なつかし〜い、22年前の『広告批評』です。
特集が、当時ときめいていた中曽根康弘首相。
いろいろな意味でコイズミ純一郎氏の先輩にあたる人で、日本を駄目にした総理大臣として、まず筆頭にあげられるかもしれません。
ロン-ヤス関係で米国との蜜月を演じたのもブッシュ-コイズミ関係の先輩格ですし、当時、日本は米国の浮沈空母になろう、とかなんとか発言して物議をかもしたのですが、22年経ち、ほんとうに、米国の楯か、はたまた浮沈空母か、ということになりそうです。
「浮沈総理の人気の秘密」と題した特集記事は、
1.中曽根サンは顔がカヤマしている。
で始まります。
加山雄三と中曽根康弘の顔に共通する特徴は、明るい楽天家、根拠もなく自信がある、人づきあいがいい、ということらしい。ちなみにミスターこと長島茂雄さんもこの部類らしい。
でも楽天的自信家のこの人相の裏では、「世界平和研究所」なるものを作って、えげつないことをしています。なんでもその研究所の2年間の研究成果が「全条文よりなる『世界平和研究所 憲法改正試案』」だそうです。
“世界の平和”を研究するところが平和に反する憲法試案/私案! コイズミ政権下でも本来の意味とはまったく反対の意味で言葉が使われていましたが、その先例がこの方だったのです。
なお、この「カヤマしている」人相の反対の代表例は伊吹ブンメー氏だと、個人的には思ってます。
2.中曽根サンは公告精神に富んでいる。

若い方でも、サミット記念写真の構図の話しは知っているのではないでしょうか。
はじめは隅っこの方にいても、撮影間際になるとスルスルと中央のレーガン横にいつの間にか立って何食わぬ顔をしています。
3.中曽根サンはフジテレビよりカルチャーっぽい。

フジテレビを引き合いに出したところがいいですが、今ではフジテレビに限らず、およそすべてのテレビがあてはまるかもしれません。NHKは時にドキュメントでいいものもやりますが。
で、そのカルチャーっぽい中曽根サンが作る俳句は、
寒鯉は沈みたるまま動かざる
女子学生 スカートまぶし浜の風
ぬか雨や 会議倦みたるシャンデリア
等々らしい。
うーん、フジテレビともその他のテレビとも、いい勝負。なるほど、芸術とはいわずに“カルチャーっぽい”というのがあたってますね。
恥ずかしげもなくこうした句を晒すところが、もっとすごいし、はずかしい。
それにしても安っぽい、感性のかの字も感じられない句ですね。
コイズミ純一郎氏のオペラ好きと同じくらいいかがわしい。。。
百人一首の「天津風……」で知られた僧正遍昭は、「乙女になんの用がある」と江戸時代の川柳でからかわれていますが、中曽根サンはさしずめ「ナカソネは女子学生になんの用がある」というところでしょう。
4.中曽根サンはかわゆいブリジジである。

波打ち際を素足で歩くこの写真を見て、女子高生が、ブリッコしていて「かわゆーい」といったそうです。
このあたりの女子高生の感覚がコイズミ人気を盛り立てていたのでしょうか。
5.中曽根サンは“脱・石炭時代”の政治家である。

↑ 鏡を覗くナカソネさん。政治タレントの面目躍如。
1986年6月21日、東京は品川での街頭演説で、ナカソネさんはこう言っていたそうです。
「野党は権力政治だとか、独裁者だとか言ってるが、サッチャーをごらんなさい。みんな自分でやっているじゃないですか。レーガンをごらんなさい。みんなやっている。現代文明は高度情報社会です。大衆文明の時代です。先手先手でやらないと政治は追いつかない。むかしのような永田町の政治をやっていたのでは間にあいっこない」
これを「中曽根サンのひとりよがりが随所にあるし、『大衆文明の時代』というのもよくわからない」と揶揄したうえで「最後の一句には石炭時代から脱しようとする中曽根サンの強い意志が、痛いように感じ取れるではないか」と、たっぷり皮肉味の香辛料がふりかけてありました。
なお、「大衆文明の時代」というわけ分からない文言と双璧をなすか、それ以上に分からない台詞も書きとどめられていたので記しておきます。
靖国神社参拝についての記者団からの質問に対する答えです。
「総理大臣としての中曽根でなく、総理大臣たる中曽根として参拝した」
う〜む、さすが、人生イロイロ、会社もイロイロとか、その他数々の迷言を吐いたコイズミ純一郎氏の先輩。
靖国奉じ隊ともいうべき稲田朋美議員は、尊敬する人として「西郷隆盛」と堂々とオフィシャル・サイトに明記しています。
靖国神社には“逆臣”西郷隆盛は祀られていないのに、いったいこの方は何を考えて、檄を飛ばし、百人斬り裁判とか『沖縄ノート』裁判とかを戦ってきたのか、まったくわけ分かりません。
この稲田氏と同じぐらい回路がショートしたような中曽根サンの言葉ですね。
6.中曽根サンはマスコミが作ったヒット商品である。
コイズミ純一郎、橋下徹、そのまんま東等々、後世マスコミが作り出したヒット商品のはしりというか、さきがけだったのですね。
死んだふり、新国家主義への暴走、えっ憲法改正もできるって? 世論眺め右翼的国家作り、危ない……等々、いろいろと警戒警報が発令された中曽根サンですが、それだからかえって、「じつはそれほどでもないんだけどね」という感じが生まれて、「まさか」という感じが強くなったそうです。
中には中曽根人気のヒミツはあのハゲにあり、と言った人(鴻上尚史)もあったのだとか。
で、「ハゲもあれだけからかわれると、みんなでかばってやりたいという気分になってくる」らしい。
う〜む、それならば、私も戦術変更しないといけないかしら?
