思い通りにはならないぞ、と。

 しかしオウムのように、その他の宗教団体のように、某巨大宗教集団のように、信者をロボット化することは現実にありますね。

 日の丸・君が代死守を奉じて自らの属する集団の利益を図ろうとするのは、もしかしたらそういうことかしら?

 入学式・卒業式等各種イベントはそのためのイニシエーション。戦前の天皇・皇后のご真影の代わりに、日の丸を掲げて君が代を、口をこじ開けてでも歌わせる。

 そんな宗教国家をつくろうとしているのかしら?

 戦前の日本は国家神道を奉じたある種の宗教国家だったと考えますが、富の極端に偏在する社会でその状態を文句も言わずに受け入れさせるために、この宗教国家はまことに都合よく有効に働きました。
 そんな状態を再現するために文部科学省は動いているのでしょうか。
 だとしたら文科省は“反教育省”だといえますね。ちょうど外務省が“戦争(好き)省”ともいえるように。
 文科省の目指すところは自立した教育ではなく人間のロボット化でしょうから。

 しかしロボット化するにはその前に脱/奪人間化しなければなりませんね。そして脱/奪人間化した無色透明の僕/私は、時として暴走。

 ううっ、ちょっとSFじみてきました。

 悪い夢は見たくないなあ、と思いながら、そんなSFじみたモーソーで遊ぶと、想像されるのは愛国心を強要された子どもたちが、ベルトコンベアーの上を次々と送られていく図。

 エリート競争に打ち克って、この国の政治・経済・社会をリードして楽しき日々を謳歌する人の群れと、黙々とその群れに付き従い、支える人々の群れ。

 いやいや、そんなことあるわけない、と思わず首を横に振る。

     
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政治家こそ、立つ鳥跡を濁さず、を実践して欲しい――北九州の場合

ええっと、どこから話しましょうか。

 去年の市長選後、当然予想されたわけですが、○○○方式とかいわれる悪名高い福祉行政のみならず数々のハコモノ行政を20年続けた末吉市政の後遺症に、今、北九州市は苦しんでおります。

 こんなことなら、まだあと1期、末吉氏に市政を担当させてしっかり後始末をさせとけば良かった? などという愚痴も出てきてしまいそうですが、たとえそうしたところで、多分、後始末をすることなどなかったでしょう。

 だいたい5期勤めたこと自体かなり無理だったのは、ノンフィクション作家佐木隆三氏までも巻き込んで市民の会なるものを立ち上げさせた時点で、末吉氏本人も自覚をしていたでしょうが、最後まで市長職に恋々としていたと記憶しています。

 60年代の若き日まで遡れば、「蜂の巣城」を築いた室原知幸氏の抵抗で膠着状態に陥っていた下筌ダム・松原ダム建設が、この末吉氏の結婚話をきっかけにして大きく動いたのは、年配者にとってはかなりよく知られた話しです。
 つまり建設省松原・下筌ダム工事事務所用地課長として60年に赴任した末吉氏は、1966年宮崎県企業局総務課長出向まで、この蜂の巣城を中心にした地元民たちの抵抗をいかに排除するかという問題に常にさらされていたのです。

 この時、“奇策”なのか、それとも恋愛の結果なのか、本人以外には知るよしもありませんが、氏が、ダム完成の暁には水没することになる村の、村長のお嬢さん(だったと思う)と結婚する、という選択をしたのは確かです。
 そのあたりの経緯は松下竜一さんの『砦に拠る』に詳しいと思うのですが、今、その本を本棚に捜しても見つかりません。見つかりましたら確かめてみます。

 そんなこんなで、氏は1987年には国土庁土地局長を最後に退官。
 その年から昨年の2月まで5期20年を北九州市長として、さまざまなハコモノ空港とそのとりつけ道路、閑散としたコンテナターミナル、小倉北区の一画に集中する奇抜な橋、また橋、等々をいくつもいくつもつくってきました。

 ふり返ってみると、花博とか博覧祭とかもありました。
 花博はどうだったか覚えていませんが、博覧祭では億単位の赤字を計上。
 そんなイベントを挙行するときは、なにもこれは北九州市とは限らないでしょうが、入場券を企業に買わせますよね。仕事は貰っていないのに、入場券ばかり次々に押しつけられる、と迷惑顔の企業人もいました。

 高齢の公民館グループが1人3,000円の前売り券を購入していましたが、博覧祭は不人気・低調の極み。
 結局入場料のダンピングやら企業が購入した入場券をばらまいたりして何とか目標入場者数を確保するありさま。
 いったい、何の目的で博覧祭とやらを強行したのでしょう。

 市の大型施設のカラーリングについては、市長は色弱なので自分が任されている、と公言する民間人(女性)が、がっしり市政に食い込んでいたこともありました。まあ、そんな人はどこにでもいるのかもしれませんが。

 大型プロジェクトは次々に破綻。
 しかもそこに毎年毎年、億単位で税金を投入。
 これでは借金が膨らむはず。 

 あああ、麻生太郎氏が絶賛する末吉市政の実際なんて、チラッと見ただけでもそんなものです。
(アソウ氏に見る目がないのか、それとも意図的に絶賛情報を流しているのか。そんな人物が次期総理の最右翼候補なんて! 冗談でも考えたくない) 

 27日の毎日には、副都心の再開発ビル「コムシティ」関連で30億円回収不能になることが報じられています。

 また、何かと騒々しい年金がらみで2010年9月までに売却することになっていた九州厚生年金会館を、「存続を求める市民の声に応じた」ということで、北九州市が購入することに決まったのが今年の2月です。

 これを報じる夕方のTVニュースは、この“購入を求める市民の声”に西川京子衆議院議員(小泉チルドレン)、桝添厚労相の2人の口添えもあったことを伝えていましたっけ。西川氏は民主党市長の市政には協力しないと言っている、という評判ですが。。。

 でも累積債務が兆を超す市が、またそんなことに出費して、いったいどうするのでしょうか。

 その他、生活保護の予算を30億円増額することについて、批判の声をよく聞きます。いわく、893がもらってるのに、と。
 でも、確かに893の受給は問題ですが、本当に必要な人に行き渡らないのは問題。

 日本を代表する大手企業でも、その下請け、孫請け企業の従業員の低賃金を耳にすると、しばし言葉を失うことがあります。まして病気、その他で職を失い、頼るところが生活保護だけだったら……。
 保護が受けられる、受けられないの線引きには、ただ抑制するだけではない、もっときめ細かな対応によるさらなる工夫が必要なのでしょうね。
 
 さてさて、こんな北九州市、いったいどうなってしまうのでしょうか。

 20年間分2億円の退職金を手にして、立つ鳥おもいっきり跡を濁していきました。
 引退が分かっていた2006年の12月、5期目の退職金を80万4000円減額する条令改正案を議会に提出しましたが、そんなもの、すずめの涙か蚊の涙でしょう。

 立つ鳥跡を濁さず、という言葉は、新銀行東京を抱えた東京都のイシハラ氏にも捧げたいですね。    


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“イシハラ銀行”追加出資 例のごとく検討ポーズの公明党 

    自衛隊のイラク派遣問題の時もそうだったなあ、と思う。
 新銀行東京400億追加出資についての公明党の態度のこと。

 二つとも、はじめから結論ありきだったのは、見え見えでした。
 ただ、ちょっとだけ、いちおう、検討するポーズに見せただけ。

「未来に責任を持つ」とか「平和と福祉の党」とか、もういい加減にこんな看板は撤回して欲しい、とつくづく思います。

 2003年12月、公明党の神崎代表が、「治安は比較的安定している」と述べた自衛隊派遣予定地のサモワ視察を派兵賛成の根拠にしたのは、記憶にまだ新しいところ。

 “平和”を掲げた党是の手前、ちょっと工作-演技をしなければならなかった……
 最初からサマワの治安は安定していることに決まっていたわけですから、それをいかに視察の結果に見せかけて自衛隊派遣の口実にするか悩ましいところだったのでは?
 テレビに映し出された、緊張した面持ちの神崎氏の表情にはそんな事情がうかがわれました。緊張というよりも、むしろ不愉快そうに口を結んでいたともいえますが。

 あれをそのまま信じた人はどれだけいるのでしょうか。
 公称何百万人といった学会員も、全部が全部熱心な信者さんということではありませんからね。コアな学会員に折伏されて仕方なしに入信した、という人もけっこういます。

 それでも一応“視察をした”ということを大義名分にして、やっと、公明党はイラク派兵への同意を公にできたのでした。

 今回の新銀行東京への追加出資についても、洞ヶ峠どころか、やはり最初から同意することを決めていた節のある公明党は、

・追加出資は今回限りとする
・四百億円を棄損させることのないよう適切な監視に努める
・経営監視のための組織を新設する

 等々のことを都に求める内容の付帯決議案を付けたことを口実にして、やっと賛意を公にできたわけです。
 笑っちゃいます。でも、笑えません。

 なぜわざわざ検討のポーズをとってまで追加出資に同意せざるを得なかったのでしょう? 
 どうも都議会の自公議員たちが利権を貪るのに、この銀行は格好の存在だったようです。

 当時、自民党と公明党のそれぞれのドンは、自らの選挙区にある、債務返済不可能な不良企業のいくつかを、副知事とともに「融資リスト」に押し込んだ。 2005年当時の筆者の取材ノートに、その一部リストが残っている。こうした「口利き」が横行したため、新銀行東京は、その設立当初から経営難を噂される ことになったのだ。

 
  と、ジャーナリストの上杉隆さんが書いています。詳しいことは「共犯者都議会は新銀行東京400億円公金投入を許すしかなかった」で。

 あああ、中央でも地方でも、国民、住民の財産は政治家に食いつぶされる?
 公明党も、政権与党でいるメリットで、骨の髄までしゃぶり尽くす? 


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政治は、私たちが幸せになるためにあるのだ、と思う

いいなあ、と思わずため息をついてしまったこと。
 なんでも、アンデルセンでお馴染みのデンマークという国は、国政選挙の投票率が毎回90%前後あるのだそうです。

 その上、2006年の英国の研究者が178カ国の国民の幸福度を調査して、デンマークは世界第1位にランクされたとか。
  この調査の対象となったものは、178カ国の基礎データと、約8万人に聞き取り調査した国際機関の発表済みの100以上の報告書の分析。

(1)良好な健康管理 (2)高い国内総生産(GDP)  (3)教育を受ける機会 (4)景観の芸術的美しさ (5)国民の強い同一性といった条件が整った国の国民は「幸せ」と回答する傾向が強いらしい。
 
 2位はスイスで3位がオーストリア、米国は23位。 アジア各国は、比較的順位が低く、日本は90位、中国82位、インド125位。
 日本と同じ幸福度指数の国が、ガボン、ガーナ、イエメン。
 ベネズエラ、コロンビア、ホンジュラス、パナマ、グアテマラ、チリ、ブラジル、ニカラグア、ウルグアイ等の南米の国々の方が日本よりも幸福度が高く、コスタリカはなんと13位。

 それを地図にしたものがこちら。 色が薄くなるに連れて幸福度が低くなります。

 まあ、2006年調査のものですから現在はちょっと異なるかもしれませんが、まさか私たちの国がここまで低いとは、調査にあたった研究者自身が予想外だったようです。

 (1)良好な健康管理 (2)高い国内総生産(GDP)  (3)教育を受ける機会 (4)景観の芸術的美しさ (5)国民の強い同一性

 といった調査対象を考えると、まあ、(4)景観の芸術的美しさについては確かに疑問符ですが、他の項目はむしろ高いのではないかと思えて、なぜ90位という低い結果がでたのか、ますます分からなくなります。

 ただ、その後の(1)良好な健康管理(2)高い国内総生産(GDP)(3)教育を受ける機会等の項目については、このところ問題になっている“医療崩 壊”、世界第18位と大きく後退した1人あたりのGDP、義務教育の子供を抱える家庭の生活保護率の高さ等々を考えると、同じ調査を再度すると、もっと下 がる可能性があります。

 また基礎データは別にして、聞き取り調査であまり肯定的な評価がなされていないのかもしれない、とも考えました。
 自分はあまり幸せではない、と考える日本人が多い。つまり現実の生活にあまり満足していない人が多い、ということかもしれません。

 おもしろかったのは、90%前後と国政選挙の投票率が高いデンマークが、同時に幸福度が高かったこと。

 やらせでやたら投票率ばかりが高い国もありますから、投票率が高ければ国民の幸福度は高いとか、投票率と幸福度は比例する、などとは思いません。ですが、選挙への関心の高さと幸福度は、それぞれの国に暮らす人々の営みの表れですから、全然関係ないとは言えません。
 
 むしろ私たちは幸せになるためにも、もっと投票に行こう、政治に目を向けようよ、税金の使い方に関心を払おうよ、と呼びかけたい気持。

 そういえばこの国には、投票日には無党派層は寝ていてくれ、なんて本音をばらした“大物”政治家がいましたね。
 政治は俺たち政治屋のために俺たちがするものだ、と考えているのでしょう。

 生活を見つめることは政治を考えることでもある、という感覚を育てたいし伝えたい。

     
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竹中平蔵と競争神/心

昨年統一地方選の前、石原都知事の配偶者連れの豪遊が問題になったとき、「政治が矮小化する」と都知事“擁護”よりもむしろ豪遊“奨励”のような発言を金美齢女史が某雑誌でやってましたね。

 まあ、こうとでも言わないことにはなすすべのないほど石原都知事が税金を湯水の如く使って無茶な豪遊をしていたのは事実だったともいえますが、石原援護人脈の怪しさとえげつなさ、卑しさをイヤというほど見せつけられた、と脳裏に刻み込まれたものです。

 これと同じかそれ以上に、怪しさ、えげつなさ、卑しさを思わせたのが、24日の毎日紙上での竹中平蔵の発言。(地方は)「歳出削減に もっと努力せよ」です。
 
三位一体の改革で地方交付税が減ったというのが、地方の歳出入の動きは地方財政計画に表れる。その歳出と歳入の差額が交付税になるが、交付税は減っていても歳出は減っていない。だから交付税を減らしたから日本の財政が苦しくなったというのは間違いだ。
 
地方分権というのは、自由を持つとともに責任を担って競争する制度だ。
 ……
北海道夕張市も、破綻しないと思っていたから破綻した。責任を負わなくてもいいと思っていたからだ。だからあんな非効率なことをやって、住民もずっと黙認してきた。
 地方は、歳出削減に努力する必要がある。それがいやだったら増税するしかない。他方がこれ以上、歳出削減できないなんてことを信用する国民はいないのではないか。地方公務員は高い給料をもらっていながら、交付税を減らしたから苦しくなったというのは無理がある。
 
  竹中氏は三位一体の改革で税源移譲の実績を示した自らの功績をあげ、さらに道州制を取り入れて本格的な分権を進めろ、と力説していますが、どうもこの方の言葉には眉に唾をつけたくなります。

 なぜでしょう?

