リハビリ打ち切り制度はどうなったのか
今から26、7年前の秋、横浜に住んでいた私は、まだ小さな子供たち2人を連れて、友人と東京、清瀬市に向かっていました。数日前に、清瀬市のとある病院(名前を忘れてしまいました)が行う脳血管発作の最新の治療方法のことを新聞記事を読んだためです。
脳出血も24時間以内に手術を行い、早い段階でリハビリを始めれば、身体機能の回復がかなり期待できる、というようなことだったと思います。
何年か前に軽い発作で倒れた父が、直後安静を言い渡されて寝返りも禁じられ、何ヶ月も病院のベッドの上で寝たまま過ごしていたのを知っている私は、その話しに驚きました。
次第に不自由な体になる退院後の父のことが、遠くに住む身でなおさら気になっていましたから、今からでも遅くないのでは、と淡い期待を抱いて清瀬に行ったのです。
突然の訪問にもかかわらず病院側は親切に対応してくれました。確か、医師とも話ができたと思います。その間は、友人が子供たちの面倒を見ていてくれました。
結局、遅すぎるという結論でしたが、年寄りが何よりも怖れるこの疾患について、どこか明るい光が見えてきたような気がして、心安らぐ思いで帰途についたことを記憶しています。いつか機会があったら父にリハビリを受けさせよう、遅いといわれても、駄目だと決まったわけではないのだから、と道々考えながら。
(実際のリハビリは、後日、地方都市に転居した私のところに父を呼び寄せて、叶えられることになります。)
その後、姑も脳血管発作で倒れました。
体の不調はそれ以前からあって、見聞きしてきた中風患者の話しをしながら、常々、あんな風にだけはなりたくないと言っていたのですが。
恐れていたことが現実のものになりそうで、本人も家族も不安に駆られていたところ、幸い入院先は市内の他の病院に先駆けて本格的なリハビリを始めたところでした。
リハビリを続ければ、なんとか1人で歩けそうだ、という希望が見えてくると、義母の表情はとたんに明るくなっていきました。
退院後も、回復した機能の維持のため毎日自分で起立訓練をし、診察時には療法士の指導を受けてましたが、これはとても励みになりました。後遺症と折り合いをつけながらの生活です。義母と私の「二人三脚」といえば完璧、ということになりますが、私は私で自分たちの生活がありますから、それほど献身的に尽くしたわけではありません。よく手を借りていっしょに遊びに行ったのは、昔からの年寄り仲間です。ちょうど、TVドラマの「おしん」が一世を風靡していた時代でした。
リハビリを続ければ、人の手をそれほど煩わせずに行きたいところにいけるし、したいことができると自信を深め、杖をつきながら誇らしげに笑っていた義母の姿を見ると、良い時代がきたものだ、と思わずにはいられませんでした。
(残念なことに義母はその後また発作に襲われて、結局、10年近く寝付くことになりました。それでも、最低限、人としての尊厳を全うすべく、つまり、赤ん坊ではないのですからできるだけおむつをあてずに排泄ができるように、起立訓練を主としたリハビリを続けました。失敗して粗相したときの辛そうな表情を見れば、このリハビリがいかに大切か分かっていただけるでしょう。)
そんなことを思い出しながらリハビリテーション医療打ち切り制度反対の署名を集めたのは、今年6月のことでした。
あれからどうなったのだろうかと、時々気にはなりましたが何もせず、華氏さんの記事に促されるように撤廃運動のホームページを見てみると、
なんと、6月30日に提出した44万人の署名に対して、厚生労働省の反応がいまだにないことがわかったのです。
9月5日現在で、呼吸器リハビリは打ち切り後68日、運動器リハビリは同8日経っています。脳血管疾患リハビリに関しては、あと22日で打ち切られるということ。
ひたすら音無しの構えで、忘れ去られるのを待っているような……。薬害肝炎訴訟で被害者の訴えに耳を貸さずに控訴した国ですもの、44万人の署名は、痛くも痒くもないのかも知れません。
でも、黙っていられません。熱しやすく冷めやすいのが私たちの国民性のようにいわれていますが、今度の華氏さんのように、誰かが思い起こして問題にすれば、リレーのように伝わっていくのでは?! と期待しています。