政治家の“ヘア”と人気はどうも相関関係にあるらしい。それも世界各国共通の。
コイズミ純一郎氏のライオンヘアもありましたね。
ヘアもプロデュース次第で人気に大きく影響するのであれば、野党の方々も頑張って欲しい(ってどんなものでしょ?)
それにしても20年経って、このナカソネさんの毒が見事に日本という国の体中に回ってきたことはどうでしょう!
最後、
7.中曽根サンは“中流日本”の象徴である。

当時80年代半ば、「いつの時代にも欲求不満のカタマリである若者でさえ、総務庁の調べによると十人に八人が『今の生活に満足している』と答えている」とあります。アメリカ、イギリス、フランスでも若者の満足度は40%前後というのに対して際立つ満足度数値。
で、このナカソネさんという御仁、日の丸の小旗を沿道で振っている小さな子どもたちを見ると胸がジーンと熱くなって、「あの子たちをけっして戦場にやってはならない」と思うそうだ、とエピソードを披露しています。
知れば知るほど、このナカソネさんは演技派だと感じ入ります。
10人に9人は自分の生活が中流だと思った当時の日本国民から見ると、中曽根サンは、「自分たちの現状に見合った“中流の総理大臣”ということになるハズだ」と広告批評は断言。
今はどれくらいの人々が自らの生活を「中流」と考えているでしょうか。9割にはとても届かないのは確実でしょうが。
このナカソネに始まりコイズミがよく踏襲した演技派政治タレントぶりは、現在、東、橋下両知事に受け継がれたようです。
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まだ子育て真っ直中らしいRolling Beabさんの教育関連エントリーにはいつもはらはらしたり、怒髪天を衝くのような心境になったりして、いろいろ教えていただくのですが、仮にも子供たち の教育を主管する教育委員会で、こんな嫌がらせや暴力を受けるとは、と絶句です。
それにしても、 君が代を歌わせ、日の丸を掲げれば、期待される「愛国者」ができあがると国歌国旗を推進する方々が考えるとすれば、それはとてもおめでたい、とは言いませんが、実に誤解も甚だしいものだ、とひと言いいたいですね。
もちろん、愛国心教育を唱える方々は、単に歌わせて掲揚させることだけを念頭に置いているのではなく、もっと日常的な細々したことまでも口出ししようと手ぐすねを引いて待っているに違いありません。
オウム真理教の浅原教祖は、子ども時代、ロボット王国の王様になりたいようなことを文集に書いていたと記憶していますが、権力欲にあふれる人というのは、その他大勢をロボットのように自分の思うままに扱いたい、という妄想に駆られるようです。
学校教育の中で愛国心教育を浸透させようと日夜励んでおられる方たちも、子どもたちを、将来の大人を、未来の日本の国を背負って立つ人材を、愛国心に満ちた納税者/有権者に育て上げようと懸命なのだ、と一応理解しておきます。
思えば、100年から何十年か前の日本であまりにも成功体験を持ちすぎたために、こうした人たちは愛国心教育に邁進すれば愛国心に満ちた人間ができあがる、とストレートに結果と結びつけすぎるのではないでしょうか。
おまけに“愛国心”という言葉に名を借りた極めて利己的な思いで国歌国旗を推進させようとしていますし。つまり、勝手に“愛国”を名乗っていますが、その 実、自分たちの利益のために、自分たちの、もしくは先代の名誉を回復したいがために“国”を引っ張り出してきたに過ぎないのでしょうから。
おめでたい庶民は、“国”だ、“愛国”だ、といえば、適当にそれぞれが思い描く“国”として解釈してくれる、とほくそ笑んでいるのかもしれませんが。
海の中に国境が引かれた地理的存在の日本ではなく、一人ひとりの胸の中にある日本は、それぞれ異なるわけです。そんな人々の胸にある郷土としての国への思 いを、より高次にあるものとして見せかけた、“日の丸と君が代”を死守する日本を尊ぶ心にすりかえようと、あの手この手を繰り出す人たちがいるわけです。
なぜ、わざわざそんなことをするのか? と考えれば、かつて日本で「国体教育」が吹き荒れていたとき、どんな人たちが“儲けた”か、私腹を肥やし威張りちらして国民を操ったか、考えてみればわかること。
日の丸・君が代はリトマス紙や判別式のごとく、自分たちの命令一下で動く人間かどうか、見きわめるのにとても便利で有効な道具です。