 だいたいこの方、政治家として風上にも置けない人間であることは、例の住民税未払いやスリード社の問題によく表れています。
 改革をいうものは、先ず自らの身を潔白に保って既得権益に切り込むべきでしょう。
 でも自らを安全圏に置いて自己の利益を図ることに長けたこの方は、「改革」政策をリードしていったものとしての矜持にあまりにも欠けていました。
 この意味で、人間的に信用できない、というのもひとつ。

 以前のエントリーで北九州市の無駄遣いの実例をちょっと取り上げましたが、これはきっと元建設官僚末吉市長(当時)が分捕ってきた補助金の結果。
 この“ひもつき”補助金を取れる取れないで自治体の長の優劣を競うのは止めて欲しいというのは、つねづね考えてきたことで、“地方分権”という概念には私も賛成ですが、私が思い描く“地方分権”と竹中氏らの“地方分権”とは、どうも中味が違うのではないか、という気がします。

 それに、またしても「競争」。「地方分権というのは、自由を持つとともに責任を担って競争する制度だ」と語っています。
 なんだか、競争すればすべてが良くなるような感覚と考えを、この竹中氏はお持ちのようです。

 なるほど、厳しい競争を勝ち抜いて出世の階梯を駆け上ってきた氏ですから、競争に負けたりドロップアウトしたりするのは自業自得とか自己責任、ということになるのでしょうね。 
 でも政治の見地からちょっと離れて考えてみると、氏のこうした感覚はずいぶんと傲慢なものだとすぐ分かります。

 人間はこの世に生を受け大人になっていくのも自分ひとりの力によるものではありませんし、成長後の人生でも他者と支え合うことの大切さは誰しもが経験することです……自覚のあるなしにかかわらずです。
 私たちはいつも他者に助けられながら、いいかえれば他人に迷惑をかけながら生きている、という側面に気づき、それでも何とか自分の足で立ち、自分の力で未来を切り開いていこうとする、そんなぎりぎりのところで生きています。そんな生き様から、その人の格のようなものが決まるような気がします。

 私の知っているひとりの女性。離婚後、経済的にはけっして豊かではありませんでしたが、懸命に働きながらふたりの子どもを育て上げました。
 実家に援助してもらおうとすればできたけれど、それはイヤだった。子どもを持ったひとりの人間として、親としての矜持がそれを許さなかった、というのは本人の言です。

 竹中氏から見れば、おそらく取るに足らないような、無名の女性、ひとりの庶民です。が、この心持ちは、税を回避するための米国への住民票移動、スリード社との怪しげな取引等々に手を染めた氏のそれよりも、ずっと高尚なものではないでしょうか。
 
 氏の社会的地位も報酬も財産も、この女性とは比べものにならないほど高く、多いでしょう。
 競争の勝者としてそれくらい当たり前、と考えているからこそ、競争至上主義的発言がよく口から吐き出されるのでしょうね。

 とはいっても、氏の出世のきっかけとなった論文の盗用問題にも表れていますが、水が低きに流れるように、人もとかく安易に流れやすい。ましてや氏の主張する競争を唯一の発展原理としたような社会でいったいどんなことが起こるか、想像するとそら恐ろしいものがあります。

 生意気盛りの中高校生が唱える弱肉強食論とこの方の競争論とが、いったいどれほどの違いがあるでしょう? ありはしません。
 他人を出し抜いてでも競争に勝とうとする意志を貫いて現在の地位を獲得した人のお守りが、唯一「競争神」もしくは「競争心」なのかもしれないけれど。

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京の旅

所用で京都に行き、平等院まで足を伸ばしてきました。
 記事は明日から書くことにして、とりあえず今日はその写真をアップ。
             
          平等院 006   お馴染みの鳳凰堂   平等院 008
                             
     


平等院 012 ← 南東側から見た鳳凰堂 


              平等院 016  ←天女の絵柄の入った鐘

 
  鳳凰堂裏のお堂 欄間 ← 鳳凰堂裏不動堂欄間 
                   どうみてもスズランの絵柄に見えますが。。。

  
平等院 021← 鳳凰堂北側の橋(ちなみに鳳凰堂の正面は東を向いています)。


      平等院1 ← 鳳凰、神々しいような美しさです。
                        平等院2← 本尊の阿弥陀(あみだ)如来


平等院4 ←使者を迎える菩薩群平等院6


          平等院5
   
   平等院 017 ←鳳凰堂の裏


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やってもやってもやり足りない無駄遣い――北九州の場合

妙な話を聞きました。

 北九州市がそのうち財政再建団体になる、というのです。

 北海道の夕張市や同じ福岡県の赤池町みたいに、赤字団体に転落する。
 東芝工場の誘致に失敗したので、破綻は避けられない。
 末吉市長だったら誘致合戦にも勝っていただろうに、というオチがつきます。

 そんな話しがまことしやかに囁かれているわけです。
 年がら年中道路を掘り返しては舗装し直している町だから、これからは市の職員に工事をしてもらえばいいんじゃないの!? と応えたものの、こんな流言飛語を仕掛けたのは誰なのだ、気分が悪い。

 ハコモノ行政、土建屋政治で赤字をつくったのは、紛れもなく末吉さんでしょう! 

 市役所近くを流れる紫川には、実に多くの橋が架かっていますが、中でも度肝を抜くのが「太陽の橋」。オレンジ~黄色のタイルで描いたひまわりの絵に加えて「マカロニのお化け」とか「パスタ人間」とか悪評ふんぷんのオブジェがいくつも置かれています。

 (↓ 太陽の橋)  
bridge_of_sun_01.jpg

                         太陽の橋
 
  これ一体500万也。上の写真から数えると、7体ほどあるでしょうか。何だか末吉市政を象徴しているような……。

 この太陽の橋からほど近い、市役所前の地下に広がる駐車場は、1台分の工事費はたしか2,500万。
 車1台を停めるスペースをつくるのに2,500万です。

 追記:この1台あたりの工費について、いっしょに聞いた友人は1,500万ではなかったか、といいます。
 1,500万、2,500万、どちらでしょうか。今となっては私には確かめる術がありませんが、間違っているとすれば記憶違いではなく聞き間違いです。いずれにしても、巨額であることは変わりありません。 
 当時、問題の駐車場に車を入れるたびに、私の頭の中では2,500万という数字がぐるぐる周って、無料駐車券を貰うのは気が引ける、とその都度何百円か払っていたものです。
 

 その他AIMアジア・太平洋インポートマート、コムシティ、響きコンテナーターミナル、ドーム式競輪場、博覧祭……まだまだあります。うーん、尽きることのない無駄遣い。

 あれよあれよ、と市民が呆れる暇もないくらい、次から次へと施設が建てられていき、破綻したものも少なくありません。

 5期20年を勤めてさらに4年の延長を願い、結局説得されて去年の市長選に立たないことを決断したものの、その後アソー太郎氏に呼ばれて外務省参与。

 う~む、政治の場、行政の場は、よほど魅力があるらしい。


       
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女性について思うこと

今日は朝から仏様のお料具といっしょにお供えするぼた餅を作り、親戚がやってきて、飲み食いとおしゃべりの賑やかな一日でした。
 ここでもたまには他愛のないおしゃべりを。手抜きのようで申し訳ありません。m(_ _)m

 FC2のブログで編集してアップロードすると、その後、最近はすごい美女が画面に現れます。
 聡明そうな凛々しい顔立ちの上にとろけそうな輝きを放つこの美女、胸がやたらと大きいのですが、身体の他の部分はとても男っぽくて、女性としてはかなりとまどいを覚え気恥ずかしくなるくらいです。男性が描く女性の典型ですね。 

  そういえばルーブルでミロのビーナスやアテネ神の像の実物を観たとき、整った美しい顔がハンサムな青年に思えて驚きました。それまで教科書や本に載っている写真では気づかなかったのですが。

 アテネ S
 
    ↑ ギリシア神話の知恵と戦いの女神アテネ。ほら、やっぱり青年でしょう? この彫刻のモデルはきっと男性。

 ちなみにネックレスのように胸に飾られているのはメドゥーサ

 ルーブルといえば、とても美しい若い女性と出会いました。ほっそりと小柄な体つきで黒髪を後ろで束ねていましたが、ギリシア彫刻のような顔立ち。アテネ神そっくりのギリシア風の鼻をしていて、この彫像よりも美しかった。

 友人と夫と私の3人は、ミロのビーナスよりもナマのビーナス、と言って彼女を捜してしばしの間ルーブル内を歩き回るつもりでしたが、思いがけないほど早く再度の出会い。
 もちろん、同じ女同士の気安さで、いっしょに写させてください、と頼んで1つの写真に治まったのは、ミーハーとむ丸の面目躍如でした。で、アドレス交換をしなかったことが、今もって惜しい。

 かわりに、といってはなんですが、ボルドーからレンヌまでの列車の中で、休みで帰省する可愛らしい女子医大生と仲良しになり、彼女の降りぎわにスカーフをもらったのがいい思い出になりました。

 で、話しを元に戻せば、子どもの頃、初めて『イリアス』を読んでアテネ神が英雄アキレスを助ける場面を見るたびに、戦いの神がなぜ女性なのか不思議でした。

 アリストパネスの『女の平和』に出てくるスパルタ夫人は、「健康そのものの美しい肌、身体じゅうの筋肉がぷりぷりして」「牡牛だって絞め殺せそう」な女性。
 彼女がするという「尻蹴り跳び」をいつか試してみましたが、難しい。
 なお、この「尻蹴り跳び」とは、跳び上がると同時に自分のおしりを足で蹴る、というものです。みなさんはいかがですか? できますか?

 FC2のアップロード後に登場するような、胸のすこぶる豊かな女性の画像を見ると、私は大地母神を想像します。
 豊穣のしるしのそんな体も、実際にはなかなか大変なようです。
 着るものがないのよ、それにじゃま、と現代の大地母神たちは訴えます。
 そう、ファッションを楽しもうと思えば、スリムに越したことはない……かもしれません。

 60年代末か70年代初め、当時の人気一流モデルがカメラマンの口車に乗ったかどうかは忘れましたが、ガリガリの裸身を雑誌で晒して、いいの悪いのと喧々囂々、かなりの反響を呼んだことがありました。
 で、その時、紛れもなく自分のいとおしい体です、というその人の言葉が印象に残りました。
 とてもいい言葉ですね。
 素直に、いとおしい自分を大切にしたい、と思います。

     
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 (このバナーのリンク先が前回エントリーから間違っていたようです。慌てて直しました。
   何度直しても駄目です。どうなっているのでしょう? とりあえず、元の文字だけのものに変えます)。

道路整備を通じた地方と民の支配 まだまだある国交省の無駄遣い

昨日の参院予算委員会、「道路の問題は税金の集め方と使い方に一番深く関わる問題」という言葉で質疑を始めた民主党、尾立源幸さんの追求のようすをテレビで見たレポートです。

 まず「民」の象形文字をパネルで示しながら、それが中国古代王朝殷の時代、支配者が被支配者をコントロールするために、その被支配者、つまり支配される側の目を潰したものであることを説明。

        民2100民

 政府のやっていることは、(これと同様に)国民に何も考えさせないようにする、税を複雑にして考えるのを諦めさせるようなことばかりだ。その代表例が、年金の問題、薬害肝炎の問題、

イージス艦の問題、さらには道路を含む特別会計の問題等々。
 政府は国民にものを見せない、選択肢を与えない、そして情報を与えない。

 尾立さんは、税はまず一般財源ありきである、どうしようもないときだけ、特定財源、目的税があるべきだ、と述べながら租税特別措置に言及。  

    この租税特別措置は 、額賀財務相によると国税で295項目、今年度待つまで適用期限到来は48項目。
 増田総務相によると、地方税で209件。                         

 

農林水産省関係だけで39件、その中の1つに、昭和42年から42年間にわたって肉用牛1等100万円未満で売却しても税金はただ、(つまり)所得税を免税にするものがある。

 役割を終えたものは即刻廃止すべきだ。
 

(フクダ首相:その時に応じて廃止と創設は不断にやっていかなければいけない、という答弁)

 
 確かに整理されてはいるが古いものを潰したら新しいものができる。スクラップ・アンド・ビルドになっている。
 

 この牛の例も九州地方の有力政治家の発案で始まって、農水省畜産局畜産部食肉鶏卵課の提案であるが、その他、各課に1つずつある。

 
 業界と官僚と政治家の癒着の原因になっている。

 
 これは裏補助金、隠れ補助金、不透明な制度だと思う。

 
 もっと税について、簡素にして欲しい。

 私たちは税に関して透明化法案を出そうとしている。
 

(額賀財務相:一種の減税であるこの措置の実績の額は把握しているわけではない、という答弁)

 補助金の場合は厳しいが、この租税特別措置の減税はいい加減な審査で成りたち、実績も把握していないで効果もほとんど見きわめられていない。

 

  この後、「自動車関係諸税のお金の流れ」をパネルに示しながらの説明。

 道路 税

 

  ちょっと見にくいので念のために説明をしておきますと、中央の白地部分の道路特別会計から赤地の地方整備局天下り法人に分かれています。

 地方整備局と天下り法人のそれぞれの無駄遣いを示しているのがオレンジ地部分。

地方整備局の無駄遣いが、アロマ、ミュージカル、タクシー代等々。
天下り法人の無駄遣いが、旅行、いい加減な調査報告書、パチンコビルに巨額融資、誰も使わない道の相談室

 で、無駄遣いばかりか、上納システムについても指摘。

 これについてはもう少し詳しい説明が欲しかったです。 

 国から地方に補助金を出しつつ道路整備をしているが、(そこで)いったん地方に配ったお金を上納させている。召し上げている。

 こういうことをして国が地方に強大な権力を行使している。

 
 まさに官僚、国が地方を支配する道具として使っている。                                     

 
 こうした仕組みが官僚と国にとって至って都合が良いのですが、まちがいなく私たち国民が疲弊する原因の1つではないか、という思いがぬぐえません。

 中期計画は10年間で59兆円。
 

 今後10年間で同じ仕組みを維持したい(と官僚・国は考えている)。
 

 自動車だけに8種類も9種類も税金を課している。こんな例は他にない。
 

 非常に特別な税で、また特別な使い方をしている。                                                

 

 国交省の無駄遣いの最たるもの、タクシー代について、前日につづいて指摘がありました。

 なんと、地方整備局が5年間に支出したタクシー代の巨額なこと!

 地方整備局は5年間で23億円のタクシー代を使っていた。

   ( 単位、千円)

 

  H14

H15

H16 

H17 

H18

道路特別会計

543,475 

476,396

506,486

441,929

410,371

一般会計

61,168

64,690

58,997 

57,394 

56,719   

 

 

 一般会計からでるタクシー代とは桁違いですね。 これを見れば、誰でもなぜ? と思うはずです。 

 タクシー使用基準はあるのかないのか。

宮田道路局長の答弁;

 国道交通省の職員が業務の都合上利用する。統一した基準はない。

 近畿整備局の場合、職員は所属長の承認を得てタクシーチケット使用の申込書を提出。管理者はその内容を審査して、必要があると認められればタクシー券に使用年月日を記載の上払い出し、タクシー券の払い情況を明らかにしておくため管理者は受払簿を備え、所要事項を記載する。

 タクシー利用者は払い出しを受けた当該タクシー券に金額、乗車地、降車地など必要な事項を記載しなければならない。

 総務課長はタクシー会社から料金請求があったときは、かかる当該タクシー券を管理者ごとに区分し、それぞれの管理者に確認の依頼をする。

上記の依頼を受けた管理者は内容等を審査・確認の上、タクシー乗車証明書を作成し、支払い等の事務処理を行う


 タクシーの統一的な使用基準はなく、使用実績の集計についても統一的な方法はない。

 国交省ではタクシー会社から請求書が来た場合は、その明細を破って捨てている。

 なぜか? 

どのように使われているのか、どのようにチェックするのか。
 

地方整備局は無駄遣いをいっぱいしている。もしかしたら飲み会の帰りに使われているかもしれない。実績が把握できないのだから、そういわれてもしようがない。

 

宮田道路局長の答弁;

使用済みのタクシー券は料金請求の確認手段だが、これを行政文書として必ず一定期間保存すべきものにはしていない。


 会計検査院は検査しているのか?

会計検査院長の答弁;

 タクシー券使用済み保存義務は、一般論としては説明すべきものは説明できるものを用意するのが筋。

 従って、それで会計検査院にきちんと説明できるのかが1つのポイント。 


 説明できないような処理はおかしいのではないか?

