日本が米兵の犯罪を裁けない理由 裁判権放棄の密約
アベ晋三氏の敬愛する祖父、岸信介がまた歴史に登場か、と思わずうなったニュース。
「米兵裁判権大半を放棄 米側公文書 53年に日米政府が密約」(5月18日 東京新聞)
日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、日米両国政府が一九五三年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意し、日本側がその後約五年間に起きた事件の97%の第一次裁判権を放棄していたことが、機密解除された複数の米側公文書で分かった。
日本の裁判が実施されても、米側は「刑罰が軽くなっている」と受け取っていたことも判明。後になって米側は密約の内容を公にするよう求めたが、当時の岸信介首相は「外部に漏れたら恥ずべき事態になる」と国内での反発を恐れ、応じなかったとされる。
(* この部分、みなさん誤解しやすいので念のため。
1953年の合意時は鳩山一郎首相。安保改定の際に公にするのを拒んだのが岸信介首相で、58年のことです:とむ丸)。
米兵らの犯罪については公務外などの場合、日米地位協定に基づき一次裁判権は日本側とされ、日本政府は現在も「裁判権の放棄はない」としているが、沖縄 県などで相次いでいる事件は不起訴となるなどして日本の公判廷で裁かれないケースも多く、事実上の裁判権放棄が慣例化している。
……
1953年、密約に合意した当時の首相は鳩山一郎。
そして58年、日米安全保障条約改定に応じるに際し、米国側は秘密合意を公にするよう提案したが、当時の首相岸信介は「応じなかった」、と東京新聞にあるわけです。
が、よく分からないなあ、というのは、「『五三年の秘密議事録を明らかにせずに慣行として日本は裁判権を放棄してきたし将来も同様だと表明してほしい』という米国の要請に『首相は応じなかった』」という記事中の一文。
要するに岸信介首相(当時)が、これからも裁判権を放棄しますという表明をしなかった、ということは、裁判権を放棄しませんと表明をしたのではなく、裁判 権を放棄します、と公にしなかったことなのだろう、と他の文とのつじつまを合わせて理解したのですが、それにしても誤解を招きかねない悪文ですね。(私も 気をつけよう)。
まあ、戦後CIAに情報を売ることで“現ナマ”cold cashをわしづかみにした岸氏のことですから、米国にたてついて「裁判権を放棄しません」とはいえないでしょうね。
で、話しを元に戻すと、1962年12月1日〜63年11月30日、沖縄を除く在日米陸海空軍の合計では、
日本の裁判に付されるべき犯罪3433件のうち、日本側が裁判権を保持し手放さなかったのは350件(全体の10.2%)
米軍が日本に対し裁判権を譲るよう請求した事件2627件のうち、日本から放棄を勝ち得たのは2428件(全体の93.2%)
という数字が出ていますね(しんぶん赤旗5月18日付)。
(1年間で、しかも当時まだ占領中の沖縄を除いてこれだけの米軍人の犯罪があったことにあらためてびっくり)。
なるほど、昨年10月、岩国基地所属の海兵隊員4人が女性をレイプした事件について広島地方検察庁が11月15日に不起訴を決定したのにはこんな事情があったのか、と驚きました。
明治の先人が苦労した治外法権の撤廃ですが、それでも安政年間に不平等条約が結ばれてから40年を待たずに成功していますね。
敗戦・占領から数えて63年、日米地位協定締結から56年。相も変わらぬ不平等条約。
おまけに2月の沖縄女子中学生の場合のように、その不平等を認めるばかりか煽るメディア、国会議員までいろいろ出てくる始末でしたね。
これについては、拙ブログでは
「被害者への誹謗・中傷は何を守るため?」
「沖縄が怒るのは当たり前のこと」
Like a rolling beansさんのところでは、
「沖縄県民大会の前日に国旗国歌推進県民会議が産経・世界日報に折り込んだ非道なチラシ」
等でとりあげています。
米国と米軍基地を是認したいあまりに、自国の犠牲になった人たちを守らない。守らないどころか反対に断罪しさえする。
いったい安全保障とは何の意だ? 自国民を守らずに国を護るとは何のことだ!? と怒りがこみ上げてきます。
さて、南米エクアドルでは2006年にアメリカの押す大富豪のノボアを、ラファエル・コレア現大統領が大差で破り、当選しました。
コレア大統領は圧倒的な民衆の支持を受けて、世界銀行からの債務帳消し政策を推し進め、二万四千ヘクタールの広大な土地に広がる米軍基地の貸与協定が来年2009年に切れるのに際しても更新はしないことを明言しています。
その後エクアドル憲法制定議会は今年3月20日、自国における外国軍事基地の設置を認めないとしたため、来年には1999年以来使われてきたマンタ基地を米軍が使い続けることは不可能になります。
まあ、それで米国側は、エクアドル、マンタ基地の機能をとなりのコロンビアに移すことを検討中のようですが(4月13日しんぶん赤旗)。
エクアドルで、雇用が促進され、外国からの投資や観光産業を惹きつけ、新しい都市構造がつくり出される、ということをうたい文句にして米軍との貸与協定が調印されたのが1999年のこと。
が、米軍の駐留は何をもたらしたかというと、必要品は国外から持ち込まれる一方で、性産業に携わる人やナイトクラブの数が増え、マンタ港の軍事化によって地元の漁師は漁ができなくなっただけなのだそうです。
2001〜05年6月まで、少なくとも8隻のエクアドル船が沈められたり破壊されたりしたが、米当局関係者は免責されるため何の処罰もなかった、といわれています。
来年には、マンタから米軍は撤退。この決定をしたエクアドル国民と指導者に敬意を表したい気分です。
下のYou tubeでは、マンタの漁民の頭上すれすれに、キィーンと轟音を発して飛ぶ米軍機の映像が見られます。
また、麻薬撲滅を口実にしてコロンビアとの国境に広がるジャングルが枯れ葉剤の空中散布を受けて荒れはてているありさまも。麻薬撲滅ではなくゲリラ壊滅が目的だろう、と疑われています。
ちょうどベトナム戦争の最中に、いわゆるベトコン壊滅のためにジャングルに枯れ葉剤が散布されたように。
人気blogランキングへ ← 貼り付け忘れていました。ご協力をお願いいたします。m(_ _)m
* 追記:枯れ葉剤といえば、昨年の7月9日、「沖縄タイムズ」で60年代、米軍が北部訓練場一帯で枯れ葉剤を散布したことが明らかになったと報じられました。ベトナム向けの実験ではないかと疑われていますが、
そもそも人を殺すことが目的の軍隊に、命を大切にしろ、ということ自体無理な話か、となんとも空しくなりますね。
【国頭・東】緑豊かな県民の水がめの周辺に、猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤がまかれていた。「ショック」「住民の健康と環境の調査を」。地元の国頭、 東両村の村長らは報道に衝撃を隠せない。米軍北部訓練場は一部返還が決まっており、跡利用への影響も懸念した。エコツーリズムの舞台として活用する住民 は、不安の払拭を求めた。
沖縄県環境審議会会長の桜井国俊沖縄大学長(環境学)の話 北部訓練場は沖縄県民の水がめでダムがつくられ続けており、その地帯で枯れ葉剤がまかれたと いうことは重要な問題でたいへん気になる。枯れ葉剤に含まれるダイオキシンは環境の中では消えないからだ。米軍基地内で行われることは分かりにくく、枯れ 葉剤の散布は県も知らされていないだろうし、われわれも知らなかった。
| HOME |