おまけに日の丸・君が代は、非常に分かりやすい道具として、自分たちの利益と名誉のために国民を動かす力になることを、戦争の時代を通じて学習した人たちがいた、ということです。
でも、いつも不思議に思うことですが、そんな日の丸・君が代死守を狙う人たちは、子どもたちの心を自由に操り、思うように捨て駒となって体制を支えるような大人に育ってくれる、と本気で考えているのでしょうか。
チャパツにして亜麻色やブロンドに、あるいは白髪を黒髪に見せかける際、まずは薬液で髪の構造の内部の色を抜くようにゆとり教育で子どもたちをふるいにか け、実直に唯々諾々と為政者の言に従う人間を大量につくりだしたから、今度は愛国の色で染め上げれば、愛国者の群れのできあがりだ、と考えているのでしょ うか。
考えているとすれば、子どもを知らない人たちだ、と思わざるをえません。
いったい、愛国心教育を唱える人たちは、子どもを自らの手で育てたことがあるのでしょうか。
いえ、育てたことがなくても、星の王子さまのいうように、大人もみんなかつては子どもだったのですから、自分自身が子どもだったときのことを思い出せばいいのです。
子どもは親の思うとおりには育ちません。
有言・無言で強要しても、どこかで破綻が来ます。
その破綻がまだ世の中と折り合いがつけられる段階で明らかになれば幸いです。本人も周りも人生のワンステップとして受けとめ、次の段階へと向かうプラスのエネルギーも生まれてきます。
でも大人が追いつめて子どもの生きる力が奪われたとき、どんな事態になりうるか、数々の事件が明らかにしているように思います。
そしてこの二つの間には、無数の子どもたちがひしめいています。
みな、プログラムを入力されたロボットではありません。
命を持ち、従って生きようとする力を持った生身の人間です。
子どもは誰でも愛されたいと無意識のうちにも思い、周囲の大人に(だいたいは親に)愛を求めます。親もそれに応えようとします。さらに親は、子どもにさまざまな期待をかけ、子どももそれに応えたいと思います。
ところが何らかの原因で子どもと親の思いがすれ違いになって、この相互関係がうまく働かないことがあります。
そのひとつが、親の期待が大きすぎて、子どもが頑張っても頑張っても親の期待に応えられないと思ったときです。
いいかえれば、親の“いい子”を求める姿勢に子どもの心がついていけない時、いい子になろうと努力をしていた子どもは諦め、追いつめられれば、時には“悪い子”を気取り、時には心が壊れるたりする。そんなことがあるのではないでしょうか。
社会が豊かになって生活にもゆとりが出て、少人数の子どもを大切に育てようという気運が社会全体にみなぎってきたとき、大人たちはどうしてきたでしょう か。いきおい、子どもたちに自らの夢を託し、夢とまで大げさなものでなければ、自分のできなかったことを子どもたちに託してこなかったでしょうか。
人間の業、といってしまえばそれまでですが、どうもこの親のやる気に気圧された例が多いような気がします。いじりすぎて子どもがスポイルされたような。
これがすぎると、子どもの生きる力さえも奪われかねない、そんな例まで。
子どもは実に千差万別。いろんな顔と反応を見せます。
でも親の期待に応えられずに自尊感情が低下したり奪われたりしたとき、必死になってそれを取りもどそうとするのは同じ。けれどそれも失敗に終われば……。
(いわゆる“自虐史観”という言葉を使用して歴史の見方を非難する人たちの中には、自らの自尊感情が低下した状態を歴史に重ね合わせているだけでの人たちがいるのではないか、と常 々考えております。ですから、どなたかは知りませんが、そんな人たちが声高に叫ぶ歴史の修正を“自慰史観”と呼んだのは見事だと思います)。
さあて、話しを元に戻して愛国心教育のことを考えると、日の丸・君が代死守を目論む方々の思い通りには、なかなか子どもたちはならないぞ、ということなのです。
ましてや憂国・愛国の袈裟をまとっただけのご都合主義の方々の思い通りにはならないぞ、と。
しかしオウムのように、その他の宗教団体のように、某巨大宗教集団のように、信者をロボット化することは現実にありますね。
日の丸・君が代死守を奉じて自らの属する集団の利益を図ろうとするのは、もしかしたらそういうことかしら?
入学式・卒業式等各種イベントはそのためのイニシエーション。戦前の天皇・皇后のご真影の代わりに、日の丸を掲げて君が代を、口をこじ開けてでも歌わせる。
そんな宗教国家をつくろうとしているのかしら?