宮田道路局長の答弁;

 使用済みのタクシー券は保存しているところとしていないところがあるが、タクシー券の受払簿は作成・管理している。


 それは使用する前の話し。適正に使用したかどうか確認できてはいないのではないか。
 委員長、平成14~18年の5年間の、誰にタクシー券を渡したか、またその使用額に一覧の提出をお願いしたい。

(後刻、理事会において協議、との委員長の言葉)

 もうひとつの不可解なお金の使い道がある。

 地方整備局発注の「道の相談室」のこと。
 
 これは近畿整備局で行われていて、社団法人「近畿建設協会」が独占的に受注しており、批判を受け、そこで19年2月から随意契約を変えて企画競争に契約形態を変更。ただし業務実績に関する要件が付されている。

【付帯要件:元請けとして、平成13年以降で引き渡しが完了し、1件以上の同種業務または類似業務の実績を有していること

 同種業務とは国が発注した道路に関する相談業務を指す。
 類似業務とは府県、または控訴蔵人会社の発注した道路に関する相談業務を指す。

 このいずれかがなければ、入札に参加できない】

 この条件に合致する社団法人近畿建設協会以外の会社はあるのか?

宮田道路局長の答弁;
 確認したらない


 この後まだ中期計画についての質疑が続くのですが、今日はこれくらいで。

 しかし、そら恐ろしくなるような、税として吸い上げられたお金のまわっていく仕組みです。
 道路局長のしどろもどろした答弁は、一国民としても見ていて実に情けないものでした。やましいところがなかったらそんな風にはならないでしょうに。
 
 こんなシステムが大手を振って機能している中で、道州制をやられてはたまりません。

 麻生太郎氏が「『公共事業、産業振興、社会福祉など内政面の仕事を』道州に移し、『自分たちで考え自分たちで事業ができるように』して、『税金も』渡そう」と息巻いていますが、そんなことまず実現しないでしょう。

 道州制でできてなぜ今の都道府県制ではできないのですか?


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争乱で殺される命の周りにはどれだけの人の思いがあるだろう

  17日の朝刊を見れば、毎日の第1面が「ラサで80人の遺体」で東京新聞も同様のようですし、朝日は「争乱イラク 夫奪った」。
BBCニュースやアルジャジーラのフロントページはやはりチベット問題。昨年はミャンマー問題が世界を揺るがしましたが、その他、日本のメディアに報じられていない紛争とそこで生じる無数の死が、現在も進行中。

 21世紀になって、どれだけの血がこの地球上に流れたでしょうか。

 今私の身近で、ふたりが入院中。
 ひとりは昨年末から生死の境をさまよい、現在回復しつつあるとはいえ、手放しでは喜べない状況ですし、もうひとりは肺ガンで、覚悟の上の闘病生活です。
 ふたりとも、家族にとってばかりか私にもかけがえのない人たちで、私を含めて周囲の人の気持ちはひとつの命に注がれます。逆にひとつの命のまわりには、それぞれ何人もの思いがひしめいています。

 80人の遺体、と簡単にいっても、この80人のそれぞれに思いをつなぐ命がある、と考えれば、争乱のイラクでも同じことが言え、夫を奪われた女たち、父を奪われた子どもたちの苦境を、その何分の一かでも考えたい、という気持ちに駆られます。

 米国のイラク侵攻から5年。この5年間で7万人の女性が夫を失った、と国連は見ているのだそうです。ただでさえ失業率の高い(40%)現在のイラクで女性が家族を養って生き延びていくのは、どれだけ大変なことでしょう。

 ユニセフのサイトに、イラクの女性と子どもたちの直面する問題が5つにわたって書かれています。以下はその中の一つ。
 

世帯主が女性の家庭を対象としたライフ・ライン
イラクの全世帯の約11%は女性が世帯主であり、その数は現在も続く暴力の結果、増加している。毎日数多くの女性が寡婦となり、多くの家庭が稼ぎ手をなく していることが、地域の社会サービスを圧迫し始めている。女性が就職できることはまれで(世界食糧計画の2006年調査によると、16~60才の女性の就 業率はわずかに14%であり、それに対して男性は68%である)、仕事をさがすために家を離れることは、女性と子どもを危険に陥れる。追い詰められた多く の女性は慈善団体に身を寄せ、自分と子どたもちのめんどうをみてもらっている。


 
 ちょっと想像してみよう。
 追いつめられた女性たちがどうなるか。
 懸命に一日一日をどうにか生き延びる人もいるでしょうが、今日の朝刊にはまたこんな記事。

 イラク中部のカルバラで17日、イスラム教シーア派モスクのフセイン廟(びょう)近くで自爆テロがあり、AP通信によると少なくとも32人が死亡、51人が負傷した。

 ロイター通信によると、モスクの近くのカフェで、爆弾を持った女性が自爆したという。フセイン廟は、シーア派の指導者フセインをまつる重要な施設で、熱心なシーア派イスラム教徒が巡礼する聖地として知られる。

 
              
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天下り:増殖する官僚OB組織と借金

つい数日前、ガンで入院している親しい人のご主人の見舞いに行って、「天下り」のことが話題になりました。

 病院へ続く道の途中で厚生年金の宿泊・宴会施設を目にしたことからそんな話しになったのですが、奥さまも交えて病室で3人がワイワイと話ができたのも、幸いにして抗ガン剤治療で大した副作用を経験することなく、元気に(?)入院生活が送られているお陰です。

 今ちょうど『VOICE』4月号に、先日とりあげたアソー太郎氏の「地方経済繁栄論」といっしょに、衆議院議員の江田憲司さんの「天下り」に関する小論がに載っています。

 この雑誌については、発行元PHP研究所ですから、それなりの色に染め上げられているのかな、と思いつつ江田氏の論を興味深く読ませていただきました。

 
 タイトルは「行革の鬼っ子 独立法人壊滅論――したたかな霞ヶ関を『兵糧攻め』で封じ込めよ」。

 ときどき貴重な話しをしてくれるこの方のHPはけっこう覗くのですが、独立行政法人の誕生裏話は初めて知りました。
 笑ってしまったのが、独立行政法人のシステムは、「特殊法人」の逆輸入だったという話。 
 つまり、日本の「特殊法人」を参考にしてつくられたのが英国のエージェンシー制度で、これによりサッチャー政権の下、行政の効率化が推進されたといわれていたそうですが、それを中央省庁再編でとりいれたのが「独立行政法人」だった、というのです。

 そんな話しを知ると、何だか笑いながらも顔が引きつってくるのが分かります。

 平成8年の選挙で自民党が公約とした独立行政法人制度学ぶべくイギリスを視察したのは、当時の自民党行革本部長であった水野清、柳沢伯夫、塩崎恭久の三氏だったそうです。

「自民党の意向をはねつけることも多かったのだが、独立行政法人制度は、自民党行政改革推進本部(行革本部)の主張が取り入れられた、数少ない例外の1つであった」

 とは江田氏の言。で、

「これまでの特殊法人は国との距離が近すぎ、効率的な運営がなされにくい。そこで、国からの統制色の強い特殊法人と、民間の発意に基づき設立される財団・社団等の公益法人のあいだに位置する中間的存在として『独立行政法人』をつくる」という意図を、当時の内情をよくご存じの同氏は、次のように言います。

当時私たち官邸にいた人間は、このような独立行政法人の構想には、きわめて消極的であった。結局、第二特殊法人化するのではないかとも思えたし、当時すで に、特殊法人が無駄遣いの元凶だという批判もなされていたから、またぞろ税金の無駄遣いの元締めをつくることは許されないと考えていたのである。

 

自民党とすれば、中央省庁改革の本丸は官邸主導で手が出せないから、自分たちの手柄にできるものが欲しかったのだろう。だが、官僚はその裏で何を考えた か。私も官僚の端くれだったから、官僚の考えることは火を見るより明らかだった。要は、特殊法人に対する風当たりが強いから、独立行政法人のような新しい 制度ができたらそこに逃げ込み、天下りを温存、あわよくば拡大しようと考えたに違いないのである。

 

 そして、

残念ながら、私の懸念は現実化してしまった。平成15年、小泉政権が特殊法人改革を大々的に行なったが、蓋を開けてみれば結局、特殊法人から独立行政法人 への「看板の掛け替え」にすぎなかったのだ。名称だけが変わって中身はほとんど変わらず、依然として天下りと利権構造が維持されてしまったのである。

独立行政法人の役員の構成を見てみると、平成18年10月1日現在で役員655人のうち、官僚OBが227人、さらに独立行政法人OBが208人おり、合 わせると、じつに435人に上る。つまり独立行政法人の役員に、霞が関のOBが3~4割いるという計算である。民間人出身の役員も少ない。しかも、独立採 算でやっていける法人は少ないので、そこに国税から3兆5000億円が投入されている。官僚は退職する際に退職金をもらい、さらに独立行政法人の職員とな り国から給与をもらいつづける。そして、独立行政法人の役員を退職するときには再び退職金をもらうこととなる。これら給与、退職金の原資は税金で賄われる 場合が多い。

 

 また、「天下りの全面禁止」を主張する江田さんが、「財投債」や「財投機関債」の現状についても説明してくれています。

 独立行政法人自身の発行する債券が財投機関債。これに対して財務省が発行するのが財投債。

 そして現在なお「官僚によって財投債が乱発され、それが相変わらず雪だるま式に借金として膨らんでいる。一説には、独立行政法人がこれまでに累積させてきた債務は300兆円ともいわれている」

 とか。300兆という額には頭がクラクラしそうですが、ほうっておけば、とめどなく増殖する官僚OB組織と借金ですか!

 ただし、橋本・コイズミ改革によって「せっかく郵貯、簡保のお金が自動的に独立行政法人に流れ込む仕組みを廃止したのに、財務省が財投債という悪知恵をひねり出して再び地下水脈でつなげてしまった」ということは、具体的にはどういうことなのでしょうか?

 郵政民営化に関しては“外資”の問題に焦点を当てるもの、財務省の問題に焦点を当てるもの等々いろいろ絡んで、ほんとうに分かりにくい。

 それはともかくとして、早期退職した官僚が天下りをくり返していく図は、庶民にとって実に理解しがたいのです。

 民間では早期退職といえば、体のいい“リストラ”。
 官僚の世界では、蓄財のはじまり。


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ほうっておけば軍拡に走るのが世の常? そしてチベットのこととか

安原和雄さんの「仏教経済塾」を読んで驚きました。

 岩波の『世界』08年4月号に掲載されているチャルマーズ・ジョンソン氏の論文「軍事ケインズ主義の終焉」には、次の通りに、世界の軍事大国トップ10と現行軍事予算の推定総額に言及されているそうです。

1 米国= 6230億ドル(08年度予算)
2 中国= 650億ドル(04年度)
3 ロシア= 500億ドル
4 フランス= 450億ドル(05年度)
5 日本= 417億5000万ドル(07年度)
6 ドイツ= 351億ドル(03年度)
7 イタリア= 282億ドル(03年度)
8 韓国= 211億ドル(03年度)
9 インド= 190億ドル(05年度推定)
10 サウジアラビア= 180億ドル(05年度推定)

全世界の軍事支出合計=1兆1000億ドル(04年推定)
アメリカを除く全世界合計= 5000億ドル


  これについて安原さんは以下のように言われています。
 

 ペンタゴンが公表する国防費についてはつぎのような米国専門家の指摘がある。
  「信頼できる経験則がある。ペンタゴンが発表する基本予算の総額を見て、その2倍が本当の予算と考えれば、間違いない」と。これはペンタゴン以外の航空宇 宙局(NASA)、エネルギー省、国務省、国土安全保障省などに「隠し軍事費」が計上されているためとされる。そうだとすると上記の08年度米国国防費 6230億ドルは、実際は1兆ドル超(100兆円超)とみるのが正しい。
 ただ公表された米国国防費6230億ドルだけに限っても、米国以外の全世界軍事費総額5000億ドルを上回っている事実に注目したい。

 

 なるほど、米国にも「隠し軍事費がある」があるんだあ、と私はびっくりしたわけです。

 なぜって、もう何年も前から米国ネオコンが、中国が発表する軍事予算の中には本来防衛予算に含まれるものが入っていないし、人民解放軍はビジネスでかなりの利益を上げている。実際の中国の防衛予算は発表されているものをかなり上まわる、というようなことをしきりと主張していたからです。

 それで、なあんだ、自分の所だってやっているじゃない、というわけ。

 それに我が日本だってどうなっているのかわからないのですが、分かるのは、とにかく軍事費というのは増殖を続けていくのだ、ということ。表向きの軍事予算は減っていることになっていても、この米国や中国のように、「実は……」ということがよくあります。

 軍事費というのは、よほどの意思がない限り、ほうっておけばどんどん膨らんでいくものではないでしょうか。
 次から次へと新しい技術や兵器が開発され、古くなったものは払い下げられるように途上国に売られて、局地的な紛争で消費される。そのサイクルを見ていると、ちょうど駄々っ子が、もっといいものがほし~い、と危険なおもちゃを欲しがっているみたい。

 もっと確実に、もっと楽に、ものを壊せるもの、人を殺傷できるものを求め続けるわけでしょう? おまけにそれを、バージョンアップのように競争する。
 造ってみたら試してみたい。世界の大勢にあまり影響がない、と思ったところで使ってみる。口実はいくらでも作れる……持っていたら、いつでも使いたい……それで世界中に紛争地が散らばっているけれど、やはりアフリカと中東を含めたアジアに多い。

 やられたらやりかえせよりも先手を打つような攻撃的姿勢が顕著なイスラエルですが、これについては、自分の周りをぐるり敵愾心に満ちた人たちに取り囲まれていることを想像してほしい。かつてのように唯々諾々として死地へ赴くなどということは金輪際しない、というイスラエルの人の声を聞いたことがあります。
 度重なる迫害、とりわけホロコーストを民族の記憶に留めて、強固な姿勢を崩しません。

 中国に関しては、以前から国際的非難の的になっていたチベット問題で、今世界の目が集まっています。
 その昔、天安門事件のドキュメント映画『天安門』を見たとき、権力を握るものは体制を維持するためには何でもするのだなあ、と思ったものです。
 以後、事件に参加した学生の多くが北京大の学生だったために中国政府は同大学出身者を指導部から排除し、精華大を厚遇してきて、現国家主席胡錦涛氏も精華大出身。

 イラク、ファルージャでブラック・ウォーターの社員4人が黒こげ(だったかな?)になって宙づりされている写真を見た一瞬、ひるみながらもどこかで見た光景だ、と記憶の閃光が走りました。
 思い出したのは、天安門に集まる学生と市民たちに向かって進む人民解放軍の戦車から引きずり出された兵士がひとり、群衆に宙づりにされている光景でした。

 いつか、文革よりもひどかった、と目撃者が吐き捨てるように語っていましたっけ。
 あれと同じようなことがまたくり返されたのでしょうか。
 これまでも、今回も、いったいどれだけの暴力がふるわれたのか、と胸のふさがれる思いにかられます。

 おそらく、オリンピックを控えて問題をできるだけ隠しておきたい、というのが北京政府の本音でしょうし、逆にチベットの現体制に抗議する人たちは、オリンピックを控えた今こそ、世界に訴える好機だ、と考えているでしょう。

 チベットの人たちの思いは、右も左も関係ない。自分たちの自主独立。
 私の思いもそうだ、と考えながら、あれだけ広い国土を持ってもなお版図を広げて確保しようとするのが分からないなあ、と素朴な疑問を禁じ得ません。
 中国政府としては、一度広げた版図をここで崩すことは威信に響き、ひいては国内の動揺につながる。絶対阻止しなければならない、ということでしょうか。
 う~ん、あの体制が、未来永劫、ずっと続くとはちょっと考えられません。少しずつでも、平和の内に問題が解決されていきますように。

