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なかのひと

イラク――不可能な国家
イラク建国 「不可能な国家」の原点
 ここ数日間読んでいた本です。著者はファクタ編集長阿倍重夫氏

 帯には「イラクの戦後復興はなぜ泥沼に陥ったのか」とありますが、書かれている大半は1921年のイラク建国前後の舞台裏です。
 イラクの部族社会に根回しをして国境線を引いた1人のイギリス女性ガートルード・ベルを中心に、「アラビアの」ローレンスや個性豊かなイギリス諜報局の面々が絡み、ベドウィンの雄イヴン・サウードが、そしてアラブ随一の名家ハーシム家から出て初代イラク国王となったファイサルが登場します。

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ガートルード・ベルと(アラビアの)ローレンス
  










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 20世紀初頭、瀕死の大国オスマン帝国のトルコにビスマルク後のドイツが触手を伸ばす。当時、現在のイラクにあたるメソポタミア地方はこの帝国の一部。富の源泉インドを領有し、ペルシャ(イラン)南西部の油田に利権を持つイギリスは、ヨーロッパとインドを結ぶ海路を握っていた。

 ドイツは、ベルリンからビザンチウム、バグダード、クェートまでをつなぐ鉄道を敷設し、ペルシャの族長たちをけしかける。強欲なイギリスに分け前をやることはない。やつらを放逐して、石油のすべてを自分のものにしろ、と。これを、族長たちは逆手にとって、イギリスの採掘料をつり上げようと、駆け引きに使う。

 これに対してイギリスはあらゆる策を講じようとして、2枚舌どころか3枚舌を使う
 1枚目は第一次大戦勃発直前の外相とトルコとの間のアラビア半島を南北分割する秘密合意(1914年6月)。(これ以外にもアラブの反乱の論功行賞としてハーシム家のフサインに自治権を与えるという約束を1915年7月〜1916年3月の書簡で明言していた……4枚舌?)。

 2枚目はロシアの10月革命の結果暴露された「サイクス=ピコ協定」(1916年5月)。これは大戦後のオスマン帝国領の分割を約束してイギリス・フランス・ロシアとの間で結ばれたもので、メソポタミアはイギリスの保護領だった。

 3枚目は外相がロスチャイルド卿との書簡の中でユダヤ人国家の建設を約束したバルフォア宣言(1916年11月)。当時アラブの現地で汗を流すベルはこの宣言を知り、「いっさいの現実に目をつぶる、まるっきり机上の空論」と吐き捨てるように言う。

 アラブの古老から、いったいどの公約を信じればいいのか問われたローレンスは、相矛盾する文書のうちで、一番日付の新しいものを信じなさい、と答えている。
 1917年3月、バクダード陥落。オスマン帝国はメソポタミアを失う。ベルは占領地で新国家建設の青写真を描く作業に夢中になるが、そこにサイクス=ピコ協定バルフォア宣言が影を落とす。19年のパリ講和会議でベルとローレンスは、領土と油田の権益しか眼中にない政府首脳を前にして手を組んでアラブの将来のために奮闘する。が、中東を英仏の委任統治領にする以外何も決まらない。

 アラブ国家の樹立を急ぐベルはバダードのスンナ派長老を訪ね、その助言にほぼ従ってイラク統治政策の骨格をかためる。当時イラクの総人口280万人中150万人がシーア派だったが、当面の治安のために都市部の裕福な少数派スンナ派に依存して、多数のシーア派を封じ込めることにした。

 帝国としてイギリスが生き延びるためには、自発的な政府と行政を支援するか設立するべきだ、とベルは考える。しかし、本国政府も現地の民政長官代行も耳を貸さず、民政移管は一向に進まない。
 19年の暮れ、騒擾が発生。20年4月、英仏の両国は旧オスマン帝国領アラブの分割を決め、メソポタミアとパレスティナはイギリスの委任統治領になる。そこでアラブに暴動が起こる。シーア派のイスラーム法解説者たちがジハードを呼びかけ、ラマダーンが始まるとスンナ派とシーア派の信徒たちが結束しはじめる。イラク全土に流言卑語が飛び交い、族長たちは反乱密謀を凝らす。