戦前の日本は国家神道を奉じたある種の宗教国家だったと考えますが、富の極端に偏在する社会でその状態を文句も言わずに受け入れさせるために、この宗教国家はまことに都合よく有効に働きました。
そんな状態を再現するために文部科学省は動いているのでしょうか。
だとしたら文科省は“反教育省”だといえますね。ちょうど外務省が“戦争(好き)省”ともいえるように。
文科省の目指すところは自立した教育ではなく人間のロボット化でしょうから。
しかしロボット化するにはその前に脱/奪人間化しなければなりませんね。そして脱/奪人間化した無色透明の僕/私は、時として暴走。
ううっ、ちょっとSFじみてきました。
悪い夢は見たくないなあ、と思いながら、そんなSFじみたモーソーで遊ぶと、想像されるのは愛国心を強要された子どもたちが、ベルトコンベアーの上を次々と送られていく図。
エリート競争に打ち克って、この国の政治・経済・社会をリードして楽しき日々を謳歌する人の群れと、黙々とその群れに付き従い、支える人々の群れ。
いやいや、そんなことあるわけない、と思わず首を横に振る。
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去年の市長選後、当然予想されたわけですが、○○○方式とかいわれる悪名高い福祉行政のみならず数々のハコモノ行政を20年続けた末吉市政の後遺症に、今、北九州市は苦しんでおります。
こんなことなら、まだあと1期、末吉氏に市政を担当させてしっかり後始末をさせとけば良かった? などという愚痴も出てきてしまいそうですが、たとえそうしたところで、多分、後始末をすることなどなかったでしょう。
だいたい5期勤めたこと自体かなり無理だったのは、ノンフィクション作家佐木隆三氏までも巻き込んで市民の会なるものを立ち上げさせた時点で、末吉氏本人も自覚をしていたでしょうが、最後まで市長職に恋々としていたと記憶しています。
60年代の若き日まで遡れば、「蜂の巣城」を築いた室原知幸氏の抵抗で膠着状態に陥っていた下筌ダム・松原ダム建設が、この末吉氏の結婚話をきっかけにして大きく動いたのは、年配者にとってはかなりよく知られた話しです。
つまり建設省松原・下筌ダム工事事務所用地課長として60年に赴任した末吉氏は、1966年宮崎県企業局総務課長出向まで、この蜂の巣城を中心にした地元民たちの抵抗をいかに排除するかという問題に常にさらされていたのです。
この時、“奇策”なのか、それとも恋愛の結果なのか、本人以外には知るよしもありませんが、氏が、ダム完成の暁には水没することになる村の、村長のお嬢さん(だったと思う)と結婚する、という選択をしたのは確かです。
そのあたりの経緯は松下竜一さんの『砦に拠る』に詳しいと思うのですが、今、その本を本棚に捜しても見つかりません。見つかりましたら確かめてみます。
そんなこんなで、氏は1987年には国土庁土地局長を最後に退官。
その年から昨年の2月まで5期20年を北九州市長として、さまざまなハコモノや空港とそのとりつけ道路、閑散としたコンテナターミナル、小倉北区の一画に集中する奇抜な橋、また橋、等々をいくつもいくつもつくってきました。
ふり返ってみると、花博とか博覧祭とかもありました。
花博はどうだったか覚えていませんが、博覧祭では億単位の赤字を計上。
そんなイベントを挙行するときは、なにもこれは北九州市とは限らないでしょうが、入場券を企業に買わせますよね。仕事は貰っていないのに、入場券ばかり次々に押しつけられる、と迷惑顔の企業人もいました。
高齢の公民館グループが1人3,000円の前売り券を購入していましたが、博覧祭は不人気・低調の極み。
結局入場料のダンピングやら企業が購入した入場券をばらまいたりして何とか目標入場者数を確保するありさま。
いったい、何の目的で博覧祭とやらを強行したのでしょう。
市の大型施設のカラーリングについては、市長は色弱なので自分が任されている、と公言する民間人(女性)が、がっしり市政に食い込んでいたこともありました。まあ、そんな人はどこにでもいるのかもしれませんが。
大型プロジェクトは次々に破綻。
しかもそこに毎年毎年、億単位で税金を投入。
これでは借金が膨らむはず。
あああ、麻生太郎氏が絶賛する末吉市政の実際なんて、チラッと見ただけでもそんなものです。
(アソウ氏に見る目がないのか、それとも意図的に絶賛情報を流しているのか。そんな人物が次期総理の最右翼候補なんて! 冗談でも考えたくない)
27日の毎日には、副都心の再開発ビル「コムシティ」関連で30億円回収不能になることが報じられています。
また、何かと騒々しい年金がらみで2010年9月までに売却することになっていた九州厚生年金会館を、「存続を求める市民の声に応じた」ということで、北九州市が購入することに決まったのが今年の2月です。
これを報じる夕方のTVニュースは、この“購入を求める市民の声”に西川京子衆議院議員(小泉チルドレン)、桝添厚労相の2人の口添えもあったことを伝えていましたっけ。西川氏は民主党市長の市政には協力しないと言っている、という評判ですが。。。
でも累積債務が兆を超す市が、またそんなことに出費して、いったいどうするのでしょうか。
その他、生活保護の予算を30億円増額することについて、批判の声をよく聞きます。いわく、893がもらってるのに、と。
でも、確かに893の受給は問題ですが、本当に必要な人に行き渡らないのは問題。
日本を代表する大手企業でも、その下請け、孫請け企業の従業員の低賃金を耳にすると、しばし言葉を失うことがあります。まして病気、その他で職を失い、頼るところが生活保護だけだったら……。
保護が受けられる、受けられないの線引きには、ただ抑制するだけではない、もっときめ細かな対応によるさらなる工夫が必要なのでしょうね。
さてさて、こんな北九州市、いったいどうなってしまうのでしょうか。
20年間分2億円の退職金を手にして、立つ鳥おもいっきり跡を濁していきました。
引退が分かっていた2006年の12月、5期目の退職金を80万4000円減額する条令改正案を議会に提出しましたが、そんなもの、すずめの涙か蚊の涙でしょう。
立つ鳥跡を濁さず、という言葉は、新銀行東京を抱えた東京都のイシハラ氏にも捧げたいですね。
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新銀行東京400億追加出資についての公明党の態度のこと。
二つとも、はじめから結論ありきだったのは、見え見えでした。
ただ、ちょっとだけ、いちおう、検討するポーズに見せただけ。
「未来に責任を持つ」とか「平和と福祉の党」とか、もういい加減にこんな看板は撤回して欲しい、とつくづく思います。
2003年12月、公明党の神崎代表が、「治安は比較的安定している」と述べた自衛隊派遣予定地のサモワ視察を派兵賛成の根拠にしたのは、記憶にまだ新しいところ。
“平和”を掲げた党是の手前、ちょっと工作-演技をしなければならなかった……
最初からサマワの治安は安定していることに決まっていたわけですから、それをいかに視察の結果に見せかけて自衛隊派遣の口実にするか悩ましいところだったのでは?