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ブッシュのポチとプードルへのご褒美 そして自称「教養に著しく欠ける」橋下知事

ブッシュのプードルと評されていたトニー・ブレア前英首相。
 これに対してブッシュ大統領は、いやいや「プードル以上だった」と言ったとか。つまりプードルではとてもブッシュ発言のフォローはできない、ということみたいです。

 テレビでアメフト中継を観戦中にプレッツェルを喉に詰まらせて一瞬呼吸が止まったり、失言・迷言・言い間違いの名人であったりと、数々のエピソードに事欠かないブッシュ大統領。
 ブレア首相(当時)の演説に魅了されたのは、その大統領ばかりではありません。

 フィナンシャルタイムズによると、こんな ↓ 具合。

 ブッシュ・ブレア会談の最中に、ブッシュ大 統領は実に荒っぽい表現で単独主義的な意図を口にしていた。にもかかわらず、会談後に出てきたブレア氏は、それを実に流暢かつ合理的に説明してしまう。こ ういうパターンが多すぎた。その意味で、トニー・ブレアのやったことは、私たちにとって実に有害だった」とブレジンスキー氏。「米英の『特別な関係』を 使ってブッシュ大統領に、もっと建設的なことをするようにと働きかければいいものを、ブレアは『特別な関係』を米が主で英が従という主従関係にしてしまった。
 
  (
ブレジンスキー氏はカーター政権の大統領補佐官) 


 ところが、そんな能弁家もブッシュの前では形無しだったようで。

「米高官と英外相は、イラク戦争の進め方やイランとの協議内容について、あるいはグアンタナモなどで米国が国際法を無視していると批判される問題について ——など、多岐にわたって話し合った。しかしいざ首脳会談となるとブレア氏は、争点となっている問題をほとんど話題にしなかった」

「イラク侵攻という、国民にきわめて不人気な戦争に参加するため、国内世論と真っ向から戦う勇気ある人だ。なのに、ジョージ・ブッシュと個人的に会話する場面になると、借りてきた猫のように大人しかった」

  (ストロー元外相)


  なお、このストローさんという人は、イラン侵攻についてブッシュを支持するブレア氏と意見対立したために外相を解任されたと噂される人。


 ブレア氏がほんとうに「国内世論と真っ向から戦う勇気ある人」かどうかは別にして、とにかく能弁なプードルだったことは確かなようです。

 このトニー・ブレア氏、9月の新学期から半年間、ブッシュ大統領の母校エール大学で「信仰とグローバリズム」の講義を行う予定なんだそうです。また米銀大手米銀大手JPモルガンの非常勤顧問に就任する予定なのだとも。

 プードルはプードルとしてのご褒美を貰った、というわけです。


 で、ブッシュのポチ、と評価の高い我らがコイズミ純一郎氏は、もうすでに褒賞ずみですよね。 

 自身がエアー・フォース・ワンに乗ってプレスリー詣でした総理大臣卒業旅行、そして2人の子息の厚遇。
 滅多にテレビを見ない私でもびっくりした、年が明けてやけにテレビでもてはやされている長男孝太郎。コロンビア大の大学院、芸術科学大学院の政治学科に留学した上に米国の一流シンクタンクへ就職した次男進次郎


 特に与党政治家諸氏をみていると、まともに勉強してコツコツと働くのがバカらしくなるような……。


 ところで橋下大阪知事ですが、初登庁挨拶で、

「教養といわれるものに関しては、通常の38歳より著しく欠けていると思っています」

「繰り返しますが、本当に教養等はありませんので、そこは色々と勉強させてください」


 とか、

 

問題が起きたときの、その対応能力に関しては、絶対的な自信があります

  とか言ってます。

 
 う~ん、数々の暴言は教養がないためだったのか、と思わず納得してしまいました。

 やっぱり、無知はツヨイ!

 けれど「そこは色々と勉強させてください」という割には人の話を聞かないなあ、と思いませんか。


 もっとも「教養が著しく欠けている」とへりくだったのも、後の「絶対的な自信」を言いたいためだった、と考えれば、これまた納得してしまいます。


 要は「俺はけんかにツヨイんだぞ!」と言いたいのだな、と理解しました。


 う~む、けんかがツヨイだけ、また政策集団「せんたく」に名乗りを上げた“人気取りへの嗅覚”だけでこれからの4年間をやっていくとすれば、大阪府という地域がどうなるのか、ただでさえ“文化のかおりの薄い所”と思われているのに、4年間でどうなってしまうのか。

これはもう“実験”でしょうか。


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こんな人物に、政権と世界の行方を預けたの?

今日の毎日になかなか興味深い記事が載っていました。
 イラク戦争に抗議して国務省を退職した元米国務省職員ジョン・ブラウンさんへのインタビューです。
 

イラク攻撃直前の米国務省の空気と米国が戦争へと突き進んだ理由を次のように語っています。

 ◆この戦争は素晴らしいという同僚は一人もいなかった。私が戦争に抗議して辞表を出したとき、同僚たちから数百通もの支持の電子メールが送られてきた。

  ◆ブッシュ大統領自身、国際的なことにほとんど興味を持たず、知識もなかった。ホワイトハウスの取り巻き連中の関心は常に国内問題だった。つま り、共和党政権をどうやって維持するかが最大の関心事だった。02年11月の中間選挙に勝つために、取り巻きたちは大統領を強い指導者に見せかける必要が あった。そのためにイラク危機を利用したのだ。


ホワイトハウスの取り巻き連中の関心は常に国内問題だった」という証言は、「共和党政権をどうやって維持するかが最大の関心事だった」という言葉と合わせて、私たちの国にもいかにも当てはまりそう。

 当時の首相コイズミ純一郎の外交政策がまったくのブッシュ政権追随だったことも考え合わせると、そら恐ろしいものがあります。
 まるで思考を放棄したかのように、ほとんど盲目的に頼った相手が、これまた外交について関心もなく、知識もなかった、というのですから。

 知らなければコワイものなし。

 共倒れする前に政権を退いたコイズミ氏は、ある意味ブッシュ大統領よりも自分の限界を知っていた、とか?


 
侵攻後のイラクの混乱については、

 ◆政権幹部はこんな結果になるとは全く予測していなかったはずだ。簡単に考えていたのだ。中東に関する無知ゆえだ。米元外交官のピーター・ガルブ レイス氏は著書の中で、ブッシュ大統領がイラクにイスラム教のシーア派とスンニ派の2宗派があることを知らなかったと暴露している。

 ブッシュ政権には外交感覚のある人物は見当たらない。父のブッシュ元大統領も国際感覚に疎かったが、ジェームズ・ベーカー元国務長官ら外交に強い人物を要所に配した。今の政権にはそうした人物もいない。


  底抜けに楽天的で無知な大統領なのね。

 で、解せないのが米国にこれまた追随した英国のブレア政権のことです。
 旧宗主国でもあり、イラクの国境線を引いた当事者として、英国にはイラクを含めて中東に関するデータの蓄積は豊富にあると思うのですが、それは無視されたのでしょうか。何か変です。 

 米国の軍事作戦に乗っかって、あわよくば石油権益を、とでも考えていたのかもしれません。きっとそう。
 資源ナショナリズムの煽りで失った権益を取りもどしたい、という思いがあまりに熱くなりすぎて、欲が先行したのかも。
 

 結局、ジョン・ブラウンさんは、
イラク戦争は世界中で反米感情を高めてしまった、と結論。
 

 ◆世界中で反米感情を高めてしまった。「米政府が世界戦略としてグローバリズムを使っている」という反発があったところに、イラク戦争によって米国のイメージは決定的に低下した。イラクのアブグレイブ刑務所での収容者虐待や拷問が影響しているだろう。

 イラク戦争を遂行する必要上、米政府はウズベキスタンやパキスタンなどの独裁政権と手を結んだ。経済やエネルギー分野での近視眼的な利益追求のた めに外交をするから独裁政権を支援することになる。米国はもっと長期的な広い視野で外交をする必要がある。イラクはそれを教えている。

 
 もっと長期的な広い視野で外交をする必要があるのは、もちろん日本も同じ。
 ここに
、省益、というより官僚益で外交政策を立案・施行する行政の姿勢が加わります。

 さらに、ブッシュ政権と同じく、いかに政権を維持するか、ということにのに腐心する自公政権も。

 日米のよく似た二つの政権。危険すぎます。

                        
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アソー太郎氏は道州制で自民党総裁を狙う? 地方に権力移譲でも最後まで中央政府が握る権限は?

次期自民党総裁を狙っているといわれるアソー太郎氏は、近頃ずいぶん元気なようですね。
PHP発行のVoice上で吠えていることを、こちらのブログで知りました。

地方経済繁栄論」です。

 これをとむ丸流にまとめると、以下のようになります。

 明治以来の中央集権システムの下で、日本はすばらしい発展を遂げ、「たぶん、世界一効率的で、世界一平等」な国を作り上げた。
 ところが、「ナショナルミニマム」(国民が国家によって最低限保障されるべき公共サービス)はほぼ達成され」「国家の重点目標がなくなってしまった」。

が、地方にはいくらでもやることがある。そのためにも道州制を導入しよう。

「中央集権では、地域のニーズに応えられない」

「公共事業、産業振興、社会福祉など内政面の仕事を」道州に移し、「自分たちで考え自分たちで事業ができるように」して、「税金も」渡そう。

「道州知事は積極的にトップセールス」になって、「経営」をしよう。

国の役割は、外交、国防、教育、司法。その他は地方に権限も財源もやろう。

「『小さくても強い政府』をめざすべき」だ。


 詳しくは、問題の「地方経済繁栄論」を読んでいただくことにして、アソー氏のこの論で優秀な首長としてあげられた末吉前北九州市長についてひと言つけくわえておきます。

「彼ほど有能だった市長を私は知らない」とアソー氏は評価して、市長退任後も外務省参与として末吉氏を自らの役所に引き取ったわけですが、ハコモノを次から次へと作ったり、博覧祭とか何とかを強行したりするなど赤字を積み上げ、あげくは全国的に名を知られた福祉の「北九州方式」ができあがったのも、元建設官僚の、この末吉氏在任中のことです。

 何をもって“優秀”というのか、分かりません。もしかしたら、選挙の際のアソー陣営の要として“票集め”に才を発揮して優秀だったのかもしれません。

 そんな眉唾物のアソー太郎氏の首長人物評ですから、やけに楽観的なこの「“道州制”への奨め」も、まずもってご用心!

 で、このアソー氏の道州制は、大前研一氏の旗揚げした平成維新の会に端を発する「道州制推進連盟」の考えとほぼ同じようです。
 完全に新自由主義と競争原理に基づいて、小さな政府を作ることを目標にしていますね。
 それにこの道州制推進連盟が主張する、国が最後まで握る権限の中に「教育」があげられているのが気になります。
 もっともっと国が教育に介入して、国の期待する人間をつくろう、ということなのかしら。
 それはもうイギリスで失敗しているのだ、ということは以前のエントリーで話しましたが。
 
 なんでも道州制構想は1960年代から存在していて、中央政府から地方政府に知事を派遣して、住民の自治を弱めようとするものだった、という示唆を以前いただきました。

 それによると、住民の自治を強化する道州制は、地方に通貨発行権も与えるものだ、ということです。なるほど通貨の発行・管理がいかに重要かということは、今の経済情勢・世界情勢を見ていれば、素人でも想像できます。

 ところがアソー氏は通貨については何も語らず、とにかく道州間で競争させれば地方は再生されて豊かになる、というばかりです。
 
道州制推進連盟では、「国は外交、安全保障、通貨など、国としてどうしても必要なことだけ行います」と、明確にこれを否定しています。

 まあ、いかに外交、防衛、通貨が重要だと認識されていることか。
 ぜったいに地方には渡さないぞ! という決意がにじみ出ているようではありませんか。

 あああ、競争! 競争! と尻を叩かれて、今以上に地方が疲弊するのではないか、と不安になります。

 なお、先に紹介しましたObseving Japan氏は、

 このシステムは、穏やかな地方分権化でさえも猛烈な反対にあう自民党内では成功の見込みはない。
 自民党の都道府県支部内でさえ、このプランは反対を呼ぶだろうと予測している。道路特別財源の維持に対する支持を示そうと、都道府県議会出身の自民党メンバーが東京に押し寄せてきたありさまを見れば、そんなことすぐわかるだろう、と言いたいようです。

 まあ、最後に自民党の主導権争いが熾烈を極める中で、アソー氏がありきたりな提案は駄目だ、おもいっきりぶちあげよう、と考えた結果だ、的なことで結論を出していました。

     
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日本はなぜクジラ漁を続けるのか

7日の金曜日、BBCニュースには日本の捕鯨に関して、ちょっと興味深い記事が載っていました。

 タイトルは「なぜ日本はクジラ漁を続けるのか?」

 BBC記者が、千葉県南房総市和田港まで行ってレポートしています。
 和田港は商業捕鯨が認められている国内4港の中の一つ。調査捕鯨には参加しないで、国際捕鯨委員会(IWC)によって保護されていない種の沿岸捕鯨を行っているところだそうです。

 2006年のものですが、こちらに和田港で水揚げされたクジラの解体作業の写真があります。

 今回初めてこの沿岸捕鯨のことを知ったのですが、同じ日本人でも私のように知らなかった人はたくさんいるのではないでしょうか。

 BBCは、かなり誠実にこのクジラ漁の問題を取り上げようとしているように思います。

 魚を取ることと鯨を捕ること、どこがどう違うのだ? 違いはしない、というクジラ漁師の言葉にうなずく日本人は多いかもしれません。

 捕鯨基地の小さな町では、捕鯨問題は保護問題ではなく主権の問題だ、と受けとめられていることを海外の反対派は理解できるでしょうか?

