日本は世界で一番冷たい格差社会
ダイヤモンド・オンラインで見つけたこの記事。
「雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会」は、なるほど、さもありなん、と思わせるものでした。
と、ハーバードのDr.マルガリータ・エステベス・アベは語ります。
生活保護の受給条件は、個人に受給資格があればよい米国より日本の方が厳しいのだそうです。日本では家族の所得も事実上調査されるからです。
北欧に限らずヨーロッパ先進国の福祉が日本よりずっと進んでいるのはよく知られていますよね。教育費も、大学卒業まで無料だったり。
付加価値税が20%でも国民生活へそれなりの対応があった上での話し。
私たちの政府はそんなこと考慮せずに、ただ消費税の数値だけを見てヨーロッパは日本の何倍も取ってるんだぞ、というのですから、呆れたものです……とブツブツ脱線。
正規・非正規社員の賃金格差の問題も、欧米ではまず考えられない、とDr.マルガリータ・エステベス・アベは指摘し、
と結論。
どういう社会で生きたいのか? と問われれば、かなりの率で高負担でも高福祉であればよい、安心して生活ができればよい、と答える人が多かったような記憶があります。
それがコイズミ時代、小さな政府で無駄をなくせば日本が良くなると勘違いする人が大勢出てしまいましたし、そもそも生まれ育ったこの日本社会で、高福祉の実現がなかなか信じられないのが実際。
現に、馬鹿高い戦闘機等に予算を費やし、インド洋で米国らの戦闘遂行の手助けに無料の燃料補給活動を続け、米軍への思いやりに多大な出費をする私たちの国の政府が福祉を唱えても、とても信じる気になれません。
小泉政権で決まった、5年間で総額1兆1千億円(毎年2200億円)の医療、福祉予算の削減を決めた「骨太の方針2006」実施2年目の今年で今の惨状。
さらなる削減が嫌なら、消費税値上げに同意しろ、という消費税増税のいい訳を聞くたびに、盗人猛々しいのもいい加減にしてくれ、と頭に血が上りそうですね。
第一次産業、とりわけ農業に従事する人が多数を占めていた時代の高度成長期以前、農村の大家族では赤ちゃんから年寄り、未婚・離婚者、元気なものから病弱なものまで、さまざまなメンバーが寄り添いながら暮らしを立てていました。
消費生活の規模も今とは比べものにならないくらいでしたから自給自足できるものもかなりあり、たとえひとりやふたりが転がり込んできても何とかなった、そんな状態を融通無碍な家族、といえるかもしれません。
そのかわり、一家の大黒柱を支える妻の背中にずっしりと重いものが載っていたのでしょう。私の知っている女性は、2人の子どもさんがまだ小学生の若いお母さんだったのに、この重みゆえ、ひどい腰痛に悩まされていました。
日本の家族が健気に耐えてきた自己責任、自助努力は、そうした犠牲があって可能だったのです。
今はそんな役割を買って出る人もいないでしょうし、町で暮らす核家族に、メンバー以外の人を受け入れる余地はありません。対処できるのはせいぜい親子関係まででしょう。
その親子関係でさえも不確かなことは、北九州での餓死事件に私たちが学んだことではないでしょうか。子どもも親を支えきれず、親も子どもを支えきれない、そんな事例は珍しくないのではないだろうか、と。
福祉機能でヨーロッパはおろか米国にも劣り、雇用環境はヨーロッパに及ばない、そんな社会に私たちは暮らしているのか、とあらためて確認。
それこそ、「どげんかせんといけん」のじゃないですかね。
ところで、余談ですが……
今日外出先の車中で聞いた文部省唱歌「田植え」。
これを耳にしてびっくりしたこと。
確か私は「植えよう 植えましょ みんなのために」と記憶していたのですが、注意を集中させて2番を聴いても、やはり「み国のため」と聞こえてきたこと。
自分の記憶違い? それとも間違って覚えてた? と少なからぬ衝撃を受けて帰宅後調べますと、確かに「み国のために」となっているのです。
なぜ?
