外務省は戦争省か! 戦争が好きな外務省
1998年2月、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の査察を拒否したイラクを米国が爆撃する恐れが高まったときに、世論を武力行使支持に向かわせようとした日本の働きかけで、リチャードソン米国国連大使が来日し、橋本総理、小渕外相、柳井外務事務次官らと会談しました。
このとき開催された与党政策調整会議で当時の社民党政審会長、現広島市長の秋葉忠利が声を荒げて言ったことばが、「外務省は戦争省か!?」でした(自社さきがけ連立政権の解消はこの年の6月ですから、リチャードソン国連大使の来日時、社民党はまだ与党にいたわけです)。
もともと冷戦を前提にして組み立てられた日本外交は、冷戦の終わった後もそれを引きずり、イラクのクウェート侵攻の1年後、1991年8月、小和田恒が外務省事務次官に就任し、翌月外相の私的諮問機関として「外交強化懇談会」を発足させましたが、ここの座長になったのが、大本営参謀や関東軍参謀だった、悪名高き瀬島龍三でした。
93年の小和田氏の事務次官退任と同時に、外交強化懇談会の答申に基づいて「総合外交政策局」を他局の上位に置く「外務省改革」がなされましたが、この初代総政局長が柳井俊二。
小和田恒、瀬島龍三、柳井俊二。
なんだか見慣れた名前が続きますが、PKO協力法が成立してカンボジア、モザンビークのPKO に日本が参加したのが、この小和田氏の事務次官時代で、日本外交の転換点でもありました。小和田氏はまた、その退任直前に安保理常任理事国入りをしたい旨の意見書を国連に提出もしました。
この総合外交政策局が「スーパー局」として外務省の中心に据えられたこと、さらに安保理という国連の軍事機関の中心に日本が坐ろうとしたことで、軍事面で日本の役割を拡大しようとする外交の方向性が官僚主導で打ち出されたことになります。
その後細川、羽田、自社さきがけ連立の村山政権が続き、紆余曲折があったものの、97〜98年の安保理非常任理事国の時期に持ち上がったイラクに対するアメリカの軍事攻撃問題で、この日本の方向性がはっきりと示されることになります。
湾岸戦争後最大規模になるといわれた軍事攻撃をアメリカが単独で行う方針を示したとき、各国は反対姿勢を強めてアメリカは孤立しますが、このとき明確にと米国を支持したのが日本です。
その一方で、爆撃をするという米国を支持するのに国民の理解が得られないことを気にして、イラク問題に対する国内の関心を高めるために企画されたのが、先に紹介した米国国連大使の来日でした。
こうして外務省主導の下で米軍の武力行使を支持する方向に国内世論は誘導されていきました。
外に向けては米国べったりの顔を見せながら、内に向けては、安保理の分裂を防ぐため「不偏不党の立場の日本が一定の役割を果たすことが大事だ」と述べながら、あくまでも中立をよそおっていました。
対外的な姿勢と対内的な姿勢を使い分けて事実を国民の目から見えないようにするは外務省のとる常套手段ですが、また武力行使の是非を問う議論さえ拒否するのが日本の外交でした。
米国国連大使の来日したその年の12月、米英が爆撃を開始したとき、日本はすぐにこれを支持する声明を発表。安保理の中でも唯一支持表明の演説を行いました。
爆撃直後の外国人向け記者会見で「日本も攻撃可能なのか?」と問われて外務省参事官が「その権限を与えられている」と答えたそうです。
外務省参事官という地位がどの程度のものか分かりませんのでwikipediaを見ると、「本省における企画官から課長級の者」とあります。幹部とは言い難い、そんな外交官まで、日本でも武力行使の権限が与えられていると公言した、この話しについて、私たちは何も知りませんでしたよね。
一外交官の暴走を示すできごとですが、こんな重要なことを平気で断言するのも、外務省に武力行使へのためらいがなく、むしろ積極的に日本の武力行使を容認すべきだとする考えが充満していたせいではないかと思います。