 メソポタミアはイギリス軍と暴徒の凄惨な内戦に突入し、一方で野心満々の名望家の息子が己をメソポタミアの王に推戴させるべく陰謀を巡らす。この間、数百人のイギリス人の犠牲者が出て、大戦が終わったというのに多額の臨時出費がイギリスの国庫を直撃する。けれどアラブ人の犠牲はその数十倍、1万人を超えてしまう。

21世紀初頭の米国の躓(つまず)きとこれはよく似ている」と阿部重夫さんは言う。「専政の重い鉄蓋をあけたとたん、沸騰しはじめるメソポタミア。異邦人には見えないこの国の「地下」に、どんなマグマが隠れているのだろう」とも。

 21年、新しい高等弁務官の着任と共に民政移管は実行に移され、11月にはスンナ派主導のアラブ人の暫定内閣が発足する。イラクとペルシアの国境線はベルが引き、スンナ派とシーア派は再び分断される。
 イラクの統治はイギリス人顧問団と王家とスンナ派にゆだねられ、アラブ系の族長たちは、ペルシア系が優勢なシーア派のイスラーム法学者たちへの反感を煽られる。
 
まさに分断して統治せよのとおり。

 21世紀のイラク、今年の1月29日シーア派の聖地ナジャフでイラク治安部隊と駐留米軍が交戦した相手は、シーア派の聖職者殺害を計画するスンニ派の武装勢力だったとCNNは伝えている。
 が、シーア派そのものもまた分裂している。サッダーム・フセインの政権と対峙しなかったシスターニー師やホエイ師を許さない勢力が存在しており、そのひとつが、私たちもたびたび耳にしたムクタダ・サドル師を支持するグループだ。彼の父親は、サッダーム・フセインの刺客に殺されている。

 この分断と分裂の状態を「近代国家の前提となる均質性」が欠けていると、阿倍重夫氏は見る。
 
 21年3月、時の植民相ウィンストン・チャーチル、ローレンス、ベル、高等弁務官コックスがカイロに会し、新国家の国境を決めた。クルド人の多い北部、正統スンナ派のアラブ人の多い中部、シーア派のアラブ人の多い南部、さらにそこにペルシア人、ユダヤ人、ネストリウス派キリスト教徒といった少数派が入り込んでいた。
 中部と南部だけでは反抗的なシーア派が多数を占めて、御しやすいスンナ派が劣勢なるということで、ベルは3地域を一括して、さらには北部の油田の権益も考慮しながら地図に国境線を書き入れる。クルド人の住む北部は分離すべきだ、というローレンスの意見はベルに一蹴された。
 イラク南部とクェートとの間、砂漠の空白に中立地帯の線を引いたのもベルだった(1923年)。
 
 ベルの画策で実現したファイサルによる王政は、1958年の軍事革命で幕を閉じた。

初めは傀儡アラブ人王(ファイサル1世のこと)政、次はコミュニズムと結託した軍事独裁、そして汎アラブの疑似社会主義政党(バース党)独裁、そしてサッダームの個人崇拝の恐怖政治……と強権支配が続いたのは、部族制の根強いこの地では近代西欧型の完結した国民(民族)国家が不可のだからだ、それでもイラクが国家として存立できたのは、はじめはベルやローレンスの背後で「インドへの回廊」を守ろうとした英国の意志があったからであり、1970年代の石油危機から湾岸戦争までは冷戦の盾や反ホメイニーの防波堤として米国が必要としたからである。
 
 今回のイラク侵略戦略を立てた超大国米国の政権中枢やその追随者たちは、ベルやローレンスが経験したような挫折と懊悩にある内省を驚くほど欠いている。ベルが設計したキメラ(混在)国家が無理なら、イラクを解体して国境線を引き直さなければならないはずなのに、国家の原点に帰るだけの構想も資源もない、と阿倍重夫氏は断じる。

 日本の戦後をモデルに考えて、イラクに期待を裏切られたブッシュのアメリカ。

 ひるがえって日本は先の大戦に敗れたばかりか、今も忠実に「アメリカからの改革の要望」に応え続ける。イラクにあるマグマが私たちの国にはないのだろうか?