テレビに映し出された、緊張した面持ちの神崎氏の表情にはそんな事情がうかがわれました。緊張というよりも、むしろ不愉快そうに口を結んでいたともいえますが。
あれをそのまま信じた人はどれだけいるのでしょうか。
公称何百万人といった学会員も、全部が全部熱心な信者さんということではありませんからね。コアな学会員に折伏されて仕方なしに入信した、という人もけっこういます。
それでも一応“視察をした”ということを大義名分にして、やっと、公明党はイラク派兵への同意を公にできたのでした。
今回の新銀行東京への追加出資についても、洞ヶ峠どころか、やはり最初から同意することを決めていた節のある公明党は、
・追加出資は今回限りとする
・四百億円を棄損させることのないよう適切な監視に努める
・経営監視のための組織を新設する
等々のことを都に求める内容の付帯決議案を付けたことを口実にして、やっと賛意を公にできたわけです。
笑っちゃいます。でも、笑えません。
なぜわざわざ検討のポーズをとってまで追加出資に同意せざるを得なかったのでしょう?
どうも都議会の自公議員たちが利権を貪るのに、この銀行は格好の存在だったようです。
当時、自民党と公明党のそれぞれのドンは、自らの選挙区にある、債務返済不可能な不良企業のいくつかを、副知事とともに「融資リスト」に押し込んだ。 2005年当時の筆者の取材ノートに、その一部リストが残っている。こうした「口利き」が横行したため、新銀行東京は、その設立当初から経営難を噂される ことになったのだ。
あああ、中央でも地方でも、国民、住民の財産は政治家に食いつぶされる?
公明党も、政権与党でいるメリットで、骨の髄までしゃぶり尽くす?
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なんでも、アンデルセンでお馴染みのデンマークという国は、国政選挙の投票率が毎回90%前後あるのだそうです。
その上、2006年の英国の研究者が178カ国の国民の幸福度を調査して、デンマークは世界第1位にランクされたとか。
この調査の対象となったものは、178カ国の基礎データと、約8万人に聞き取り調査した国際機関の発表済みの100以上の報告書の分析。
(1)良好な健康管理 (2)高い国内総生産(GDP) (3)教育を受ける機会 (4)景観の芸術的美しさ (5)国民の強い同一性といった条件が整った国の国民は「幸せ」と回答する傾向が強いらしい。
2位はスイスで3位がオーストリア、米国は23位。 アジア各国は、比較的順位が低く、日本は90位、中国82位、インド125位。
日本と同じ幸福度指数の国が、ガボン、ガーナ、イエメン。
ベネズエラ、コロンビア、ホンジュラス、パナマ、グアテマラ、チリ、ブラジル、ニカラグア、ウルグアイ等の南米の国々の方が日本よりも幸福度が高く、コスタリカはなんと13位。
それを地図にしたものがこちら。 色が薄くなるに連れて幸福度が低くなります。
まあ、2006年調査のものですから現在はちょっと異なるかもしれませんが、まさか私たちの国がここまで低いとは、調査にあたった研究者自身が予想外だったようです。
(1)良好な健康管理 (2)高い国内総生産(GDP) (3)教育を受ける機会 (4)景観の芸術的美しさ (5)国民の強い同一性
といった調査対象を考えると、まあ、(4)景観の芸術的美しさについては確かに疑問符ですが、他の項目はむしろ高いのではないかと思えて、なぜ90位という低い結果がでたのか、ますます分からなくなります。
ただ、その後の(1)良好な健康管理(2)高い国内総生産(GDP)(3)教育を受ける機会等の項目については、このところ問題になっている“医療崩 壊”、世界第18位と大きく後退した1人あたりのGDP、義務教育の子供を抱える家庭の生活保護率の高さ等々を考えると、同じ調査を再度すると、もっと下 がる可能性があります。
また基礎データは別にして、聞き取り調査であまり肯定的な評価がなされていないのかもしれない、とも考えました。
自分はあまり幸せではない、と考える日本人が多い。つまり現実の生活にあまり満足していない人が多い、ということかもしれません。
おもしろかったのは、90%前後と国政選挙の投票率が高いデンマークが、同時に幸福度が高かったこと。
やらせでやたら投票率ばかりが高い国もありますから、投票率が高ければ国民の幸福度は高いとか、投票率と幸福度は比例する、などとは思いません。ですが、選挙への関心の高さと幸福度は、それぞれの国に暮らす人々の営みの表れですから、全然関係ないとは言えません。
むしろ私たちは幸せになるためにも、もっと投票に行こう、政治に目を向けようよ、税金の使い方に関心を払おうよ、と呼びかけたい気持。
そういえばこの国には、投票日には無党派層は寝ていてくれ、なんて本音をばらした“大物”政治家がいましたね。