昭和17年、太平洋戦争勃発後に作られたこの歌は、当然「み国のために」で書かれていました。戦争が終わった直後、この部分が「みんなのために」 と教えらるようになったという話しです。
私の記憶も間違いではなかったのです。
それがいつのまにか、「み国のために」と歌われるようになっていたのです。
私たち庶民は、過去も現在も、「み国のために」とお尻を叩かれてきたのじゃないでしょうか? でもそれに納得できない人もたくさん生まれた(当たり前だ!)……そんな社会に政治はとても追いついてない……。逆に、政治に合わせろ! と言ってるみたいですね。
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7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。
こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。
「雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会」は、なるほど、さもありなん、と思わせるものでした。
アメリカは確かに国家の福祉機能が小さく、利潤追求と競争の市場原理を重視しているが、それがすべてというわけではない。市場原理にまったく従わない民間非営利セクターが大きな力をもち、福祉機能、すなわち社会を維持する役割を担っている。
貧困者や市場で失敗した人たちの救済活動はその分かりやすい例だろう。
と、ハーバードのDr.マルガリータ・エステベス・アベは語ります。
生活保護の受給条件は、個人に受給資格があればよい米国より日本の方が厳しいのだそうです。日本では家族の所得も事実上調査されるからです。
北欧に限らずヨーロッパ先進国の福祉が日本よりずっと進んでいるのはよく知られていますよね。教育費も、大学卒業まで無料だったり。
付加価値税が20%でも国民生活へそれなりの対応があった上での話し。
私たちの政府はそんなこと考慮せずに、ただ消費税の数値だけを見てヨーロッパは日本の何倍も取ってるんだぞ、というのですから、呆れたものです……とブツブツ脱線。
正規・非正規社員の賃金格差の問題も、欧米ではまず考えられない、とDr.マルガリータ・エステベス・アベは指摘し、
これまでのやり方では社会保障などのコストが高くなりすぎる。最終的には日本人がどういう社会で生きたいのかということだ。
と結論。
どういう社会で生きたいのか? と問われれば、かなりの率で高負担でも高福祉であればよい、安心して生活ができればよい、と答える人が多かったような記憶があります。
それがコイズミ時代、小さな政府で無駄をなくせば日本が良くなると勘違いする人が大勢出てしまいましたし、そもそも生まれ育ったこの日本社会で、高福祉の実現がなかなか信じられないのが実際。
現に、馬鹿高い戦闘機等に予算を費やし、インド洋で米国らの戦闘遂行の手助けに無料の燃料補給活動を続け、米軍への思いやりに多大な出費をする私たちの国の政府が福祉を唱えても、とても信じる気になれません。
小泉政権で決まった、5年間で総額1兆1千億円(毎年2200億円)の医療、福祉予算の削減を決めた「骨太の方針2006」実施2年目の今年で今の惨状。
さらなる削減が嫌なら、消費税値上げに同意しろ、という消費税増税のいい訳を聞くたびに、盗人猛々しいのもいい加減にしてくれ、と頭に血が上りそうですね。
第一次産業、とりわけ農業に従事する人が多数を占めていた時代の高度成長期以前、農村の大家族では赤ちゃんから年寄り、未婚・離婚者、元気なものから病弱なものまで、さまざまなメンバーが寄り添いながら暮らしを立てていました。
消費生活の規模も今とは比べものにならないくらいでしたから自給自足できるものもかなりあり、たとえひとりやふたりが転がり込んできても何とかなった、そんな状態を融通無碍な家族、といえるかもしれません。
そのかわり、一家の大黒柱を支える妻の背中にずっしりと重いものが載っていたのでしょう。私の知っている女性は、2人の子どもさんがまだ小学生の若いお母さんだったのに、この重みゆえ、ひどい腰痛に悩まされていました。
日本の家族が健気に耐えてきた自己責任、自助努力は、そうした犠牲があって可能だったのです。
今はそんな役割を買って出る人もいないでしょうし、町で暮らす核家族に、メンバー以外の人を受け入れる余地はありません。対処できるのはせいぜい親子関係まででしょう。
その親子関係でさえも不確かなことは、北九州での餓死事件に私たちが学んだことではないでしょうか。子どもも親を支えきれず、親も子どもを支えきれない、そんな事例は珍しくないのではないだろうか、と。
福祉機能でヨーロッパはおろか米国にも劣り、雇用環境はヨーロッパに及ばない、そんな社会に私たちは暮らしているのか、とあらためて確認。
それこそ、「どげんかせんといけん」のじゃないですかね。
ところで、余談ですが……
今日外出先の車中で聞いた文部省唱歌「田植え」。
そろた 出そろた
さなえが そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く
そろた 出そろた
植え手も そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も 米がなる
さなえが そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く
そろた 出そろた
植え手も そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も 米がなる
これを耳にしてびっくりしたこと。
確か私は「植えよう 植えましょ みんなのために」と記憶していたのですが、注意を集中させて2番を聴いても、やはり「み国のため」と聞こえてきたこと。
自分の記憶違い? それとも間違って覚えてた? と少なからぬ衝撃を受けて帰宅後調べますと、確かに「み国のために」となっているのです。
なぜ?
昭和17年、太平洋戦争勃発後に作られたこの歌は、当然「み国のために」で書かれていました。戦争が終わった直後、この部分が「みんなのために」 と教えらるようになったという話しです。
私の記憶も間違いではなかったのです。
それがいつのまにか、「み国のために」と歌われるようになっていたのです。
私たち庶民は、過去も現在も、「み国のために」とお尻を叩かれてきたのじゃないでしょうか? でもそれに納得できない人もたくさん生まれた(当たり前だ!)……そんな社会に政治はとても追いついてない……。逆に、政治に合わせろ! と言ってるみたいですね。
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7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。
こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。