 
俺たちの海で、いったいどこの誰が、何をとってもいいとか、だめだとか指図ができるのだ、というクジラ漁師のいらだちが聞こえてきます。

 しかしこの理屈は、遠い南氷洋では通じませんね。
 捕鯨については、沿岸捕鯨と遠洋捕鯨に分けて考える必要があるのかもしれません。

 また記者は、

持続可能なやり方で捕鯨を行うことが可能ならば、彼に鯨を捕るなという権利が誰にあろう? (誰にもありはしない」

 と言ってます。

 ところが、この持続可能なやり方の根拠も、反対派の言い分と日本政府の言い分が食い違っていて、どちらが正しいのか私には分かりません。
 
 いずれにしても、調査捕鯨という日本政府の言い分にはどれだけ正当性があるのか、海外の反対派に対してだけでなく私たち国民にも、きちんと示してほしいと思います。

      
      
 
     
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 BBCニュースの記事は以下に訳しました。

日本はなぜ捕鯨に固執するのか

 国際捕鯨委員会IWCが捕鯨賛成・反対の国々の間の合意点を探るために開催中、BBCのクリス・ホッグは、鯨肉食をやめるきざしのない日本の町からレポートする

日本人がクジラ漁をする理由を知りたければ、数少ない小さな海沿いの町のひとつに行く必要がある。

その小さな町は、まるで海に落ちまいとするかのように、町を取り巻く急勾配の丘にへばりついていた

漁船が、ちっぽけな港の岸に係留されている。そばでは男たちが数人、魚網を繕っている。

国際捕鯨委員会は商業捕鯨を禁止しているが、クジラの全種類がその規定対象になっているわけではない。

しょうじ・よしのりはこの町のクジラ漁師だ。毎年14頭を捕る。

しょうじさんの捕るクジラのほとんどがツチクジラだ。約20キロ(12マイル)の沖合でこのツチクジラを見つける。

日本政府が漁獲を割り当て、夏の3ヶ月間に限って漁ができる。

昨年の夏、合計26頭のクジラが和田に水揚げされた。

しょうじさんの鯨肉加工場に運ばれて乾燥鯨肉、クジラハンバーグ、クジラステーキ――取引先が望むものであれば何でも――に加工される。 

営利企業

しょうじさんは彼の工場で働く人と比べてもすごい長身で、日本人の基準からすると大男だ。

彼はソフトな語り口だが、自分の考えを理解してもらおうという決意している――喜んで捕鯨の是非を論じるが、捕鯨慣行を止めるべきだということは受け入れない。

彼は工場のあちこちを私に見せる。

濃紅色の鯨肉の巨大な塊を薄く切っている2人の女性の前で足を止める。

血が、女性たちのビニールの前掛けを伝って床に落ちる。

このひとまとまりの肉は醤油と酒に漬け込まれた後、乾燥されてジャーキーになるのだ。

「九州の人たちは、新鮮なクジラの肉が好きです」としょうじさんは口を開き、日本の南部に住む人たちのことにふれる。

「この辺りでは少し風味のあるものが好まれ、それで私たちはクジラの死骸を岸まで持ってくると、冷凍用に切り分ける前に1日間そのままにしておきます」

毎年、夏に穫れた肉は貯蔵されて、必要なときに使われる。

しょうじさんは大きな金属製のドアを開けて私に見せてくれた。中は箱詰めされた冷凍鯨肉の山だ。

その一部は、マッチ箱ほどの大きさの、一定の塊に小さく切られたミンククジラだ。

日本クジラ類研究所が南極大陸沖の海で穫ったクジラだ。しょうじさんはそれを買う。売り上げは日本の調査捕鯨プログラムの支援資金に使われる。

「私たちは刺身に使います」と彼は話す。

世界中で、例年南極でクジラを取ってはその数を減らし、また日本の沿岸でクジラを捕るあなたのような漁師の活動に反対がありますが、と私は彼に質問をした。

「私には、漁業と捕鯨の違いが分かりません」と、彼は私に答える。「私たちは、400年の間クジラを食べてきましたが、鯨を捕ることと魚を捕ることが、どう違うっていうのですか?」

絶滅危惧種

しょうじさんは、死滅を防ぐために保護が必要な種があるという主張は認めている、という。

たとえば、シロナガスクジラは捕るべきではないと。

しかしミンククジラは豊富にいると考えていて、日本沿岸で何が捕れれて何が捕れないかどうして他人が自分に言えるなのか分からない。

日本の捕鯨を中断させようとする環境運動の活動家たちについては、「寄付をもらうために有名になろうとしているだけだ」と主張する。

けれど話しながら、しょうじ氏にとって、これは伝統とか経済とかの問題ではないことがはっきりする。

彼は、捕鯨を擁護するのに伝統のことだけを言っても、種が危機に瀕しているときに続ける理由としては不十分ですね、と説明する 

女性がふたりで肉の塊を薄切りにする小さな部屋をひと回りしながら、彼は手ぶりで示す。経済的な議論は、どうみてもあまり説得力はない。

けれど持続可能なやり方で捕鯨を行うことが可能ならば、彼に鯨を捕るなという権利が誰にあろう?

「道理の問題です」と彼はいう。「海外から圧力を受けても、日本政府は捕鯨から撤収すべきではありません」

文化の一部

あとで私は、捕鯨の授業に参加するために呼ばれている町の学校に連れて行かれた。

捕鯨問題に関して日本では公開討論はあまりないが、ここでは子どもたちがクジラ漁のやり方について、きめ細かい議論をしている。

「クジラを殺すのは残酷だと考える人たちがいるのは知ってます」と生徒のひとりが私に言う。「それが、捕鯨に反対する理由です。でも私はここで生まれました。私たちの伝統ですから続けるべきだと思います」

授業が続く中で、世界には捕鯨への反感が少なからずあることに子どもたちは気づいていることが明らかになる。

 しょうじ氏、あるいは教師は、そのことを子どもたちに隠そうともせず、彼のすることは間違っていないと認めさせるようなこともない。

とはいえ、教室にはクジラの絵や子どもたちのお気に入りの種類のスケッチが飾られているけれど、他の国々で見られるのと大差なく、子どもたちはクジラは食べ物であると受けとめているようだ。

確かに、日本政府には他の国々の捕鯨反対派にそのことを分からせようとする努力が足りないと、いくぶんフラストレーションを感じていることをしょうじさんは認める。

東京に戻って、水産庁の役人に質問したのがその点だった。彼は肩をすくめた。

「グリンピースのような組織は活動に何百万ドルと使うんだ」と彼は私に述べる。「われわれがそれに張り合って、納税者たちに税金をのふさわしい使い道だと、どうやって正当化できますか?」

クジラを捕る権利があるとする日本の主張は、海外で、とりわけオーストラリアのように頑強に反対する国々で、日本の印象を害している

しかし、和田のような所で政府が主張を放棄するのが難しい理由がわかる。

ここでは保護問題としてではなく、ほとんど主権問題として見られているのだ。

それで、捕鯨を止めさせようとするどんな試みも、怒りを招くことになるだろう。

深夜放送・深夜営業の自粛に世論を喚起させようという政府・自民の胡散臭さ

私たちの国で政治に携わる方々は、不都合なことがあったりすると、どうも一般人の責に帰したがる傾向があるのかしら? と思うことがときどきあります。

 国の財源がどうのこうの、の話しになると法人税を下げても消費税をあげろ、となりますし、最近では深夜テレビがやり玉に挙がっていますね。
 4日の自民党総務会では、「家庭を中心に温室効果ガスの排出量増に歯止めがかかっておらず、深夜テレビもやり玉に挙がり始めた(3月5日毎日)」と報じられています。

 現代日本人の生活のありように疑問を抱くことが多いのも事実です。
 私はコンビニの24時間営業も、テレビの24時間放送もおかしいのでは、と前々から思っていますが、それが谷垣氏の言うように「法的規制はできないが、世論喚起の必要はあるのではないか」というのも、どうも変だ、と感じてしまいます。

 そもそも森山真弓氏が温暖化対策に絡め、「いつのまにかテレビは24時間やるようになった」と言い始め、(70年代の石油ショック当時、放送局が深夜放送を自粛した例を引いて、「(温暖化対策も)それぐらいやらないといけない」と主張したことがきっかけだったという話しです。

 そんなこんなで、とうとう7日の記者会見では町村官房長官が、「低炭素社会をつくるために、一人一人の国民が何ができるかを見直していくことが今求められている」と発言したのだとか。

 一人ひとりが自分に何ができるか考えていくのは確かに大切なので、そのことでは異議申し立てしにくい。でもなんだか、胡散臭い。
“低炭素社会”という耳慣れぬ言葉も出てきましたが、深夜のテレビ放送やコンビニの営業は温室ガス効果の排出量増を促進するから「悪」だ、と政府と与党が世論を喚起しよう、という発想に、いかがわしさを感じます。
 暫定税率を延長すれば環境対策になる、みたいなことを言っていた政治家たちが、何かを誤魔化しているような気がします。
 
 おそらく、そんな小手先の対策ではどうにもならないところまで、温暖化は進んでいるでしょう。
 温暖化も含め、地球環境の破壊を少しでもくい止めようとする姿勢が、都市化と東京一極集中を押し進めてきた政府の政策に感じられません。

 地球のことを考えれば、CO2さえ削減できればいいということにもなりませんし、また政府はCO2削減の道のりの厳しさに音を上げそうになって、深夜テレビだ、コンビニだ、と破れかぶれに責任転嫁をし始めたのか、とさえ思ってしまいます。

 そんな与党政治家たちには、30年前に「暗闇の思想」に思いを沈ませた松下竜一さんの何分の一かの覚悟さえないのは分かりきったこと。

 廃プラスティック。
 明日月曜日は、1週間に1回のプラスティック類のゴミ回収日。
 このプラスティック類のゴミが、いくら分別しようと一向に減らないのには呆れるばかりです。

 当然ですよね。プラスティック・ゴミの大半は買ってきたものの包装部分で、商品を包んでいるものの半分以上はこのプラスティック類という私たちの消費環境は、ちっとも変わってないのですから。
 
 で、分別しているだけで少しは環境に優しいことをしている、と考えられるほど楽観的にはなれないので、分別をする段階で憂鬱になります。分別は免罪符にはならないのよね、とつぶやきながら。

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自治の基本は、やっぱり直接民主制:小さな町の大きな決議

7日の報道によると、BBCの記者の予想通り、ドミニカ共和国で開かれたラテンアメリカ首脳会議summit of Latin American leadersで、コロンビアとエクアドルは無事に仲直りをしたようですね。
(コロンビアとエクアドルの武力衝突の危機については昨日のエントリーをご覧下さい)。

 武力衝突はちっとも得にならないと、互いによく分かっているのでしょう。
 逆に、それがまったく分かっていないのが、軍産複合体に支持される米国の政権。

 先ごろ日本でも、国産旅客機の開発・生産を目指し、三菱重工を核にしてトヨタ、三菱商事、三井物産、住友商事が出資し、経済産業省も開発資金を支援するという「オールジャパン」体制で事業化を図るとかいうことになったようです。
 が、米国の航空機メーカーは全部という全部、軍産複合体の大きな一翼を担っていることを考えると、私たちの国がますます戦争したがる国になるのではないか、と不安になります。杞憂だといいのですが。

 さて、昨日お伝えしました、4日、合衆国憲法違反のかどでブッシュ、チェイニーの正副大統領を逮捕しろ、と決議した米国バーモント州の二つの町ブラットルボロマルボロのことを少々。

 人口たかだか12,005人のブラットルボロ、たった978人のマルボロ(2000年の統計)というニューイングランドの二つの小さな町に息づく直接民主制の息吹にふれて、やっぱり自治の基本は直接民主制よ、とちょっと胸の高鳴りを感じた私。

 バーモント大学の学生新聞によると、ブラットルボロの町は、昨年ブッシュ大統領の弾劾を決議して、今年はさらに一歩進めたのだ、とか。
 
 その中心になったのが、Kurt Daimsというひとりの男性。彼は有権者の5%以上から署名を集めて町に請願書を提出。
 これは住民投票実施の要件を満たし、1月25日の町議会で3対2の議決で住民投票に付されることが決まりました。
 賛成票を投じた議員は、
有権者はこの問題についても投票機会を持つべきだ、と考え、反対票を投じた議員は、町の領域外、および権限外のことについては、住民投票に持ち込むべきではないと考えたのだという話しです。

 そして3月4日の住民投票で、

 
憲法違反のかどで、ブッシュ大統領およびチェイニー副大統領に対する告発状を町の顧問弁護士に作らせろ、その告発状に基づいて、ジョージ・ブッシュとリチャード・チェイニーを逮捕・拘留せよ、弾劾のために送致せよ、

 と決議されたのです。

 
ブラットルボロ町顧問弁護士には告発状を書く権限はないし、ブラットルボロ警察署には合衆国大統領を逮捕する権限がないので、法的拘束力はない、という話ですが。

 それでも、2人が町に現れたら逮捕・拘留しろ、弾劾するから送致しろ、というわけです。

 評決は、ブラットルボロでは
賛成2012、反対1795、マールボローでは43対25でした。

 小さな町の大きな決議
 
 平成の大合併の結果、次々にやたらと面積・人口を広げた私たちの国の自治体は、ますます中央集権を強めているのではないでしょうか。
 道路特定財源の暫定税率はどうしても延長してくれ、と一斉に叫ぶ自治体の長たちの声を聞くと、ますますその思いが強まります。

 高度成長期、大きいことはいいことだ、という言葉が分かりやすいメロディーに乗って日本中に広まりました。

 でも
今、自治のことを考えると、大きいことはちっともいいことじゃない、と思います。
 逆に大きくて数の少ない方が、中央政府が束ねるのには都合がいいのではないでしょうか。

 そんな意味でも道州制に疑問。

 でも、道州制を考えるときは通貨問題が切り離せない、という話しを聞いたことがあります。つまり地域通貨を認めるかどうか、ということ。
 (これについては、また後にとっておくことにします)。

 中央政府の号令ひとつでことが進んでいったり、中央政府の意向を受けてでしか地方の自治体が生き残れないような今の仕組みでは、ますます人は政治を他人任せにしてしまうのではないかしら?

 そんなお上の一存で決まる政治、他人任せにする政治では、官僚システムはガン細胞のように
かぎりなく増殖を続け、私たちの税を、国の富を、貪り続けるのではないかしら?

 そしてお決まりの政・官の癒着・腐敗に財も加わって、この国はますます住みにくくなるのではないかしら?


  
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米国に反旗を翻す南米:米国・コロンビアvsエクアドル・ベネズエラ

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 ↑昨日の夜BBCニュースの速報

 映画ロードオブウォーの主人公ユーリーのモデル、“死の商人”ヴィクトー・バウトがタイで捕まりました。
 この人については以前記事にも書いていたので、びっくり。
 コロンビアの反乱軍に武器を売った容疑でアメリカが逮捕状を出していたようです。 
 2002年にベルギー政府とインターポールが追っていたときは、ロシアに逃げていましたが。
(日本のテレビではモザイクのかかる腕にかけられた手錠ですが、BBCではそのまま、ありのままですね)。

 でも、バウトばかりが悪いのか? という思いが頭をよぎります。

自分が1年間で取り扱う銃を、合衆国の大統領は1日で売ってしまう。冷戦後の(冷戦前も)各地の紛争に使用される武器はすべて、米・仏・英・露・中という国連安保理常任理事国でつくられている」と映画の中でユーリーは語ってましたね。

 で、コロンビアといえば、最近は
隣国ベネズエラのチャベス大統領が左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)に資金支援しているとして、国際刑事裁判所(ICC)での訴追を目指す意向を表明したばかり(東京新聞3月5日)。

 ベネズエラは2日、コロンビア政府軍がFARC掃討作戦の過程で1日、友好国のエクアドルに越境、侵入したことに抗議し、コロンビアとの国境に軍 を派遣するよう命じた。3日にはベネズエラ駐在のコロンビア外交官全員の追放も決定し、両国関係の一層の悪化は避けられない見通しだ。

 ロイター通信によると、ベネズエラ側はコロンビアとの貿易も制限し始めたという。

 コロンビア警察当局は、越境攻撃でコロンビア政府軍が殺害したFARC最高幹部の所持品の中から、チャベス大統領がFARCに3億ドル(約310億円)の資金を支援していたことを示す書類が見つかったと指摘していた。


 4日にはブッシュ大統領が議会でコロンビア指示を明確にするために同国との自由貿易協定(FTA)を早期に承認するよう求めたとか。

 で、エクアドルといえば「エコノミック・ヒットマン」の餌食になった国として記憶にあり、世界銀行から巨額の資金を借り入れたために、資源に恵まれながらも国民の大多数が貧困に苦しんできたところ。

 2006年の大統領選で、ラファエル・コレアはアメリカの押す右派で大富豪のノボアを大差で破り、当選しました。
 コレア大統領は圧倒的な民衆の支持を受けて、世界銀行からの債務帳消し政策を推し進め、
二万四千ヘクタールの広大な土地に広がる米空軍基地を貸与協定の期限が切れる2009年にはこれを打ち切ろうとしています。

 もちろんアメリカにとってこれは大損害ですから、なんとしても阻止しようとしているのでしょう。

 バウトの逮捕は米国麻薬取締局(DEA)、インターポール、タイ警察の3者が関係したおとり捜査の結果であることがアルジャジーラで伝えられています。

 非合法の武器商人として世界中でから追われていたこの人は、モスクワからバンコクに飛んだ木曜日にホテルで捕まったわけですが、タイを非合法の武器売買の基地として使う計画を立てていたことが容疑なのだとか。
 アメリカの引き渡し要求を検討する前に、タイで裁判を受けることになりそうです。
 テロリストへの武器調達の罪が認められれば、再考10年は入獄ということになる、とはタイ警察の話し。
 近年南部で爆破や襲撃事件が相次ぐタイのことですから、当然神経をとがらしていたことでしょう。

 一方米国は何10億ドルもの軍事援助をコロンビア政府に行っていて、コロンビア政府はコロンビア革命軍Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia,FARCと戦っている、という図。
 このFARCにバウトを武器を売り込んだ、というわけです。

 FARCはコカインと誘拐で得た資金で軍事作戦を遂行、といわれているのですが、もう40年もの間政府軍と戦って農民の支持を得ています。
 これも、新自由主義=新植民地主義の嵐が吹き荒れ、米国が後押しする軍事独裁政権等が政権を掌握する中で、大多数の人々が貧困に苦しんできた南米の事情があってのことでしょう。
解放の神学」も
、この南米で生まれたものでした。
 
こちらのBBCニュースによると、コロンビアは米州機構の中で孤立をしているようです。
 ただし、エクアドル、コロンビア、ベネズエラは重要な貿易パートナーなので、まず、戦争になることはない。エクアドル領内にはコロンビア人が、コロンビア領内にはベネズエラ人がそれぞれ
何万と住んでいる、ともいわれています。
 こうなると、コロンビアも加わって“合従”の策、とはいかないのでしょうか?)