政治は俺たち政治屋のために俺たちがするものだ、と考えているのでしょう。
生活を見つめることは政治を考えることでもある、という感覚を育てたいし伝えたい。
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まあ、こうとでも言わないことにはなすすべのないほど石原都知事が税金を湯水の如く使って無茶な豪遊をしていたのは事実だったともいえますが、石原援護人脈の怪しさとえげつなさ、卑しさをイヤというほど見せつけられた、と脳裏に刻み込まれたものです。
これと同じかそれ以上に、怪しさ、えげつなさ、卑しさを思わせたのが、24日の毎日紙上での竹中平蔵の発言。(地方は)「歳出削減に もっと努力せよ」です。
なぜでしょう?
だいたいこの方、政治家として風上にも置けない人間であることは、例の住民税未払いやスリード社の問題によく表れています。
改革をいうものは、先ず自らの身を潔白に保って既得権益に切り込むべきでしょう。
でも自らを安全圏に置いて自己の利益を図ることに長けたこの方は、「改革」政策をリードしていったものとしての矜持にあまりにも欠けていました。
この意味で、人間的に信用できない、というのもひとつ。
以前のエントリーで北九州市の無駄遣いの実例をちょっと取り上げましたが、これはきっと元建設官僚末吉市長(当時)が分捕ってきた補助金の結果。
この“ひもつき”補助金を取れる取れないで自治体の長の優劣を競うのは止めて欲しいというのは、つねづね考えてきたことで、“地方分権”という概念には私も賛成ですが、私が思い描く“地方分権”と竹中氏らの“地方分権”とは、どうも中味が違うのではないか、という気がします。
それに、またしても「競争」。「地方分権というのは、自由を持つとともに責任を担って競争する制度だ」と語っています。
なんだか、競争すればすべてが良くなるような感覚と考えを、この竹中氏はお持ちのようです。
なるほど、厳しい競争を勝ち抜いて出世の階梯を駆け上ってきた氏ですから、競争に負けたりドロップアウトしたりするのは自業自得とか自己責任、ということになるのでしょうね。
でも政治の見地からちょっと離れて考えてみると、氏のこうした感覚はずいぶんと傲慢なものだとすぐ分かります。
人間はこの世に生を受け大人になっていくのも自分ひとりの力によるものではありませんし、成長後の人生でも他者と支え合うことの大切さは誰しもが経験することです……自覚のあるなしにかかわらずです。
私たちはいつも他者に助けられながら、いいかえれば他人に迷惑をかけながら生きている、という側面に気づき、それでも何とか自分の足で立ち、自分の力で未来を切り開いていこうとする、そんなぎりぎりのところで生きています。そんな生き様から、その人の格のようなものが決まるような気がします。
私の知っているひとりの女性。離婚後、経済的にはけっして豊かではありませんでしたが、懸命に働きながらふたりの子どもを育て上げました。
実家に援助してもらおうとすればできたけれど、それはイヤだった。子どもを持ったひとりの人間として、親としての矜持がそれを許さなかった、というのは本人の言です。
竹中氏から見れば、おそらく取るに足らないような、無名の女性、ひとりの庶民です。が、この心持ちは、税を回避するための米国への住民票移動、スリード社との怪しげな取引等々に手を染めた氏のそれよりも、ずっと高尚なものではないでしょうか。
氏の社会的地位も報酬も財産も、この女性とは比べものにならないほど高く、多いでしょう。
競争の勝者としてそれくらい当たり前、と考えているからこそ、競争至上主義的発言がよく口から吐き出されるのでしょうね。
とはいっても、氏の出世のきっかけとなった論文の盗用問題にも表れていますが、水が低きに流れるように、人もとかく安易に流れやすい。ましてや氏の主張する競争を唯一の発展原理としたような社会でいったいどんなことが起こるか、想像するとそら恐ろしいものがあります。
生意気盛りの中高校生が唱える弱肉強食論とこの方の競争論とが、いったいどれほどの違いがあるでしょう? ありはしません。
他人を出し抜いてでも競争に勝とうとする意志を貫いて現在の地位を獲得した人のお守りが、唯一「競争神」もしくは「競争心」なのかもしれないけれど。
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記事は明日から書くことにして、とりあえず今日はその写真をアップ。
お馴染みの鳳凰堂 
← 南東側から見た鳳凰堂
←天女の絵柄の入った鐘
← 鳳凰堂裏不動堂欄間 どうみてもスズランの絵柄に見えますが。。。
← 鳳凰堂北側の橋(ちなみに鳳凰堂の正面は東を向いています)。
← 鳳凰、神々しいような美しさです。
← 本尊の阿弥陀(あみだ)如来
←使者を迎える菩薩群

