やっぱり高齢者にはサポートが必要です

以前からことあるときには世話をしている夫の叔父夫婦ですが、昨年末から入院している叔母に加えて叔父までも入院・手術の羽目になり、なんだかんだと、このところ週の半分はその2人の世話に明け暮れています。

 住まいは車で40分ほどの所にありますが、2人の入院先は別々です。来月にはふたりとも退院予定ですが、さて、どこまでヘルパーさんの助けを借りながら自立して生活していけるか、まだ見当もつきません。
 叔母はリウマチで20年近く寝たり起きたりの生活でしたが、そんな不自由な身体を押して、これまでもよく自分たちだけで暮らしてきたものだと感心します。

 84歳の叔父ですが、ネットで囲碁と株取引をするのが日課になっていて、パソコンを始めたのが7年前の、それこそ後期高齢者グループで括られるようになってからです。
 まあ、叔父自身は一本指でキーボードをちょこっと扱い、あとはクリックで、何かあったときには夜中でも私がかけつけますからやっていられるわけです。

 先日も憧れの光ファイバーをやっと自宅に引けて大満足の叔父でしたが、IP電話の工事も含めて私の立ち会いが必要でしたし、工事後の設定はもちろん私任せです。

 それに夫婦の病院通いは今でも叔父の運転する車を使ってきました。
 この春の高齢者講習も無事クリアしてしまったのが良かったのか悪かったのか……私たちは90%悪かったと思っているのですが、本人はまだまだ免許証を手離したがりません。。。

 そんな元気な叔父でも、さすがに最近は衰えが目立ちます。
 いろいろな手続も面倒くさがるようになりました。不自由な身体で病院のベッドで横になりながらも頭ははっきりしている叔母は、やっぱり歳よ、といいます。

 今日、それぞれの入院先へ見舞いに行きながら自宅の方に立ち寄ると、玄関のドアの下から水がごんごん出てきて道まで水浸し。慌てて家にはいると、洗面所の給水菅から水がどんどん流れ出ています。元栓を閉めてあらためて洗面所へ見に行きますと、全自動洗濯機に引いた水道管のジョイント部分が外れてます……どうやら叔父の素人工事の結果のようでした。

 とにかくこうして年寄りが入院していると、思いもしなかったようなことにいろいろ出くわします。

 数日前は、叔母のコルセットを作り直して貰う交渉には夫が出向かなければなりませんでしたし、光ファイバーを引く前に契約をしていたプロバイダに機器を返却したり、さらにそのプロバイダの前のプロバイダへ退会連絡をしたりするのも、私の役目でした。

 そう、叔父は、もう1年半、用もない、というか用も終わったプロバイダに退会連絡もせず、ずっと銀行引き落としで接続もしていないのに接続料を払っていたのでした。あれだけ私が退会手続きをとりなさい、と言っていたのに、と言っても始まらない、そんな状態です。
 
 笑い話のようなこともいろいろとあります。

 で、つくづく思うこと。

 年寄りにはやっぱりサポートが要る、ということです。

 これは若い人には想像もできないくらい、日常生活の些細なことから、さらには相手のいる社会的なことまで、実にさまざまです。

 もちろん人の能力は次第次第に衰えていくものなのでしょうが、その人自身にとっては、自分は自分でも、まさに“未知の世界”といえるような領域に日々足を踏み入れていくわけですから、判断力も実行力もどこまであるのか、本人にも分かりません。

 傍で見ているものも、それなりの問題場面に遭遇して、やっと気づきます。そして慌てたり、納得したり。
 納得したといっても、それは相手の衰えを理解したということだけで、問題に対処しなければならない、と気がつくに過ぎません。

 ときどき年配者の孤独死のニュースを聞きますが、おそらく“死する”以前に、いろんなことで困ったこと、自分だけでは対処できないことがたくさん起こっていたのではないでしょうか。

 なんでそんなことができないの? と若い人は思うかもしれませんが、歳をとると、やっぱりできないことが年々増えてくるです。

 そんな状況になるのが何歳なのか個人差は大きいでしょうが、確実に巡ってくるに違いありません。

 年金制度の不安定さは大きな不安要因ですが、実際の年寄りの生活を見ていると、お金だけで解決できないことがたくさんあります。もちろん、お金で解決することも多いのですが。

 こうしたサポートを社会全体で担っていくのにはどうすればいいのか、真剣に考えていかなければならない時代なのだ、と思ってます。


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