 米国と手を結ぶ、ごく一部の富裕層が政治経済の実権を握ってほしいままにする一方で、たとえば
エクアドルでは国民の70%が貧困層といわれています。そこに人々の期待を担って登場してきたのがコレア大統領。

 米国は、これまでのツケの精算を一気に迫られています。

 ところで、バウトが逮捕される2日前、足元の
米バーモント州にあるブラットルボロとマールボロの2つの町で、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領を憲法違反容疑で逮捕する可能性がある措置を可決したといわれています(3月6日産経ニュース)。
 この措置とは、大統領と副大統領の起訴を正当に行うことができる関係当局に2人を引き渡せと、町の警察に命じている、と伝えていますが。

 こうした町議会での可決が実質的な意味を持たず単なる気休めに過ぎないにしても、7年以上にわたってこの超大国の舵取りをし、いよいよ世界の混迷を深めさせてきたブッシュ-チェイニー・コンビに、米国国民でもNO! を突きつけているニュースは、やはりちょっとうれしくなります。


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 *:コギトさん、返信しても届きません。返ってきます。申し訳ありません。

文部省思想局から鳩山兄弟まで

うわあ、と思わず感嘆の声が上がりそう。

 常石先生の「日本現代誌」に、天皇機関説を唱えた美濃部達吉関連の文書が写真で載っていました。
 米国議会図書館の法律図書館で見つけたそうですが、この「各 大學 ニ 於ケル 憲法 學說 調查 ニ 関スル 文書」を1935年に作成したのは「文部省思想局」……なるほど、戦前の体制ではこうした部局があったのか! と、また妙なところで感心してしまいました。

 表紙をめくった写真もいっしょに載っていますが、「調査ノ性質上私文書」とあります。
 調査ノ性質上私文書……なんじゃこれ? という気持でちょっと検索してみると、

刑法などで公文書としているものは、公務員が作成した文書のことですが、ここで公的文書としているものは、公文書ではなく、一般の会社などで作成している文書のうち、複数の人から公式な文書と認められたものを示しています。
これに対し私的文書とは、個人的に使用する目的で作成されたものであり、メモや公的文書を作成する過程で作成した下書きなどを示しています。
会議録などを会議メモと表題を付けていても、これを複数の人に配布しているような場合は、公的文書とみなせます。
実験ノートなどは、考え方についていろいろとメモを書くものであり、私的文書のようですが、業務として研究を進めている場合は、特許権などの関係から知的財産の一部として公的文書としなければなりません。

 ……

公的文書はその組織の共有書類として、誰でもが利用できるように(もちろん機密文書の場合は必要なアクセス制限をした上で)保管する必要がありますが、こ の文書の共有化が進んでいない場合、公的文書を個人として保管することになります。このような状態の場合、私的文書と公的文書が混在することとなり、他の 人は利用することが事実上不可能となるため、公的文書であっても私文書化してしまいます。
公的
文書を共有の場所で保管しなければ、せっかくの財産を無駄にすることとなります。


 等々と、ファイリングの説明にありました。

 本来なら「文部省思想局」という明らかにお役所が作成した文書ですから公文書にすべきなのでしょうが、“諸般の都合で”私文書とした。私文書であれば作成者個人の責任で作成され、保管される。

 実際にはおそらく思想局内部で共有されていたのでしょうし、必要とあらば、いつでも他の役所、たとえば内務省の特高警察の求めに応じて開示したのだろうと推測します。
 それでも問題になったときの言い逃れとして“私文書”としたのかもしれません。実質は公文書なのに。

 文部省思想局は、こちらによると、1934(昭和9)年にできたもののようです。

昭和3年(1928年) 3.15共産党員大検挙(3.15事件)
            
  4.17文部省,学生・生徒の思想傾向の匡正,国民精神作興を訓令〔文訓5〕
             9.11閣議,思想善導施設費約15万6000円余を文部省の責任支出とすることを決定

昭和5年(1930年) 4.4田中文部大臣,各帝大総長を招き思想問題につき協議(~4.5)
昭和6年(1931年) 7.1文部省学生思想問題調査委員会を設置(昭7.5.2学生生徒左傾の原因及対策を答申)

昭和7年(1931年) 12.-学生団体皇道会を結成
              -.-本学における左翼学生運動,本年をもってほぼ終息

昭和9年(1934年) 
6.1文部省思想局を設置
    


 文科省のwebサイトでも、「文部省機構の改革」に記載があります。
 冒頭でいきなり、大正6年から昭和11年にかけては文部大臣の更迭が頻繁に行われ、その数が17名にのぼることにふれていますが、1917~1936年のことですから、大臣1人あたりの任期は平均で1年ちょっと。

 その17人の中で私が知っている名は、犬養毅、鳩山一郎のふたりぐらい。
 犬養毅が文相になったのは第2次山本権兵衛内閣ですから1923~24年のことで、まだ時代は大正。
 鳩山一郎は、犬養と斎藤実の両内閣で文相。1931~34年のこと。この間、京都帝大の思想弾圧事件、滝川事件が起こっています。

 京大総長に滝川の罷免を要求したのが、この鳩山文相ですが、拒まれて、文官分限令により滝川の休職処分を強行。
 このことが戦後のGHQの公職追放指令を受けたことに関係しているとか。

 ちなみに当時の鳩山家の暮らしぶりを彷彿とさせる、こんな記事「吾家の家計簿」はいかがでしょうか。
 賢夫人の誉れ高い薫の面目躍如、といったところですが、5人家族に使用人4人の典型的ブルジョア家族の生活がうかがい知れます。

 サイトの管理人さんが今日の経済に換算しておもしろい比較をされていますから、興味のある方はぜひご覧ください。

 で、一般中流庶民の家庭なにがし家が月収44万8千円に対して鳩山家は459万。
 これをすごいなあ、と思うか、なるほど、と思うか、いかがでしょうか。

 この鳩山薫が一郎の妻にして、数々の迷言を呆れるほどに繰り出す邦夫氏、超党派の国会議員らで作る「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根元首相)前原誠司羽田孜藤井裕久田名部匡省氏らと共に参加して顧問に就任した由起夫氏のおばあさんにあたります。

 う~ん、旧体制アンシャンレジーム志向の兄弟のルーツを見た! という気がします。

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被害者への誹謗・中傷は何を守るため?

嫌な世の中だ、それとも嫌な世の中になった、というべきなのでしょうか。

 相次いで起きたふたつの痛ましい出来事で、被害者側をさらに鞭打つ所業のあったことが報じられています。

 沖縄、海兵隊員の女子中学生レイプ事件では、「週刊新潮」が被害少女の自宅を割り出して、“直接取材”していたことが告訴取り下げの要因の一つだったとか。

「捜査機関など限られた関係者しか知らなかった個人情報(氏名・住所)が漏れたことで不信を募らせた被害少女側はその後、警察の取調べに積極的に応じなくなった。結局、こうした被害者宅への“直接取材”をへた上で掲載されたのが、「『危ない海兵隊員』とわかっているのに暴行された沖縄『女子中学生』」と題する、≪被害者側の少女を糾弾する≫ための2ページの特集記事だった」
 
 と書くのは柳原滋雄氏。

日刊ベリタ』では橋本勝さんが『週刊新潮』の不買運動を呼びかけていますね。
 右翼の方もいっしょにやろう、と言いながら。
 
 さらにイージス艦あたごと衝突した漁船に乗っていた行方不明の親子の捜索を親族が断念したことについて、
 
「吉清さん親子の実家や親族宅、地元漁協には、数多くの励ましから、支援やお見舞いが寄せられた。その一方で「霊媒師や占い師などが、占うから金をだとか、きっと生きているその場所が見えるなどとして、売り込み攻勢がかなりあったらしい。また、一方では、どうせ死んでいるに決まっているだろう、いつまで税金使って
捜索するんだという心無い中傷も多数、あったそうです。正直、生存の可能性は極めて少ない。だが、可能性がある限り探してほしいというのは肉親の情。それを断念したのは、こんな話に翻弄され、疲れ果てたという側面があった」(『デジタル紙の爆弾』)

 無惨な出来事が起こる寸前まで、楽しく、あるいは仕事にかける意気込みをみなぎらせて、時が流れていたでしょうに。
 それが突然断たれて、泣いても泣いてもどうしようもなくて、心と体をどうにか奮い立たせて、やっとどうにか周囲から支えられて立っている。

 そんな人間の、足を払うように、背中をどつくように、こそこそどころか大手を振って、被害者の非だ、とあることないこと責め立てる。何を言おうとお構いなしに。
 いったい自分たちは何をしたいのか、なぜ、そんな卑しい言動をしないといけないのか、せざるを得ないのか、それだけは口が裂けても言わないかもしれないけれど。

 沖縄のレイプ事件について、暴行じゃない、単なるナンパだった、などという人は、女性にとって体を触られることがどれほど嫌なことか分からないのか?
 なぜ、ひとりの女の子に中傷・誹謗を浴びせてまで、果ては自宅まで取材に行ってまで、加害者である米兵をかばわないといけないのか? その必要があるのか?

 被害者を2次被害にさらしてまで守ろうとしたのは、もちろん、タイロン・ハドナットという個人ではないでしょう。
 米軍兵士だったから、そして米軍が日本にいること、日米安保があること、そうしたことを何としても守りたいと考える人たちが、ひとりの少女などどうでもいい、と言わんばかりに動いたのだ、と考えざるを得ません。

  吉清さん親子の関係者に対する悪し様な言葉も、これと根はつながっているのではないでしょうか。なんとしても自衛隊をかばいたい人たちがいるのでしょうね。
 これだけ
根深い、さまざまな問題を抱えている組織でも守る必要のある人たちがいる……。そんな人たちにとって、隠し続けなければならないものもあるでしょうね。

 で、おかしなことに、こうしたときに限って「
いつまで税金使って捜索するんだ」という論が幅を利かせたりすること。あるいはそうした税の用途を問題にすること。

 これまでも、そして今でも、税金の使い道にいたって寛容だったのが日本人ではなかったかしら。(いえ、これは皮肉です。むろん私は、断じて税金を無駄に使ってほしくないと思っています)。

 暫定税率のなんとかかんとかだって、都知事の豪遊問題だって、防衛省/庁がべらぼうな言い値で兵器を買おうと、在日米軍にどれだけお金をつぎ込もうと、み~んな許してきたのが、結局は有権者でしたもの。

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シー・シェパードの捕鯨船攻撃

国際社会で、とかく批判されることの多い私たちの国の捕鯨活動。

 とうの昔に鯨を食すのはあきらめていますが、それでもグリーンピースとかシー・シェパードとかの反対行動に違和感を抱いて、鯨を食べるのはひとつの食文化だよ、と嘯いてます。
 自分たちの価値観こそ普遍的なものであるとして鯨肉食を否定することに、ちょっとした反感が胸の奥でフツフツとたぎったり。

 それでも、クジラやイルカの知能の高さを言うのは論外として、資源保護の立場から反捕鯨を言われれば弱い。
 でもそのことについても日本側の主張と反捕鯨国の主張は食い違っていて、正直、どちらが本当のことなのか判断に迷います。

 そもそも日常的に肉食をしていて、家畜なら殺してもいいけれど野生動物は保護が必要だ、というのも分からない。
 日本食のお椀の中に魚の頭が入っているのを見てギョッとしたという話しを聞けば、私たちも、たとえばフランスの市場でごく普通に豚の頭が並べて売られているのを見てギョッとしたよね、と思う。
 何気なくスーパーで買うパック入りの肉類だって、ちょっと考えれば元はたしかに生き物だ。平気な顔して舌鼓を打ったりしているけれど。  

 他の生物の命を奪って己の命をつなぐことへの畏れを、現代人は忘れてしまったなあ。

 だいたい、生産活動そのものが自然の破壊だし、そのために収穫物はまず最初に神さまに捧げられたわけだし、山に入って獲物を狙う人は、まず山の神さまに無事を祈ったわけだし、

 等々あれこれ考えていると、これはもう哲学の問題になってしまいますね。

 少々脱線したので話を戻せば、昨日3日の、シー・シェパードが日新丸を“何か”で攻撃して、そのために日本側に負傷者が出た、というニュースはショッキングでした。

 だいたい環境保護団体が外洋を航行できるような船を複数所有して捕鯨船を追っていけるということも、私たちからすればびっくりすることでしたし、私たち の感覚でいえば、そこまでするか? というようなことをやっているのも驚きでした。アクティブというかアグレッシブというか……
 問題にするものが違いますが、日本の抵抗運動の例を思い出せば、沖縄の辺野古ではゴムボートでしたね。
 
 日本の捕鯨活動についてはBBCやアルジャジーラでもこれまでよく取り上げられていすが、今回の件については以下のようにBBCが書いてます。

 

日本の捕鯨船員「バター攻撃」受ける


南極沖の海域にいる日本の捕鯨船団 再び反捕鯨団体から攻撃される

日本政府関係者語る

 

シー・シェパードの活動家たちは、腐ったバターから造った低刺激性の酸を詰めた容器を日本船に投げ入れた。
 

同グループは「非暴力の化学兵器」だと説明したが、日本政府はこの行動を違法だと非難し、数人が軽傷を負った、と述べた。
 

昨年11月以来、活動家たちと捕鯨船員たちは数度にわたって衝突している。
 

捕鯨船に投げられた酸は、目に入ればヒリヒリする。
 

関係者の話では、捕鯨船の一つの乗組員2人と海上保安官2人が、攻撃の後痛みを訴えた。
 

「つるつるした粉」
 

日本は違法だとして説明し、この活動家たちの船の登録国であるオランダの当局に抗議を申し立てると語った。
 

しかし南極海の自船に乗るシー・シェパードのポール・ワトソンは、負傷者の出たことを否定する。
 

日新丸に投げつけたのは酪酸を入れた瓶と「つるつるした粉」の入った封筒だ、とポール・ワトソンは話す。
 

「一部始終をビデオや写真に撮った。向こうの乗組員の近くに落ちたものはひとつもない」とワトソンはアーストラリアAAP通信に語った。
 

オーストラリアの外相ステファン・スミスは日本の捕鯨にやかましいほど反対しているが、シー・シェパードのバター攻撃を強く批判した。
 

「私は、いかなる船の乗員であれ、公海上で傷害を引きおこすような――もしくは傷害を引きおこす可能性のあった――行動は、断固、非難する」とオーストラリアの外相ステファン・スミスは声明で述べた。
 