←鳳凰堂の裏人気blogランキングへ
北九州市がそのうち財政再建団体になる、というのです。
北海道の夕張市や同じ福岡県の赤池町みたいに、赤字団体に転落する。
東芝工場の誘致に失敗したので、破綻は避けられない。
末吉市長だったら誘致合戦にも勝っていただろうに、というオチがつきます。
そんな話しがまことしやかに囁かれているわけです。
年がら年中道路を掘り返しては舗装し直している町だから、これからは市の職員に工事をしてもらえばいいんじゃないの!? と応えたものの、こんな流言飛語を仕掛けたのは誰なのだ、気分が悪い。
ハコモノ行政、土建屋政治で赤字をつくったのは、紛れもなく末吉さんでしょう!
市役所近くを流れる紫川には、実に多くの橋が架かっていますが、中でも度肝を抜くのが「太陽の橋」。オレンジ〜黄色のタイルで描いたひまわりの絵に加えて「マカロニのお化け」とか「パスタ人間」とか悪評ふんぷんのオブジェがいくつも置かれています。
(↓ 太陽の橋)


これ一体500万也。上の写真から数えると、7体ほどあるでしょうか。何だか末吉市政を象徴しているような……。
この太陽の橋からほど近い、市役所前の地下に広がる駐車場は、1台分の工事費はたしか2,500万。
車1台を停めるスペースをつくるのに2,500万です。
*追記:この1台あたりの工費について、いっしょに聞いた友人は1,500万ではなかったか、といいます。
1,500万、2,500万、どちらでしょうか。今となっては私には確かめる術がありませんが、間違っているとすれば記憶違いではなく聞き間違いです。いずれにしても、巨額であることは変わりありません。
当時、問題の駐車場に車を入れるたびに、私の頭の中では2,500万という数字がぐるぐる周って、無料駐車券を貰うのは気が引ける、とその都度何百円か払っていたものです。
その他AIMアジア・太平洋インポートマート、コムシティ、響きコンテナーターミナル、ドーム式競輪場、博覧祭……まだまだあります。うーん、尽きることのない無駄遣い。
あれよあれよ、と市民が呆れる暇もないくらい、次から次へと施設が建てられていき、破綻したものも少なくありません。
5期20年を勤めてさらに4年の延長を願い、結局説得されて去年の市長選に立たないことを決断したものの、その後アソー太郎氏に呼ばれて外務省参与。
う〜む、政治の場、行政の場は、よほど魅力があるらしい。
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ここでもたまには他愛のないおしゃべりを。手抜きのようで申し訳ありません。m(_ _)m
FC2のブログで編集してアップロードすると、その後、最近はすごい美女が画面に現れます。
聡明そうな凛々しい顔立ちの上にとろけそうな輝きを放つこの美女、胸がやたらと大きいのですが、身体の他の部分はとても男っぽくて、女性としてはかなりとまどいを覚え気恥ずかしくなるくらいです。男性が描く女性の典型ですね。
そういえばルーブルでミロのビーナスやアテネ神の像の実物を観たとき、整った美しい顔がハンサムな青年に思えて驚きました。それまで教科書や本に載っている写真では気づかなかったのですが。

↑ ギリシア神話の知恵と戦いの女神アテネ。ほら、やっぱり青年でしょう? この彫刻のモデルはきっと男性。
ちなみにネックレスのように胸に飾られているのはメドゥーサ。
ルーブルといえば、とても美しい若い女性と出会いました。ほっそりと小柄な体つきで黒髪を後ろで束ねていましたが、ギリシア彫刻のような顔立ち。アテネ神そっくりのギリシア風の鼻をしていて、この彫像よりも美しかった。
友人と夫と私の3人は、ミロのビーナスよりもナマのビーナス、と言って彼女を捜してしばしの間ルーブル内を歩き回るつもりでしたが、思いがけないほど早く再度の出会い。
もちろん、同じ女同士の気安さで、いっしょに写させてください、と頼んで1つの写真に治まったのは、ミーハーとむ丸の面目躍如でした。で、アドレス交換をしなかったことが、今もって惜しい。
かわりに、といってはなんですが、ボルドーからレンヌまでの列車の中で、休みで帰省する可愛らしい女子医大生と仲良しになり、彼女の降りぎわにスカーフをもらったのがいい思い出になりました。
で、話しを元に戻せば、子どもの頃、初めて『イリアス』を読んでアテネ神が英雄アキレスを助ける場面を見るたびに、戦いの神がなぜ女性なのか不思議でした。
アリストパネスの『女の平和』に出てくるスパルタ夫人は、「健康そのものの美しい肌、身体じゅうの筋肉がぷりぷりして」「牡牛だって絞め殺せそう」な女性。
彼女がするという「尻蹴り跳び」をいつか試してみましたが、難しい。
なお、この「尻蹴り跳び」とは、跳び上がると同時に自分のおしりを足で蹴る、というものです。みなさんはいかがですか? できますか?