欧米で、フセイン政権に対する攻撃が正義なのか否か問題になっているとき、私たちの国では北朝鮮の脅威が言い立てられ、世界各地のデモで「石油のために血を流すな!」と叫ばれているとき、外相自身(当時は川口順子)が石油の安定供給のためには自衛隊を派遣する必要がある、と訴えたのです。
(つい最近では、 輸入に頼る私たちの国を維持するためには軍隊に守ってもらう必要があると力説していた経済同友会の高坂節三氏のことも思い出されます)。
日本は経済的な覇権国として、イラク戦争に批判的な国々に対して、ブッシュ政権を支持するように圧力をかけますが、ちょうど沖縄や岩国に対して札束で頬を叩くように、発展途上国に対しても、アメとムチの政策で対応しました。
日本の常任理事国入り工作が失敗に帰したとき、「常任理帰国に二つのアメリカはいらない、ということだ」という声がロンドンの知人から届いたのを覚えています。
米国べったりの日本の姿勢は世界から見透かされていて、知らないのは日本人だけかもしれません。
と、こんな具合に日本の外交が世界に恥をさらしてきたところで、安保理決議に‘無料ガソリンスタンドをしてくれてありがとう’の言葉を盛り込め、とかなんとか、またまた恥ずかしいことをしてくれたようですね、外務省は。
しかもそれが結果としてアベ氏の首相としての最後の仕事になったようで。
それも、単にテロ特措法延長に反対している民主党対策のために。
「外務省は8月末ごろから『9月に採択される国連決議に海上阻止活動を盛り込む』案を用意。町村外相等が外務省案を官邸に具申。(9月8日の)首相の(ブッシュ大統領への)直談判が実現した」(毎日新聞 9月21日朝刊)そうです。
外務省は、なんでこんなに戦争が好きなのでしょう?
外交は米国に従っておけば間違いない。後は国民を納得させさせるだけだ、とばかり国内対策に神経を使う外務省って、何なのでしょう。
戦後何十年ものあいだ、自民党の方ばかり向いてきたツケかもしれません。
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*慌てて書いた記事で分かりにくかったために、かなり書き換えました。
このとき開催された与党政策調整会議で当時の社民党政審会長、現広島市長の秋葉忠利が声を荒げて言ったことばが、「外務省は戦争省か!?」でした(自社さきがけ連立政権の解消はこの年の6月ですから、リチャードソン国連大使の来日時、社民党はまだ与党にいたわけです)。
もともと冷戦を前提にして組み立てられた日本外交は、冷戦の終わった後もそれを引きずり、イラクのクウェート侵攻の1年後、1991年8月、小和田恒が外務省事務次官に就任し、翌月外相の私的諮問機関として「外交強化懇談会」を発足させましたが、ここの座長になったのが、大本営参謀や関東軍参謀だった、悪名高き瀬島龍三でした。
93年の小和田氏の事務次官退任と同時に、外交強化懇談会の答申に基づいて「総合外交政策局」を他局の上位に置く「外務省改革」がなされましたが、この初代総政局長が柳井俊二。
小和田恒、瀬島龍三、柳井俊二。
なんだか見慣れた名前が続きますが、PKO協力法が成立してカンボジア、モザンビークのPKO に日本が参加したのが、この小和田氏の事務次官時代で、日本外交の転換点でもありました。小和田氏はまた、その退任直前に安保理常任理事国入りをしたい旨の意見書を国連に提出もしました。
この総合外交政策局が「スーパー局」として外務省の中心に据えられたこと、さらに安保理という国連の軍事機関の中心に日本が坐ろうとしたことで、軍事面で日本の役割を拡大しようとする外交の方向性が官僚主導で打ち出されたことになります。
その後細川、羽田、自社さきがけ連立の村山政権が続き、紆余曲折があったものの、97〜98年の安保理非常任理事国の時期に持ち上がったイラクに対するアメリカの軍事攻撃問題で、この日本の方向性がはっきりと示されることになります。