日本はこの航海でミンククジラ900頭、ナガスクジラ50頭まで殺す予定だった。
 

日本政府は、科学的調査捕鯨を行っていると説明するが、同様のデータは動物を殺さなくとも収集できると批判されている。
 


 
  この件について私がニュースで見たのは町村官房長官の話しでしたが、どうも日本側の言うところとシーシェパードの言い分が食い違っていて、いったいどちらの言うことが事実なのか、まったく分かりません。ビデオ画像の解析でもすれば分かるのでしょうか。

 そんなとき、オーストラリア外相の言葉は正論でした。

 なおこれについて、3日のアサヒは次のように報じています。



シー・シェパード、また調査船を攻撃 日本側3人負傷

2008年03月03日13時47分

  水産庁に入った連絡によると、日本時間3日午前7時10分ごろ、南極海で調査捕鯨をしていた日本鯨類研究所の調査母船、日新丸(8044トン)に対し、 米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の船が側面から近づき、異臭を放つ液体入りの瓶や白い粉の入った袋を投げ込んだ。乗組員1人と同行している海上保安 庁の保安官2人の計3人が目に液体が入るなどの軽傷を負った。

  水産庁によると、日新丸は2日朝から、シー・シェパードの船による追尾を受け、丸1日が過ぎた3日朝から妨害工作が始まったという。妨 害は約1時間にわたって続き、現在もシー・シェパードの船は日新丸と並走している。シー・シェパードは今年1月にも活動家の2人が捕獲調査船の第2勇新丸 に制止を振り切って侵入して身柄を一時、拘束される事件を起こしている。身柄を豪州政府側に引き渡した直後にも瓶を投げつけるなどの妨害をしており、昨年 11月に日本を出発した今回の調査捕鯨船団に対する、シー・シェパードによる妨害工作は今回で3度目となる。

  6日からはロンドンで国際捕鯨委員会(IWC)の中間会合が行われる。捕鯨賛成派と反対派の対立で、冷静な議論ができない状況となって いるIWCを正常化させるのが目的。会合にはシー・シェパードの船籍があるオランダと、母港となっている豪州の代表も出席する見込み。水産庁の成子隆英遠 洋課長は「会合で、船舶の安全を守る観点から、抗議や、なんらかの提案を申し入れることはありうる」としている。

    

  町村官房長官は3日午前の記者会見で、米国の反捕鯨団体シー・シェパードの日本船への妨害行為について「誠に許し難い行為だ。日本政府と して強く非難する」と述べた。さらに「最後の寄港国である豪州に遺憾の意を表すとともに、旗国のオランダ等に対して有効な措置を講じるように申し入れを行 う」と語り、今後、関係国に妨害行為についての対応を促す考えを示した。

 



 この記事では負傷者は3人としていて、BBCの4人とは異なります。

 で、はてさて、いずれにせよ、負傷者はいない、と主張するシー・シェパード側に対して、3人の負傷者が出た怒る日本側。

 負傷者のいる・いないに関わらず、シー・シェパードの妨害行動はそれだけでも問題だと思います。こうした行動をとるのは当然負傷者の出る可能性があることも想定しているわけでしょう?
 
 反捕鯨を主張し、その立場を堅持するのも、それはそれで認められるけれど、この“バターの腐廃物”やら何かの粉を使った実力行使に、そこまでやる?! という気持ち。

 で、日本側の主張することを信じたいのはやまやまなのですが、どうも引っ掛かるところがあるのも正直なところ。

 なぜかといえば、昨年7月の辺野古での出来事があるからです。

 始めに結論ありきのおざなりな環境調査で、というより環境破壊を一顧だにせず手続の過程として強引に決行した調査に対して反対を訴えて阻止行動に出た市 民団体のメンバーが、海中で那覇防衛施設局の作業員に酸素ボンベのバルブを閉められたという、あの出来事を思い出してしまったのです。

 あの時反対運動への威嚇か、掃海母艦ぶんごまでかり出されましたし、防衛施設局側は「バルブを閉めた事実はない」と否定しました。
 このとき被害者の平良さんは、「ノルマだけを業者に押しつけ続ける施設局こそが糾弾されるべきです。これが『防衛』という言葉を使っている人々の実態です。現在は現場に責任者もおかず、すべての責任を業者だけに負わせる体制をとっています」と国の姿勢を非難。

 あのとき確か、防衛施設局の方は、被害を受けたのは自分たちのほうだ、とまで言ってなかったかしら。

 あの出来事を知っているから、今回のことでも鵜呑みにできない、なにしろ町村官房長官の言うことだもの、と警戒心が働いてしまうのです。

 本当に負傷者が出ていたとすれば、そんな疑いを持ってしまったことを恥じて謝るより仕方ありません。
 が、常日頃からもっと公正・公明な行動を国がとっていたら、こんな余分な疑念を抱くこともないのに、と思ってしまいます。
 (そうそう、本来「公明」とはこの意味で使われるものなのにね、とはまた横道に逸れますが)


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以前にもありましたが、3日にいただいたメールが文字化けして、まったく読めませんでした。また、返信したメールが宛先不明で戻ってきたこともございます。
 せっかくメールを出したのに返事がないとおっしゃる方、失礼をしております。申し訳ございませんがそんな事情を御理解下さい。
  m(_ _)m

失敗だ! 英国の教育改革から何を学ぶか? 政治干渉で子供たちの教育が駄目になっている

自公政権、ことにコイズミ、アベと“改革”を標榜する政権でしゃにむに進められてきた私たちの国の教育改革。
 このお手本にされた英国で、今、教育改革の無惨な成果が明らかにされたという話です。大沼安史さんの所で知りました。

 西側先進諸国の教育の自由度はドイツが最低で、日本も同じ。
 共に戦前の“国民学校”の性格が今だに尾を引いているようです。

 戦後一時期教育委員会にも公選制がありました(1948~56年)が、長く続かずすぐに任命制になって首長の影響力が大きくなりました。
 卒業式の君が代、日の丸問題にそれがよく表れています。

 サッチャーが築き、ブレアが推進したイギリスの教育改革。

・教員の導入研修から指導まで行う教育基準庁
・政府の目標に忠実に従わせるための校長の再教育
・教育の民営化、といってもこれは、民間企業が「読み書き計算に関する国家初等教育戦略」と「中等教育・第3段階の読み書き戦略」の実施方法を教員に研修し、助言を与えるもの。
 
 等々が、競争力を上げるのに期待される人間を育てるとしてブレア政権によって実行された政策です。

 こうした新自由主義から望ましいと思われる教育政策に加え、私たちの国では戦前体制への郷愁を奉じるグループの考えを色濃く反映した教育基本法の改悪も実現しています。

 そうした教育の国家統制がどのような結果を生むかは、戦前の例に劣らず、このイギリスでの調査結果でも表れているように思われます。

 先ずは40年間で最大規模の今回の調査を報じるインディペンデントの記事から。


失敗だ! 政治干渉で子供たちの教育が駄目になっている、と報告書は断言
 

これこそ、一にも二にも教育を優先しよう、と約束した政府だ。優先どころか、数多くの驚くべき報告書で明らかにされているように、学校の自主性に任せられなかった政府として記憶に留まることだろう。

 労働党の英国小学校への厳しい中央集権的統制は、子供たちの教育に破壊的な影響を及ぼした、と40年間で最大の初等教育調査の結論が昨日出された。マイクロマネージメント(管理者が細かいところまで規定して部下に裁量権を与えなが自由裁量権をはぎ取られたのだ。そして10年間のニューレイバー改革の最終的な成果は、子供たちの受ける教育の質が明らかに低下してきたことだ、と言っていい。
 

もし政府が、口出しを一切しなかったならば、事態はもっと良くなっていただろうと、ケンブリッジ大学主導で行われたプライマリー・レビュー――英国の初等教育に対する進行中の調査――は結論している。
 

今日公表された4つの報告書は先に発表された18の報告書にならい、小学校への政府の干渉の破壊的実態を描き、政権がテストへ執着し、教室での実践について細かな点まで指図したいと願っていることをさらけ出した。
 

1997年以来、教室での政府の影響力は増し続け、今や英国の小学校は、教師たちが何を教えるべきかのみならず、どのように教えるべきかという 「学習における国家理論」に支配されている、と報告されている。
 

過去20年のうちに「カリキュラムの削減とテスト準備の激しさ」のせいで初等教育の質が低下した、と同調査は警告した。ここから、教師たちが子供たちのテスト指導に腕をふるって、近年、実際には教育水準が落ちたかもしれない、といえる。
 

最新のレポートは、学校にさらに多くのカリキュラムを強制する政府の要求をなおも追う。今日、学校は放課後のクラブ活動も含め、1週間に、スポーツ5時間のみならず文化活動5時間の提供も期待されがちだ。けれどもプライマリー・レブビューからは、学校への干渉は、多くすることではなく、もっと少なくする必要があるということが明らかになる。
 

政府の初等教育管理は、保守党政権下の1988年に全国カリキュラムの導入で始まったが、1997年に労働党政権誕生以来確実に増大してきた、と同レポートは結論する。
 

ケンブリッジの大学のドミニク・ワイズ、およびマンチェスター・メトロポリタン大学のイレーヌ・マクレリーとハリー・トランスらによる研究はこう結論づけた。「カリキュラムとその評価に対する政府の管理は1988年から2007年までの時期、とりわけ1997年以降に強化された」

 生徒の到達水準に対する多くの取り組みの影響の根拠は、良くてあいまい、最悪の場合、否定的だ。1990年代半ば以来テストの点は上がりつづける一方で、かなりの時間がテスト準備に費やされることで、バランスの取れた広いカリキュラムを受ける子供たちの権利を犠牲にすることになった。
 

1998年以降導入された労働党の国家戦略は、生徒と教師のふれ合いの質にとりわけ「否定的な影響」を及ぼしてきたが、まさに小学校における読み書きと計算能力の教え方を教師たちに命じるものだと、この研究で分かった。教師たちはもはや自ら考えもしなければ、個々のニーズに授業を合わせたりしない。かわりに、授業日は政府のシナリオどおりに教えるわけだ。
 

将来の進路を左右するテストの導入――英国の11才の生徒たちの国語、算数、そして理科のテストの成績にしたがって全国規模でのデータで小学校のランクを見る――は、同時に、学校が他の学科を犠牲にして読み書きと計算能力に焦点を当てたため、カリキュラムを狭めることにつながった。 

 読み書きと計算能力に焦点を当てすぎたために、小学校の理科はことごとく――1988年以後の全国カリキュラムの成功談の一つになっている――1997年以来ずっと「わずかに低下」している。 

7才と11才の生徒たちの受ける国語、算数、そして理科のテストを重点的に取り扱ったことで、「教育も、学習を改善すると研究で指摘されるものとは正反対のものにならざるを得ない」
 

たとえば生徒を小グループに分けて授業するような変化に富んだ教授方式を採用する代わりに、今では小学校の授業は、子どもたちをテスト用に教え込む一斉授業と大差ないものになっている。
 

120万人の小学生が毎夏受ける全国規模の学力テスト(標準評価テスト)の結果は、1995年から2000年まで急速に向上しているが、その後は「ほぼ横ばい状態」だ。
 

このことはおそらく「当初は教師たちに全国規模のテストの準備ができていなかったのが、すぐテストの指導方法が身についたためテスト結果が改善された。が、そうした指導によってこのシステムからどうにか得られるどんな利点も、その後長くかかって消耗され尽くした」ためだと、同調査は指摘する。
 

バース大学のマリア・バラリンとヒュー・ローダーによるプライマリー・レブビューに載る二つ目の研究で、この気の滅入るような知見は強固なものになった。「ニューレイバーが出現してこの方、中央集権的管理が教育活動の重要分野で強化されてきた」と結論。「政府は『学習における国家理論』とも呼べるものを通して、その支配を強化してきたのだ」
 

これは、「生徒の将来を左右するテストの繰り返えし」、全国カリキュラム、そして英語と数学における「強制的」教授方法を組み合わせることで水準が上がるだろう、という政府の信条の反映だった。
 

明らかにこのやり方は機能しなかった。政府の教育政策は、今や全面的な見直しが大きく求められている。デビッド・ローズ自由民主党の児童担当広報官は昨日語った。「学校を事細かに管理する政府の試みは、疑いなく非常な損害を与えている。政権は、カリキュラムへの絶え間ない口出しを止めなければならない。どのように子供たちを教育すべきか、学校へ命令するのを止める必要がある」
 

全国教員組合の書記長スティーブ・スコットは述べる。「最新のプライマリー・レブビューは、将来を左右するテスト、査察、そして昔から問題になっている小学校の財源不足からもたらされる害を論証している」
 

「教師たちへの信頼の欠如を助長するのは、ふたつのひどい説明責任体制だけだ。直ちに学校の評価方法全体を見直すよう、政府に要請する。
 

児童・学校・家庭省の広報官は、この調査を「二番煎じで、片寄っているか、もしくは時代遅れだ」とはねつけた。
 

「これらの主張を認めることはない」と述べた。「現在チャイルド・プランをデザインするのと平行して初等カリキュラムを見直しているところだが、10年間の学力水準の上昇の成功――独立した専門家によって幾度となく確認されてきた成功――を基に進めるだろう。子供たちがテスト漬けであると政府は考えない」 
 

経緯

 全国カリキュラムは、1988年、イングランド、ウェールズ、そして北アイルランドに導入された。それによって特定の重要事項をすべての生徒が確実に勉強するよう意図されたのだ。しかし、それはたちまちのうちに小学校の全授業時間を埋めるようになった。
 

 全国学力テストは、また学校が生徒の進歩について説明する責任を持つために導入された。が、これらのテストは、1997年に労働党の政権獲得後までは学校の仕事で優位を占めるわけではなかった。
 

 労働党は、学力テストの結果改善を、特に国語と算数の結果の改善を、やりがいのある目標に据え、1998年、読み書きと計算能力戦略を導入。
 

 2006年に、政権は政府承認のやり方を使って教えることが求められると学校に通達した。


 
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権威・権力にすり寄る“東”より、やっぱり反骨

話題の宮崎県知事の自伝小説がドラマ化されるのだといいます。
 まあ、いまさらテレビの世界のことにびっくりすることもありませんが、なぜこれほどもてはやされる? と不思議に思うのも自然な気持。
 もてはやされる前には、当然、なぜ受け入れられたの? という疑問があります。

  タレント、あるいは芸人から華麗に政治の世界へ転身を遂げたのはそれほど珍しくありませんが、自虐・他虐の響きを伴う“芸人”という言葉が、テレビに出没するお笑いタレントを指すようになったのは比較的最近ですね。

 そんな芸人さんが県知事選に立候補して、“何ができる?”と冷ややかな視線を浴びながらも、けっこうやるじゃないか! と肯定的な評価を得るにいたり、最終的に当選。まさに“故郷に錦を飾る”。

 いかがわしさの漂う“芸人”に飽きたらずに権威の裏付けを求めて早稲田に入ったのも成功の一因かもしれません。ですが、芸人時代の数々の悪行との連続性もぷつりと切れたわけではない、と画面に登場したこの方を見るたびに思ってしまうのも事実。

 なにしろテレビで観ているこちらの方が、いかんともしがたい居心地悪さを感じます。最近では“政策集団”「せんたく」の発足時のスピーチもありましたが。
 このグループの発起人になることにより「改革派知事」の評を確たるものにしたいとご自身は考えているのかもしれませんが、“改革”を標榜する政治家として目の前に登場するときの違和感はどうでしょう。 

 いろいろと不祥事を起こしながらも知事に当選したことですべて免罪されてしまったように各方面で重宝されてメディアにも出ずっぱりのようですが、私などはいまだにこの方になじめません。
 なにか権威や権力にすり寄る“いやしさ”を感じてしまいます。

 でもこの方を支持する人たちが世の中に多いとすれば、芸人から地方自治体の首長への転身に庶民の喝采を浴びているのだろうと思ったりします。
 小粒版の“今太閤”ですかね。
 そういえば、太閤さんは金と女と力への執心も尋常ではなかった……今も昔も、庶民の願いは太閤さんなんでしょうか。

 そんな太閤さん志向に背を向けて、やっぱり私は反骨精神にひかれるなあ、と人から教わったボブ・ディランを聴きながら思います。

 少々前の話しになりますが、2月17日のエントリー「日本史必修は何を企むの?」の感想をNiponeseさんからいただきました。

>>エリートが、エリートをもくろむ人たちから非エリートの人たちまでも巻き込んで、みなエリートと思わせる手法が効いています

>>統治される側の人までもが統治している側にいると錯覚するのは階層構造があるからでしょう

ボブ・ディランの初期の名曲「しがない歩兵」 (Only a Pawn in Their Game) をちょっと思い出したりしました。メドガー・エヴァースという1960年代の黒人運動家がクー・クラックス・クランのメンバーに暗殺されるという事件が あって,ディランの曲はこの事件について歌ったものなのですが,その中に,南部の政治家がプア・ホワイトに対し「君たちは黒人よりたくさん貰っているん だ,文句を言うな。君たちはやつらよりましだ,白い肌に生まれたのだから」と演説する一節があります。「ニグロの名は政治家の利益のために使われ,政治家 は出世するが,プア・ホワイトは汽車の乗務員室に取り残される」とも。

>>A South politician preaches to the poor white man,
"You got more than the blacks, don't complain.
You're better than them, you been born with white skin," they explain.
And the Negro's name
Is used it is plain
For the politician's gain
As he rises to fame
And the poor white remains
On the caboose of the train
But it ain't him to blame
He's only a pawn in their game.

