フェンネルの花が咲いています。しばらくすると、この花のひとつひとつが、あの薫り高い実になります。毎年その実を収穫して楽しんでいますが、取り残したものが地に落ちて、また新たな株に成長しています。
東ヨーロッパの小さな町で実際にあったユダヤ人虐殺は、総督府におけるReinhard Aktionラインハルト作戦の一環でした。それ以前にも同様の虐殺事件がありましたが、ドイツに占領されて政策が遂行され、そこで初めて大殺戮が組織化されたわけです。
舞台の1つ、現在ウクライナ領にある小さな町では、1942年の2度目の大虐殺で、2,000人のユダヤ人が犠牲になっています。
このとき、特に標的になったのが、子供たち。
3日間に及ぶ殺戮で、600〜700人の子供が殺されています。
足を掴まれ、歩道の縁に頭を打ちつけられてなくなったそうです。
いかに一撃で息の根を止めるかということと共に、殺めた人数を、ゲシュタポ、およびそれに荷担した民間人、というより、結果的に民族的反目をさらに助長した他民族出身の警官は、自慢し合います。日本兵の100人斬りと同じ構図です。
手っ取り早く未来の大人を殺めるのも、世界のあちらこちらでやられているようです。
ひるがえってこの国のことを考えますと、少子化が問題になっていますね。
私自身こどもふたりを育ててきたわけですが、今の時代、若い夫婦だったら、また育ててみたいと思いますか? と尋ねられたら、しばし答えに躊躇せざるをえません。
正直なところ、結婚と子産みは、理性ではできません。
少なくとも私の場合、理屈抜きで結婚と子産みをしてきました。(^_^;)
子育てはそれだけでは済みませんでしたが。
アンケートでもされたら、もっともらしい理屈のどれかに○をつけて、それらしき集計結果が出るかも知れません。
こんな世の中にわが子を送り出すのなんか嫌だ! と、心のどこかで叫び声が聞こえます。これは、理性ではなく直観ですね。
ましてや、年金制度が危ういとか言われて、脅されて産むのは嫌です。
日本の厚生年金や国民年金は、制度が創設された時には積み立て方式だったのが、なし崩し的に現行の賦課方式に、つまり働く世代が高齢世代を支えるようになったといいます。
政治の無策が産んだ今の年金問題を、それ産め、やれ産めで解決しようとするのはあまりに無策。
さらには、将来の戦闘要員に備えて産ませようなどというのは、もっともっと嫌、と、体と心は反応します。
今は、子どもにとても厳しい世の中です。
この厳しさがどこからくるかというと、子どもらしさと同時に、成熟さをも要求される社会に、私は1つの答えを求めます。
「子どもらしさ」と「成熟さ」という、この2つの矛盾するものを突きつけられて、子どもは戸惑い、親はふらふら迷う。
脇目もふらずに一直線、エリートコースにたどり着くために邁進するのは、ある意味では楽かもしれません。他のことには目を閉ざすことになるからです。でもそれも、どこかに落とし穴がある、挫折がある。
子どもはいつもいい子を要求されて、いい子は、素直な子、従順な子、つまりおとなしい子とも解釈されてきました。おとなしい子は大人しい子です。
でも、子どもの持つエネルギーは、その解釈には収まりきれません。
そして、その解釈の枠からはずれると、まさに社会は不寛容です。子どもにも、親にも不寛容です。その不寛容さが、ゲシュタポのごとき圧倒的力で迫ってきたら、私たちにはなすすべありません。
先のナチ占領下の東ヨーロッパの小さな町では、一度虐殺を経験してから、ユダヤ人たちはとにかく隠れることを考えたといいます。そしていつ、どこで、どんなふうに隠れるか、友人にも、ときには家族にも明かしません。明かしたら、それだけ生き残る確率が低下します。互いの信頼をも奪われた社会です。
ナチスドイツの例は極端かも知れません。けれど日本にも、それほど誇れる過去があるわけではありません。外政しかり、内政しかり。床屋での世間話が元で逮捕されることもあった治安維持法など、その最たるものでしょう。
政策が社会に不寛容の空気を生んだ、極端な例です。踏み絵のようになった国歌・国旗法も、政策が、社会の不寛容を助長してきたいい例です。その上に、密告も奨励する共謀罪が成立したら、人の信頼関係など、ずたずたでしょう。
そんな社会では、私は子どもを産みたくもないし、育てたくもない。
(子どもというのは、母親が1人で育てるものではありません。日本には、社会生活を営む上での知恵として、名付け親、烏帽子親などなど、何人もの「親」代わりが、1人の子どもを見守り育てた習俗がありました。子ども1人の命は、そうした複数の人間のあいだで共有され、育まれてきたのです。そんなことは当然、不寛容な閉ざされた社会では不可能ですよね)



