投稿日:2008-07-18 Fri
老婦人がひとり、とりつけ騒ぎの起きた銀行に赴き、窓口にお金を預ける。それを目撃した他の客に忠告をされても、悠然とした態度で、いいえ、心配などしていませんよ、と応える。とたん、その場の空気が和らぎ、やがて銀行に殺到した人々の間にもその空気が伝わり、窓口に並んだ人々は帰り始める。老婦人は元教師。
窓口に座っているかつての教え子を気遣って、手助けに来たわけです。
そんな古いアメリカ映画をまだ白黒時代のテレビで見て、この時の落ち着き払った老婦人の横顔がやけに胸に焼き付いて、今でも思い出されます。
この女性が実在の人物だったのかどうか、なにしろ映画の中の話しですから分かりませんが、ときどき想い出される女性でもうひとりは、学校の教師ではありませんが実在の人。
チンパンジー等の類人猿の研究で著名なジェーン・グドールさんのお母さまです。おそらくもう亡くなられていると思いますが、きっとジェーンさんにとって人生の師だったであろうと思わせる人。
ジェーンさんご自身すごい人ですが、1930年代に生まれたこの方のお母さんもすごいなあ、と思ったのは、たった一つですがエピソードを知ったとき。
幼いときから動物好きのジェーンさんが土の中に住むミミズを観てかわいそうに思い、自分の寝床に何匹も寝かせてやったことがあったのだそうです。
そのとき母親はベッドの中のミミズを発見しても慌てず騒がず、ジェーンの言い分に耳を傾けた後、ミミズには土がなによりの寝床なのだと教えたという話し。
う〜む、私なら悲鳴をあげて叱りとばしていたかもしれないなあ、と子育て時代の自分を思い出して冷や汗を覚えました。
この話しをもっと早く知っていたら、子どもたちをもっとうまく応援することができたかもしれないなあ、などと考えるのは、猫の何とかと○○の知恵は後から出る、というやつですね。
まあ、外国の話しはそれくらいにして、自分の子ども時代のことを考えると、忘れえぬ先生が二人。
ひとりは横浜の小学校で1、2年の時に受け持たれた女の先生で、国語の反意語のテストで、問題の言葉に打ち消しの「ない」をつけた私の答案に○をつけてくれた上で、注意書きをしてくれた人。
たとえば「高い」の反対語として「高くない」と書いた私の答えにも惜しまずに? ○をつけて、これからは「低い」と書きましょうね、と言い添えていただいたのです。幼い私にも、先生のそんな心遣いがじわあっと胸に滲みたことが記憶に残っています。
もちろん、その後はそんな間違いをすることはありませんでした。
後年、知り合いの子どもさんがその頃の私と同い年で、テストで×をもらった上に「あきめくら」と書かれた! こととえらい違いです。(またすごい暴言教師がいたものですが)。
もうひとりは、神戸の小学校で5年時の担任だった若い男の先生。
算数から国語、社会、理科、図工まで、実によく教えていただきました(音楽教師は別にいました)。一番記憶に残っているのが、5年生にアルキメデスの原理を教えてくれたことと、図工の時間にデッサンの指導をしてくれたこと。ちょうど国語の教科書に載っていた本居宣長と賀茂真淵の出会いの話しも印象深かったですねえ。
私の知的好奇心に火を付けてくれた先生でした。
小・中・高・大と16年間の学校教育で真っ先に思い出されるのがこの2人の師です。
ウマの合う先生、合わない先生、どうでもいい先生、とかいろいろいまして、大きくになってからこれっといった師に出会うことがなかったのは口惜しくもありますが、子ども時代にこのお二人と会えて私って幸運だったな、と思います。
汚職で揺れる大分県ですが、きっとそんな問題は大分県だけのものではないのだろうと想像しています。
学制発布から136年。近代学校制度が生まれて130余年ということですね。
それ以来、学校制度は人々が社会的上昇を遂げるための手段にも使われてきましたが、教師という親の職業を子が受け継ぐ手段にもなっていたとは。
採用されるためにはコネが必要だというのは昔から言われてきましたが、そのコネの具体的な内容を知ったのは今回の発覚によるもので、初めてです。
金銭授受のすさまじさにはただただ驚くばかりですが、それにしても、なぜこうも、親が子どもの人生を、職業選択の道までも規定しようとしてしまうのか、今さらながらに呆れてしまいます。
これは教師以上に政治家の世界で顕著に見られますよね。
昨日、プールの仲間たちと話題になったことは、日本の政界の目に余る世襲政治家の話し。
政治劣化の原因の一つにあげられるのではないないか、と皆と一致しました。
せいぜい許して、2世までね! という声が大きかったことを言い添えておきます。
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