人民の人民による人民のための政治

government of the people, by the people, and for the people
 人民人民による人民のための政治。

 民主主義の神髄を語るものとして有名なリンカーンの言葉です。
 以前から、この「人民の」政治とはどんな政治か? と疑問に思っていたのですが、wikipediaによると、世界的には「起源」を意味するとのこと。

 したがって、日本国憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」の中に、このリンカーンの言葉の精神が込められているわけです。

 なお、リンカーンの言葉の「人民」も、日本国憲法の「国民も」、英語では共にpeopleです。

 このことをしっかり、胸に刻み込んでおきましょう。

 自民党憲法草案では、現行憲法のこの前文部分がきれいさっぱりと削除されています。
 そのかわり、

 
日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 という文が来るのですから、ふざけたものです。

 一応、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する」という文言がありますが、あまりに弱い。

 さて、「人民人民による人民のための政治」のうち、「人民による」がすっぽりと抜け落ちた考えを喧伝するものがある、ということを知ってからもうずいぶんとなります。
 例によって例のごとく、知り合いのわかものが口にし始めたのがきっかけです。

 そりゃあ、昔から、たとえばプラトンは哲人政治なんてものを考えたし、古代アテネの民主政治がやがて衆愚政治に陥ったと、中学の歴史でも学びましたし。
 
 でも、結局、「絶対権力は絶対的に腐敗する」という知恵を獲得したのが人間ではなかったでしょうか。

 私が子どもの頃、大人はよく仁徳天皇の話をしました。もう、戦後は終わった、といわれた後の昭和30年代ですが。
 なんでも、高殿から眺めれば、民のかまどから煙すら上がってないのを嘆いた天皇が、向こう3年間税を取り立てず、宮殿の改修などに人力をさくことを中止し、食料の生産高をあげるべくさまざまな事業に専念した。その結果3年後にはどの家々からも煙の立ち上る様子が見えた、というのです。

 戦前の子供たちは、この故事を胸にも頭にも叩き込まれたわけです。

 哲人政治、とかなんとかいうと小難しくなりますが、この戦前・戦中の人びとに叩き込まれた仁徳天皇の政治がその日本版だ、と考えると分かりやすくなります。

 これがとにもかくにも「人民のための政治」でしょうが、「人民による」は無視されています。おそらく意図的な無視、つまり否定でしょう。

 でも有史以来の出来事で私たちが学んだのは、とにかく権力というのは堕落する、腐敗する、ということ。

 現実には私たちの命と生を全面的に委ねられるような卓越した個人、ないし少数者のグループは存在しない、ということ。

 こんなことは常識も常識、あったり前のこんこんちきよ! と思っていた私は、今の政治は衆愚政治だ! デモクラシーは駄目だ! と正義感の強いわかものが口走ったときは目が点になってしまった、という状況を想像していただけるでしょうか。

 国の政治は優秀なひとにぎりのエリートに任せ、国民は黙ってついてこい、いうのは三浦朱門氏ら日本会議派の主張、大衆は実直にエリートのために働いて国を支えればよい、という考えに通じます。
 教育は読み書きそろばんができて、お上の下す命令が読めさえすればいい、余分なことは考えるな、というところが本音でしょう。

 コワイのは、こうしたプロパガンダに乗る青年の耳元には、君ならエリートになれるゾ、民を指導できるゾ、という悪魔のささやきが聞こえること。正義感・使命感の強い真面目な青年は、これでイチコロです。
 
 どうも権力を掴んで上でふんぞり返っていたい人たちは、民を臣民ロボットにしたいようです。

 権利ばかり主張するな! 義務をきちんと果たしてから権利を要求しろ! というのは、昔から耳にたこができるほど聞かされてきた言葉です。子どものころからこんな文句を耳にするたび、どこかでごまかされているような気分になったものです。

 もちろんこんな言い回しは詭弁の一つといえますが、主権が存する、と規定されている私たち国民が、その主権を行使・維持するためにどれだけ努力をしてきたか、と考えると、はなはだ自信がありません。
 
 今のところ、民主主義に基づいた政治が最良の政治のやり方だと思いますが、民主主義は常に衆愚政治に陥る危険を持っています。

 古代アテネの市民たちは独裁を怖れるあまりオストラシズムを考え出して有力政治家を10年間国外追放し、これがアテネ衰退につながったという人もいるようですが、追放された有力者は再チャレンジが可能だった、という余談は後にして、とにかく民主主義を政治、そして国民の生活に活かすことは必要なことです。

 ところがこの民主主義を政治、そして国民の生活に活かすための努力がどれだけ行われてきたか。それも一人ひとりの心がけはもちろんですが、それ以上に民主主義を維持するために社会的なシステムがどれだけ構築されてきて、それが維持されるのにどれだの努力がなされてきたか、ということが問題でしょう。
 
 ごくごく短期間を除いて、ほとんど1党独裁状態の自民党政府がこのシステムを改変しながら、メディアを操りながら、たくみに民主主義を切り崩す努力をしてきたことを考えれば、衆愚政治に陥る危険は、国民のせいだけではないでしょう。

 民主主義ユートピア、コスタリカの選挙風景として、子どもも含めて国民が喜々として投票場に向かう、という話が嘘か本当か知りませんが、少なくとも私たちの国では「喜々として投票場に向かう」という光景は考えられません。

 総務省の資料によると、昭和21年4月に行われた戦後初の総選挙の投票率は、男女平均で72.08%。
 昭和24、27年には、男子の投票率ですが、80%を上まわっています。そして昭和44年以降は女子の投票率が男子を上まわるようになりますが、いずれにせよ平成8年には60%を切ることになり、記憶に新しい2005(平成17)年には、ひさびさに小選挙区・比例代表がともに67%を超えたわけです。
 この時ばかりは、喜々として、踊りながら? 投票場に向かった人もいたとかいないとか……。

 しかしこの投票率上昇のむなしさは、その後の政治の展開を含めて、みなさん、いやというほど味わったはずです。

 国の主権者であるということはとても厳しいことで、主権を維持するためにはたゆまざる努力が必要だ、という当たり前のことがないがしろにされすぎた、といえないでしょうか。

 それも、国が政策的にそれを主導さえしてきた。もちろん、選挙管理委員会は常に投票に行こうと呼びかけてきましたよ、形だけでも。

 でも、主権を行使する私たち国民の側の内部から、徐々に毀されてきた。メディアもそれに大きく手を貸した。衆愚政治だ、といわれても仕方ないような状態だ。おまけに気づいてみたら、いつの間にか宗教票という組織票が大手をふって歩くようにもなっていた。宗教票はロボット票みたいなものだ。
 こんな状況を許したのは誰だ?! どこのどいつだ? 
 と、いきり立つのも無理はない、というところです。

 民主主義を維持するのはエネルギーが要ります。
 たえずこれでいいのか、問いかけていく必要があります。
 そして人間はある一点に固執するのではなく変わる可能性を秘めています。
 そのことを私は肯定的に捉えたいと思います。
  
 戦後、女も子どもも、そして男たちも、憲法と民主主義に守られて育ってきたこと、生きてきたことを思い出そう。

 もう一度、私たちの手で、私たち自身の手で、民主主義を育てていこう。育て直そう。

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