頭の中で考え出された自由競争市場は、実際の社会ではギャンブルの場になってしまった

経済についてはとんと縁がなく、オンチと思っている私でも、ここ数年漠然と感じてきたことが確信に近いものになってきたことは、自由競争市場というのは理念として人の頭の中で考え出されることがあったにしても、現実の社会ではあり得ないのではないか、ということ。

 竹中平蔵氏の言ってることなどを読んでいると、“素人様お断り、分からないのは頭が悪いのです”のごとく、聞き慣れぬカタカナ語や論理が展開されていて、チチンプイプイかビブデバビデブのようなお呪いに思えてきて、すぐさじを投げ出してしまいます。

 でも、変だな、おかしいな? と見つめていると、最初の最初、そもそも自由競争市場の存在という前提が間違っているのではないか、と感じてきました。

 神の見えざる手が働いてうまくいき、すべて世はこともなしの結果を得るためには、市場で動き回る人たちが道義心に溢れ、自分の利益の追求はさしおいても公共の福祉に心砕く人たちだ、ということが前提条件になるのではないだろうか。

 つまり、神の見えざる手が働くためには、市場に関わる人々そのものが神になる必要があるのではないだろうか。
       


 と、近頃よく思います。

 で、市場に関わる人々がひとりでも、ましてやことごとく神になるなどという非現実的なことはありえないわけですから、純粋に自由な競争というのは単に人の頭の中にあるだけなのでしょう。

「自由競争」という言葉に限りなく魅力を感じて、いってみれば幻惑された人たちは、コイズミ純一郎氏も含めて運動会の徒競走のようなイメージを持ったのではないでしょうか? あれなら公正・公平だ、と。 

(あっ、オリンピックの100m走をイメージした人もいるかもしれませんが、誰でも参加可能となると、やっぱり運動会ですよね)。


 これはイデアル・ティプス、つまり理念型とか理想型というものかな? と浅学の私は思ったのですが、どうでしょうか。

 まあ、とにかくことあるごとに竹中氏らが強調してきた自由競争市場などというものは現実の社会には存在し得ないのだ、という確信がパラストの『金で買えるアメリカ民主主義』で確かめられたのは、正直うれしい限りです(←もっとも、こんなことで喜んでもしようがないのですが)。
 

 この本はもう数か月前に手に入れたのですが、少しずつ、ちょびちょび、思い出したようにボツボツ読んでます。(一向に読了しないのは、おもしろくて手離すのが惜しいこともありますが、一番の原因は私の怠惰にあります)。


 この本では自由競争を錦の御旗に悪行の限り? を尽くすブッシュ父子に焦点が当てられていますが、今日読んだ箇所は、かの英国サッチャー政権でエネルギー相を勤めたジョン・ウェイカムが、世界で初めて「電力卸売り」発電所を認可した、というくだり。
 この発電所の所有者こそ、あのエンロン社なのですが。

 1990年に制定された法律を契機にエンロンは自由化電力市場で国際的な電力取引業者になり、ウェイカムはエンロンの役員に迎えられ、役員手当とコンサルティング料を得ながら、さらには「Sir]の称号も手に入れ、一民間企業の役員であると同時に上院議員だったようです。

 そしてこの後に起こったことを、パラストは次のように述べています。

 
 エンロンとの取引に続いてウェイカムは、イギリス政府に国内の発電商や電力小売会社を、電線から変電所までいっさいがっさい売りはらうように働きかけた。サッチャーはそこで、イングランド・ウェールズ・プールというリトルチャイルド先生の夢に着手する……紙の上では電力プールはアカデミックな美しさをそなえていた。新たに生まれた民間発電業者たちは、イギリスの消費者に電力を売る権利のために日々しのぎを削って電力の価格を下げるはずであり、その結果、電力料金は安くなるはずだった。
これは理論だ……電力プール制度は業界が「ギャンブル」と呼ぶゲームの会場となってしまう――談合や価格つり上げ、消費者からありとあらゆる手の込んだ方法で金をしぼりとる場だ。電力の価格は跳ね上がり、発電所の所有者たちは、資産収益が事実上一夜にして三倍から四倍に増えるのを目の当たりにした。
                                             
 
 頭の中の自由競争市場は、実際の社会ではギャンブルの場になってしまった、ということです。
 神は存在せず、実際はギャンブラーばかりだったとは笑えますが、ことが電力という公益事業だけに、さすがに笑うにも顔が引きつります。

 コイズミ純一郎氏はどうか知りませんが、お利口さんの竹中氏がこのことを知らないわけはない、と思うのはあまりに穿った見方でしょうか?
 ギャンブラーとしてひと晩の稼ぎを選択して、危なくなったから議員辞職したのかな? なんて……。

 辞職後も生活は大学教授の身分で保障されているわけですから、後はそうした己の選択と獲得した収益を守るため、かつ正当化するために研究・弁論活動をすればいいわけですし。 

 そんな風に想像してみましたが、さあて、実のところはどうなのでしょうか? 


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