現代日本の「戦前回帰・復古主義」的言説は「特定アジア」蔑視とワンセットになっているわけですが,「統治される側」の差別意識を煽りたてながら「統治している側」へ巧妙にとりこんでいく権力のテクニックは,古今東西を問わず普遍的に存在するのではないかと思います。



 このディランの歌が収録されているのは
最初期の傑作アルバム「時代は変わる」だということをなめぴょんさんに教えてもらい、同時に「ハッティ・キャロルの寂しい死」という歌のあることも示唆されました。

 


父親が州評議員という、甘やかされた白人青年が、注文した飲み物を持ってくるのが遅いというだけの理由で、黒人ウェイトレスの頭部をステッキで殴打して殺したのにも関わらず、裁判の判決が「禁固6ケ月」で、それすら父親のコネで免除された。
感情を抑えたディランの歌唱がいっそう怒りを痛切に表現しているのです。

この曲でディランは、ウィリアム・ザンジンガーという道楽息子の殺人行為、逮捕されたものの「ただ肩をすくめてみせ」「ものの数分で保釈金を積んで出てき た」姿や、被害者の黒人ウェイトレス、「51歳で10人の子供を生んだ」ハッティ・キャロルが殺されたときの様子を描写しながら、顔からハンカチを放し なさい 今は泣くときではないとくり返しくり返し歌います。
そしてそのリフレインは、最終章、被告に「6ケ月の刑」が言い渡された瞬間の、この曲の最後の一行で、
顔をハンカチで深く覆いなさい 今こそ泣くときだに変わるのです。



 将棋の「歩」でしかない貧しい白人も“まだましだ”と納得させられる。お前たちはハッティ・キャロルじゃないだろ? といわれるのに同じ。 
 自分の貧しさのわけを考えず、より立場の弱い者へ銃口を向ける“しがない歩兵”たち。

 私たちの国ではアメリカのように皮膚の色ではっきりと区別されるわけではありません。
 で、“しがない歩兵”である私たち一人ひとりの武器は学歴であったり、もって生まれたさまざまな才覚であったり。

 そうした武器を手にしてみごと“歩兵”から“王将”とか“金将”とか“銀将”とかに行き着くのが、昔から庶民の夢だったのでしょうね。それを体現した人物に惜しみない拍手を送ってきたのが世の人々なのですから。

 その意味で東国原氏は庶民の羨望と拍手を浴びているのでしょうが、アピール度と露出度はなはだしいこと限りなし。この節操の無さが、また今時の関心を呼ぶのかもしれません。

 彼の登場は、そんなわけで変革でも何でもない、単なる“歩”から“将”への脱出の試みだと思うのですが、“脱皮”に成功したのかどうかはこれからのことでしょう。
 しかしですね、くれぐれもハッティ・キャロルに振り上げられた杖のような役割は演じないでほしい、と思います。

 “歩”から“将”への脱出を試みながら改革のポーズをとるのに、胡散臭さや計算高さを感じるのは私だけでしょうか。


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沖縄暴行被害届取り下げは外交圧力のせい?

昨日の「那覇地検は29日、女子中学生に乱暴したとして逮捕された在沖縄米海兵隊員のタイロン・ルーサー・ハドナット2等軍曹(38)について、生徒が同日付で告訴を取り下げたとして不起訴処分とし、釈放した」ことはBBCニュースでも伝えられています。

 なんともやりきれない結末に対して淡々と報じるBBCでも、最後に以下のような文言がつけ加えられています。
 

「彼は釈放されて、現在海兵隊に拘置中である」とダグラス・パウエル中佐はロイターに語った。

何千という兵士たちが沖縄には配属されているが、多くの住民が米軍の駐留を嫌っている。今回の事件は同島における1995年の12歳の少女に対する集団レイプ――大規模な抗議のきっかけとなった暴行――の苦い記憶を思い起こさせた。


 ところがアルジャジーラには、外交的な圧力が加えられたのではないかという海老原大祐さんの話しが掲載されています。海老原さんは、1996年に沖縄の米軍基 地の前で息子さんが米軍人の運転する車にひき殺されています。

 
中東の通信社アルジャジーラが一歩踏み込んで伝えているのは、同じ中東のイラクの女性たちが、この種の暴力をさらに酷い形で日常的に受けているのを見てきたためでしょうか。
 

外交圧力
 

ハドナットの釈放は、国務長官コンドリーザ・ライサが日本訪問をして謝罪をしたちょうど2日後だ。
 

「沖縄の米軍人・軍属による事件被害者の会」会長、海老原大祐は、被害少女の家族が圧力を受けたのではないかと疑っている。
 

海老原さんは語る。「私たちがこの事件に対して運動を強めようとしていたまさにその時、このニュースを聞いてとても残念です」
 

反米感情
 

日本の高村正彦外相は、この事件が米軍基地への反感を引きおこすだろうと警告した。

一連の沖縄での出来事の中でもとりわけ注目を浴びてきたのが同事件である

同時に、当局は2月18日にホテルでフィリピン女性が米軍人にレイプされたという申し立てを捜査している。

 1995年の米軍兵士3人による集団レイプは、何千という兵士の沖縄からの撤収に道筋をつける口火を切った、大きな抗議を引きおこした。 

(これは2014年までに終えるとされる海兵隊8,000人と家族9,000人のグァム移転のことを指すと思われます:とむ丸)

 
「なぜ、いつまでも沖縄の基地問題が解決しないのか」との問に対して元沖縄県知事大田昌秀さんがjanjan紙上で語られています。ぜひそちらをご覧になっていただきたいのですが、一部を引用させていただきます。


 日本人の多くは大浦湾にも行ったことがないし、第一沖縄にこれだけ基地があることを知りません。アメリカ人も知りません。しかし、アメリカ側は沖縄の問 題を本気で解決しようと、ウォルター・モンデール駐日大使(在任1993~96年)あたりから非常に熱心に取り組んでもらったのですが、肝心の日本政府が 動きません目に見えない離れたところに基地を押し込めておいて、口では安保条約は国益にかなうとか言っているわけです。つまり、国民の一部を犠牲にする 形で自分の国と国民を守ろうとする非民主的な、非人間的なやり方です。問題解決がこんなに長引いているのはそのためなのです。

 ワシントンの国防情報センターの所長さんが沖縄に来たときに、彼に沖縄の米軍基地を見てもらいました。沖縄に基地があるのは地政学的に重要だからやむを えないなんて国会議員は言いますが、北朝鮮に本当に脅威があるとすれば韓国の方が25倍もの軍事力を持っているのだからアメリカ軍がいなくても大丈夫だ と、もし韓国が対応できなければ、アメリカの兵士を増やせばいいじゃないかと所長さんは言っていました。また、北朝鮮が脅威だというなら九州北部に米軍基 地を持っていった方がはるかに便利だと言っているわけです。それを、沖縄は地政学的に便利な場所にあるからと沖縄に過重に基地を負担させてもやむをえない という(日本の)国会議員の言い方なのです。      

(注:大浦湾は米軍普天間飛行場の移設先に近い名護市にある)

(赤字と強調、注はとむ丸による)



「アメリカ側は非常に柔軟に対応していますが、日本政府が問題です。国会議員の連中もまったく沖縄の事情を知りません。自分の選挙区では一切その負担を背負おうとはしないわけです」

 とまで断言して大田さんは怒っておられます。

 これまで何度か私自身も書いてきましたが、米軍再編について調べていくと、どうも日本政府の怠慢が目につくのです。
 アメリカ政府と交渉して少しでも国民の負担を少なくする、という姿勢が何としても足りないのです。

 自分たちの選挙区に基地を持ってこられたら困る、触らぬ神に祟りなし、負担と被害は沖縄や他の基地の町に押し込めて見ないようにさせておけばいい、という考えが見え隠れしています。
 その上、利権だけはしっかりと確保しているのですから、ほんとうに情けない。

 それにしてもなぜ、究極のセクハラであるレイプが親告罪なんでしょう?

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鳩山邦夫法相の仲間内でしか理解できない言葉 それに沖縄レイプ事件被害届取り下げ

26日、自民党の武藤容治衆院議員のパーティーに出席した鳩山法相が、武藤氏が昨年の自民党総裁選で麻生太郎前幹事長を支援したことから「武藤さんはよくやった。次は麻生太郎政権であるべきだ」と産経ニュースが伝えています。
「4度目の正直、間違いなく、3cmくらいのパットが残っている感じでございますから、皆さんと一緒にがんばって、 麻生政権が誕生できるよう、がんばっていきたい」という発言もこの時のものでしょうか。

 《死刑執行ベルトコンベアー論》《友人の友人はアルカイダ》《ペンタゴンからご馳走の思い出》《志布志事件は冤罪でない》等の発言に続いて5つ目。

 1976年に政界入りしてから実に32年になりますが、こうした問題発言はみなアベ内閣に入閣以降の話しですね。というより、アベ内閣が自壊するとき、次の政権では入閣はないだろうと開き直ったところから出たのでしょうか? 

 友人の友人はアルカイダ発言以降はすべて福田内閣での話し。
 で、30年以上政治家をしている人がこうした発言をくり返すのは、いったいなぜなのだろう? と考えても答えは出てきませんね。志布志事件は冤罪でない発言がニュースに流れて、ばかだな、という声がリアルの世界のあちらこちらで聞こえましたが、それでは答えになりません。

ぬえのよう」と形容されるアベ、フクダの自民・公明政権を象徴する人物なのかもしれませんが、不可解。かといって本人にそれほど計算も感じられませんから、やはり口が軽いだけの人なのでしょうか?

 ご本人の公式サイトを覗くと、理念と政策」にはこんな文面が見られます。

「日本の首相が第一になすべきことは、情緒豊かで、和を尊ぶ日本文明の本来の姿をとり戻すことである。"和魂洋才"はいい姿だが、最近の日本は弱肉強食、格 差拡大、地方切り捨ての"洋魂洋才"社会の様相を呈しているといわざるをえない。効率最優先のドライな文明は、ともすれば、やさしさを欠く非情な政治を作 り出す。これは日本文明の破壊につながっていくだろう」

 これとそっくりな言葉をきいたことがあるな、と記憶をたどれば、日本会議の主張そのままだ、と気づきました。
 あと3センチのパッドで“あそう首相誕生だ”と怪気炎をあげるのも、日本会議そのまんま。

 つい数年前は“アベ首相待望論”を吐いていた人たちが、こりずに今度は“あそう首相待望論”で熱くなっているのは知ってましたが。

 この鳩山邦夫氏の理念と政策にある最後の文言、「私はユートピアを否定する。日本文明の行き着くところは、美と慈悲の社会、アルカディア(桃源郷)ともいうべき、森の環境国家の創造であると信じている」を読んで、やっぱり不可解。

 この方はほんとうにこの通りに信じているのでしょうか?
 それとも、この程度の論理で有権者をだませる、と口当たりのいい言葉を羅列しているだけなのでしょうか?

  ユートピアとアルカディアを対比させ、アルカディア=桃源郷と見てこれにこだわるのも鳩山氏の価値観=日本会議の価値観の表れでしょうが、まったく理解できないのが、ベルトコンベアー式や乱数表でどんどん死刑執行することがアルカディア=桃源郷をつくるための政策なのでしょうかね?
 ついでに冤罪でもなんでもいいからどんどん摘発すれば、いっそう理想郷づくりに近づくとでも考えているのでしょうか?

 アルカディア=桃源郷を政治の目標に掲げているのも、「政治とは具体的状況における具体的分析である」と語る白川氏からすれば、噴飯もの、愚の骨頂、ということになるかもしれません。

「桃源郷」をこんな生臭いところに引っぱり出してくれた鳩山センセーに、陶淵明さんもあの世でびっくりしていることでしょう)。

 で、鳩山氏がHPで語っている「ユートピア」「アルカディア」「桃源郷」は、この文脈の中では完全に仲間内の言葉と化しています。ウェブ上で表明されていても一般に向けて語りかけているものではありません。

 日本会議で使われる言葉は周到に準備され、自らの主張に沿って定義づけられています。その上で、その定義にのっとって各種出版物等の情宣活動に引っぱり出されます。

「アルカディア」を知らなかった人もそこで初めて知るわけですが、日本会議風味に味付けされた「アルカディア」を「アルカディア」として理解するわけです。

 ですから鳩山法相のHPに示された「理念と政策」に出てきたさまざまな言葉や表現は“暗号”のようなもの、“符牒”でしょうか。
 そう考えると、一読したところわけの分からない鳩山法相のHPの内容が見えてきます。

 奇矯なこの方の言葉と発想は、日本会議派の考えとご本人のそれとが混ざり合ったものなのでしょう。
“王道楽土を建設する”的発想が、この純粋培養的おぼっちゃん育ちの方に流れ込んだ結果なのかな、と考えてみましたが、いかがでしょう?

 それにしても30年以上にわたる政治家人生の末に至ったものがこれとは、なんともお寒い日本の政治のありようです。

 
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*追記;

今気づきましたが、「那覇地検は29日、女子中学生に乱暴したとして逮捕された在沖縄米海兵隊員のタイロン・ルーサー・ハドナット2等軍曹(38)について、生徒が同日付で告訴を取り下げたとして不起訴処分とし、釈放した」と報じられています。

 なぜそんなことに? やりきれない話しです。


 アメリカでこうしたことが問題になった70年代、ヘミングウェイの孫娘が映画『リップスティック』で自分と妹のレイプ犯に復習する役を演じて、また、『奥さまは魔女』の女優エリザベス・モンゴメリーがレイプの犠牲者を演じたドラマは日本でも放映されて、ずいぶん評判になりました。


『リップスティック』もエリザベス・モンゴメリーのドラマも、両方ともレイプ犯は無罪にされてしまう、それが当時のアメリカの現実だ、という話でした。

 そんなアメリカの30年前とちっとも変わっていない、いや、起訴できないだけもっとひどい、と怒りに身を震わせながらも、14歳の少女と彼女を案ずる家族の心情を思うとますますやりきれなくなります。

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