寝たきりでも、リハビリは必要です
さて、この春PSE法が問題になって大騒ぎしたのを忘れたころ、またまた新たな問題が浮上しています。
「リハビリテーション医療の一律打ち切り」です。
リハビリはこれまで医療保険適用の期間に制限がありませんでした。それがこの4月の診療報酬改定で疾患別に日数制限が決められ、脳卒中など脳血管疾患は発症してから百八十日、心大血管疾患は百五十日、運動器が百五十日、呼吸器が九十日。それ以上は自己負担になりました。
これを知ったのは結構最近のことで、川辺よりさんの記事からでした。さっそく「リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名活動」のページに行くと、「リハビリ中止は死の宣告」という、脳梗塞の後遺症で現在リハビリを続けられている多田富雄さんの悲痛な叫びも掲載されていました。
もう20年ほど前になりますが、私は30代の6年間を、義理の両親の介護に明け暮れていました。最初の3年間は父の、そして後の3年間は母の介護です。
特に母、いわゆる姑が倒れた時は、父の時の教訓もあり、入院中に始めたリハビリを退院後もひたすら続けました。
運動障害のみならず、失語、さらには意識障害もあって1日中ベッドの中にいる母でしたが、それでも朝起きたら顔を拭き、寝間着を脱がせて一日の始まりを知らせ、1日2回のリハビリを続けて、どうにか私の介添えでポータブル便器に坐ることができるような足腰を、少しでも長く維持する必要がありました。
何も判らなくなったような姑でしたが、それでも排尿にしくじってベッドを汚したときなどの悲しそうな顔は、今でもよく覚えています。
嫌がる母の手を取りながら、起立訓練やその他のリハビリをするとき、他人が見たら、なぜそこまで? といぶかしく思ったに違いありません。実際、そんな声も聞こえてきましたから。
でも、寝たきりになった姑の最後に残った、唯一ともいえる人間の誇りを支えるものが、とにかく、人の助けを借りながらでも、自分の足でベッドの横に立って、用を足すことでした。たったそれだけの力しか残っていませんでしたし、それは、1日2回のリハビリによってかろうじて保たれていた能力でした。
何も知らない人から見たら、ほんとうに馬鹿らしいほどの、取るに足らない能力です。でも、寝たままで排尿を済ますことと、腰を曲げながらでも、人の力を借りながらでも、自分の足で立つという動作を経由して排尿するということには雲泥の差があります。
こんな意識障害があり、ただ寝ているにしか見えない人でも、リハビリするかしないかで結果が全く違ったものになるのです。
そうした一人ひとりの、人間として生をまっとうしよう、させようという私たちの努力をまるであざ笑うかのごとき今回の改定は、人を有用と不要に分別する匂いさえ感じさせます。
今回ばかりは私も、署名用紙をプリントし、友人やご近所のお年寄りのお宅を回ってみました。我が家がかつて老人介護で苦労したのを知っている人たちですから、こうした問題で私が署名を集めるのを、みなさんよく理解してくださいました。
今朝などは、安部さんの祝電問題、新聞に出ていましたね、と声をかけてくださる人もいて、ちょっとうれしくなりました。
でも我が家の取っている毎日は、社会面の隅に、申しわけ程度にちょろっと載せているだけです。第1面に堂々と載せてくれ! これは社会問題ではない。政治問題だ! とまた怒りムラムラ。
あっ、いつの間にか、リハビリからアベ問題に移ってしまいました。不正と疑惑のラッシュですから、しかたありません。