湾岸戦争後最大規模になるといわれた軍事攻撃をアメリカが単独で行う方針を示したとき、各国は反対姿勢を強めてアメリカは孤立しますが、このとき明確にと米国を支持したのが日本です。
その一方で、爆撃をするという米国を支持するのに国民の理解が得られないことを気にして、イラク問題に対する国内の関心を高めるために企画されたのが、先に紹介した米国国連大使の来日でした。
こうして外務省主導の下で米軍の武力行使を支持する方向に国内世論は誘導されていきました。
外に向けては米国べったりの顔を見せながら、内に向けては、安保理の分裂を防ぐため「不偏不党の立場の日本が一定の役割を果たすことが大事だ」と述べながら、あくまでも中立をよそおっていました。
対外的な姿勢と対内的な姿勢を使い分けて事実を国民の目から見えないようにするは外務省のとる常套手段ですが、また武力行使の是非を問う議論さえ拒否するのが日本の外交でした。
米国国連大使の来日したその年の12月、米英が爆撃を開始したとき、日本はすぐにこれを支持する声明を発表。安保理の中でも唯一支持表明の演説を行いました。
爆撃直後の外国人向け記者会見で「日本も攻撃可能なのか?」と問われて外務省参事官が「その権限を与えられている」と答えたそうです。
外務省参事官という地位がどの程度のものか分かりませんのでwikipediaを見ると、「本省における企画官から課長級の者」とあります。幹部とは言い難い、そんな外交官まで、日本でも武力行使の権限が与えられていると公言した、この話しについて、私たちは何も知りませんでしたよね。
一外交官の暴走を示すできごとですが、こんな重要なことを平気で断言するのも、外務省に武力行使へのためらいがなく、むしろ積極的に日本の武力行使を容認すべきだとする考えが充満していたせいではないかと思います。
欧米で、フセイン政権に対する攻撃が正義なのか否か問題になっているとき、私たちの国では北朝鮮の脅威が言い立てられ、世界各地のデモで「石油のために血を流すな!」と叫ばれているとき、外相自身(当時は川口順子)が石油の安定供給のためには自衛隊を派遣する必要がある、と訴えたのです。
(つい最近では、 輸入に頼る私たちの国を維持するためには軍隊に守ってもらう必要があると力説していた経済同友会の高坂節三氏のことも思い出されます)。
日本は経済的な覇権国として、イラク戦争に批判的な国々に対して、ブッシュ政権を支持するように圧力をかけますが、ちょうど沖縄や岩国に対して札束で頬を叩くように、発展途上国に対しても、アメとムチの政策で対応しました。
日本の常任理事国入り工作が失敗に帰したとき、「常任理帰国に二つのアメリカはいらない、ということだ」という声がロンドンの知人から届いたのを覚えています。
米国べったりの日本の姿勢は世界から見透かされていて、知らないのは日本人だけかもしれません。
と、こんな具合に日本の外交が世界に恥をさらしてきたところで、安保理決議に‘無料ガソリンスタンドをしてくれてありがとう’の言葉を盛り込め、とかなんとか、またまた恥ずかしいことをしてくれたようですね、外務省は。
しかもそれが結果としてアベ氏の首相としての最後の仕事になったようで。
それも、単にテロ特措法延長に反対している民主党対策のために。
「外務省は8月末ごろから『9月に採択される国連決議に海上阻止活動を盛り込む』案を用意。町村外相等が外務省案を官邸に具申。(9月8日の)首相の(ブッシュ大統領への)直談判が実現した」(毎日新聞 9月21日朝刊)そうです。
外務省は、なんでこんなに戦争が好きなのでしょう?
外交は米国に従っておけば間違いない。後は国民を納得させさせるだけだ、とばかり国内対策に神経を使う外務省って、何なのでしょう。
戦後何十年ものあいだ、自民党の方ばかり向いてきたツケかもしれません。
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*慌てて書いた記事で分かりにくかったために、かなり書き換えました。