FC2のアップロード後に登場するような、胸のすこぶる豊かな女性の画像を見ると、私は大地母神を想像します。
豊穣のしるしのそんな体も、実際にはなかなか大変なようです。
着るものがないのよ、それにじゃま、と現代の大地母神たちは訴えます。
そう、ファッションを楽しもうと思えば、スリムに越したことはない……かもしれません。
60年代末か70年代初め、当時の人気一流モデルがカメラマンの口車に乗ったかどうかは忘れましたが、ガリガリの裸身を雑誌で晒して、いいの悪いのと喧々囂々、かなりの反響を呼んだことがありました。
で、その時、紛れもなく自分のいとおしい体です、というその人の言葉が印象に残りました。
とてもいい言葉ですね。
素直に、いとおしい自分を大切にしたい、と思います。
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(このバナーのリンク先が前回エントリーから間違っていたようです。慌てて直しました。
何度直しても駄目です。どうなっているのでしょう? とりあえず、元の文字だけのものに変えます)。
まず「民」の象形文字をパネルで示しながら、それが中国古代王朝殷の時代、支配者が被支配者をコントロールするために、その被支配者、つまり支配される側の目を潰したものであることを説明。


政府のやっていることは、(これと同様に)国民に何も考えさせないようにする、税を複雑にして考えるのを諦めさせるようなことばかりだ。その代表例が、年金の問題、薬害肝炎の問題、
イージス艦の問題、さらには道路を含む特別会計の問題等々。
政府は国民にものを見せない、選択肢を与えない、そして情報を与えない。
尾立さんは、税はまず一般財源ありきである、どうしようもないときだけ、特定財源、目的税があるべきだ、と述べながら租税特別措置に言及。
この租税特別措置は 、額賀財務相によると国税で295項目、今年度待つまで適用期限到来は48項目。
増田総務相によると、地方税で209件。
農林水産省関係だけで39件、その中の1つに、昭和42年から42年間にわたって肉用牛1等100万円未満で売却しても税金はただ、(つまり)所得税を免税にするものがある。
役割を終えたものは即刻廃止すべきだ。
(フクダ首相:その時に応じて廃止と創設は不断にやっていかなければいけない、という答弁)
確かに整理されてはいるが古いものを潰したら新しいものができる。スクラップ・アンド・ビルドになっている。
この牛の例も九州地方の有力政治家の発案で始まって、農水省畜産局畜産部食肉鶏卵課の提案であるが、その他、各課に1つずつある。
業界と官僚と政治家の癒着の原因になっている。
これは裏補助金、隠れ補助金、不透明な制度だと思う。
もっと税について、簡素にして欲しい。
私たちは税に関して透明化法案を出そうとしている。
(額賀財務相:一種の減税であるこの措置の実績の額は把握しているわけではない、という答弁)
補助金の場合は厳しいが、この租税特別措置の減税はいい加減な審査で成りたち、実績も把握していないで効果もほとんど見きわめられていない。
地方整備局と天下り法人のそれぞれの無駄遣いを示しているのがオレンジ地部分。
地方整備局の無駄遣いが、アロマ、ミュージカル、タクシー代等々。
天下り法人の無駄遣いが、旅行、いい加減な調査報告書、パチンコビルに巨額融資、誰も使わない道の相談室
で、無駄遣いばかりか、上納システムについても指摘。
これについてはもう少し詳しい説明が欲しかったです。
国から地方に補助金を出しつつ道路整備をしているが、(そこで)いったん地方に配ったお金を上納させている。召し上げている。
こういうことをして国が地方に強大な権力を行使している。
まさに官僚、国が地方を支配する道具として使っている。
こうした仕組みが官僚と国にとって至って都合が良いのですが、まちがいなく私たち国民が疲弊する原因の1つではないか、という思いがぬぐえません。
中期計画は10年間で59兆円。
今後10年間で同じ仕組みを維持したい(と官僚・国は考えている)。
自動車だけに8種類も9種類も税金を課している。こんな例は他にない。
非常に特別な税で、また特別な使い方をしている。
地方整備局は5年間で23億円のタクシー代を使っていた。
( 単位、千円)
| | H14 | H15 | H16 | H17 | H18 |
| 道路特別会計 | 543,475 | 476,396 | 506,486 | 441,929 | 410,371 |
| 一般会計 | 61,168 | 64,690 | 58,997 | 57,394 | 56,719 |