歴史 | 08:02:03 | Trackback(4) | Comments(6)
コメント
国境線
湾岸戦争の時に世界中の世論はクエートはイラクの一部と主張するフセインの言い分を無視しましたが、冷静に歴史を見ると十分に根拠はあります。
クエート占有の一年後にイラク全土を英国が占領する。香港澳門と中国本土との関係に近い歴史的経過です。
中東に限らずアフリカ諸国の国境線は其処に住む住民や文化、歴史伝統を無視して旧宗主国同士の机上の論議で、世界地図と定規で決められた。
将来揉めて当たり前なんですね。欧米には道義的にも実際問題としても責任があります。
2007-02-17 土 10:05:50 | URL | 布引洋 [編集]
布引さん、おはようございます。
ベルが国境線を引いた部分を、今朝少し補足しました。
子どもの頃世界地図を見て、アジア、アフリカに直線に引かれた国境線がいくつもあることに違和感を覚えたものです。ですが、今この線を引き直すのも不可能なくらい難しい。アラブ世界の国境線も、もともと部族単位で考えられていたのをイギリスが人工的に引いたものです。そんなところでそもそも国家という枠組みが成りたつのか、と思ってしまいます。
2007-02-17 土 11:33:11 | URL | とむ丸 [編集]
イクセレント!
いや〜、面白いです。
とむ丸さん、乗りに乗ってますね!
2007-02-17 土 12:30:38 | URL | 喜八 [編集]
アフリカの問題も同じですが、国境線がいったん引かれると、そこの政治支配層にとってはそれは縄張りのようなものになりますからね。
昔、南米ではボリバルという人が統一を呼びかけましたが、挫折してしまいました。アラブ世界では、ナセルが国家の枠を超えた人気を持っていましたね。
石油という富があるためにこの地域の問題はかえってややこしくなっていますが、イラクの問題も結局はパレスチナを含めた中東全体の枠の中でしか解決できないのではないかと思います。ただし、これにはイスラエルは反対するでしょうが。
2007-02-17 土 21:07:33 | URL | かつ [編集]
おはようございます。
感想は一言で言えば、
ワクワクしました。
私の中では世界史は第一次世界大戦前くらいで終わっているのです(^^;
オスマンと言われても塩野さんの「コンスタンティノープルの陥落」の若きスルタンを思い出す始末。
とむ丸さんのエントリーで、今、激しく動いている歴史のただなかにいることを改めて実感しました。
とても刺激になる素敵な記事、ありがとう。
また教えてね(^.^)
2007-02-18 日 11:52:32 | URL | せとともこ [編集]
喜八さん、せとともこさん、いらっしゃいませ。
喜んで頂けてうれしいです。
この阿倍重夫さんの本の中味は、歴史上の事実が錯綜してどこから手をつけようか困ったのですが、私はここに書いたような方向からまとめたわけです。

かつさん、こんにちわ。はじめまして。
>イラクの問題も結局はパレスチナを含めた中東全体の枠の中でしか解決できないのではないかと思います。
同感です。イスラエルは、とりわけ第2次大戦中のヨーロッパで受けた暴力を、パレスティナで返しているのではないか、とさえ思われることがあります。そこをのり超えられるでしょうか。
2007-02-18 日 16:41:45 | URL | とむ丸 [編集]
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