政治家は、言葉と論理を磨いてほしい
ネットの世論調査(ニコニコ動画とか)ではアソウ内閣の支持率が33%で、「麻生内閣に対する報道各社の姿勢にもつ印象」の設問に対して「揚げ足取り的な報道が多すぎる」という声が79%に達したらしい。
たしかにマスコミ報道には問題が多いけれど、アソウ内閣の支持率低下がとまらない原因を「揚げ足取り的な報道」に求めて、失言問題は「冷静に見ればどうでもいいこと」だと考えるのは違うと思う。
政治家にとって言葉がいかに大切なものか、失言問題を「どうでもいいこと」と考える人も、またアソウ太郎氏自身も分かっていない怖れがあるのではないか。
政府の要職にある人の発言ひとつが株式市場の動向に影響を与えることはよく知られていることだし、首相をはじめとする政治家が国民にビジョンを語り、政策に理解を求めるのも言葉を通してだ。
だいたい、政治家たちが議論を戦わせて私たちの国を動かしていくもととなる法律をより良いものにしていく際の武器は言葉だ。
さらには法律そのものが言葉によって表現されて、私たちの生活を規定しているわけで、政治家に限らずだれでも、言葉を媒介にして思考もする。
あまりにお粗末な言語・思考体験をうかがわせるような失言は、リーダーとしての資質が問われて当然。
腹芸だけでなく、政治家はもっと自分の言葉を磨いてほしいと思う。
さて、1965年のワシントンでの米マクナマラ国防長官との会談で佐藤栄作首相(当時)の、
「日本が中国から攻撃を受けた場合にはアメリカが核兵 器を使って中国に反撃することを望んでいる」
「陸上に核兵器施設を作ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のも のならば発動できるのではないか」
という発言の記録が公開されたようですね。
非核三原則をうちだしたことでノーベル平和賞をもらったことにあらためて疑義が出された感じですが、まあ、この人なら、裏でこれくらいのことは言ってるだろうな、とほとんど驚きは感じません。
ノーベル平和賞をもらうこと自体おかしいと考えた人が当時もたくさんいました。
ついでに言わせてもらうなら、授賞式出席の際に新聞に踊った見出しが、ミニスカートをはいた夫人のことでした。
この話以上に今日のニュースでおかしかったもの。
河村官房長官の非核三原則堅持のことば。
「「核の持ち込みは日米間で事前協議の対象となっており、これ までアメリカからその申し入れはない。これまでのアメリカとの最高レベルの協議でも、日本の立場を十分理解してもらっている。日本がみずから核兵器を持た ないのは確固不動の政策であって核兵器の拡散に反対だ」
というもの。
思わず耳を疑ってしまいました。
だって、3か月前にも原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されたばかりではないですか。
で、河村官房長官の発言の跡をたどってみると、
《核の持ち込みは日米間での事前協議の対象。これまでアメリカからその申し入れはない》
→
《したがって、申し入れはないから、核の持ち込みはない》
ということになるのかしら?
これを《倒錯した論理》とでも呼べばいいのでしょうか。
大きくメディアでも「原子力空母ジョージ・ワシントン」と何度も何度もいわれていたわけですが、アメリカとの事前協議の申し入れがないのだから核の持ち込みにはあたらない、というのは理解できません。
言葉に限らず、論理も磨いてほしい、とつくづく思います。
そして、首相自身の言葉の軽さがまたまた問題になりそうなこと。
旧「麻生鉱業」の炭鉱で300人の外国人捕虜を働かせていたことを示す公文書があったこと。
この問題が06年に米国の新聞で報道されたとき、アソウ氏(当時外相)の支持で外務省は在ニューヨーク総領事館のHPに「そういう事実はない」とする反論を掲載し、11月13日の参院外交防衛委員会でも質問され、麻生首相は「事実関係は確認されていない」と答えていましたっけ。
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たしかにマスコミ報道には問題が多いけれど、アソウ内閣の支持率低下がとまらない原因を「揚げ足取り的な報道」に求めて、失言問題は「冷静に見ればどうでもいいこと」だと考えるのは違うと思う。
政治家にとって言葉がいかに大切なものか、失言問題を「どうでもいいこと」と考える人も、またアソウ太郎氏自身も分かっていない怖れがあるのではないか。
政府の要職にある人の発言ひとつが株式市場の動向に影響を与えることはよく知られていることだし、首相をはじめとする政治家が国民にビジョンを語り、政策に理解を求めるのも言葉を通してだ。
だいたい、政治家たちが議論を戦わせて私たちの国を動かしていくもととなる法律をより良いものにしていく際の武器は言葉だ。
さらには法律そのものが言葉によって表現されて、私たちの生活を規定しているわけで、政治家に限らずだれでも、言葉を媒介にして思考もする。
あまりにお粗末な言語・思考体験をうかがわせるような失言は、リーダーとしての資質が問われて当然。
腹芸だけでなく、政治家はもっと自分の言葉を磨いてほしいと思う。
さて、1965年のワシントンでの米マクナマラ国防長官との会談で佐藤栄作首相(当時)の、
「日本が中国から攻撃を受けた場合にはアメリカが核兵 器を使って中国に反撃することを望んでいる」
「陸上に核兵器施設を作ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のも のならば発動できるのではないか」
という発言の記録が公開されたようですね。
非核三原則をうちだしたことでノーベル平和賞をもらったことにあらためて疑義が出された感じですが、まあ、この人なら、裏でこれくらいのことは言ってるだろうな、とほとんど驚きは感じません。
ノーベル平和賞をもらうこと自体おかしいと考えた人が当時もたくさんいました。
ついでに言わせてもらうなら、授賞式出席の際に新聞に踊った見出しが、ミニスカートをはいた夫人のことでした。
この話以上に今日のニュースでおかしかったもの。
河村官房長官の非核三原則堅持のことば。
「「核の持ち込みは日米間で事前協議の対象となっており、これ までアメリカからその申し入れはない。これまでのアメリカとの最高レベルの協議でも、日本の立場を十分理解してもらっている。日本がみずから核兵器を持た ないのは確固不動の政策であって核兵器の拡散に反対だ」
というもの。
思わず耳を疑ってしまいました。
だって、3か月前にも原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されたばかりではないですか。
で、河村官房長官の発言の跡をたどってみると、
《核の持ち込みは日米間での事前協議の対象。これまでアメリカからその申し入れはない》
→
《したがって、申し入れはないから、核の持ち込みはない》
ということになるのかしら?
これを《倒錯した論理》とでも呼べばいいのでしょうか。
大きくメディアでも「原子力空母ジョージ・ワシントン」と何度も何度もいわれていたわけですが、アメリカとの事前協議の申し入れがないのだから核の持ち込みにはあたらない、というのは理解できません。
言葉に限らず、論理も磨いてほしい、とつくづく思います。
そして、首相自身の言葉の軽さがまたまた問題になりそうなこと。
旧「麻生鉱業」の炭鉱で300人の外国人捕虜を働かせていたことを示す公文書があったこと。
この問題が06年に米国の新聞で報道されたとき、アソウ氏(当時外相)の支持で外務省は在ニューヨーク総領事館のHPに「そういう事実はない」とする反論を掲載し、11月13日の参院外交防衛委員会でも質問され、麻生首相は「事実関係は確認されていない」と答えていましたっけ。
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